OCM一級建築士事務所
 

2005年07月


  2005年7月30日(土) ぴんちょん
朝から執筆、一編仕上げる。

蒸し暑く曇った日。
体液を入れ替えるため、渋谷の方へ歩き出す。フジロックへ行かなかった人の顔をみるため、HMVやタワーレコードへ。

SOUL FLOWER UNIONやZAZEN BOYS などを試聴し、脳をゆらす。

大汗かいたあと、プールへ。だんだん泳ぐ量が増えてくる。カラダがそういうカラダになってきてるのだろう。

そのままスーパーマーケットへ行き、大根の先ッぽの辛い方と、豚バラ、シラス(関西ではちりめんじゃこと呼ぶ)、キャベツを買って帰宅。

それらを食して、やっと冷房を入れ、高山宏の「表象の芸術工学」を読む。

最近「引用が多い」と評判の悪い酔余漫筆だが、我関せず(笑)。

             §

「アートが一つの全体としてあって、それはトータルにデザインニングの世界。その一つ一つを、たまたま『文学』と呼び、『建築』といっているにすぎません。」

「エクプラシースの感覚の有無。」

「万物それぞれを別のものとして切りはなそうとする合理精神に対して、すべては一つのものでつながっているのだという考え方」

「マニエリスムという概念を最近の日本人は忘れてしまっているが、その財産はじつはまだ全然使えていないのではないかということです。われわれがばらばらなものを集めて喜んでいる快楽とは、別に普遍的なものではなくて、マニエリスムと呼ばれるのがふさわしい時期に特有の現象であること。」

その後、分類、整理、合理、理性、啓蒙という近代のシステムに無批判、無自覚のうちに収斂されていくんだな……。そこを批判し、自覚すること。

僕が本能的にやっていることと、戦略的にやってること。
 
旧套を脱しないアカデミズムとそれにパラサイトしているメディアと建築基準法の範疇でしかものを考えていない人のことを建築家と呼ぶにはあまりにも貧相すぎる。
▲top

  2005年7月29日(金) 夏
朝から執筆、二編仕上げる。
若干滞ってる感が否めないので、一日二編ペースぐらいでやっていかねば。

夕方、VDIの学生K君とH君来所。その後M君も合流。
夏休みの過ごし方(?)、20代の過ごし方、進路、就職活動、授業、建築などについて話をする。

学生曰く「センセ−早く巨匠になってくださいよ」
講師曰く「オレにはオレの作戦があんだよ……」

写真:所長のイスをねらうH君。
▲top

  2005年7月28日(木) 浜
昨晩、電車がなくなり帰れず、鵠沼海岸の施主宅にて目覚める。

ぶらりと、ビーチの方へ歩き、朝からサーフィンやビーチバレーに興じる人々を観察。

26才までボードセイリング(ウィンドサーフィン)をやっていたことと、もともと関西の湘南、須磨ビーチ近辺で育ったこともあり、なんとも立ち去りがたい気分……。
潮の流れを読んだり、風を読んだりすることは、キライではない。

が、感慨に耽っている場合ではないので、東京へ戻る。
▲top

  2005年7月28日(木) MAKE HASTE SLOWLY
午後「久我山の家」現場。
お施主さんの好意に甘え、工期を延長してもらっていることに深く感謝しながらも、ここまできたら、慎重に仕上げたいので、監督や職人さんには MAKE HASTE SLOWLYな感じで指示を出す。

この一週間で、左官、ペンキなどが入り、足場もとれ、一気に最終的な空間があらわれる。
あと、一週間でかたをつけねば。
▲top

  2005年7月27日(水) 台風一過
朝5時、TVをつけ台風情報を捜すが、やっていない。
もう北海道へ行ってしまった台風にメディアは何の関心もないらしい。

台風一過の青空のもと、湘南へ向かう。「鵠沼の家」上棟。

酷暑の中、鳶さん、大工さん達の汗が光る。
▲top

  2005年7月27日(水) ハイパーボリック・パラボロイド
屋根の形状は異形HPシェル構造。HPとはハイパーボリック・パラボロイドの略。
分りやすく言えば、ハンカチを広げて、一つの角だけをめくれあがらせたような形(厳密には違うが)。

この建物においては、光の入る方向、つまり南の角をめくり、そこからきれいな光を導き入れようとしている。

うねうね建築の、初歩の初歩。古いアイデア、50年前の流行り。
世界のうねうね建築との共時性、猿の芋荒い程度のシンクロニシティー。
▲top

  2005年7月27日(水) 上棟式
羽子板ボルトなどを使わない構法を採用しているので、掛矢の音も無く、するすると組まれ、午前中にはほぼ形ができあがる。

3時過ぎから、上棟式。

職人さん達は、ほとんど車なので、酒は飲まないが、建築家と施主だけが、かいた汗の分だけのビールを流し込む。
▲top

  2005年7月27日(水) 宵の口の酔い
日が沈まぬうちに、上棟式終了。

自転車に乗って、組み上がった建物を、感慨深げにながめる、赤い顔をした施主夫妻。
▲top

  2005年7月27日(水) 吉水氏登場
酔いが冷めぬうちにと、近くの鉄板焼屋さんへ行ってさらに飲む。
おっと、ここは湘南、アーティスト吉水浩のショバ……、ちゃんと挨拶しておかねば後で何を言われるかわからない……。

電話すると、はじめはぶつぶつ言っていたが、すぐに自転車でとんできた。賑やかな上棟の祝い。

あいかわらず吉水氏のぶっとばしたトークに、施主夫妻は口をあんぐりあけて、あきれ顔。
まあ、祝いの席には1台欲しいトーク・マシーンであるこは間違いない。

ありがとうございます。
写真は、左から施主、吉水氏、建築家……みな今年40才だ。
▲top

  2005年7月26日(火) 台風7号
朝5時起床。
TVをつけ、台風7号の様子を窺う。
どうやら直撃のもよう。

6時。本日予定していた「鵠沼の家」上棟、及び「浅草の旅館」コンクリート打設の中止を確認するため、各現場監督及び施主に連絡をする。

ホッとして、2度寝をむさぼる。

§

台風とともに、若干の身辺整理をし、過去の記憶と闘う。過去の記憶を消すには、過去の過去の過去の記憶をマスキングさせる必要があると思い、一日中、STONESの「NO EXPECTATIONS」を聴いていた。

TAKE ME TO THE STATIO,AND PUT ME ON A TRAIN
IユVE GOT NO EXPECTATIONS ,TO PASS
THROUGH HEHE ,AGAIN
▲top

  2005年7月24日(日) 引きこもり&TV
一日中、事務所に引きこもる。
ラジオもつけず、音楽も聴かず、静寂の恵比寿を楽しむ。

一日中、ホームページ刷新の案を作成していた。
文字通り「来しかた、行く末」考える。

晩、普請道楽N氏よりの指令でN-TVの文楽を観る。

TVはすごい。
まだTVでやってることが、自分の滋養として、身にしみる。
まだまだ、TVから卒業できるほど、自分はたいした人間ではない。。。
▲top

  2005年7月23日(土) 鉄、バイト、地震
午前「久我山の家」監理シートの作成など。

本日より、アルバイトのF君来る。中央工学校の学生さん。昨年実務研修で来ていて、今年も働かせて下さいとのこと。

午後、目黒のアイアン・グレイさんへ行く。注文していた「久我山の家」引手できあがる。

10mm角の鉄を4本組み合わせた単純な構成だが、管ではなく無垢材なので、存在感がある。が、2.4mもあるので、細長比により、繊細さが出る。

にぎると、ちょっとたわむところがミソ。
鉄なのに柔らかさを感じることのできる一品。


16:35 地震。震度4程度。事務所のビルは古くてデカイコンクリート造なので、こういう地震が何度も続くとやばい。梁と非構造壁(推定)の境にヒビが入った。
▲top


  2005年7月21日(木) 鉄筋&腹筋
朝から

木製ブラインドの業者との見積やりとり
プレカット図チェック及び修正
現場監理シート作成
VDI学生の成績付け

夕方「浅草の旅館」現場へ。明日の配筋検査、第三者検査機関=プロデュース会社によるものを、ヨイヨイで終わらせるために、事前にチェック。

終了後、宵の口の浅草、伝法院の西側の呑み屋街を冷やかしながら、合羽橋、上野、御徒町、秋葉原、岩本町、内神田、大手町、結局東京駅まで歩く。

大きなビルから吐き出されてくる、サラリーマンの人並みにまぎれて何想う。
▲top

  2005年7月20日(水) サーファー
朝一番で「鵠沼の家」現場へ。配筋検査。

特に問題はないが、プレカット図面の提出や、工事の進め方について、若干苦言を呈す。


ここは湘南、天気もよい。

鵠沼海岸駅前。
朝から改造した自転車にサーフボードをのっけて、サーファーがうろうろしている。
なごやかな風景。不思議な街だ。


午後、雑誌社の人、来所。 訊問……いや、取材を受ける。
コストのはなしなど。
▲top
  2005年7月19日(火) 筋や骨を通すのを焦ってはならない
午後「久我山の家」現場。
施主さんと久しぶりに顔を合わし、木製ブラインド、イス、テーブルなどの打ち合わせ。
床材のウォールナットを中心としてコーディネート。

コーディネートという言葉は気恥ずかしいが、別にきらいではない。ニッポン語では調整の意味くらいか……。

夕方、早く仕事を切り上げゴム草履をはいて近所のプールへ。
一泳ぎしたあと、スーパーマーケットで、キウリ、ナス、山芋、マグロ赤身、などを買い帰途に着く。

夜、白井晟一の「無窓」に目を通す。

「建築家の机にのせられた施主の夢は、人倫、経済それからいよいよ普遍妥当の鋭利なメスで縦横に整理される。しかし、かくしもった啓蒙の旗などは辛抱強くひっこめておかねばならぬ。筋や骨を通すのを焦ってはならない。老練卓越した建築家の技術以前の努力は教誨師のように施主を諦念の状態までもっていくだろう。」

「イスやタタミはもちろん、バタアやみそ汁もゴルフも、聴香も、そしてそのことごとくのコムプレックス、いなそれら相互に矛盾するものの統一が、夢の多い日本人的性格にとってより広大緻密な世界観拡充のよすがとならぬはずはなかろう。」

御意
▲top

  2005年7月18日(月) 海の日
能は通常、神に奉納されるべきものであるので、終演後、舞台挨拶があったり、演者による解説があったりすることはない。

が、昨日は、梅若六郎氏自身が舞われた後、もう一度おでになられて、いろいろお話をされた。

その中で、響いた言葉。

「“あて振り”はよくない。きまりきったカタでも、自身がなっとくできなければ、自然にカラダが動くまでやらない」

「硬質な“野宮”を、もっと濡れた感じにしたかった」

あて振り……、僕は“建築の人間”だからすぐに、建築におきかえて考える。(“あて振り”の建築ってどんなだろう……盆踊りのようなモダニズムのあて振り建築はやっぱり不味いぞよ……自然(じねん)から沸き立つ空間表現でなくてはならない……それには当然修行が必要……最新の海外雑誌丸写しでは、赤恥のあて振り建築……自然(じねん)から沸き立つもののみが濡れることを許される……)



最近、ジメジメを嫌ってエアコンの除湿をやりすぎていて、声がガラガラです……
切腹!
▲top

  2005年7月17日(日) 能舞台 in モダニズム
正午。普請道楽N氏の指南により、東中野の梅若能楽学院会館へ参ず。

梅若六郎がシテをつとめる能野宮(ののみや)や、狂言などを鑑賞。

建物は1961年に建築家大江宏が設計したもの。

丹下健三の同級生である大江宏は、千駄ヶ谷の国立能楽堂などの設計で有名だが、初期のこの梅若能楽学院会館は、ミッド・センチュリー・モダーンな雰囲気の中に入れ子としての能楽堂がぽっくりと納まっていて、大江宏の提唱していた「混在併存」という思想が分りやすい形でみてとれる。

またそれはニッポン建築のおかれている状況も直接的に感じることができる。
中尊寺金色堂のような「覆屋(おおいや)」としてのモダニズムの役割。

演目、曲の「野宮」自体も、源氏物語を典拠につくられており、ニッポン文化独特の入れ子構造が感じられる。

時間と空間の重層さ。オーバー・レイヤードな感じ。そこに生きていながら、ここにはいない感じ。常に、脳内でトリップできるニッポン人の才能。現前しているものの意味はたいしたことはない。
▲top

  2005年7月16日(土) 寝技から打撃へ
2.3回前の授業で学生から「センセ−、シュール・レアリズムって何ですか?」って聞かれて、ばたばたしていたので「シュール・レアリズムじゃないよ、シュルレアリスムだよ」とごまかしていた。

何だか、自分の大切な奥底の思考をペラペラとしゃべってすませてしまうことがイヤだったので、結局説明しなかった。

22才の時の僕日記に、シュルレアリスムのマニフェストを書いたダダの詩人、アンドレ・ブルトンの言葉がメモされていたので、それを抜粋。

「どんな人間でも、一生のあいだにせめて一度ぐらいは、外界の一切を否定したくなるような気分におちいることがあるだろう。そのとき人はこれこそもっとも決定的な瞬間ではあるまいかという予感を持つ。にもかかわらず多くの人々はまもなくもとの一般性に立ち戻る。だが、この透明な瞬間をたえざる苦悩によって持ちつづけることのできたものだけが、ロートレアモンと呼ばれ、ランボーと呼ばれるような詩人になる。ダダイストにとっては、だれもかれもが属している人間の類型から逃れ出ることだけが、わずかにその労に値する唯一の試みであった。」

18年たっても、このコトバは僕にしみついている。

WEB上で、このような日記をやっているが、これは本来日記ではない。所詮日誌。

真っ白なノートとペンの先とで繰り広げられていた、あの愉悦の空間はここにはない。

キーボード、暴力的な打撃音とともに撃ちこまれる言葉。

寝技から打撃へと変容したコトバの世界。
▲top

  2005年7月15日(金) アジフライと地獄の懲罰
朝から藤沢市役所へ。「鵠沼の家」確認済書をひきとりに。
アジフライを食べようと食堂へ向かうが閉まっている。
10:30、さすがにまだアジフライを食べる時間ではないようだ。

その後現場へ。根切り&捨てコンの状態を確認。

強い湘南の日射し。そのまま服を脱ぎ捨て江ノ島へ……と言いたいところだがとんぼ帰り。

小田急で狛江の風景をみやりながら新宿へ。またもや都庁へ、免許の更新。
今度は建築士ではなく自動車の免許。

                 §

今朝目覚めたら、ベンヤミンのパサージュ論を読みたくなったので、車中で読む&うたたね。以下抜粋。(第3巻-p391〜2)

「地獄の時間としての『現代(モデルネ=モダン)』。この地獄の懲罰とは、いつでもこの一帯に存在している最新のことがらであり続けなければならないということだ。」

「むしろ肝心なのは、まさしく最新のものにおいて世界の様相が決して変貌しないということであり、この最新のものが隅々にいたるまでつねに同一のものであり続けるということだ。」

先日みた、GAうねうね建築達。まだまだモダニズムの範疇で踊っている、しかも地獄の懲罰の状態だな……。

この懲罰の状態が終わったら、新しい何かが……と思っている自分もまんまと地獄の懲罰。
▲top

  2005年7月13日(水) 引率
朝からVDIへ出講。
午前中「空間デザイン史」の最終講議。
午後から学生18人を引率し、乃木坂ギャラリー間「佐々木睦朗展」と千駄ヶ谷GAギャラリーにて「GAINTERNATIONAL」を見学。

SANAAのかかえるプロジェクトの多さにびっくりし、磯崎新の摩訶不思議な構造体におののき、50〜60代の世界中の建築家たちが、純粋幾何学を捨て、冥土のみやげのごとく皆不整形、3次曲面、うねうねのインフォーマルな様相を呈していることにおののく。

OMAだけは、コンパクトな矩形の劇場の提案で、新しいプログラムを織りなすことに集中し、そのわかりやすくキッチュでポップで完成度の高いプレゼンテーション映像においてコンセプトとアイデアの明解さを示していた。

空間のデザイン史をずっとやってきて、住宅の設計をして、最後に学生達がこの展覧会をみたことは、とても大きな意義がある。学生達も少なからずめんくらっていたみたいだ。

このインフォーマルな傾向が、モダニズムの徒花、うねうね祭で終わるのか、それともメインストリームになっていくのか。
▲top

  2005年7月12日(火) 涼しかった日
午後「久我山の家」現場。
階段が仕上がっている。
設計図より、スケッチより、模型より、ホンモノが一番いい(自画自賛)。

“ワフー”にならぬようお施主さんから釘をさされていたので、この階段はキワキワのところ。
あくまでも“ハワイの日系人の、でもちょっとニューヨークでビリー・ジョエルな家”というお施主さんの要望に忠実に……。

そういう要望が、僕は大好きだ。

想像力をかきたてる、かつ、答えは一つでは無い。

この階段から、ビリー・ジョエルが降りてくるところを、妄想する、が、なんだかJALとロゴの入ったゆかたをはおってそうな気もする(笑)。

まあいいではないか。
▲top

  2005年7月11日(月) nendo
朝「浅草の旅館」現場。根切り底を確認しに行く。
密実な粘土層、事前の調査通り、問題はない。

大地を深く根切るこの瞬間が“建築の人間”に与えられた快楽。

しかし先日の「住宅設計」の発表会のとき、学生の半分くらいの図面には「配置図」がなく、平面図のみ。模型も、地盤がなく建物だけが、コロッと提出されていた……。

ゆゆしき事態、授業の進め方がまずかった、土地にたいする認識のさせかたがまずかった、講師の責任。

よりサイトスペシフィックでアースワーク的なトレーニングが必要である、と毎年感じる。
▲top

  2005年7月11日(月) 江ノ島の風
午後「鵠沼の家」地鎮祭のため、藤沢の鵠沼海岸へ向かう。
灼熱の太陽の下の地鎮祭。汗だくで神様を迎える。

江ノ島から吹く風は東京の熱気を帯びたビル風とは違い、さらりとしている。
▲top

  2005年7月11日(月) away-
終了後、施主宅へ戻り、神様に捧げたあとの加賀鳶で一杯やる。
直会、精進落とし、還俗……とぶつぶついいながら

そのあと、本鵠沼の「樽や」という寿司屋へいく。
サンマなどの鮮度が確実にちがうなと感じる。

食べたことがないものを食べたいとわがままをいい、生シラスやフジツボを食べる。

写真はフジツボ、滋味を帯びた不思議な味がする。うまかった。
▲top

  2005年7月8日(金) 橋つながり
朝、執筆、一編UP。「電話口で無愛想な建築家」についての論考。

午後「浅草の旅館」鉄骨図、最終チェック。

夕方、スクーターで浅草へ。現場の様子を確認に。かつ、恵比寿か浅草まで何分かかるか、タイムトライアル&ルート開発。
ポイントは皇居越え、いかに皇居をこえるか。

結果的には「天現寺橋、一の橋、古川橋、赤羽橋、芝、お茶の水、湯島、秋葉原、蔵前、浅草」というルートがおもしろそうだとわかる。

夜、授業のための資料作成。
future systemsMVRDVなど、学生にとって刺激的であろうあたりを散策。もちろんこちらにとってもいろんな意味で刺激的。

写真:扉を開け放して、だらしなく休憩している電車。梅雨時の換気だろうか。
▲top

  2005年7月7日(木) 七夕
あっというまに木曜日。

月)新しい本の表紙の打合せ、火)「鵠沼の家」工事契約、水)VDIの合評会、などであわただしいが、充実した日々。

本日は朝から「久我山の家」現場。造作家具等が続々とできあがり、“ざっくり”とした空間から、より“思考の蓄積の濃い”空間へ着実に変容していく。

さっぱりとした建築が多い中、より濃い、重い建築をつくりたいと考えている。

Sさんという建築家はみずからの木造住宅を「材積が少ない」と自慢しておられたが、僕は「材積の大きい」建築をつくりたい。

                §

学生が拙著「建築ツウへの道」を読んで「センセ−、けっこう厳しいこといっぱい書いてるから、びっくりしました……」と。

                §

写真は、「久我山の家」のウォークインクローゼット。
“ヴォーリューム感”を消すため、格子状にして、光るようにしてあり、これが寝室の主照明となる(はず)。楽しみだ。
▲top

  2005年7月7日(木) 同窓会
夜、昨年度の卒業生があつまり、プチ同窓会。
田谷さん、オオタさん、土志田さん、小泉さん、佐藤君が来ました。

卒業後はじめて会うが、話を聞けばみな「厚生年金組」だという……驚きだ。
講師が国民年金だというのに……(笑)

なんと、ボーナスをもらった人もいる。スゴイ。

僕は25歳から働きはじめたので、二十歳そこそこで働きはじめている彼らには、なんだか頭が下がるおもいだ。

ともあれ皆元気そうでなにより。
▲top

  2005年7月4日(月) 志村信裕 展
朝から執筆。2編書き上げる。

曇ってはいるが、涼しくて気持ち良い。

夕方、青山まで散歩し、スパイラルで友人の誕生日プレゼントを買う。
ホールでは建築の展示をやっていたが、あまりおもしろくなかった。

夜、恵比寿のギャラリーSITE の「志村信裕 展」を鑑賞。
この前、武蔵野美術大学で観たものと、基本的には同じだが(同じに感じる)空間がSITEの白い箱に変換されて、若干趣が異なっている。

その差異を感じながら、また作品の中に引込まれる。

今日、感じたこと。コンピューターによって作成されている映像であり、自然の流動、変動、うつろいのようにみえるよう……というのが作者の意図だと思うが、もう一歩先の相をこの作品はもっているように感じた。

水ではない。液体でもない。液状ではあるが、透明ではない。比重が重く、鉱物の流動を感じる、水銀か錫(ピューター)のよう、しかし、熱はない、かつ重力、引力が、この地球のものではない、きっとどこか別の惑星のもの、もしくは、地球の中心部分の、それ。
▲top

  2005年7月4日(月) アノカドヲマガッタラ
美術とは、見えていないものをみえるようにする、現れていないものを現す、ないものをつくる、感じ取れないものを感じられるようにすること。

つまりは

「あの角を右に曲がっていたら、人生はどうなっていたのだろう」

という問いに答えてくれる。
▲top

  2005年7月4日(月) さて
「志村信裕 展」は、残すところ7/8(金)、9(土)、10(日)となった。お時間を確認の上、行ってみて下さい。

「建築ツウ」的には、建物が「世界の妹島和世」の作品であることもみどころです。オーナーの斉藤さんに「建築ツウ」です、とわがまま言えば、上階もみせてくれるかもしれません。
▲top

  2005年7月2日(土) チンピラ・飯場
午後「浅草の旅館」現場。
杭工事、完了を確認、というか行ったら終わってしまっていた……。

問題なければすべてよし。。。

歩いて上野へ。
長年の研究テーマである「外国人的ニッポン」が表現された参考資料として、スカジャンで名高い「東洋」の刺繍の入ったレーヨンのシャツを購入。

僕が着ると、どうしても安っぽいチンピラにみえてしまう。

ひきつづき、歩いて秋葉原へ。実験用照明器具を購入。もちろん、ヤマギワとかそんなところではなく、路面店の元祖秋葉系電気部品ショップ。
「コレクダサイ」というとお姉さんが「ちょっと待ってて」と自転車に乗って倉庫までモノを取りに行かれた。

神田まで歩き、餃子を食べる。

事務所に戻り、照明器具取り付け。

シェードがないので輝度がきつく飯場のよう……。
▲top

  2005年7月1日(金) 5th
7月1日(金)大安

本日はOCM設立記念日です。

おかげさまでOCMは五周年を迎える事ができました。



今後とも

□建築設計活動
□教育活動
□研究・執筆・創作活動

この3つを柱として活動してまいりますので、何卒よろしくお願い致します。 
▲top
 
〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿1-7-2 エビスオークビル2-33 TEL/FAX 03-3441-3499 E-mail oshima@ocm2000.com
Copyright (C) OCM一級建築士事務所 All rights reserved.