OCM一級建築士事務所
 

2005年01月


  2005年1月31日(月) 禁忌(きんき)
一日中事務所。午前、電子メールなどで、所々やりとり。
午後、「鵠沼の家」図面作成。開口部の取り方など、少し吹っ切れた。明日から模型制作。

写真はムサビの展示。いい色の光。おもわず、頬を寄せている女性の姿をパチリ。

しかし、こういう空間を住宅でつくると「ラヴホテルじゃないんだから…」と言われてしまう。
じゃあ、なぜラヴホテルではいいのか、そこまでは誰も答えてはくれない。

住宅×アート=ラヴホテルか?とつまらない自問自答。

ちなみに、有名な話だが、ずいぶん前からラヴホテルでは「鏡貼り」「回転ベット」などが禁止になっているらしい。“禁止”というのが、なんともいい。

ので、今残っているものは、貴重な昭和の遺産である。

でも、住宅では別に禁止されていない、という事実も面白い。「やれるもんならやってみろ」という当局側の挑発であろうか…。

住宅設計は、明文化されていない多くの禁忌によって成立している。
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  2005年1月30日(日) オイル交換
午後、SITEギャラリーの斎藤康と、武蔵野美術大学の修了展をみにいく。
12年ほど前に一度行って、故ドントのライブをみた記憶がある。
相変わらず、遠いな−と思いながら、しかし、アートやるにはいい環境だな−とあらためて感じる。

もし自分がもうちょっとしっかりデッサンを収得して美大に進んでいたらどうなっていたんだろう…などと、キリコの描くシュールな風景を妄想しながら、ゆるりとした空間、いわゆるキャンパスといわれる場所に身を委ねる。なんとも居心地がいい。大学とは不思議な場所だ。トリュフォーの映画で華氏451というのがあった。その中で、禁止された書物を頭の中に、記憶し、森の中で読みあう光景…そんな共同体のイメージが頭をよぎった。

写真は、志村君という人の作品。リアプロジェクションにより、上から下にゆるやかに流れる画像を写し出す。カーテンのゆらぎのようでもあり、超スローモーションの霧雨のようでもあり、葉脈の中を流れる、養分のようでもある。
 ある、オートマティカルなコンピューターの制御により、その作品は自律した、“様”にみえることもあるが、やはりその後ろに、作家を感じることが僕は好きだ。同じようなニッポンの生活者でありながら、この作家の頭の中に常に流れている映像、もしくは瞬時に啓示として立ち現れた光景…。そういうものを、表出させるのことが、アートなのだと思う。その純度が高ければ高いほど、人々は感動する。

建築家は、せいぜいその残滓を、うまそうに飲み干して、明日からの都市の神経戦に挑むのみである。
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  2005年1月29日(土) 蛇
今週、これまで忠実に守ってきた“夜仕事をすると蛇が出る”という言い伝えが、破れ去った。
ただでさえ、夢の中に施主さんや建物が出てくるのに、夜仕事をすると、眠っても目覚めると、なんというか、前日からの連続感があって、自動的に水中を浮遊させられている感覚に襲われるので、いやなのだ。

毎朝、毎朝、明解な意志をもって動きたいと思っている。

9:30「久我山の家」工事契約のため工務店サン来所。遅れてしまった図面の製本を一緒にする。10:30、施主さん来所。無事契約。地鎮祭の予約等を入れ、1/50の模型をお持ち帰りしていただく。12:00前終了。

13:30オゾンにてコンペの施主さんと面談。「子供のためでなく、オトナ、我々のために家を建てたい」という強い意志に共感する。15:00終了。

16:00荻窪にて「逗子の家」打合せ。駅でアリナミンVをブイッと飲んで、気合いを入れる。工事もあと残すところ2ヵ月。内装の色や素材に付いて、やっと落着いて打合せができた。18:00終了。

19:00。アリナミンVのせいか、妙にテンションが上がり、アキラに電話、恵比寿で会う事にする。来年から、また新たに学校で教えるらしいので、授業カリキュラムの組み方など、僕なりに少しアドバイス。

今日聞いた、かなりびっくりした話。

キムタクの弟と結婚した奥さは、教え子だったこと。。。。

写真は、OCMの事務所玄関。サッポロビールの☆となんか鎌みたいな計測器が共産圏っぽい。

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  2005年1月27日(木) 二十万人格
午前中図面を書く。午後、出講。

びっくりしたのは、半分くらい学生の就職が決まっていたこと…。講師だけが知らなかった…、ショック!。もちろん、講師は僕だけではないので、別に、それは、それでいいのだが、ちょっとさびしいだけだ。

就職先は
「炭のアート(?)の会社の販売」
「自由が丘の生活雑貨屋の販売」
「カーテンの輸入&モデルルームのコーディネートの会社のいろいろ」
「階段のノンスリップなどをやってるメーカーの企画開発」
「“男性限定”と募集要項にかかれていたのに、応募したら通った女の子は建築の調査会社」
「中堅ハウスメーカー」
などなど。。。

なんともヴァラエティーに富んでいて、頼もしい。

学生は、鹿児島、高知、富山、岩手、新潟、山形、京都、福島と、その出身地もヴァラエティーに富んでいる。これが、東京だ。

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たぶん、今、建築家石山修武氏の日記は、2週間に一回くらいしかアクセスしなくなったが、たまに、みると、やはりグッとくる。

「教師もやっているので自然に周囲は先生、先生と私を呼ぶ。十数年もそんな空気の中にいれば、イケナイ、イケナイと自覚はしていても、自然に顔が先生顔になってしまっている。これは危ない。当り前の事ながら、つくる人であり続けるのだから、地ベタに近い腰の低さ、視点の低さは共に欠かせぬのだ。」

そう、それ、“地ベタに近い腰の低さ”。

もちろん、ずっと低いわけではない、それでは商売人だ。
ある年上の人に「大島は二重人格だ…」と言われたが
「フフフ、二重じゃ、ただの人でしょ」と 返す。

僕には、二十、いや二十万人格くらいあると思ってる。
病名をつけたければ、つければ良い。
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  2005年1月26日(水) ア・リ・バ・イ
7時起床。
8時、昨晩届いたファックスの対応。図面や書類作成。
9時、銀座線に乗る。
10時「浅草の旅館」改め「浅草の簡易宿所」の打合せのため浅草へ。作戦会議。
11時、施主とともに上野の保健所へ。たっぷり一時間、担当者の指導を仰ぐ。
12時、御徒町で施主さんに回転寿司をごちそうになる。寒ブリがおいしかった。
13時、京浜東北線にのり、北浦和へ。
14時、15分ほど歩き、領家という場所の敷地を調査。
15時、すぐにまた京浜東北線に乗り、蕨駅へ。「蕨の家」現場打ち合わせ。
16時、寒さが増し、打合せも山場。木工事、電気配線、配管などなど。
17時過ぎ、終了。施主さんが迎えに来てくれて、戸田公園駅まで送っていただく。
18時、恵比寿駅でさぬきうどんを食べて体をあたため、事務所へ戻る。
19時、新しいスタッフの模型が、時間内に完成せず、かつ汚いので失神する。

そして、今、に至る。
これから、打合記録作成や、たまった質疑事項に答えねばならない。

一日で、多くの感情が動いたが、今日はそれを記す力が残っておらず、つまり脳の処理が追い付いておらず、皮膚感覚として、まだ、全身に残っている。

肉体は疲れているが、神経が高ぶり、目はぎょろりと開いている。
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  2005年1月25日(火) 双子
午後、バンタンデザイン研究所。卒業制作の中間プレゼンテーション。
略して「チュープレ」と呼ばれている。
もちろん、就職活動は「シューカツ」これはもはやアタリマエ。

なんだか「サッポロ、クッシャロ、オシャマンベ…」みたいな雰囲気があってなかなかいい。

日本語は進化していくのだ。誰も止められない。誰も止めた事はない。
ちょっと、いじってしまったのは、やはり「NHK」くらいか…

ある人にいわせると、東北弁の、あまり口を開かないシャベリ方は、ニッポン語の進化した形だという。

授業で、20才の学生達(女子中心)が描いた5年後の姿。どんなだと思います?
なんと、十数人中、2.3人が「双子の子供がいる」と言ってました。
かつ「高収入の旦那と結婚して、素敵な生活を送っている」と。

“少子化”と世は懸念しているが、ここではそんなのどこ吹く風。。。

しかも、何人かが「外国人と結婚したい」と。

これも、ニッポンの未来は明るい証拠。。。。。。
皆、鼻高々だ。
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  2005年1月24日(月) ミル・マスカラス
一日図面を描く。
「久我山の家」最終調整。。。
「浅草の旅館」概算見積もりがあがってきて、要調整。。。

午後雑誌『TITLE』 の編集者より取材を受ける。特に、さしせまって何かが進行するわけではなさそうだ。

今日、いつも髪を切ってもらうHAIR RIDGE に、詩集がおいてあった。
『影の国』紀城有希ボロンテ。刊

女性なんだけど、さっぱりしていて、ちょっと、ぐっと入ってきた。
“明解な隠喩”ということを、裏を読んで、あまり考えなければ、素敵な言葉がそこにある。


某匿名ブログにて、「建築ツウへの道」への御批判をいただいた。「カーンが50才から建築をはじめた…ってのはおかしい。他にも誤字がある…などなど」

御意。

いっぱい言いたいことはあるが、匿名の人は相手にしないでおこう。
さあ、明日はミルマスカラスの覆面を買いにいくか〜!
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  2005年1月22日(土) 陽だまり
11:22分恵比寿発湘南ライナーで「逗子の家」現場へ。
混んでいたので、横浜までたちんぼ。アーティストの吉水さんみたいに、グリーン車に乗るのが憧れだ…、というのはウソ。

駅前のドトールでホットドックを買い、歩きながらたいらげ、現場に12:30到着。あれ?誰もいないのかな?と思ってると、大工さんと施主家族が、2階の一番陽当たりの良い洗面所でお食事・ なんかおじゃました感じ。

施主さんは、南側に櫻山を擁する土地を買って、陽当たりのことをずっと心配されておられたが、大寒のこの時期、昼間2時間でもこれだけ陽が入れば、OK。

大工さんは一日中、現場にいるので、今の所、大工さんがこの家の一番気持ちの良いポイントを知っている。冬は陽だまり、夏は風通しのよい影。

所々、懸案事項を解決し帰途につく。

バスに乗れば、すぐ葉山の美術館、アーティスト吉水さんが感銘を受けたるハンス・アルプ展、すごく行きたいが、我慢… 事務所にもどって山積みの仕事と対峙。
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  2005年1月22日(土) 五言絶句
夜、インテリアデザイナーの和田氏が中目黒の学校の帰りにOCMに立ち寄る。
即興で、五言絶句の歌詠み会をする。

僕が詠んだ

麒麟古典爽
菊水四段甘
雪中寒梅辛
全芋蘭芳香

に対して、和田氏は

麒麟古典爽
菊水四段甘
獺祭泡白濁
全芋蘭芳香

と返す

和田氏携エタル 船中八策残
我準備シタル  雪中寒梅残
最後に     愛蘭土黒麦 トシタ

写真:大島の15才から書きするしたる日記に目を通し、大いに笑う和田氏。
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  2005年1月21日(金) 就職
新宿、学校。
来年度の出講の依頼、話がでている。少し時間数を減らそうと考えている。学校側はもっと多くの授業をやってもらいたい、と言ってくれてうれしいのだが、今の僕にとってはキャパオーバー…、残念。

学生と就職の話等をする。主に皆、商業系デザイン会社、事務所を望んでいる。直接僕とかかわりはないが、精一杯ありったけの情報を流す。

メールでチョロリと面接の打診しても、返事してくれる奇特なところはそんなにないよ。
新卒を、一から教育してくれるような奇特なところはそんなにないよ。
仕事がおもしろくて、休みがあって、給料が高い奇特な事務所はそんなにないよ。
しょちゅう求人広告出している商業系の会社は、人間を使い捨てしてるところが多いよ。
有名デザイナーのところは皆「ただでもいいから働かせてくれ」という人がゴロゴロしていて、そういう人がスタッフの給料の相場を下げてるんだよ。
でもその人達は美大やなんやらを出てて、けっこう実力があって、その人達をおしのけて給料をもらおうとすると大変な能力が必要だよ。
おしゃれな会社に入ってそこの一員になったような気がして埋もれるより、ダサイ会社をおしゃれにしてありがたがられたほうがいいよ。
はじめから設計施工の会社にはいると、現場感覚は身に着くが、脳味噌も現場の原価意識になってしまって、なかなか純粋なデザイナーにもどれないよ。
はじめは販売で、自分の実力次第でそのうち本社の企画に…ってよくいうけど、あんまりそんな話し聞いた事ないよ。その考え方は、きっと“販売”っていうプロの仕事なめてるんだよ。

などなど
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  2005年1月20日(木) 中目富士夕照(せきしょう)
様々なところから富士がみえる。楽しい。
絶対10年前より空気はきれいになっているはず。

授業中、わーと言いながら、富士の写真を撮る講師を、学生、白い目で。

自分のカメラPolaroid 230  の望遠レンズをはじめて使ってみた。
僕はカメラ好きだが、フラッシュと望遠が嫌いだ。不自然なこの世界をますます不自然に映し込むその機能に、どうもいまだに慣れていない。

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  2005年1月19日(水) 惑星の住人
午後「蕨の家」現場。
先週、ちょっと仕事の進め方について監督に厳しい事を申し上げたら、今週はテキパキされていた。図面に書いていた造作材の選択肢、スプルス、栂、に加えて最近流通している雲杉のサンプルも持ってきた。写真ではわからないが、これら、やはり、一つ一つ違う。

雑誌『TITLE』 (文藝春秋)からお葉書をいただいた。「御会いしたい」との主旨。「室内」工作社、新潮社、文藝春秋社など老舗の出版社は、そういうことがちゃんとしていて気持ちがいい。今やメール、ファックス、電話などがありながら、ちゃんと手紙で最初の一歩を踏み出すということ。黒インクか、青インクか、ボールペンの筆圧はどうか…など、そういうことを学生に教えなければいけないナ…、僕は誰にも教えてもらってないが…。
※故山本夏彦氏の書物には、そういうことが愛をこめて書かれてある。

それにくらべて、テレビ局の世界は悲惨である。知らない人(たぶんAD)が電話してきて、「一週間後に〜邸の取材をしたいんですけど」とくる。「取材の、番組の主旨は?」と問うと「アシスタント(たぶんアイドル)の女性がですね、各部屋をまわって、建て主さんに質問しながら…」……。それは方法論。
すこしして、また別のADから同じ内容の電話がかかってくる…。

焼き鳥屋で店のフロアの女性に「カシラってどの部分ですか?」と問うと、「え〜〜カ・シ・ラですか?少々お待ち下さい」

なんだかこの惑星で生活していることに違和感を感じることが最近よくある。
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  2005年1月18日(火) 世間師
午後「逗子の家」現場。
恵比寿から現場まで湘南ライナーを使うのだが、駅まで5分、電車で58分、徒歩15分と完璧に時間を刻んでいるので、いつも15:00ぴったりに現場に着いて少々職人さん達に気持ち悪がられる(笑)。

『建てずに死ねるか!建築家住宅』という拙著について、ブログ上でいろんな感想が溢れている。はじめはわりと業界内部での“ウケ”がよかったが、徐々に一般の方、施主に浸透してきているのが興味深い。
家の記録の妄想
家づくり、行ったり来たり
ノアノア

「酔余漫筆」はブログではないが、ブログという世界は、人間の私性が滲み出しており、やがてそれが各個人の個性の確立へと結びつくとすれば、ニッポンの未来は明るいのかも知れない。それこそ“マス”を相手にしたメディアの危機であり、案外昔の村社会、世間師のお噺し、のようなモノが人々の求めるところになるのかもしれない。

夜、明石から送られてきた濁り酒を飲む。本当は送ってはいけないらしい。
茨木酒造のお酒だ。
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  2005年1月17日(月) ISLAY
朝5時46分頃、自然と目が覚める。
TVをつけ、黙とうをしている人々をみる。
ひととおりみたあと、また眠る。

一日中図面を描く。

夜、江戸川橋に建築家荒木毅氏の事務所を訪れる。
その独特のメンタリティーに触れ、「意気込み、尻込み」をうかがう。

広い事務所で、スタッフが“黙々”と働かれていたのが印象的。

沼袋で、アイラ島について想いを馳せる。
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  2005年1月16日(日) 日曜日
午後から図面を描く。

先日学生からこう聞かれた。
「先生、建築って終わってるんですか?」
講師曰く「#$%&#$%&!? な、なんでそんな事聞くの?」
学生曰く「だって、隈研吾って建築家がそう言ってましたよ」

この話に続きはない。ただそれだけのこと。現実の現実の現実だ。
メディアで発言するということの責任感を感じさせられる。

石川初さんの日記“身辺メモ”において「普請道楽のススメ」についての感想をいただいた。御礼。

原生林についてちょっと調べた

なるほど、武蔵野にはないんだ…。何ケ所かその言葉、使ってしまったな…。何て言えば良かったんだろう、でも“原生林”っぽいんだけどな…(まだ言ってる、しつこい)。

夜、O編集長が来所。今年の“意気込み、尻込み”について話し合った。
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  2005年1月15日(土) ポートフォリオ
フィンランドの大久保慈さんに『普請道楽のススメ』を送ったら、日記で素敵な書評をしてくれた。あの本が人に「ものをつくりたい」という気持ちをおこさせているということが、嬉しい。

自分の本がヘルシンキの街に存在していること自体も、なんとも不思議だ。

14日夜、高校の同窓会。なぜか、最近頻繁にある。「鵠沼の家」施主をつれて参加。播州人が集まると、なんとも賑やか。

今週から学校がはじまり、生活にドライブ感、グルーヴ感が加味されてくる。

15日午後、「浅草の旅館」打合せ。有意義な内容。徐々に詳細がつまってくる。

夜、写真家の渡辺慎一が、旧友の写真家長谷部均とともにやってくる。
最近写真家の渡辺慎一は「滝」を撮ることをライフワークにしている。それをスクラップブックに貼ってまとめたポートフォリオをみせてもらう。あいかわらずヴァライティーに富んだ編集のしかたで、大いに楽しまされた。

また、その手作りの“1点もの”のポートフォリオを“手にして”何か少し忘れかけていた「重み」を感じた。

「あっちょっと、汚さないでよ…」といった、そのものに対する“大事な気持ち”、作品に対する“愛”を感じた。

大量の印刷物として自分の本が流通しはじめたり、ネット上で電子の言葉をちりばめたりしながら少しずつ忘れかけているものが、そこにはあった。

渡辺慎一はそれを、本能的に忘れないで、失わないでいることのできる稀有な存在である。
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  2005年1月13日(木)
うっかりしていた。建築家の荒木毅さんが日記をやっていた…。

ちょっと読み耽っていると、かっこいい文章があった。

「獅子は自分で鹿を狩って食べている。リスは木の実を拾って食べている。人間の社会は複雑になって自分のやっている事が直接獲物に繋がらないので見逃しがちだけど、パソコンでキャドを書いている行動も実は草原で獲物を追っているのと「同等」だと感じてほしいのだよ。
大げさかも知れないが、今日獲物を逃せば明日まで空腹に耐えなくてはならない覚悟でパソコンなり現場なりに向かってほしいと言うこと。
自分も狩りをしているのだと・・・。」荒木毅

御意。

日々、スタッフに言っていること、かつ、絶対に伝わってないと感じること。

「毎日毎日、慣れてはいけない」
「何故事務所に来るのか考えなければならない」
「黙ってパソコンの画面ながめてるだけだったら、家でやればいい」
「事務所という、“場所”に“集合”している意味を考えなさい」
「所長から情報を引出しなさい、そのために事務所に来ていると認識しなさい」

人前で手鏡をみることが、その場に居る人間に対して非礼であるように、画面に向って完結しているその世界に、我々はそろそろ違和感を感じる必要がある。

別にコンピューターなんかなくったって設計はできるということを、ほとんどの人は忘れかけている。

スタッフには、日給で、現金で給料を払いたい気分だ。
そうでなければ、所長達のように出来高払いだ。

もっとも給与所得者からかけはなれた仕事をしている建築家の事務所を職場として選んでいることに、もっと違和感と誇りをもたねばならない。

以前は「脳の中は、想像力は、自由だ、誰にも束縛されない」というのが定説で、我々はその想像力で戯れていた。もちろん、端からみれば鼻くそをほじっているようにしか見えなかったかもしれないが。

今は、どうやら、パソコンの中、インターネットの中は“自由”であり“エスケープ”らしい。

2005年1月1日 OCMホームページへのアクセス数 29人

1月2日 34人 

3日から56人、76人、90人、そして仕事始めの6日で103人…

うちは仕事のお役立サイトではないはずだが…。

おそらく、これを社会資本の損失と考えると、物凄い数字になると思う。

ならば「酔余漫筆」は「読めば仕事の効率100倍アップ!」する「お役立ちブログ(?)」にしていかなければならないのか…。
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  2005年1月12日(水) 富士
元旦の蘆花
「早起(さうき)、若水を汲むで顔を洗い、雑煮を祝い終わり、櫻山に登りて、富士を望むに、雲に潜むで見えず。」

「湘南雑筆」と称してはいるが、つまりは日記である。
「逗子の家」は、その櫻山のふもとにある。もちろん、僕も蘆花気取りで、櫻山に登った。

「元旦の蘆花はどんなだったんだろう…」ということが、うかがい知れるのが、“日記”の良いところである。

ちなみに“日記絶好調のアーティスト”吉水さんの元旦の湘南は、こんなだ(1/1のところ)

ちなみに、本日、午後、「蕨の家」現場。極寒の戸田公園駅からみた富士山はこのようであった。

富士山を心の拠り所とする東京(関東)は素敵だ。

※今「酔余漫筆」の過去分が読めなくなっているが、来週くらいから、読めるようにする。ちょっと、事情があって閉鎖していた。別に「非公開、特別拝観」とかにしようという意図はない。よろしくどうぞ。
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  2005年1月11日(火) 冬威
「空には凍雲漫々、目の到る所山も野も枯れに枯れぬ。野川の橋を渡る頃、雲りたる空より粉の如き飛雪紛々として降り来しが程なく巳みたり。」
『自然と人生』(徳富蘆花)−湘南雑筆−冬威−(一月十日記)

蘆花が逗子で過ごしていたころ書かれたもの。ちょうど、季節は今。
凍雲漫々、飛雪紛々といった言葉が、ぐっと来る。

午後、その“野川”を渡り「逗子の家」現場へ。

電気業者、水道業者、木材加工業者、大工さん、監督、順番に個々の打合せ、確認。皆、設計者の“ツラ”=メンタリティーをみにきてる。

最近のTV配線はコンピューター、電話と絡んでクセものである。
ケーブルTV+ケーブルのインターネット
光ファイバーテプコ+電話+TV
ADSL+インターネット、TV(地上波、衛生、ケーブル、共聴の選択)
うん、十分に「建築知識」誌のネタになるな…

選択の幅が広い、群雄が割拠しているということは、そのIT業界に競争原理がはたらき、活況を呈していて、三木谷さんや堀江さんがTVに映るのだな〜と、その社会の“末端”から世を知ることになる。
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  2005年1月10日(月) 不許辛肉酒入山門
昨日、今日、図面を描いている。ちょっと休憩。

ラジオの風景。

朝からクリスともこと小山薫堂がナビゲーターでホリデースペシャルをやっている。
小山薫堂にはN35というオフィシャルサイトもある。

ほぼ同い年の彼の活動をみていると、まさにバブルの落とし子、給与所得者を続けていれば、僕もたぶんこんな生活していただろう、と簡単に想像できる世界を世の中に発信している。

とっても近い世界だったはずなのに、とっても遠くに来てしまった、と感じる。

彼が

「今年春、ANAの国際線機内でのみ販売され、大好評のうちに販売を終了した幻の金平糖を入手!ワインの金平糖は、小山薫堂がプロデュースし、京都の金平糖専門店「緑寿庵清水」とANAのコラボレーションで作られた希少な逸品です。」
と言ってるのに対し

僕は

「日本酒とポテトサラダだけで何時間くらい飲めるだろう…」
ということを、昨晩考えていた…。
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  2005年1月8日(土) 老玉
今年は執筆をしない。建築に没入し、さらなる企ての年。
また“文章”について、もう一度考えなおそうと思っている。
“美しい文章”を書きたいと思っているが、だれも大島健二にはそんなもの期待していないだろう。余に求めらるるはヒタスラ諧謔と独断と拡散ナリ。

15才で別役実の「山猫理髪店」(三一書房)、25才で丸山健二の「千日の瑠璃」(文藝春秋)、35才で徳冨蘆花の「自然と人生」。10年おきくらいに美しい文章に出会っていることになる。
 
           §

午後「久我山の家」打合せ。コスト及びスケジュール調整がうまくいっていないことに対して施主さんからおしかりを受ける。地代家賃など施主さんに損失を与えている部分については「設計料で補填する」と自ら申し出たが「それはならぬ」とおっしゃられた。

その言葉を重く受け入れ、前に進むことを確認しあった。

帰り際「京菓子 仙太郎」の老玉(うばたま)をひと箱いただいた。恐縮である。

こちらといえば、ぼっちゃんにお年玉の一つもあげる心のゆとりがなかった…
「坊、またな、すまんな、期待しときや!」と言いのこして、宅を後にした。

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  2005年1月6日(木)
ひたすら図面を描く。
夜、少し円空の木彫りの仏像のことを考えた。こういうざっくりとした建築がやりたいな。

つるつるの仏像とガサガサした仏像。その、醸し出すものの違い。

今日の「建築ツウ」情報
ジャパンデザインネットで、しっかりとした書評。
本の64日記というところでも、あったかい感想。

御礼。
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  2005年1月5日(水)
脳が全開になりはじめた。“とろーん”とした脳から、いくつもの事象を、重層的に処理するといういつもの“脳”に戻りはじめた。

明日からスタッフ出社。5台あるコンピューター内の整理やら、ステンレスの流しをカネヨンで研摩したり、ということが、同時平行で行われる。

昨年処理しきれていなかった冬休みの宿題も、なんとか目鼻をつけた、いや…つけはじめた。

年頭に、この気分のまま、人に会って、話をしたい。建築家の内海智行さん、荒木毅さん、滝澤俊之さん、インテリアデザイナーの和田さん、写真家の渡辺慎一、O編集長…。

「今年はどうよ!」っと、人の意気込み、尻込み、聞いてみたい。
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  2005年1月4日(火)
そして正月は終わった。31日から昨日3日の夕方まで、誰とも会わず、口もきいていなかった(歌ぐらいはうたったが…)。

昨晩、近所の斎藤康から「いくか?」というメールが入ったので「初喋り」にでかけた。

なんとも、照れくさいものである。このまま、一年、喋りつづけるのだなぁ〜と、そして年末くらいには、人を押し退けてまで「オレガオレガ」で喋りまくるのだな〜と…行く末を考えて、感慨が深まる。

何ごともにも「慣れない事」が重要かと…。

かつては、何も知らなくてミスをしたが、今は「大丈夫、大丈夫」っていって、ミスをして人に迷惑をかける。

それがダメなのだ。慣れてはいけないのだ。自分の経験が増したからといって、この“他力本願浄土真宗自律神経失調症的”な仕事、甘くみてはイケナイ。

独立して、ちょうど10年が経った。

10年前のこと。神戸の地震のこと。
大久保慈さんの日記の中に、ドキュメンタリー映画の話があった。1/15〜17、神戸で上映するそうです。神戸のみんな、みましょう。

できれば、僕も時間をつくって、上洛して神戸にも行きたいと思う。今年は、そういう時間をつくらねばならないと考えている、ホントウに…。
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  2005年1月2日(日) イエ
本年最初の「建築ツウへの道」情報
『STUDIO VOICE』2005.1月号 《最終ブックリスト320》今手にするべき書籍、完全カタログ!に“選定”されてます。

ポム企画(≒スフェラ・アーカイヴ)の平塚桂さんに、2004年の10大なんとか(?)として扱っていただいてます。

気付かなくて、ちょっと情報および御礼がおそくなりました…。

石川初さんのウェブログ12/22にて「普請道楽のススメ」いじっていただいてます。

写真は恵比寿駅のホームの無印良品の広告。これが、慈照寺東求堂の同仁斎であることがわかるひとは、立派な「建築ツウ」。
ちょっと無印良品のサイトを覗いてみたら、う〜〜〜ん、すごい、確実に僕の文章より、かたい、まるで論文だ。こんなことになってんだな、住宅、家、建築は…。
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  2005年1月1日(土)
川面(かわも)の光り、で目覚め、昨日の、いや昨年の風雪、過ぎたることを知る

天候と、暦が、談合したかのごとくの晴天。昔日の、脚の痛み以外は、新たなる代謝を迎えていることを知る

正午前、痛い脚をひきずり、昨日の鬼門の方向とは“逆に”、裏鬼門である。池上本門寺へ向う

恵比寿南より、防衛庁研究所、つまり、統幕=統合幕僚研究所の横を通り過ぎ(みんな、税金はらってんだから、自分の税金何に使われてんのか知った方がいいよ…)、ここ8年くらい、世話になっているバンタンデザイン研究所中目黒校舎に“一礼”
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  2005年1月1日(土)
新富士を、拝まんとせんがために、目黒の丘の稜線をたどるが、思い、叶わず、目黒川へと“落ちる”

池上本門寺への道のりは、遠いと思えど、富士山が見えんがために、この思い、捨つることかなわずと、帆をすすめる

街の、人々の声、辻占、茶屋坂、別所坂、田道のあたりをすすむ

山手通りを超え、大鳥神社に至る、その、風景観察し、一礼

脇道を行き、山手七福神のひとつである、バンリュー寺の岩屋弁天に御挨拶

さらに脇道をすすみ、目黒不動尊に至る
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  2005年1月1日(土)
サラリーマン時代、悶々としながら、4年と少し、この地で過ごした、いや、過ごさせていただいた感謝で、日建設計大崎寮(不動前)へ一礼、ここで、よからぬたくらみ、一杯したな…と
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  2005年1月1日(土)
あらためて、不動尊を徘徊、さつまいもの先生とやらが祀られており、浅草舟和の“いもようかん”が、なぜか特売されていたり、2・26事件でその企みにより銃殺刑された北一輝“先生”(ここではそうよばれている)が、実は法華経を篤くしていた知り、さらに、「建築ツウ」でもおなじみの、慈覚大師円仁の創設であるやら、役の小角(えんのおづぬ)の銅像があったりと、なにやら江戸の田園地帯のテーマパークであった状況が、今もなお感じられ、非常に楽しいサンクチュアリであると感じる
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  2005年1月1日(土)
昔の勘をたよりに、林試の森を目ざす、そう、とっておきの、散歩コース、そこは、林業試験、発祥の地、何年か前、死体が発見されたが、気にしない

昨日、四ッ谷駅の前で、うずくまっていた浮浪者は、この寒さ、年を超せたか…気になる、なぜ、新宿の、“浮浪者協同組合”に、所属しない?、そんなとこで、配給されるようじゃ、死んだ方が、ましか? ただ、笑いながら、積雪の中、俺を見つめて、笑みを浮かべるのは、やめておくれ…、その笑み、そのまま、氷ってしまうぜ…

ここは、目黒、林試の森、元日、元旦、いの一番、陽当たり良好、浮浪者たちも、虫干し、甲羅干し、干し貝柱でにっこり笑顔

もう、すでに、未の刻、池上本門寺、いや、実は、行った事が無い、なんとなく、その、裏鬼門の、方向に、脚ば進めんと…
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  2005年1月1日(土)
辿り着くは、東京No1ソウルセット…、いや東京No1商店街、武蔵小山、100%地元民の、この商店街、正月も眠らぬことを確認し、ふらふらと、スーパーマーケットへ

買ったのは、絹豆腐、がんも、こんにゃく、ちくわ、大分ねぎ、もも肉…うどうんにしようか、そばにするか、サトーの切り餅1・か、いや、あえてインスタントラーメン…

年明け、何も食べていない、池上本門寺への道のり通し…、ここで、ちから尽きる…
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  2005年1月1日(土)
かと思われたが、南へ進む、荏原、中延、戸越銀座、素敵な街を冷やかしながら、五反田へ

五反田にて、山手線に転がり込み、二駅しんぼう…、帰宅後、年末に碑文谷ダイエーで購入した、大事な牛スジを煮込んで食おうと…
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  2005年1月1日(土)
そこへ黒猫ヤマトのクール宅急便

かんぜんに、独り正月見破られてル母親からの、おせち料理&たい&ナマ酒

ああ、お重を買っておけばよかったと、後悔
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  2005年1月1日(土)
この、ありがたき、食べ物、食べ尽くしたら、仕事、再開します。電話に出ます、携帯電源入れます、メールみます、年賀状の裏みます。
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