OCM一級建築士事務所
 

2005年10月


  2005年10月31日(月) 100
 
▲top

  2005年10月30日(日) 100
朝から執筆。

昨日O編集長にいただいた100番目の御題をなんなく調理。
これにて1000文字×100題=10万字の達成、「建築ツウ」満願成就。

            §

目黒、自由が丘を抜けスクーターでD&Departmentへ。

集められた合羽橋的グッドデザインな品々に共感を得ながらも、自身の美学の範疇から大きくはずれてはいないので、強い嫉妬心や購買欲は生まれない。

付設したる「カフェ」にて、苦手な「カフェめし」なるものに挑戦し、昨日の“どぜう臭さ”を払拭する。

明日でいよいよこの「酔余漫筆」が終わる。
素敵な一日を過ごそう。
▲top

  2005年10月29日(土) 2回めのどぜう
昼、青山のお店の現調。
壁の色や床材の参考にと新宿まで施主と出向く。

          §

夜、エクスナレッジ社から刊行される予定の雑誌「IA」の打上げのため、渋谷の「駒形どぜう」へ。

O編集長、アートディレクターの美澤氏、写真家渡辺慎一氏、アシスタントのトップさんと決してかたぎでなさそうな風貌の酔雄があつまり、「伏見ふり袖本醸造」という19度の日本酒を4合瓶で次から次へとあけていく。

「どぜうなべ→柳川→くじらなべ→こいこく」と食し、酩酊。

「次は新宿へ……」と流れそうになったので、辞退し、人混にまぎれ、そそくさと帰ってきた。
▲top

  2005年10月28日(金) 人間
最近不思議なことが二つあった。

1)
ほとんど空席の東海道線に乗り込み、二人掛けの椅子に座った。次の駅で、少し髪型の決まっていない音大生のような女の人が乗って来て、ほとんどまわりは空いているのに、ワタクシの隣に座った。座って、携帯でメールしながら、イヤホンでクラシック音楽を聞き、あんパンを食べはじめた……。

2)
東急ハンズで塗料をみているととなりにいた女性が、「これって色つきますかね〜」って聞いてきた。ワタクシは「店員じゃないんですけど」と言うと「いえ、あの同じものみてるので聞いてみたんです」と。ワタクシはとっさに「そんなこと責任もてませんから言えません」と言ってしまい、買わなきゃいけない塗料を買わずに、ハンズを出て、後ろも振り返らずに、まっすぐ駅に向かった……。

1)2)に共通することは、知らない女性が、無防備に自分に接近してくることの恐怖感。無防備に近付かれる自分に対する自己嫌悪……。

1) に関しては、イヤホン、メール、アンパンによって、聴覚、視覚、触覚、味覚をふさいでしまった人間は「人間どうしの距離感」というものはどうでもよくなるのか……ということ。つまり、真横にいながら、まったくの別世界、別次元にトリップしているということ。

2)これはけっこうショック。自分が、おそらく仕事上のトラウマだと思うが、何かコメントすることに対してあとで責任を問われることを激しくさけている、ということ。よっぽど確信がもてなければ「大丈夫」や「100%」というコトバを使わなくなっているという自分と社会の病に気付いたこと。


                §

外付け記憶装置。

午後「浅草の旅館」現場。電気、内外装、設備の納まりなどの確認。
大工さんが3人投入され、勢い良く進んでいく。

帰り、ほどほどにアメ横のすじこやシャケや松茸を冷やかしながら、御徒町まで歩く。
▲top

  2005年10月27日(木) 晩秋
「鵠沼の家」(くげぬまのいえ)
晩秋の低い夕陽を家の中に取込む
長い、白い壁に照映させる

夏の高い夕陽は、庇を大きく上回り、入らない

偽色カメラにて、パシャリ

▲top

  2005年10月27日(木) とっぷりと
午前VDI出講。
午後、「鵠沼の家」(くげぬまのいえ)現場。

15時から、18時くらいまで、とっぷりと暮れ行く湘南の夕陽の中に、身を沈め、空間を味わう。

施主と落ち合い、寿司を食べに行く。
あと一月で完成する、家の、来し方、行く末について語り合う。
&阪神タイガースの反省会を兼ねて……。
▲top

  2005年10月25日(火) 大敗
「笹塚」「飯能」など、新しいプロジェクトを進行させる。
あたりまえだが、やっぱり自分は設計が好きだ、と再確認。

午後、徳島よりの来客。

一緒に渋谷まで散歩し、途中「『代官山 museum of share spirit』の横を通り、偽色カメラでパシャリ。Good。

西郷山公園で、夕陽をつかまえようと思ったが、10分遅かった。

渋谷で「広島焼き」を食べ「加茂鶴」を飲み、帰ってくると、阪神が大敗していた。
▲top

  2005年10月24日(月) 99 bis
書き上げた99枚の原稿。

▲top

  2005年10月24日(月) pool
午後「久我山の家」。
ちょこっとフェンスの移設工事をのぞき(監理)にいく。

庭のプールが、イイ感じだった。
ここに赤い花びらを浮かべて……とかいろいろイメージが浮かぶ
▲top

  2005年10月23日(日) 99
先週歩きまわったので、脳の、思考の塵がよく落ちた。

日曜日、朝から一気に4編執筆。
「景観」「建物保存」「地球にやさしい」「S、M、L、XL」について書く。

とうとう99編書き終えた。   放心。

100番目はちょっとおあずけして
これからこれら9万9千文字のチェックに入る。
▲top

  2005年10月22日(土) ピース
朝から竣工後1年を経た「幡ヶ谷の家」へ、某雑誌の撮影に立会う。

収納がテーマだったが、あらためてその収納各所をみてまわると、“整然”とものが納まっていて、時間をかけて設計した甲斐があったもんだ、と感心する。

いろいろ残工事とかで御迷惑をおかけしたが、一年経つと、お施主さんの顔も“丸く・緩く”なっていたので、ホッとした。

写真は巨大違い棚の横でポーズをきめるお嬢様たち。
▲top

  2005年10月22日(土) 16で
午後からVDI出講。
帰りにアーティスト吉水浩氏と遭遇したため、一升瓶を買い込みOCMに連行する。

今宵の議題は「全ネジボルトにロマンチズムはあるか?」というもの。
喉元まで「エクスキューズ」がでてきているが、攻めの論調を振るわすことができず、建築家は見事にアーティストに完敗。

純粋な美学の話は、楽しい。通常の建築家は、ここんところを避けて通っている。

しょうがないので16ビートの議論を中断し、ギターセッションへと流れる。
久しぶりにベースギターで16ビートを刻み、きもちよかった。
▲top

  2005年10月21日(金) “ZAZEN ROOM”
朝から、「浅草の旅館」の“起こし絵”をつくる。
原始的だが、お施主さんへの最終的なプレゼント(プレゼンテーション)としてはこれが最適。

午後、その“起こし絵”を持って現場へ。
内装が進んでる。

写真は、4階の“ZAZEN ROOM”。
下階の和風とは切り離し、抽象的な空間とし、真っ白に仕上げる。
お施主さんは“カマクラ”と呼んでいる。

冬、雪の積もった、屋上枯山水を眺めながら、ここで一杯キコシメス……。
最高だな……。
▲top

  2005年10月21日(金) &散歩
浅草に通いはじめて1年になろうとする。
結局、いつも仕事が終わったあと、浅草の賑わいの方には行かず、合羽橋を往復し、上野アメ横、御徒町、というコースが定番になってしまった。

新しいおもちゃカメラで、ニイミのおやじをパシャリ。
グッドな偽色具合。
▲top

  2005年10月21日(金) クール・ストラッティン
そのままいつもとは違う道、元浅草、上野東、台東、秋葉原と抜け須田町の「天鴻餃子房」で餃子を食ス。内神田、竹橋、大手町、東京、有楽町、新橋まで歩く……。

東京フォーラムニテ、また偽色具合を確認。
「クール・ストラッティン」って感じだな……。
▲top

  2005年10月20日(木) フグ
日が暮れると、仕事をやめる。
よって、秋の夜長を楽しむこととなる。

茶屋坂など裏道を通り、権之助坂へぬけ、目黒まで散歩。

知らぬうちにラーメン屋が異常に増えている。

フグ屋のフグに挨拶して、ブラウマイスター二杯と、「まるあぜ」で熊本ラーメンを食べて、また散歩。

帰りに、信濃屋に寄って、ベイリーズを購入。夜のデザートにと企む。

次にツタヤに寄って、DVDが2枚で2500円だったので、「2001年宇宙の旅」と「さらば青春の光」を購入し、帰途につく。

ああ、秋の夜長……。
▲top

  2005年10月19日(水) サヨナラ・ネクタイ
朝、「建築的に便秘が解消できるか?」について書く。
昼をはさんでVDIへ出講。

アーティスト吉水浩氏とランチ。
映画監督ジャン・ジャック・ベネックスの色、などについて会話する。
またオモチャカメラを自慢して、何枚か撮るが、帰ってメモリー移したりしてる間にデータが消えてしまう……。残念、程度。

戻って来て「独身でも住宅設計は可能か?」について書く。
だいたい、“ネタ”は電車の中などで思いつくので、書き留めておく。

            §

写真はワタクシのネクタイ21本。
輝かしきサラリーマン時代(4年と9ヵ月)の遺物。
21本ということは一年に4本?季節に1本?なんたるオシャレさん。

卒業後5年程たつ卒業生が、最近ネクタイを締めるような仕事についた。
「センセ−、ネクタイもってますか?」
「もってるよ」
「ください」
「いいよ」

今晩は、好きなだけこのネクタイ、持っていってもらう……。
▲top

  2005年10月18日(火) 武者震い→悪寒→知恵熱
昨日とはうってかわって、一日、外。
朝から西武イケブクロ線の特急「レッド・アロー号」に乗って飯能へ。
新しい施主の方と打ち合わせ。

一戸建て住宅だが、敷地450・……。
雙徽第(敷地700・)以来の、ちょっとした武者震い。

そういえば雙徽第の時、はじめて施主(普請道楽さん)に会って、家に戻って、熱が出たっけ……。
それは知恵熱というものの存在を自らの身で確信した出来事だった。

              §

施主と一緒に昼食、13時に飯能駅をあとにする。池袋経由で藤沢へ。
ぴったり15:00に到着。だから電車はやめられないB

現場監督は風邪をひかれていて、なんとも元気がない。現場順調で、ちょっと気がゆるまれたのだろう。
こちらの武者震いが、悪寒にかわらないうちにと、早々にひきあげる。

写真:「CHE-EZ! Tinio」による、雨の日の鵠沼海岸駅ホーム。
偽色感の本領がそろそろでてきた。
▲top

  2005年10月17日(月) 文人か俗物か
一日中事務所。
昼はいつものようにバジルペーストとベーコンのパスタなどをつくって食べたので、文字通り一歩も外に出ず。

「建築批評の漢文化は可能か?」について書く。
その他、店鋪見積もり提出、雑誌取材調整、掲載用図面整理、現場建具表調整、ニューWEBデザイン作成……などで一日が終わる。

大雑把な独白だが、様々なことが熟して来ているような気がする。

この「酔余漫筆」も、拙著「建築ツウへの道」で書くと宣言してから2年。
まあ、職能的修行及び性格的なものだと思うが、よく書いたもんだ。

そろそろ終りにしよう。

なんたって「酔余漫筆」という表題がダサイ(笑)。
結局、2年もやっていて、気の効いた漢詩のひとつも書けやしない……。
文人失格!

俗物は、晩酌をしながら、テレビ東京でパ・リーグの優勝決定戦でもみるとしよう……。
▲top

  2005年10月16日(日) 40何歳で死ぬということ
「CHE-EZ! Tinio」を持って街へくり出したいが、あいにく外は雨。
しょせんオモチャカメラに、過酷な試練は与えたくないと思い、仕事をする。

2編執筆。「建築家の不動産屋化について」をあらたに、かつ最初に書いた「建築って何?」を丸まる書き直す。

              §

夕方、雨が上がったので新宿まで5km歩く。
連れ合いとおちあい、飲食し、また一人になって、エビスまで5km歩く。

計10km。日常的な距離感。
江戸時代だと、「ちょっと、そこまで……」だと思う。
江戸は、本を読んでもわからない。目を閉じて、歩いて体感するしかない。

7月にインテリアデザイナー黒川勉氏が40何歳で亡くなり、昨年まで新宿バンタンキャリアスクールの同僚講師だったデザイナーKさん(49才)も突然亡くなれた。

今晩は酒飲みのKさんとよく昼飯を一緒に食った中華料理屋で、紹興酒をのみ、心の中で、密やかに偲んだ。

推測するに多忙&飲酒が原因と思われる。

40才を不惑というのは、まあ、いつ死んでもおかしくない、ということだろう。
死にたくなければ……死にたくなければ仕事けずってでも、歩くしかないだろう。

というよりも、僕にはまだやるべきことがあるのだ。
歩いて思考することは、その、純粋なる目的の一つかもしれない。
▲top

  2005年10月15日(土) フジヤマクミコ
午後VDIの「卒業設計オリエンテーション」。
各講師からゼミでやるテーマ、内容を発表。それを学生が聞いて選択するしくみ。

テーマっていっても、本当は自由なんだけど、それでは若者は気が狂ってしまうので、何らかの枠組みを与える。もちろん、「枠とははみでるためにあるのだ」ということをうすうす感づいてほしいと願っている。

                 §

その後、同席していたインテリアデザイナーの和田浩一氏をつかまえる。
まだ居酒屋が開いていないので、恵比寿西口をうろうろしつつ、結局定食屋みたいなとこで飲む。
いろいろ「おしゃれデザイン」について指南を仰ぐ。「おしゃれポストカード」「おしゃれ名刺」「おしゃれWEB」……。

PHOTO:「CHE-EZ! Tinio」によるミニスケッチブックの接写。

「浅草の旅館のためのフジヤマ障子のための組子スケッチ、外国人に組子をポキポキ折られないようにするためにどうすればいいか」を思案中
▲top

  2005年10月14日(金) 偽色カメラマニア
「MACH POWER」「POLAROID MISS」「CHE-EZ! Tinio」と3台のカメラが届き、「NHJ系トイデジカメブーム」も一段落。

「POLAROID MISS」をメインプライヴェートカメラにしようと思っていたが、「CHE-EZ! Tinio」の偽色具合、シャッターの感触、軽さがなんともいいので、そちらに決めた。

決して建築家が持つカメラとして相応しいくない、どころか「ありえない」感じがgood。
※本日の写真は、ちゃんとしたデジカメです

                 §

午後「浅草の旅館」現場。
施主の御両親が来られていた。

帰り、浅草から秋葉原まで歩き、新しくできたヨドバシカメラをのぞく。

僕は、1000個もあると思われるカメラバックの品揃えにたまげ、30分くらいかたっぱしからカメラバックの中をごそごそしていた。

こういうばあい、まずまっ先に何の売場にいるかということは、けっこうその人の本質を表しているように思う。

鳥かごが、鳥をさがしに行った(カフカ)。
▲top

  2005年10月12日(水) MACH POWER SVX
突如訪れたマイブーム。
「NHJ系デジカメブーム」もしくは「トイデジカメラブーム」。

ネットでみつけたコレを注文したら、すぐに届いた。

さっそく撮ってみた。
今どき、携帯電話にもカメラがついているのに、本体が携帯電話みたいなカタチをして、携帯のカメラよりも映りの悪いカメラというだけで、なんとも愛おしくなる。

根気強く使いこなせば、一つの写真世界ができそうな感じがする。

残り23個、みなさまいかがですか?

たぶん、明日はNHJ系polaroidのMISSが届くはず。
▲top

  2005年10月11日(火) いつも一瞬
今年半期は、「浅草の旅館」「鵠沼の家」現場に専念して、ゆっくりやろうと思っていたが、そうはいかなかった。
提案しなければいけない案件が4件くらいたまっている。+執筆+学校。

すばらしいことだ。

              §

午後「鵠沼の家」現場。この、うねる屋根の、美的なポイント=ピクチャレスク=フォトジェニックなところを毎回捜している。

それは、いずれ、あわただしいまま入居した施主さんが、ふと、見上げた一瞬、そう、一ヵ月に一回くらい、「キレイダ……」と思ってくれれば、いい、というような一瞬。
▲top

  2005年10月11日(火) 階 段
階段がついた。新しくは無い。1950年代のはやりであり、OCMでも、もう何度もやっている階段。
だが、いろいろスケッチした、その結果、コレ!と判断をくだす。

毎回、設計の細かいところは「開いて」いる、なので、厳密には同じではない。
ボルトの使い方など、袋ナット、長ナット、クロム鍍金、ステンレス、ネジ山つぶし、ボンド……など。

大工さんの、無口だけど、自慢げな表情が、印象的だった。
▲top

  2005年10月10日(月) 愛機、壊れる……
愛機「polaroid 230」が壊れた。

そこで、ネットの中でいろいろ調べると、どうやらこの「polaroid 230」というのはキティちゃんカメラみたいなもので、要はNHJという会社が「polaroid」からライセンスを取得してつくっていたカメラだったらしい。

かつそのNHJは8月8日に倒産していた。

写真家森山大道もたしか、オリンパスμとかビッグミニだとか、当時の最強コンパクトカメラをぶっ壊れるまで何台も同じものを使っていた記憶がある。

とにかく、その描写に一度やられたら、他のカメラは使えない。
「安っぽさ」「奥行きの無さ」「色彩再現のなさ」「漂白感」……。

こうなったら、けっこう意地になるもんで、ネットで同じNHJpolaroidのMISS というものを落札しようとしている。
190万画素の、いかした奴。

                    §

polaroid 230はこの「酔余漫筆」を彩るために購入したカメラだ。おそらく7.8割の写真が、polaroid 230で撮られている。

10月20日で、「酔余漫筆」は丸二年になる。

カメラもかえて、「酔余漫筆」もちょっと衣替えしようかしらん……。

写真:polaroid 230による最後の写真。10/9、葛西臨海公園ニテ……。
▲top

  2005年10月8日(土) ブランド
高田賢三がKENZOに復帰する、いやファッション界に復帰するという。

高田賢三のいなかったKENZOというブランド、グッチさんのいないGUCCIというブランド。モロゾフさんのいないモロゾフというブランド。やがては「阪神」さんのいないタイガースというブランドになるかもしれない。

全ては同じ話し、会社、ビジネスとはそういうもの。会社は個人の持ち物ではない。法人だ。簡単に、デザイナーを殺すことができる。

また、商社とは、メーカーをブランドにして、魂を抜き取る技をもっている。

しかしコム・デ・ギャルソンの川久保令は違う。自分のやっていることを「ビジネス」だと言い張る。かっこ良すぎるが、言えば言うほど、アートに近付いていく、という離れ業、戦略をもってやっている。

大島健二のいないOCMというブランド……。
はやく乗っ取られるように、がんばらねば。

               §

午後VDIの「一日体験セミナー」。コンピューターをつかって、スタイリング?みたいなことをやる。コモエスタ八重樫氏のイラストを参考作品とした。

夜、代官山のペルカリーナへ、青山に出すお店の打ち合わせ。
以前、DIYで、解体から、ペンキ塗、配線、家具製作まで一人でやったお店。
5年経って、青山進出。

昔の、そう10年前からの友達たちの力になれるということ、嬉しい限りだ。

別に、立派な「作品」をつくることだけが、ワタクシの仕事ではない。
人が、自分を必要としている、ということに、純粋に喜びを感じる、いや、まだ感じることができる自分がいるということにOKを出している。

ちなみに、新しいお店の広さは4坪です(微笑)。
▲top

  2005年10月7日(金) 羊水の中の想像力
朝、新しい施主候補の方と、事務所にて面談。
延床60坪程度のアパートメントの設計。
1ケ月時間をいただき、提案させていただくことになった。

午後「浅草の旅館」現場。
ファサードの作業が進行しているが、常に養生をしているので、なかなか様子がわからない。ので、今日は監督にわがままを言って、事前にはがしてもらっておいた。

出た!銅板の庇、三層、やっぱりきれいだ。
構成は、まわりの色は、プロポーションは……

まだ全体像はわからない。

その全体像は、まだワタシノの脳の中で、産湯に、いや、羊水に浸かっている。
▲top

  2005年10月6日(木) アキバ、近江屋
朝から学生を引率して D-秋葉原テンポラリーに行った。
課題でやっている「9坪ハウス」コンペの受賞作が展示されているので、それをお勉強しに。

他に「ジャン・プルーベ展」や「スイスデザインの現在展」もやっていたので、たっぷりと堪能する。

D-秋葉原テンポラリーは廃校となった中学校をギャラリーとしてつかっているが、来年駅前に新しくできるギャラリーのプレイヴェントであるらしい。

巨大な中学校、“校舎”という空間に久しぶりに入った。昔はいろんなもののつくりがえらくゆったりとしていたな、とつくづく感じた。が、このプレ・イヴェント、決してその校舎全体の回遊性を利用して……というかたちになってなくて、なんとなくもったいなさを感じた。

せっかくなのだから、そこで、かわりゆく東京、廃校になるということはどういうことなのか、これからどんどん壊されていくこういう建築物についてどう思うのか?といったことを訪問者に訴求させるのにはとっておきの空間なのに、やってはいない。当局は、別にそんなこと興味はないのだろう。「廃校の利用=流行り」くらいのモチベーションを強く感じた。

帰り、学生と別れ、お茶の水の方へ歩く。

明日来客があるので近江屋で御菓子を買って、明倫館で「建築文化」の1955年くらいのものを2册購入。地下鉄の中で「アスベストの積極的な利用」の記事を興味深く読む。
▲top

  2005年10月5日(水) 近況
フィンランドに“建築”友達がいる。まったくもってドメスティックな人間である僕からすればおどろくべきことだ。

建築をやっていながらモノ書きもやるという、そのアンビバレンツであり、当然ともいえることを確信的(革新的?)にやっている大久保慈さん。“致死量の考え事”という日記に、何か壮絶なモノ書きの苦悩を感じる。

しかし、どんな仕事も苦悩はつきまとう。給与所得者の方にしても、それは同じ、はず。

けど、僕自身は、基本的に、僕自身の脳内をろ過し、た、はずが、ほどよい不純物を適度に添加した文章しか書くつもりはないので、実は、そんなに苦痛はない。
(事実、なんてものはない、それは追えば追う程うそくさいものになると思っている、犯罪とか事件は別として……)

添加物100%をめざしたい。

あるモノ書きさんにも「一日に全然違う二ネタ、たとえそれが1000字であっても、なかなか書けない」と言われたが、僕はかける。なぜならば、あまり調べないし(笑)、人の話も聞かないし(笑笑)、自分の文章を、最近は「文芸」であることを確信しているから。
▲top

  2005年10月3日(月) 調査
ちょっと今日は暑い。
朝から執筆。「別荘設計と寺」について書く。

午後「一日体験セミナー」のプログラムつくりなど。

夕方メールをみると、新しいクライアントさんからのアパート設計の打診。
日暮れ前、あかね色に染まった空のもと
スクーターを駆ってこっそり敷地調査に向かう。


最初の第一歩、すべては白紙、めくるめく想像の世界
この瞬間が好きだから、建築はやめられない

               §

葬式について考える。
今でも地方では、お家で、畳の上で臨終を迎える時は、神棚に「宮川」と書いた紙を貼ったり、笹で覆い被せたりするらしい。

仏教は死を穢れたものとみないが、神道はちがう。
だから「宮川」で、浄めるのだという。

しかしその作業をしているおばあちゃん達に「なんで宮川って貼るの?」と聞いても「知らない」と返ってくる。

それが文化だ。文化は「我関せず」なところで守られる。その意味を問うたり、疑問を持った時点で文化は終わる。

国、家族、父、母、も同じ。
▲top

  2005年10月1日(土) 停電
そうだ、本日は朝から16:00まで停電だ。
事務所には陽がほとんどさしこまないので、ちょと、その停電状態を楽しもうと思ってロウソクとかをつけてみたが、なんだか黒ミサみたいになって、気分が悪くなった。

窓際で名刺の整理とかして、あきたので外へ出ようと思った。

ヒゲをそろうと思ったがシェーバーが動かない。そりゃそうだ。

外へ出ると、陽光が眼に痛い。

広尾をうろうろし、アリス川公園を抜け、都立図書館へ。
堀口捨巳などを読んで、5階の食堂のあたりをうろつき都立メニューをチェック。そんなに安くはないな……。味はどうなのだろう……と思いながら、ヒルズを通り、青ブックへ。

昨晩話しに出た五十嵐某の「ポスト・ポストモダン……」という本をちらりと立ち読み。
「建築ツウへの道」で触れている「ペンタ君 by 隈研吾」の建物にもコメントしてあったので、気になって読んだが、けっこうショック。ただの説明ではないか……。

なんだか自分が真剣に取り組んでいること事と、世のメディアで流れ行われていることとの大きなギャップを感じた。

とぼとぼと、また歩いて帰ってきた。

部屋の電気が灯いていた。
 
〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿1-7-2 エビスオークビル2-33 TEL/FAX 03-3441-3499 E-mail oshima@ocm2000.com
Copyright (C) OCM一級建築士事務所 All rights reserved.