OCM一級建築士事務所
 

2007年8月


  2007年8月31日(金)   ダーウィンとサイクリング
午後、「卒業設計日本一展」が最終日なので、あわててみにいく。

ママちゃりよりちっちゃいミニサイクルで、コキコキと……。

乃木公園で休憩した後、展示をみて、う〜〜ん……。

……ダーウィンは言った。

「生き残ったものは、強いものでもなく、賢いものでもなく、変化できたものです。」

その言葉が、重くのしかかる。

(ちょっと、この20年の変化は、早すぎるだろうよ……)

                 §

気をとりなおすため、コキコキ、靖国神社へ。
「外苑休憩所」なるところで、休憩し、神保町の古本屋へ。

先週はなかったのに、拙著『建築ツウへの道』が古本で出ていた。
¥1650-  悪い値段じゃないな(笑)
素敵だ.

                 §

『エントピア』C.A.ドクシアデス著
『空間の深層-物語としての建築ー』渡辺豊和著

を購入し、ルートを交え、竹橋、赤羽橋、一ノ橋、古川橋を経由して、キコキコ帰ってくる。

渡辺豊和本の表紙に「来るべき21世紀こそ 正統ポストモダニズムの 真価が問われる時代だ」と書いてあった。

“正統”にも“真価”にも、きょうみがある。
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  2007年8月30日(木)   違う街
「建築ツウに訊け!(住宅編)」の文章を、五編一気に書き上げる。

たまった夏休みの宿題をいっきに仕上げる、あの感覚で。

                 §

夕方、渋谷に楽器をとりにいく。
家にもどり、慣れるために練習をする。

                 §

写真は、うちの1階にあった「かばん・はきもの屋」さんが店をたたむところ。
間口1mくらいで、ほとんど露店のような感じで、目つきのするどいおじいさんが一人でやっていた。

盆前に、はりがみがしてあって、「しばらくやすみます」と。
盆があけると、おじいさんのからだはひとまわりちいさくなって、目にも力がなくなっていた。

たぶん病気をしたのだろう。

で、家族に「おじいちゃん、もう、いいわよ、お店は……」
と説得され、とうとう、たたんだんだと思う。

                 §

こうやって、毎日、恵比寿は違う街へと、変化していく。

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  2007年8月29日(水)   キューカン
午前、市役所へ「完了検査申請書」の必要書類の確認等。

午、市役所の食堂で(もう来たくはないなあ……)とつぶやきながら“記念”にカツカレーを食べる。

午後「下総中山の家」、足場がとれ、緩い勾配のステルス戦闘機のような“屋根美”が姿をあらわす。

現場を後にし、渋谷の楽器屋で「FENDER MUSTANG BASS」を1本注文する。
明日には入荷予定。

夕方、クリニックに寄り、健康診断の結果を聞く。

身長173.1cm(……伸びてる)
体重64.4kg

「運動をしなさい」
「食生活をみなおしなさい」
「休肝日をつくりなさい」
「たばこ……わかってますよね」

とのこと。


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  2007年8月27日(月)   interview
午後から建築家の渡辺明さんにインタビューをするという仕事があるので、氏について調べる。

                 §

午後、碑文谷の氏の事務所へ。

建築家にインタビューするのは始めてで、かつこちらがどこの馬の骨とも知らないワカゾー建築家なので少々恐縮はするが、いつものことで、別に緊張はしない。

テーマは「木材」だったが、氏も他にたくさん話したいことがあるし、僕も他に聞きたいことがいっぱいあるので、「木材」の話が希薄になってしまった……。

まあ、いいか……(編集長すみません)。

いくつかズバッときた言葉
「格差社会?何が悪いのですか?」
「大事なのは4次元ですよ、もしくは6センス」
「分離発注をやっている。瑕疵担保保証?日本一の職人集団つかってやってんだから、そんなの関係ない」

ホンモノの建築家だなと思った。

27年後、僕もそうなっていよう、と思った。
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  2007年8月26日(日)   夭折・夭逝(ようせつ・ようせい)
何もせずに、休む。

無目的に原宿まで歩いたが、お腹がすいたので電車で家に戻ってきて、焼そばをつくって食べた。

                  §

高松伸が設計した『キリンプラザ大阪』が取り壊される、という噂。
僕はみていないが、新聞に出ていたという。

さびしいなあ……。
1987年竣工、僕が22才のときの建築だ
『キリンプラザ大阪』は今年で、20才……

若すぎるだろう……
せめて人間くらい生きろよ、建築。
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  2007年8月25日(土)   もつ
午後、中目黒のいろは寿司で寿司を折りにつめてもらい、佐々木玲氏の事務所へ行って、テレビをみる。

「建築の大衆化」を企てつづけて数年が経つが、これもその一貫だな……。
これからもつづけよう……。

                §

夜、少しだけもつなべをつくる。
うまかった。
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  2007年8月24日(金)   【テレビ放映のお知らせ】
明日8/25(土)13:00より、TOKYO MX(東京メトロポリタンテレビジョン)にて「第一回設計魂−学生No.1決定戦」という番組があります。

大島健二が審査員をつとめておりますので、是非御高覧下さいませ。

※ちなみに10年以上前の古いテレビだと映らないらしいです。
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  2007年8月23日(木)   でべそのこどもはどこへ行った
終日事務所ニテ作業

先日CDロムが一枚20円だということを知る。
紙のコピーが一回10円だから、これはある意味大変なことだ。

昔は何か付録についているCDとか、いらないけど、なんだかキラキラしていて、捨てられなかったが、これはもう本当に紙以下のゴミになっていると、知る。

                 §

などと考えながら、コンピューターの中を整理し、せっせとCDロムを焼く。

                 §

先日買った本で、前川國男と対話する。

巨匠「ミースの建築には魅力を感じないね。」
K2「ですよね……」

巨匠「ライト?あれは田舎親爺だよ。」
K2「……ちょっと言い過ぎでは……(汗)」

巨匠「フィリップ・ジョンソンの家にはヘソがない。……アメリカの建築でこれから欲しいものはヘソのような気がする。」
K2「御意。戦争もいっぱいやったし、そろそろヘソができるころではないですかね。でも今のニッポンの建築も、はげしくヘソないですよ。ヘソどころか、顔もない……ただただ何かの細胞組織の断面みたいなことになってますよ、巨匠」
巨匠「……むむむ」
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  2007年8月22日(水)   武装
朝から近所のクリニックに健康診断へ。

午後「下総中山の家」へ。
現場は一生懸命やってくれているが、工期の遅れは取り戻せていない。

                 §

現場を早々に引き上げ、神保町にて古本を漁る。

『前川國男=コスモスと方法』(南洋堂書店)
『僕は、時計職人のように』高松伸(星雲社)
『茶室と庭』重森三玲(社会思想社)

高松本は学生時代の愛読書、誰かにあげてしまったので、また買った。

帰り、いつもいく餃子屋の横に、“流行の最先端”な建築を発見。
「神保町シアタービル」というもので、ヨシモト興業の花月とか映画館が入っている。

設計は外国人建築家かなと思ったら、日建設計だという。
「形態は斜線制限や天空率計算により決定され、外皮の鉄板は耐震壁だ」という……たぶん。

よく教育されている、でも、そんなに理論武装、技術武装しなくてもいいのに。
美学的被害妄想か……。

「流行のかっこいいものがつくりたかった」
こんな単純な本音を誰も口にはしない。
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  2007年8月21日(火)   ココロ
巨匠研究、巨匠と格闘する。

短い文章だが、そこまでに至る道のりは長い。

                §

燃えた中華航空機、最後に窓から脱出する機長。
知らないチームの知らない選手が負けて泣いている高校野球。

何をみても涙が出る。

が、親殺しや祖父殺しなどには、なぜか、ココロが動かない。


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  2007年8月20日(月)   食指
「脱コンビニ」の文章を書きながら、コンビニのことを考えたり、めしのことを考えたり。

昼めし。
昨日の残りのカレーでカレーうどん、トマトとオリーブの冷たいサラダ、しょちゅうつくっている焼豚。

晩めし。
ダイコン、がんもどき、トリもも、コンニャク、シイタケを甘辛く“炊いたん”を冷たくして。冷ややっこ、枝豆、焼豚、さつま揚げ……。

コンビニの文章を書いているから、たまにはコンビニの弁当を食べなければと思うのだが、ダメだ。仕事だからとはいえ、食指が動かない。



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  2007年8月19日(日)   819
玄米を食べた。
おいしかった。

「白米信仰が……」などととのコダワリは、一瞬にしてくずれさる。
ちっちゃなコダワリは崩されるためにあるもの、だと日々実感。

そのコダワリや、妙なポリシーを日々壊していくことが、楽しい。

               §

「盆休みなし」のはずだったが、毎晩人と会食したりして、少し休みっぽい感じ。

今日は819(バイクの日)らしいので(別に俳句の日でもいいんだけど)夕方、少し暑さのゆるんだ都内をvespaでうろうろする。

代々木公園に辿り着き、様々な人々のパフォーマンスを観る。

皮ジャンでリーゼントで汗だくでおどっているおじさん達
バグパイプを吹いているおじさん
ジャンベを叩いている集団
スケートボードに興じる若者
ラッパ−のコンサート
雜技団の域にまで達しているダンスチーム
どうかんがえてもお父さんがドラムを叩いている少女ロックバンド
火のついていない松明をまわす練習をしている集団
鳴子を持ってニューヨサコイ節を練習している人々

ニッポン人の複合性と多様性の断面を一瞬にしてとらえることができた。

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  2007年8月16日(木)   ノラ
午後「下総中山の家」現場。
ちょっと工期がおくれたままで、心配だが、あせらせるわけにもいかない。

難しい仕事だ……。

                   §

下総中山「法華経寺」参道に棲息するネコたち。
灼熱の暑さの中、それぞれに、気持のいい場所をみつけ、だべっている。

                   §

夜、編集者2名来所、様々な打合せをしながら、会食する。

ちょっと玄米を食べてみようか……という気になった。
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  2007年8月15日(水)   浪士(浪人中の建築士)
朝から、行灯に和紙を張ったり
(傘張りの浪人みたいだな……)と苦笑い。

                 §

夜、楽隊の公演会、新宿JAM。
20年ぶりの舞台だが、まったく緊張せず、想像以上のパフォーマンスを出すことができた。

帰宅後、感激して眠れないので、明恵上人の本を読みながら、ココロを鎮めた。

                 §

【The Bakers情報】
9/6(木)三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
9/12(水)新宿JAM
9/15(土)下北沢シェルター(昼)
10/9(火)下北沢屋根裏
11/8(木)新宿JAM
11/16(金)下北沢屋根裏
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  2007年8月14日(火)   きのこ雲
お盆です……終戦記念日です(明日は)……

今、かわいい孫のいる人達、つまり、70才〜80才の人。
なぜ、盆休みで、かわいい孫たちが帰ってきているのに、その、御機嫌をとるだけで、“いいおばあちゃん”“いいおじいちゃん”になってはいけませんよ。

1935年生まれの人は、今72才で、終戦のとき、10才だったはずです。
そうそう、今、あなたの、前にいるお孫さんの年頃です。

あなたが10才の時に、どんだけスゴイことがおこってたか、目の前で何人の人が死んで、焼かれて、どんだけ臭くて……といった話をしてください。


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  2007年8月13日(月)   men-taiko
朝から布団の上で気持よく『明恵上人』白州正子著(講談社文芸文庫)を読んで、ホトケ顔をしていると、連れ合いが

「何読んでるの、明太子ナントカ……?」

「……」

あんまり、朝から腹がよじれるほど笑うのは、一日のやるきがそがれるので良くないということを知った(笑)

連れ合いの頭の中にはたぶん想像するに『だるまちゃんとてんぐちゃん』のような明太子ちゃんの物語が浮かんでいたにちがいない。
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  2007年8月11日(土)   しょっつる
午後、民家改修の打合せ。
播州独特のクセの強い大工さんと対面。

打ち合わせといっても、ここは播磨の国、家に入ったとたんおばあちゃんが
「もう、大工さん“いんだ”でぇ」と

奥からメジャーを持った大工が
「せやせや、もう、いんだいんだ」と、最初から“かまされる”。

自分の中の江戸仕込みの「理性」を一本、ニ本捨てながら、僕の図面にことごとく難くせをつける大工さんに、負けない悪い口でやりとりをする。。。。

                  §

写真は、酒蔵で“あたり前に”「いかなごのしょっつる」をつくっているところ。

前おじゃましたときは、奈良漬け、今度は魚醤、なんとも脳を刺激される。

ニッポンはまだ大丈夫だ。。。

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  2007年8月10日(金)   緑車
午後、VESPAを駆って目黒のアイアングレーさんに、手摺のステーをとりにいく。
時間が無かったが「盆休み前に仕上げますわ〜」と、すぐにつくってくれた。

かわいらしい出来。

                 §

夕方、明石へ。
自分に盆休み感が無かったので、うっかり帰省ラッシュに巻き込まれてしまい、席がない、やむなくグリーン車に乗る。

車中、『縁は異なもの』(光文社文庫)という白州正子と河合隼雄の対談集を読む。丹下健三も連れて行ったが、どうも日常を引きずり旅気分が出ないので、読みやすい対談なんかのほうが、心安くていいな、という感じ。




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  2007年8月10日(金)   
僕は鉛筆をもって線を引きながら本を読むので、引いたところをかたっぱしから抜き出してみる。

お盆なので、亡くなられたお二方の言霊に舞っていただこう。。。。。
※ちょっと僕も参加します。最近マトモな話ができるオトナが少ないので、あの世に行ってきます。。。。

河合「本当は教育すべきは日本の大人です」
大島「そうですね、日頃から感じます。子供としゃべっているより、大人としゃべっている方がイライラすることが多いです。」


-「日本で、明るい希望の見えるものってありますか。」
白州「希望があると思わなかったら生きてられませんよ。日本のどっかに隠れてある。」
大島「毎日何をしているかというと、それを見つけようとしているのですね。決してそれは遠いところではなく、すぐ自分の足元にあると思います。」


白州「(能は)文学というより、むしろ、音楽(歌いもの)としてとらえたほうがいいので、極端なことをいえば、一つ一つの言葉の意味など、わかっても、わからなくても、大差はないのです。」
大島「そうですね、ロックン・ロールでシャウトして何を叫んでいるのかわからないのも、一緒だと思います。」


河合「しかし僕は若い人に『僕と同じようにしろ』とはけっしていわないですね。みんな自分の好きな方法でやっていくわけですから。」
白州「そう、教えたってだめですね。」
大島「ダメです。でも、とっても教えて欲しがります。何も教えることは無いのに。」


白州「世阿弥も『せぬひまのおもしろさ』ということをいっていますが、何もしないときのおもしろさですね。」
大島「そうですね、でもミニマルデザインとかは違いますね、あれはやり過ぎです。またi-podみたいなものは『やりすぎ』でもなくサボリですね。『せぬひまのおもしろさ』とは、もっと『ありのまま感』を受け入れた上で、それを転がすようなイメージだと思います。」


河合「それは、われわれの世界も同じですね。われわれもご立派になったら、もう終りです(笑)。しかも、ご立派にすぐなれるわけですからね。」
大島「そうですね、『自分はオトナだから』とか『オトナっぽく』とか『渋く』なったらもう終りですね。」

河合「そうそう。だいたい病院がそうですよ。いまの患者のものすごくかわいそうなのは、まったく隠れるところのないところに入れられていることです。」
大島「そうですね、都市もそうです。猥雑な場所『あそこは行ってはいけないよ』という場所を除去してしまった。もちろんオトナが。引きこもりといっても全然こもってない。ネットしたりメールしたり、繋がっている。20年前はまだ、テレビも電話もない一人暮らしの若者はざらにいた。引きこもることは『フツー』のことであり、それによってみな精神の安定を得ていましたね。」

河合「『人の本当らしい言葉には血がない』というのがありますね。本当を言うと血が降るんですよ(笑)。僕はそれが怖いから嘘ばっかりついている。」
白州「それは、やっぱり関西と江戸っ子の違いですよ。関西には文化があるんですよ。」
大島「ぼくはよく血を降らせます(笑)


                 §

新幹線は西明石についた。

脳に、そんな死者との対話を舞わせながら、明石焼をつまみ、お店のテレビで「阪神-横浜」戦を観ながら、待合せの友達を待った。

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  2007年8月9日(木)   LETTER
終日事務所ニテ作業。
行灯をつくったり。

                 §

めずらしく、設計情報など。

bravatは安いので、今使っているが、このCALOFOLNIAというところも物凄く安い。

みんなで使って安定供給させましょう。

                 §

「幡ヶ谷の家」建て主さんより、お手紙をいただく。

「前略---猛暑とか冷夏とかいろいろ言われていますが、やっぱり夏、暑いですね。でも家は快適です。朝はまぶしい光に包まれてごはん。夜は月をながめながらお酒。下の娘は相変わらず“意匠!”でフリークライミングを楽しんでいます。---後略」

                 §

商業建築のように、数字で結果の出ない住宅。
住んでからも、住み心地がいいのは“あたり前”になり、不具合とか、クレームでしか御連絡をいただけないことが多い、不思議な仕事、煮え切らない仕事。

本当は小心者なので、お手紙とかが来るとだいたいビクビクしてしまうのだが、こんな内容のお手紙だと、スーッと肩のチカラが抜ける。

ありがとうございます。
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  2007年8月8日(水)   ジョルジュ
車中丹下健三を読みながら「下総中山の家」現場へ。

暑さが、街の光景をゆがめている。
ちょうどジョルジュ・デ・キリコの「街の神秘と憂鬱」のように。

「自分は右に曲がったが、もし左に曲がったら自分の人生どうなっていたのだろう… と。」『建築ツウへの道』拙著より

照り焼かれ、ゆらゆらとゆれるアスファルトの向こうへと、思考は溶けていく。

               §

階段の造作がはじまっていた。
現場で聞いたはなし。今「杉」の値段が安いのだと言う。
理由は「需要がないから」。
電気屋さんは「電線の値段は8倍になっちまったよ!」と。
(変なことになっているな、オイ、ニッポンよ……)

               §

夜、卒業生の古川君来所。4年振りくらいかな。
今彼は左官屋さんをやっている。とてもモチベーションが高く、有名な親方について、高度な技法をどんどん身に付けたいという。が、その親方達も、いつも腕をふるう現場があるわけでもなく、普段は野丁場の仕事をしているので弟子はとれないという。

「フツーの仕事をしていても、何かイライラしちゃうんすよ。イイ仕事、したいんすよ……」

「オオシマさんとこの左官工事で、親方とオレつかってくれませんかね」

仕事付きで親方のところに弟子入りしようという、その気持の高み、モチベーションの高さ。

彼は26才で二児のパパでもある。小さくまとまらずに、責め続ける彼が好きだ。

が、僕は僕で僕なので、僕もつまらない仕事をしないように仕事を減らしているので、いつも数寄屋建築ばかりやっているわけではなくて、いつも素振りやイメージトレーニングばかりしているので、彼と親方の人生を負うことは、今は、できない、と申し伝える。

「あせるな……」とだけ言い、別れた。

10年後が楽しみだ。ニッポンは大丈夫だ。



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  2007年8月7日(火)   ジバイセキ
郵便を出したり、自賠責を更新したり、洗剤を買ったりという用事で外へ。

三年前のデイリーヤマザキはサンクスに変わっており「これお願いします」というと、店員の人は、古い自賠責の紙をクルクルさせながら「これ、バーコードナイカラ、払い込みデキマセン」と。公共料金か何かの払い込みだと思ったみたい。

「いやコレはね、ジバイセキ、ジバイセキわかる?」と、「ちょとオマチクダサイ」と奥へ行ってしまった。

結局自賠責は自分で機械でやることになっていた。自分の名前をカタカナで打ち込みながら(進化か?退化か?)と頭の中がハテナで満たされる。

字が書けなくても、読めなくても社会は動く、そんなシステムを必死でこしらえているのだな……ニッポンは。
 
                 §

そんなことでちょっとガックシしながら帰ってきたので、結局洗剤を買うのを忘れてしまった。
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  2007年8月6日(月)   夏の妄想
過日、学生とル・コルビュジェ展を観に行ったときのこと、コンペ案であるはずのソビエト宮がCGとなって画面に映し出されていた。それはおそらくmayaという最新のソフトが使われているらしいが、あえて白黒表現をとっており、その分激しいリアリズムを感じた。

学生時代にその模型写真だけをみて20年想像していた空間に、身を浸すことができた。すばらしい時代の進歩だ。

と思って次の授業の時にその思いを学生達に伝えたら、彼らは「えっ?あれって本物じゃないのですか?」と。

図録の写真をみても「本物としか思えません」

と。

                  §

という時代に今われわれはいる。
もう、クライアントを捜して、敷地を捜して「建築」する意味はほとんどなくなってきたとも言える。

予算と製作スタッフさえいれば、すばらしき「超大文字の建築」をつくることができる。

さあ、どうするか?を、建築家は自分の問題として自己につきつけねばならない。

アンビルト建築家の波は、やがて、すぐにやってくるに違い無い。

アンビルト建築家協会とか、「アンビルトであることを映像に常に示さねばならない」といった映倫みたいな機関とか。

R15指定のアンビルト建築とか。。
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  2007年8月5日(日)   三宅島を感じた
朝からオムスビを持って高尾山へ。

6号路から高尾山頂→小仏城山、そこから涼しげな北斜面の日影沢というところに転がり落ちようと思ったがうまく道がみつからず、小仏峠から先日とは逆の「小仏バス停」の方へ降りた。

バスに乗り、高尾駅へ。そこから「ふろッぴィ」という健康ランドで風呂を浴び、大宴会場のおばちゃん達の演歌を聴きながらビールを飲む。

                 §

 一人のおじさんがステージにのぼり三宅島の歌を歌い出した。奥さんが「もうやめて」と言う感じで感極まっている。

なんだか様子が変だと思って(ここはどこだ、高尾?八王子、三宅島……そうか、ここには多くの三宅島の人が避難している町だ……)といった事情をゆっくりと肌で感じとることができた。

東京は広い……
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  2007年8月4日(土)   泳ぐ
朝めし前
ちょっとづつ煮詰めてきた手摺に決着をつける。

手スケッチ→コンピューター→手スケッチ→模型→写真

こういった“ひねりもの”は、模型じゃないと、設計できない。

鍛冶屋さんが、どうやって鉄を曲げるのか、それを、柔らかいスチレンペーパーでやってみる。

月曜日、アイアングレー(浅井さん・鍛冶屋さん)に持って行こう。

いつも、こうやって、図面とか模型を持って行った時の浅井さんの表情を楽しみにしている。

「ウ〜〜ム」といいながら、最後には「オッケー」と言ってくれる。

                 §

午後、プールへ。
ひたすらペンギンのように泳ぐ。
肩凝りがとれる。


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  2007年8月2日(木)   夏おでん
終日事務所にて作業。

                 §

ル・コルビュジェは、朝絵を描き、午後事務所に出て“5時間”スタッフと打ち合わせをしていたらしい。

その後は何をしていたのだろう……。

                 §

夜、おでんをつくったり、タコ飯をつくったり、ナムルをつくったり、bass guitarの練習をしたりして、わざと汗だくに。

小仏城山の頂上では、オデンとかなめこ汁とかが売っている。
暑くて、疲れていても、みな汗だくでなめこ汁をズズズと飲んでいる。

僕はながめているだけだが、気持はわかる。
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  2007年8月1日(水)   丸丸
午後「下総中山の家」現場へ。
暑さにもなれ、通りすがりの風景・光景も、すっかり足の裏にプリントされた。

内部の造作にも手が入りはじめ、ざっくりとした空間に目鼻がつきはじめた。

ここの現場は盆休みなく、フル稼動。僕も休むわけにはいかない。

               §

深夜25:00より、音楽隊の練習。
2週間後の公演めざして音をあわせるが、まだまだ課題が山積み。


寝たのは朝の5時前。
少々生活リズムに狂いが生じるが、まあ良いではないか。
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