OCM一級建築士事務所
 

2005年02月


  2005年2月28日(月) 自分
終日、図面を描く。
午、突然大阪毎日放送につとめる中高の同級生、N君が「恵比寿にいるからメシを食おう」と電話してくる。
フランス亭で肉を食べて、news deliでコーヒーを飲んで別れた。
しきりに「いや〜東京はおしゃれやな〜、オーサカに、この、なんちゅうの、(オープンカフェ)こんなんあらへんで」と興奮気味。
いや、きっとあるよ、と言ってみるが、「いや、いや、あらへんあらへん」と。

播州では自分のことを「わい」といい、相手のことを「自分」という。「自分なぁ〜」といえば「あなたね〜」という二人称になる。

「ほんまたいがいにしときや、自分」という使い方をする。

なんだか、たった小一時間のあいだに物故者の話題が多く出た…。もうそんな年だ。同級生、400人いたが、もう十数人はお亡くなりになられているという。

N君は仕事を終えて、帰りにまた事務所に寄ってくれて、お酒を一本おいていってくれた。
なんだか生活保護を受けているようで恐縮しきり…。
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  2005年2月27日(日) 日曜日
朝から図面を描く。
午後、VDIの卒業展をみるためアキラ君と原宿クエストホールへ。
そのあと、連れ合いの引越の手伝いで斎藤康にトラックを出してもらい、恵比寿から三軒茶屋へ。恵比寿にできたHUBにて、軽く休憩した後、渋谷へ卒業展の打上げ。

まだお酒に慣れていない二十歳の若者達がバタバタ倒れる。

なんだか賑やかな日曜日であった。
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  2005年2月26日(土) 精神の自由と交尾の自由
朝、惰眠、春眠をむさぼる。午後、図面を描く。どうやら外は寒いらしい。
土日の静かな事務所は好きだ。
思い出したように、ネットからredemption songの歌詞を探し出して、歌い出したり…
レゲエには深くのめりこんでいないので、redemption songはジョー・ストラマーがうたってるやつしか知らない。

梅や椿の咲くこの季節、春一番の吹いた次の日に、空き地の真ん中で猫が交尾しているのをみた。「少し早いんじゃないのか…」と思い、ワッ!といって二尾を引き離した…というハナシを女性にすると、みな一様に「ヒドイ…」という声が帰ってくる…。

人のメンタリティーとは複雑なものだ。

REDEMPTION SONG
精神の束縛から自分自身を放て。
自分の心を自由にできるのは自分だけ。
原子エネルギーを恐れるな。
誰も時間は止められないのだから。
何も出来ずに傍観している間に
どれだけ俺達の予言者は殺されるのか?
誰かはそれはまだ一部でしかないという。
俺達が達成しなければならない。

一緒に歌ってくれないか?
この自由の歌を。
なぜなら俺が手に入れたのは
救いの歌だけだから。
救いの歌だけだから。

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  2005年2月25日(金) 事切れた
終日、出講。昼休みなどの時間を使ってスケッチをかさねる。
終了後、男子学生3人つれて、ラーメン屋にいっぱいやりにいく。
授業はあと2回、奮起を促す。

21:00には帰宅。普請道楽N氏よりまたFAX来る。氏からくるファックスは、なかなか“見ごたえ”があるので、一枚一枚張り合わせ、巻き物にし、壁に掛軸として貼って楽しんでいる。

21:30には電話がかかってくる予定であったが、かかってこないので「本日、“事切れ”ましたので、みょうにち、連絡します…」というメールを入れたとたん、電話がかかってきた。
22:00〜24:00まで、“事切れたまま”電話にてN氏と打合せ。手が痺れ、耳が変になる…。

だいたい打合せは「今日はこんなもんで、勘弁していただけますか…」という僕の泣き言で終わる…。
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  2005年2月24日(木) いせや
午前、図面を描く。
夕方「久我山の家」の現場。コンクリ−ト打設の状態を確認。
日が暮れはじめているが、また西へ向って歩く。このあたり、新旧の建築家住宅密集地帯。適当に歩いていても、おもしろい建物がたくさんある。昔、住宅の教科書で勉強したような古い建築家住宅の凛としたたたずまいが素敵だ。何度もペンキを塗り直した茶色の外観が多い。

そのまま、井の頭公園を抜け、吉祥寺へ。ちょっと休憩しようと、“いせや”へ。昨日から、一日2セット制のクセがついてしまった。餃子を食べたが、ネパールのポカラで食べたモモにそっくりでびっくり、ここはどこだ…と感覚が歪む…。軽く飲食したあと店を出た。コーヒーショップでエスプレッソを飲んで、ロンロンにアンリ・シャルパンティエが入ってるのを発見し、自分で食べるためのお菓子を買って帰途につく。
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  2005年2月24日(木) かぼちゃ
帰りの電車で、スケッチを試みる。
渋谷に立ち寄り、ブックファーストで茶室関係の本2册を買い、恵比寿に戻る。

なんだか最近“閑人”を装おうために、歩いてるのではないかという疑念がわきおこってきた。偽装閑人…。偽装閑人未遂で逮捕…されぬよう、今晩も、夜仕事。

ヘビとは仲良くなったが、カボチャにはならないように気をつけている。
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  2005年2月23日(水) ボラ・春一番
昨晩、深夜、普請道楽N氏からFAX届く。
紙面上で何やら「待庵、燕庵、深三畳…」といった言葉が踊っている。
自動的に僕の脳とカラダは急に動きだし、本棚をゴソゴソ漁り、深夜の予習がはじまってしまう…。当然、夢にも出てくる…朝5時にはそわそわして目覚める(二度寝したが…)。

午後「蕨の家」現場。ムンとした空気感、春一番の今日、しかし霞がかかっており、もう戸田公園の駅からは富士山は望めない。
現場ニテ、塗装打合せ等。特に問題はない。一時間と少しで、現場をあとにする。
帰りに、駅前の量販店でアイラシングルモルト「アードベック」と「ドンキング」を買ってリュックにつめこむ。

晩、一度風呂に入って、仕切り直し。本日はもう一セット。VっとアリナミンVを飲み干し、21:30より、大久保にてN氏との打合せ、24時前までつづく。先週は飲食をしながらだったが、今日は診療室で、既存家具等の寸法を測りながら、詳細に“図る”。この深夜の打合せ、「雙徽第」を設計していた頃を思い出す、あの頃持っていた、自信のなさや“終わらない感”はもうない。が、やはり深夜は疲れる。が、その疲れを吹き飛ばすような茶室のハナシが絡んでいるので、ワクワクしている。二畳、三畳の空間に身を浸したい、という僕の勝手な希望も伝える。

「ちょっと食べに行きましょうか」というN氏の誘いを本日は断ち切り、一人で駅へ。途中、獅子丸という沖縄料理屋で久米仙(47°)一杯とソーキそば…いやソーキすばを食べる。

恵比寿に戻って、昼間買ったアードベックを一杯やる。その、ラベルの美しさを堪能しながら…。ケルト文様、文字とE・ギマールのアール・ヌーヴォーの書体は、何故かカラダと脳に染み込んでおり、いいようのない親近感を覚える。スケッチをすると、脳で変態されたそれらが、手から滲み出してくる。

写真は逗子の川。ボラの子供だろうか、群れをなしていやおうなく春らしさを醸し出している。カラスミを七輪で焼きたい…と思ってしまった。
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  2005年2月22日(火) 啓示
午前、各種連絡や、午後の現場の予習。
15:00「逗子の家」現場。電車の中でひたすら「幡ヶ谷の家」の表札スケッチ、いいのができたぞ。
現場到着、複雑な枠まわりで、大工さんが頭を悩ませている。いつも「これでだいたいOKかな…」と思うが、まだまだ。
「久我山の家」のことも含めてみっちり、2時間打合せをして17:00、監督に逗子駅まで送っていただく。
「じゃ、おつかれさん!」と挨拶をしたとたん『大島!歩け、西へ、歩け!』という天の啓示。

なんとなく、いい夕陽の予感…。富士はどうなっているのか…気になって、西寄りに、浜めがけて歩く。浜に出ると、夕陽、やばい、落ちそうだ…岬のでっぱりに遮られて、夕陽が消える…妙なホットドック屋に気をとられながらも、その岬の西側まで廻り込まねば…と走る。ところが、伊勢山トンネルというところで、“歩道はこれで終わりです”とあり、ゲッ意味がわからん、こっちは急いでいるのだ…と右手の山道、小道を駆け上がる。息も絶え絶え…なんだか不思議な住宅街に出る、小坪という地名らしい…。

やっと登りきったが、夕陽が見えない…息をゼイゼイいわせながら、見渡すと、普通の服を着て、小さなカメラを持って、ひょこひょこ走ってくる外人さんがいる…僕と同じように「やっべ〜」という顔をしながら、僕の目の前を通り過ぎて、何やら脇の小道に入って登っていく…「ちっ、やられたぜ…」すぐにその外人さんの後を追う…。

大崎公園という場所らしい。すでにカメラを構えた何人かが、その額を夕照させていた。みな一人できている…なんでこんなところにいるのかわからないが、僕は「あっそうそう、ここ、ここ、ここが絶好のポイントね…」と自分に言い聞かせ、あたかも何度か来た事があるような振りをして、夕陽にカメラを向けた。息がぜいぜいしていて、カメラがぶれるぶれる…。

時間は17:30…。17:00に逗子駅を出て、30分でこの岬の頂上まできたことになる。僕の「歩き」はいつもこんな感じなので、誰もつきあいたがらない。

ここからは「逗子の家」と「鵠沼の家」(の方向)が一望でき、なんとも建築家冥利につきる場所だと感じた。

電子データに富士を記録したあと「いざ!鎌倉」鎌倉駅はどっちだ?というかここはどこだ?と思いながら、小坪の港の方へ降りた。狭い露地、くねる小道、「尾道もこんなかんじだったな…」と思い出した。

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  2005年2月22日(火) ホテル・カリフォーニアな富士
小坪の漁港のあたりはいいかんじだったが、急にホテルカリフォーニアな感じの風景になって愕然…。妙にのっぽなパームツリーがニョキニョキ、けっこうな珍景ぐあい…。ニッポンにはまだまだ知らない事が多いなあ…とつくづく感じる。

無事鎌倉の街についたのは18時過ぎ。とりあえず餃子を食べて休憩。そのあと誰もいない小町通り(?)あたりをぶらつき扁額チェック。浅草の旅館の扁額はどうしようかと、いろいろ思案する。

またお腹がすいたので、駅構内で肉そばを食べて帰ってきた。

“天の啓示”にしたがった、一日の終り方です。
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  2005年2月21日(月) ニュー念仏
午前「久我山の家」配筋検査。
配筋が終わる直前、まだ職人さんが現場にいる時間をピンポイントでミル。
「逗子の家」と同じ工務店なので、前回の指摘事項が、きっちり現場に、職人さん達の指先に反映されている。
それは、みればワカル。
「バンセンゼンケッソクとはいわないがチドリイジョウ、カブリとってトビダシなしにして、ケイとピッチがあってるのはアタリマエ、ダセツマエニ、バンセンクズなどゴミ撤去でよろしく…」と、さてはオヌシ「建築現場ツウ」か?と見破られる前に、とっとと現場を去る…。

帰り、駅まで15分のみちのりを、少し迷子になってみる。僕は方向音痴でもないし、自慢の腕時計には電動方位磁石がついているので、めったに路に迷わない、つまり“意識”しないと迷子にならない…おもしろみのない人間なのだ…。

14年ほど前の大雪の時、“しめた!雪山登山ごっこをしよう!”と朝から三峰山にむかい、行きは何かしらの機械で登ったような気がするが、帰りは歩こうと、雪を踏み締め山道をおりる。しかし、やがて、路は腰までの雪に覆われ、路は消えていく。“そうか、路という幻想をオレ達は日々歩んでいるのだな…”などと気取っているのもつかの間、手袋もしていない手足はかじかみ、日も暮れはじめ“ここで骨折したら、オレ歩けなくて凍死だな…”と思ったとたんに、恐怖が…。

正直どうやって人里にたどりついたかは覚えていない。

しかし何ごともなかったかのように、人混みの中にまぎれた感覚だけは覚えている。なんだか悪い事をした人のような…“はっは〜ん、この人達、さっきオレ死にそうになってたこと知らないんだ、フフフ”という気持ちと、だれ彼でもいいから“ねえ、聞いて聞いて、オレさ、さっき、死にそうになってたんですよ、ほんとですよ、信じて下さい…”と言いたい気持ち…。

そんな気持ちを押さえて、秩父駅で、甘酒かなんかを飲んで帰途についたような気がする。

バブルのさなかに、つげ義春ぶっていた頃
もちろん、携帯電話なんか無い時代のハナシ。
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  2005年2月20日(日) CH7
昨日からずっと図面を描いている。
どこかへ出かける理由が必要。
ちょうど建築家の荒木毅氏がオープンハウスをしているので、午後、市が尾まで出向く。

何度か、御案内をいただいていたが、荒木さんの建物を拝見するのはこれがはじめて。
いわゆるCHシリーズとよばれているコートハウス、中庭のある家、急傾斜(45度ではなかった)の屋根が特徴的。積み木のように、各幾何学的形態、ヴォリュームがある程度の純度を保って、配置され、接合されている。

内部の各空間は中庭を中心にゆるやかに繋がり、開放的。

大きな空間、ある程度の大屋根をかけて、細部を仕切っていくというプロセスではなさそうだ。

※写真:荒木さんのお話を、小猿のように聴き入る大島。
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  2005年2月20日(日) CH7つづき
今、ちょっとだけスケッチしてみた、僕だったらどうヴォリュームを配置するか…。
うん、ちょっとクセが違うかもしれない。

30坪程度の「普通の家」において、同じガルバリウム使って、石膏ボード使って、フローリング敷いて、なぜ違うものができるのか、その発想の“クセ”“勘”みたいなところに興味がある。

まず、最初にペンを持った時、どっちにペンが動くのか…。
各建築家のつくりだす家は、それによって大きく開かれていく。

※写真:CH7らしい外観がみられるポイントを発見した「建築ツウ」
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  2005年2月19日(土) なまり
終日、バンタンキャリアスクール新宿校。
学生曰く「センセエ、バーナード・チュミとベルナール・チュミって同一人物ですか〜」
講師曰く「そうだぁ」
学生曰く「なんだ〜名前も似てるし作品も似てるな〜ってずっと思ってたんですよ〜」

英語読み、フランス語読みみたいな話をすると、その学生は栃木なまりで
「なあんだ、方言みたいなもんすね〜」と妙に納得。

そういわれてみれば「ひがしさん」と「シィがしさん」くらいの違いかもしれねえな…。

夜、帰宅後、風呂に入り、もう一度仕切り直して、21:30新大久保にてN氏と打ち合わせ。
あいかわらず、N氏はおもしろい。
「フジサンケイ、ホリエモン、右翼左翼、小林よしのり、朝日、あるある探検隊、つぶやきシローのものまね、モデル、見合、文楽、ペルー人、診療、パニック、妄想…」

そして最後に「もう“一個”、同仁斎つくりまひょか〜」と盛り上がって、終電前に新大久保をあとにする。
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  2005年2月17日(木) 猿
「久我山の家」現場が動きはじめた。瞬間最大風速、2・3月。

午、「久我山の家」現場。根切り。さんざん神に安全を乞うたあげく、はじめて、大地に人の手を入れる。いわゆる根切り。その根切り底を確かめる、たった5秒のために現場に。

大島が汚い格好をしていたり、靴に泥がついていたりしても、みんな(学生さん)ひいてはいけません。建築とは、そういう仕事です。

先きの尖った、横にジッパーのついたブーツを履いてる人に、建築はできません。

監督と昼飯をともにし(安楽亭)「逗子の家」「久我山の家」両方の打合せをする。

ここの監督は敏腕。今年、一年、心中するつもりだ…。

そのまま井の頭線、埼京線、で「蕨の家」現場。壁面の板金が出来上がり、結構感激。板金屋さんのうでも上々。御夫人がおこしになられていたので、一緒に内部をみて確認。


夜、デザイナーの松永路に来所していただく。「浅草の旅館(簡易宿所)」の、ロゴデザインなどを依頼。僕の、このプロジェクトに対する熱い想いを伝える。

「僕はクライアントから、自身の脳に対してお金を貰っている。あなたも、最小限のコストで最大限のエンターテーメントとビジネス的効果を!」と、熱く語る。

「ブツで納めるのでなく、脳で納める、それがデザイナーの仕事、その脳に対して対価をいただく、もちろんその“脳”には、日々の、こまごまとした“猿”のような動きも含まれている…、その、猿のような動きの中に、こめられた、コンセプト、それに対して、人は、お金を払う…」

だ・か・ら 皆 いい建築家は“猿のような風貌”をしている…石山修武、安藤忠雄…
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  2005年2月16日(水) 震度5
朝5時前、地震で目覚める。おき方の悪かった色鉛筆のペン立てが、激しい音をたてて床に落ち散乱。TVで震度を確かめる。震度5弱。なるほど。

そのままチャンネルをかえて「漢詩紀行」にて杜牧の赤壁をやっていたので、みる。

午前、サンプルを整理したり、現場変更箇所の図面作成など。

午後バンタンデザイン研究所中目黒校。
卒業制作合評会。前回和田氏の授業で喋りすぎ、後半へばったので、今日は喋るまいと思ってたが、結局ふつうにしゃべってしまった。

表賞の時、前期の頃の合評会を思い出して、不覚にも泣きそうになった。こんなにオッサンになってもまだ自分の感情をコントロールできないとは情けない。

震度5くらい、心がふるえた。

賞をとれなかった人達の、顔、表情がちょっとひきつりながらも、入賞者を称える笑顔をつくり、拍手。そんな風景をいつもみてしまう。残酷だ。

競争、比較は嫌いだ。個があるのみ。
しかし、つねに自分を表現する仕事をするかぎりそれは意に反してつきまとう。
乗り越える強い精神力が必要となってくる。

帰り「仕事が忙しいから帰る」と言って帰ろうとする和田浩一氏を無理矢理ひきとめ、串八で一杯(4杯…)だけやる。そのあと、アキラ君ちに顔を出して帰る。
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  2005年2月15日(火) 文字屋
今週は、諸処予定変更。

夕方、浅草に打合せ。中国の夏河へ旅に出た御主人が帰ってこられた。
「いつまで旅をつづけるのですか」という建築家の問に
「うん、ちょっと考えているところなんです」との返答。

大きな、生き方の話。

細かいところと、大きなコストの話、工務店の話等。

帰りに、近所のもんじゃ焼き屋で一緒に食事をした。
18:45だったので、勝手に僕だけ日本酒2合いただく。お二人は全く飲まれないようだ。恐縮である。(かつ、ごちそうさまです…)


ここ2年間風邪をひいていない…。バ○は風邪をひかないというが…。

365日8時間以上の睡眠。365日飲酒。365日仕事(=人生)。いやな仕事は受けない。間食なし、少食、偏食なし、好き嫌いなし。毎日マルメン1箱、コーヒー2杯。大声を出す。歩く…。

この生活をずっとつづけていれば、風邪をひかないらしい。
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  2005年2月14日(月) チヨコレイト(誤表記:乞御指摘)
巡航するかのように、各プロジェクトの白波を切ってすすむ。

「鵠沼の家」復習、打ち合わせ事項を図面に反映。「蕨の家」電話で応答。「逗子の家」「久我山の家」電子メールにて応答。「浅草の簡易宿所」電話、メール、パース諸処調整。「コンペ」図面作成、模型調整。「幡ヶ谷の家」電子メール返答。

昨日、「鵠沼の家」施主さん(同級生)に「最近の酔余漫筆、グチが多いなぁ〜」と指摘を受けた…。御意。

先日O編集長と飲んだ時は「オーシマさんは飲んでも施主のグチをこぼしませんね。」と言われた。「え!?フツーの建築家は施主にグチがあるのですか?」と逆に質問。

先天的な被害妄想&マゾ体質であることは否めないが…。


今朝、朝一番に施主さんから郵便物が届く。
緊張して開けると、中は“チョコレート”・。

事務所から一歩も出なかった僕にとって、結果的にこれが、唯一のチョコレートになりそうだ、、、、。

公開御礼。
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  2005年2月13日(日) 日曜日
朝から、パースを描いたり、模型を修正したり、材料、サンプル、カタログを揃えたり。
夕方「鵠沼の家」施主夫妻来所。詳細についての打ち合わせ。様々な問題提議をしながら、保留事項も含めて、進展する。

打ち合わせの後、夫妻とともに「天童」に中華を食べに行く。
紹興酒2本(ボトル)をあけて、散会。

紹興酒がボトルごと燗できるものだとは知らなかった。

※写真はムサビ ピーター・ウォーカーのよう。
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  2005年2月12日(土) アブラ
午前、惰眠をむさぼる。

ブランチに、スパゲッティ−が食べたいと思い、スーパーマーケットへ。
今日の実験はピーコックの「個食用なべセット」を使った、シーフードスパゲ・ゲ・ゲ・ゲッティー。シャケ、タラ、ホタテ、海老、そしてくせもののつみれ…。オリーブオイルでさっと…と言いたいが、まずは、普段飲まない白ワインを買ってそれで蒸し焼き。クレージーソルト、アンチョビーペースト、ガーリックバター等で味付けし、下茹でしたブロッコリーとしめじとにんじんを加えて、最後にオリーブオイルでコーティング(先きにオリーブオイルを入れると、味が素材にしみこまない…)。物足りないかな…と思い、醤油を数滴と、ベッッカーズのポテト用ケチャップをひとつまみ。9分茹で用のスパゲッティ−(もしかしたらスパゲッティ−ニ)を8分15秒くらいで、ゆで汁を…加えずに、麺の湯切りを程々にしながらあえる。

完成。所要時間30分。

結果。すごくうまい。和の「個食用なべセット」を、見事にイタリアンにヘンゲさせた。料理酒のつもりの白ワインを少々飲み過ぎ昼寝。

15:30。普請道楽旦那のN氏に呼ばれ、打ち合わせ。何の?。さまざまなプロジェクト…さすが普請道楽…、今後のN氏の展開について。もちろん詳細は書けないが、トッティーまでが照準に入っていたことはたしか。アズーリなブルーな感じ…。様々な宿題をいただく。

N氏のケツカッチンにて、18:00に開放され、19:00帰宅し、残りの白ワインを飲む。

つまみは、午のブロッコリー塩茹での残り、サラミ、とろろ昆布、梅干し、明石の海苔、和田氏にいただいたブルサン(チーズ)、ミソニンニク…つまりは冷蔵庫のナカミ、まぁ〜た実験だ…。

最終的に、明石海苔に、ブルサンを練り付け、サラミととろろをはさんだ薄っぺらいものが、最高においしかった。(ここまで立食…)。

※ 写真、ジャクソン・ポロックのドリッピングではないし、代官山あたりで売ってるアートを知らない若者用ジーンズのコンセプトモデルでもない。
ムサビの油絵学科の床…。

「オレはアブラだからさ〜…」っていう言葉、今はどういうニュアンス、メンタリティーを持ってるのだろう…。今度、吉水さんに、聞いてみよう…(オレも高校の美術部で油絵を描いていた…テレピン油の臭い…)。

ニーナ・サイモンを聞きながら、本日は“落ちる”(O編集長のマネ…)。
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  2005年2月11日(金) hatabi
学生に“旗日(はたび)”という言葉を知ってるか?と聞くと9割が知らないという。
死語の予感…。

講師曰く「ほら、玄関に国旗だすでしょ?」
学生「ださない…」
講師曰く「ん、じゃあ、ほら、カレンダーに国旗のマークあるでしょ?」
学生「ない…」

本日は旗日だが、バンタンキャリアスクール新宿校へ出講。旗日のせいか、学生の数も少ない…、よくないことだ。あと、1ヵ月、がんばろうみんな。

帰り、旗日なのに普通に帰るのがもったいないので、恵比寿まで歩いた。

今の僕にとって「歩く」ということは最高の贅沢だ。

友達の写真家渡辺慎一は変な事を言う。
「健康のためなら死んでもいい」。
それに似た言葉…「金を出してでも貧乏しろ」

今の僕は「金を出してでも歩きたい」。   歩き屋、日記屋…。

代々木のあたりで、千駄ヶ谷へ行く交差点のところ 修養団本部ビルというのがある。サラリーマン時代の最後の仕事がそのビルの設計だった。自分の案が通らなかった悔しい思いが蘇るので、長い間、直視していなかったが、10年経って、早足をしばし止めて、しかとみた。

ビルの前には、関根伸夫さんの名刺みたいな作品が、ごろごろ転がっている…。
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  2005年2月10日(木) じてんしゃ
午後、急遽バンタンデザイン研究所の合評会に呼ばれ、出席する。インテリアデザイナー和田浩一氏のクラス。
来年教える学生達なので、出席すべきところに出席した感じ。
(午後、お会いする約束をしていたT氏にキャンセルをお願いし、申し訳ない事をした…。)

合評会ではデザイナーの武井博義氏と同席した。若くて優秀なデザイナーの人とお知り合いになれるのは光栄である。学生が発表で「有機ELは〜」という難解な言葉を使っていたので、こっそり隣の武井氏に聞いたら教えてくれた。

僕は死語には詳しいが、新語には疎いようだ…。まあいいか…。

写真は、ムサビの光景。のんきな感じがとてもいい。
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  2005年2月9日(水) キタチョウセンセン
午前「建築ツウへの道」に対する質疑にお答えしたり…だが、あまり長引くと僕の“業務=生き方”にさしさわりがあると判断し、丁重に幕を引いた。彼は、アルバイトの身ながら、会社のメールで、そういう私的なこと(=知的な長文)を平気でやりとりする。どれだけ知的にせまってこられても、そんなことでは、あまり僕には説得力がない。

ディテールではない。要は、生き方の問題だ。

自分の全部を世に曝してみなさい、そこからお話をしましょう。“知識を防御、批判に使うのではありません、知識は楽しむためにあるのです”という声が思わずでたり…。

午後「蕨の家」現場。
外付軟水器の取り付けにおいて、施主さんに不快な思いをさせてしまったことなどに対し、工務店ともども反省。竣工に向けて、施主さんの信頼を取り戻さねばならない。

今日、春の先きッポを感じた。

極寒がゆるんだだけで、現場での打合せも、少々ゆとりがでてきた。巨大な現場用掃除機に坐って、打合せをした。立って執筆するヘミングウェイのように、立って打合せをしてもいいのだが、やはり現場は、設計屋にとってはアウェイ。坐って、赤鉛筆を持って、監督の図面に、施主さんからの変更箇所を黙々と書き込んでいく。

ファックスや、メールでは伝わらない事が、最近多い。“目の前の赤鉛筆”それぐらいの直接的コミュニケーションが必要になっている。40才過ぎてからの記憶力を信用してはいけない、自他ともに。メモ帳が増えていく…。

夜、北朝鮮戦をみる。春キャベツ1/4、じぶ煮などつまみながら。
もちろん僕は、ダメになった関西人ではあるが、いまだに野球党である。最近やっと“オフサイド”で、むかつかなくなった…。

最後に、黒…なんとかっていう人がきめた。

最後にきめるかっこいい人は、寡黙でもいい。決められない人間は、僕みたいに一日中喋り続けねばならない。

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  2005年2月8日(火) 鹿鳴館時代
午前中、家具図面などを描く。いつも思うのだが、一度ちゃんとその道のプロである和田浩一氏に家具図面の描き方のレクチャーを受けねばならないな…。
午後「逗子の家」。逗子駅脇のコンビニで、肉マンを買ったので、現場に七分おくれる。

断熱材が入り、ペアガラスのサッシが入ったので、わりと内部は暖かく、いや寒く無くなっている。陽が照っているわけでもないのに1階より2階の方が暖かい。

行帰りの電車の中では「鵠沼の家」の階段のスケッチ。何か新しい事をやらねば…という強迫観念で自分を攻め、手を動かす。結果的には、いつも通りかもしれないが、あがいてみること、脳の内部を表出させることをさぼってはいけない。何もないといっても、脳の内部がツルンツルンなわけはない。様々な残滓、ゴミがこびりついているはず。その残りカスを寄せ集めながら形にしていくのがスケッチという作業なのかもしれない。

夜、フォービートの羽田野和夫氏より電話。彼の甥っこと姪っこがそろって、目黒の鹿鳴館のステージにあがるという。そう、鹿鳴館といえば「建築ツウ」ゆかりの地(P.83参照)。そのゴスロリ戦線に異常なき事を確認する事も任務の一つ。

レコハツ(レコード発売記念ライブ)と聞いていたのだが、客は20名程度。今は誰でもインディーズでCDが出せる。いやインディーズという言葉も死語かも知れない。アマチュアバンドがメジャーと契約するには、まず月一ライブで200名くらいをコンスタントにあつめることができる人気と実力が必要…というのは昔の話か…。

姪っこの名は「ドゥードゥースクラッチあやぴ」…。
オルタード・イメージ、シュガー・キューブス、バウ・ワウ・ワウを足して、渋谷のコギャルで割った感じだった…。

いうまでもなく、オジサン達は、後ろで、直立不動であった…。
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  2005年2月7日(月) 節分奇譚
「おーいみんな、父さんが今日会社から帰ってきたら、鬼だと思って、豆なげていいよ、母さん、豆買っといてね」

「うん、わかったわ、そうね、私も子供の時以来、豆まきしてなかったわ、買ってくる」

夜、父さん帰宅。
扉を開けると、「鬼は外!」というかけ声とともに、“殻付きの落花生”がしこたま父さんの顔面に投げつけられ、父さんは激怒!、鬼の形相……。
「なんじゃこりゃー!」

言うまでもない。母さんは岩手の出身だったのだ。


「酔余漫筆」にて、豆まきの話を書いたあと、続々と情報が寄せられ、ピーナッツなんてかわいいものでなく、殻付きの落花生であることが判明。理由は、母さんが掃除がしやすいからだ。

確かに。節分の豆は、3月頃、掃除中にピアノの裏や、こたつの中からみつかったりする。その時、殻付きであれば、母さんもまた殻を剥いて、その場で「むしゃむしゃ」食べることができるのだ。
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  2005年2月6日(日) カルボネの磁力
朝、「久我山の家」地鎮祭。
体内に、昨晩の剣菱の残滓を感じつつ、またさらなる剣菱携え、参じる。

御夫妻の両家御両親も揃いにぎやか。

大地主大神が昇りたる後、敷地の5箇所に穴を掘り、カルボネ(炭)を埋める。

昨日の草刈り、本日の穴掘り、「建築ツウ」は机上の遊戯、空論にのみ、終始していないことを深く感じる。

大地があっての「建築ツウ」である。

身体にその余韻を残す。
最大の鬼門駄洒落たる「筋肉ツウへの道」という言葉が、口の端をうろうろする。
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  2005年2月5日(土) 青山夕照
泥を払い、風呂で身を浄め、精一杯正装する。

青山夕照(せいざんせきしょう)の中、O編集長とともに、ワタリウムへ参じる。
『普請道楽のススメ』の旦那、含翠さんが、岡倉天心展の会場に設営された六角堂にて、茶を振る舞われている。

草刈の後、茶味、さらに清し(すがし)。

二服頂戴し、和多利館長とも楽しく歓談し、ワタリウムを後にする。
O編集長とともに、青山ニテ、しこたま剣菱などを呑み、座談する。

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  2005年2月5日(土) 草刈
午(ひる)、近所で鎌を買う。
「久我山の家」敷地に参じ、草を刈る。
冬枯れしたる、雑木の波を払い、地あらわる。
整地し、大地主大神(おおとこのぬしのおおかみ)の降りたるをまつ
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  2005年2月4日(金) レーニン
夜、事務所に松田君来所。赤坂のレーニン。去年も今頃来たな…。
彼は、“唯一の”大学の後輩、大手ゼネコンの設計部。僕には彼以外、親しい先輩もいなければ、後輩もいない、もちろん師匠もいない。よくまあ、こんなんでやってきたなと思う。そういう「たて系」のネットワークから、自然と身を引く術をみにつけてしまったみたいだ。なので、集会とか会合といった類いのものから解き放たれている。

用があれば、その都度会えばよい。
基本的には「さし」で人と話すのが好きだ。

松田君は「建築ツウへの道」を買ったのに、まだ読んでくれて無いという…。「紙が厚い」とかなんとか、変な言い訳をしてる。何故だ…身内からすると、やはり、痛々しさを拭えない内容なのか(笑)。
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  2005年2月3日(木) 恵方はどっちだ!
午前、いろいろ事務作業。

午後、バンタンデザイン研究所中目黒、出講。
学生たちが、節分の話をしていて興味深かった。太巻きを恵方に向いて、もくもくと食べるという風習は、コンビニの宣伝で、今年かなり普及しているみたいだが、おそらく今の所、大阪の風習ではないかと思われる。ただし、兵庫でも太巻きは食べていたような気がする。

なんとも、ショッキングだったのは、岩手、新潟あたりでは、豆まきの豆は大豆ではなくピーナッツらしい…。ショック…。大豆は貴重品なので、投げられないそうな…。

このクラス、今日が最後の授業。一年間、熱く授業をやってきたが、この時期、卒業の時期になると、なんともその自分の“熱さ”が恥ずかしくなり、トーンダウンしてシャイボーイに戻る。

学生は、講師にとってクライアント。一年間お世話になったので、シェ・リュイでお菓子を買っていき、みんなにあげた。

帰り、学生から小さな寄せ書きと、おしゃれ灰皿をいただいた。

事務所に戻り、寄せ書きに書かれた小さな文字達を読んだ。
なんとも充実感を感じる一時である。
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  2005年2月3日(木) HATACHI
夜更けです。蛇が出てます。説明はナシ。二十歳の君たちに捧げます。

1986年2月2日 大島二十歳の日記

「夜もふけた。今日やるべき事は、一体終わったのか、それとも、そんな事は、はじめから無かったのか。もっと事実から反している事を書いても良いのではないかと思い、それならそうともっと前からそうすれば良かったと思い、一体15枚(原稿用紙)ものエッセイが、僕に書けるかと… 肩の力を落としてしまう。パリに行けば何かが変わる。見聞は広まる。人からはブルジョワジー扱いされる。確かにプチブルかもしれない。しかし、それがどうしたというのか…。」





僕は学生に「二十歳の時の自分を信じなさい」といつも言ってる。確かに変な授業だ。

人間は、そんなに変わらないことを、僕が一番よく知っている。
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  2005年2月1日(火) 海へ
午前「逗子の家」枠廻り詳細図、原寸などを描き、午後の現場に備える。
予習と復習、小学校の時から、言われていた事。当たり前。
39才の所長が、毎日やっているのに、30年続けているのに、若いスタッフは、それをやらない。

丸腰で事務所に来る。

予習も済ませ、一瞬の、仕事の、間隙をぬって、いつもより2時間早く湘南ライナーに乗る。
精神の、間隙をぬって、車中で、各プロジェクトの玄関扉引手、アイアンワークのスケッチをする。

0.9mm2Bのシャープペンシルから、最近は1.3mm2Bシャープペンシルになってきている。老眼のせいか…それぐらいが、しっくりとくる。1.3mmの、線の範囲内で、電車の揺れが吸収される。

逗子駅から、現場には向わず、バスに乗り、葉山の美術館へ、ハンス・アルプ展をみる。
印象、というか、症状を言葉で現せば、喉が、ヒリヒリと渇く…感じ。

美術館を出て、海へ…。

「海へ」と言えば、中上健次の若き日の著作が頭で鳴る。


「ああ、海、僕は残された怒りとすべてのものをべとべとに溶かしてしまうような優しさから、おまえに感謝する。海は喜んで体をくねる。強くしめつける。海はそう言うしぐさが僕を昂らせることを知っているのだ。」
『十八歳、海へ』 中上健次著 集英社刊 1977年(昭和52年:大島12才)


本というものは、僕にとって、そういうものだ。いつまでたっても、鳴り響き続けるもの。スジなんて、忘れた。ただ、文章、言葉、それが、音として、残っている。

15:00。何もなかったかのように、いつものように現場へ。オイルは交換した。大工さんと、監督、腕を組みながら、皆眉間に皺を寄せ、話し合う。ミリ単位とは言わない、“分”単位の打ち合わせ。大工さんの「よっしゃ、わかった」という声で、はけようとするが、「ちょっとまって」と、その繰り返し。大工さんが納得するまで帰らない。日は沈み、気温は5℃。

帰りの車中、スケッチをしてみる。「アルプ前 アルプ後」の、自己ビフォー・アフターを試す。結果は、よくわからない。何ヵ月か経てば、わかること。

そっと、スケッチブックを閉じる。
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