OCM一級建築士事務所
 

2004年12月


  2004年12月31日(金)
昨日、夕方、仕事を終える。何も終わってはいないが、“終える”。
最後の一日くらいは、休もう。

正午“干し貝柱”を買いに、上野まで歩く。小雪が舞ってきた。先日のべた雪とは違い、今日のはすぐに積もりそう、望むところだ。

広尾を抜け、有栖川宮公園へ、ホールデン・コールドフィールドのアヒル達に挨拶
ちらちらみえる、六本木ヒルズ、そこに行き着かぬよう願うが、結局、その墓標の足元に出てしまう

何やら、巨大な建設現場がたくさんアル、六本木の北の方へ、エクスナレッジ社に一礼し、どれがロジャース、どれがドンキー

元防衛庁の今はなき跡、お気軽な再開発プロジェクト、お知らせ看板に、古に所属したる設計事務所の名を発見

その脇の、ソウルバーを抜け、赤坂へ抜けんとするが、行き詰まり、ドンづまり、関係者以外立ち入り禁止、急に自分は挙動不審者に

気がつくと、そこは坂倉村、磯崎村、新はいるかと、門戸をたたくわけもなく、元来た道をさかもどり

下がる気温、カメラの調子が悪い、零度前後では、液晶が使えない事を知る
懐のなかに、カメラを入れ、暖めて、また、撮る、撮る、撮る

強くなる雪の中、調子よく、歩調よく、乃木神社から、聞こえる軍歌、引込まれるように境内に入り、準備バンタン、しかし誰もおらずに、軍歌が鳴り響く、その様、背筋にやなものを感じ、また引き返す
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  2004年12月31日(金)
その頃から、雪は風をともない、俺の歩調もオートマティカル、もう頭の中は、二〇三高地、行き行きテ神軍、八甲田山、歩けるところまであるけ、目的は考えるな、そんな声が聞こえてくる

とらやの前の交差点、信号待ちの、雪まみれ、とらやのビルの横格子、釘隠しのような、ディテールがいかしてる

誰もいない赤坂離宮、カタヤマトークマ、ムラノトーゴ…呪文のようにとなえながら、さらに進む

不思議な谷、四ッ谷の風景、新宿通りをさけ、靖国へと至る道、中央線脇の、土手の小道、そろそろ足元ぬかるみだす

だれもいない小路、犬の散歩さえする人のいない、ここ東京、大晦日の昼下がり
靖国神社についたころには、すでに街は雪化粧、幻想的な雰囲気の中、新年を迎えるための準備、粛々と進む

拝殿の、ずっとずっと前で、その庇の無いところで、ただ深々と、頭を垂れたまま動かぬ人、その垂れた頭に、積もる、粉雪
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  2004年12月31日(金)
巨大な菊の紋章、虚飾を排し、単純な形態の鳥居、自分の残した雪の足跡を振り返る、顧みる、この一年

たった一日の、年末、歳末、東京の街
古本屋街で、餃子の誘惑、湯麺の誘惑、かき消し、かき落とし、目指せ干し貝柱、癒せ肝臓

踏み締める、雪の音、冷えきるからだ、ポケットに入り込む粉雪
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  2004年12月31日(金)
暮雪したる新幹線、異国人多き秋葉原、クレープ屋の若い娘をじっと眺め、萌えてる秋葉系

冷えきった脚は、ひきつり、浮浪者のような、小刻みな歩調、目的地、上野にたどりつき、大山の焼鳥に立ったままかぶりつき、この寒さの中、冷や酒をカラダに流し込む
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  2004年12月31日(金)
いよいよ決戦、ここが戦地、アメ横の人の並の中に、自らをまぎれさせる

傘なき我に、突き刺す人の傘の骨、何故か今年から一方通行、ルミナリエじゃあるまいし、雪が雨に変わり、上がらぬ気温、イキノヨイ店員の下がるテンション、荒れるアメ横

無事、干し貝柱を手にし、また御徒町まで、カラダをひきずり、桃苑で熱いタンメンを食べる

外套がかわくまもなく、ガラガラの山手線に、カラダを託し、エビスまで、運んでもらう

車内で、バリバリと、袋をあけ、干し貝柱をひと粒、口にほうりこむ

広がる塩分、染み込む滋味

書き納めの文章  

撮り納めの写真
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  2004年12月29日(水) みぞれ
朝、雨がみぞれまじりの雪にかわる。
図面を描く。

午後「逗子の家」現場へ。気温3°。案の定、湘南ライナーは、新宿-品川間が 不通、山手線で、品川まで出る。

この12月はたぶん20°くらいの気温差があったな。

車中、昨日買った短編のアンソロジーをパラパラとめくり、いろいろ妄想する。
“川上弘美はヒロシだな…ヒロシに川上弘美を朗読させればいい…”などと…。
 
             §

昨日の日記を“消す”ために、本日の日記を書いている、ような気がする。
たとえば、昨日の「室内」からの直截的な引用が、言い訳がましくて、イヤ、である。

えい!これでもくらえ!

「夢うつつ街を歩く。真っ白な開襟シャツに眩しい光をあてて夢うつつ人が歩いて来る。街頭にせり出した飯屋が夢うつつ何やら湯気を上げており、街角で蛇の腹を夢うつつ裂いている蛇屋の脇を入ると、何もないぼんやりとした裏通りで、深い皺の性別不明の老人が、何色ともつかぬ服を着て丸椅子に坐り、夢うつつ目の前の壁の汚点を見ている。」
『朝日選書-逍遥游記-』-紅花- 藤原新也
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  2004年12月28日(火) 精度
午後、「蕨の家」現場。
工務店はわりと、28日くらいで、仕事納めなだが、大工さんはわりと年末一杯一杯まで、働くのが習性のようだ。

そして、フリー・アーキテクトは、年末年始もない。ラジオを消して、時間と空間を超越するだけ。

今日、現場にて監督にこう問われた。

「実家の兵庫に帰られるんですか?」
「いいえ」
「いつもは帰られてるんですか?」
「いいえ」
「じゃあ、スキーとか行かれるんでしょ?」
「いいえ」
「…」

帰り道、戸田公園の古本屋で「朝日選書-逍遥游記-」藤原新也 と 「図説-浮世絵入門-」を買って、JとKを超越するための準備をはじめた。

今日読んだ「室内」の中で目がとまった一節。

「その一つは〈フリー・アーキテクトはボーイフレンドとしてはかなりかっこいいが、結婚というマーケットでの評価はあまり高くない〉ということだ………アイデアを得ようと24時間考えているから、妻が話しかけても生返事をするだけで、実は全然聴いていないこともありうる。」 建築家・渡辺武信

「日本の社会全体が『精度』という袋小路にはまり込んでいるように思われる。………外国人からすると、我々は1mmや1秒の誤差におびえる神経症的人間のようにみえるのではないか。『精度』が目的化されてしまうと、新しい物事へのチャレンジ精神は萎縮するばかりである。」 建築家・伊東豊雄



戸田公園の鳩たちの精度。
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  2004年12月27日(月) 納会
夜、突如、フォービートの羽田野氏と谷氏が来所。
仕事納めだという。だから納会をやるのだ、と。

人の事務所で納会やるのはやめて下さい(笑)

ワインを飲み、事務所にあるギターを全部ひっぱりだし、ひく。

思えば、羽田野氏と同じところに事務所をかまえていた1995年〜99年頃は、二子玉川の事務所で毎晩ズブロッカ飲んで、ギターかきならしてたな…。遠い昔のはなし。

『普請道楽のススメ』情報
雑誌『MEMO』の現在発売の号に、書評をしていただいております。
雑誌『室内』の50周年記念号においても、書評いただいております。

厚く御礼申し上げます。
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  2004年12月25日(土) 八景
事務所ニテ図面を描く。

夜、突如、雙徽第主人のN氏が来訪。
京都の南座の顔見せ、そう海老様の襲名披露でもあった、それに何故かN氏も出演されていて、飛行機で羽田まで戻ってきて、恵比寿のリキッドルームに行ったが云々…ということで、OCMに寄ったという。

ちょうど仕事を終えたあと、「〜八景」について、考えていたところで、そのタイミングに吃驚する。

近くの「水炊きや」で食事をし、「いや〜紫式部日記はいいですよ〜」「定家の明月記もね」「八景やったら、鈴木春信の“座敷八景”ものが、ええで」「建築家の○○さんに会いましてね、含翆盧みたいなプロジェクトを進めとるんですわ」「方円、松殿山荘、李垠、梨本宮、五族同根、漢、明、清、黄檗…」などの話しをありがたく拝聴する。

明日、鈴木春信の本を買いに行こうと思っている。

その晩、みた夢。
ボンネットバスに乗っていたが、建物にぶつかる。上部の窓から、天使のような子供が落ちて来る。とっさに、フォーリンエンジェル、堕天使…などという言葉が、浮かぶ。その、子供をかかえ波止場の方へ向う。子供はこうつぶやく。「一緒に生きて行こうね」。その天使を窓から突き落とした女性を発見し、鎗を投げる。その鎗は彼女のふくらはぎにつきささる…。

久しぶりに、夢現(ゆめうつつ)の状態で、片目だけあけて、ふとんの中で、夢の書記をこころみた。文字ではない、絵だ。光景としては、ジョルジュ・デ・キリコの絵や著書「エブドメロス」のような感じ、乾いた、空気、照りつける、アドリア海の陽、といった感じか…。ダダ、シュル・レアリスムの自動書記に近い行為。
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  2004年12月24日(金) さらば青春の光
メリークリスマス

小学校の時、日曜学校(プロテスタントの教会)に通っていた僕は、少々賛美歌にはうるさい。。。



施主さんに、クリスマスプレゼントにもらった「さらば青春の光」のポスターを壁にかけてみた。

「先日初めて打合せに訪れた建て主のお宅で、壁に『さらば青春の光』のポスターが貼ってあるのを見てうれしく思ったが、だからと言ってそれが直接的に良い家づくりにはつながらないと自分に言い聞かせている。」
『建築ツウへの道』63.「ロック通」の聖地「バタシー発電所跡」より

残工事を残してしまい、工務店に見積を断られつづけ、見積も納らない日々。

暗いクリスマスである。


午後、「浅草の旅館」打ち合わせ。
そんな設計の日々を送っている、と施主さんに素直に状況を話すと、危惧された。

「それによって、大島さんがヘジテイトして、いくらでも出てくるアイデアが止まってしまうのはいやです。どんどんやって下さい。最後に調整すればいいではないですか。」


全ての施主さんは、僕にとっての先生である。
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  2004年12月23日(木) 一日
一日中図面を描いていた。
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  2004年12月22日(水) 鉄
午後「蕨の家」現場。
筋交い、金物、ホールダウン等の検分。かつ、電気配線の“逃げ”の打ち合わせ。構造材をそのまま現しているため、天井裏や床下がほとんどない住宅なので、この段階から、電気をやっておかねばならない。

かつ、板金屋さんが来て、曲面屋根、その“けらば”破風、通気層との納りなどの確認。

指定していたカラーガルバリウム鋼板が、手に入らず、何とか押さえた、0.35mmでいいところを0.5mmにした…と板金屋さん。今、建材の流通状況は、けっこう大変なことになっている。「建築知識」誌においても、是非特集を組んでもらいたいものだ。

昨年の夏頃から、鉄の値段が上がりだし、末にはなぜか石膏ボードが手に入らなくなった。今年に入って、合板、釘なども高騰し、はたまた、屋根材などの二次加工製品などにも影響。たとえば、屋根材、300坪単位でしか、売らない、などと問屋が言う。まさに、住宅殺しの状況。

おそるおそる、2002年の「積算資料」と2004年のもので、H鋼の値段を比べてみた。40円/Kgが80円/Kgになっている…。恐るべき状況…。

どの現場にも混乱を来たし、現場監督は憔悴しきっている…。

そんな時に、見積をお願いすると、当然高くなっていく…。

夜、VDIの講師会。OCMから歩いて3分のところでやっているので、行かないわけにはいかない。かつ、日頃会って話をしたいと思っているクリエーターの人達にまとめて会えるのがメリット。

アーティストの吉水さんに「富士山の絵」の話を振ってみたが、「富士山の絵には、富士山描きの職人がいる。たしか、東京には3人くらいいるはず。僕ではない、それは彼らに頼むべきだ。その方が、いい富士山ができる。」と、明解な言葉をもらった。僕もそう、思う。そのメンタリティーを確認したかっただけかもしれない。

インテリアデザイナーの和田さんともいろいろ話をしたかったが、たぶん、本当に忙しく、来られなかった。残念だ。

インテリアスタイリストの山下さんとも話ができたが、吉水さんと僕があまりにもうるさく、俺が俺が…でしゃべっているので、、、ニコニコ笑ってらっしゃった。
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  2004年12月21日(火) 夜景
午後「逗子の家」現場。
30坪の住宅だが、アプローチ、土間、中庭、2階テラス、2階と、うねるような上昇感が感じられる。これみよがしではないし、説明的でもないが、巻貝の中のような感覚、動的に包み込まれる感じが、注入できている事を感じる。

その空間を背中で感じながら、エンジニアーとして屋根の防水紙、外壁の防風防水透湿シートの納り、などをインスペクトする。

帰り、監督のトラックにゴミと一緒に積んでもらって、横浜の事務所へ向う。横横、湾岸、たぶん12年ぶりぐらいに、横浜の夜景をみる。

埠頭の工場やクレーンが、イルミネーションと見まごう光を放ち、えもいわれぬ光景をつくりだしていた。

これが横浜人のプライドだなと感じた。

その美しき横浜を通り過ぎ、鶴見へ。
どこかほっとする光景。
美しき横浜、より猥雑な鶴見の方が自分には合うな…と感じる。

現場監督と酒を飲む事は実はほとんどないのだが、別件の、やむをやまれぬ事由で、10年年長者から、いろいろ知恵をさずかり、指南を受ける。
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  2004年12月20日(月) トッズ
昨日、夕方、“歩こう”と思い、青山の方へ歩いた。
伊東豊雄のトッズが完成していた。“表参道建築祭り”の中では、なかなかいいんじゃないかな。しかし、なんというか、伊東豊雄はつねに次元を一つ消そうとしているな。コンクリートの打放しから、その厚みと重量感を奪い、書き割りのようにみせようとしている。なんでだろう???

じゃあ、僕は次元を一つ増やすような設計をしよう。進むべき道は明快だ。
               §

トルコ料理、中国料理、フランス料理、イタリア料理…
おいしい料理とは、帝国(=収奪の機構)の味だな、とふと思った。

帝国ホテルとは、うまく言ったもんだ。

すると、アメリカは今必死でおいしい料理をつくろうとしているのだな。
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  2004年12月19日(日) タコ
昨日も、今日も、朝からずっと図面を描いている。

昨日は、夕方やっと外へ出て、スーパーマーケットへ、おでんに入れるタコを買いに行った。

音楽は大好きだが、一つその聞き方に関して“鬼門”がある。それはウォークマンだ。まったくのウォークマン世代なのに、それを聞きながら街を歩いたのは、1回か2回くらい。なぜか、“とってもいけないこと”をしているような感じがして、どうもできないのだ。自分だけが、すごい企みをもった犯罪者のような感じがして、妄想による陶酔感と疎外感が共存しているかんじ…。

「ディーバ」という映画の中で、殺し屋が殺されてしまうとき、耳からイヤホンがはずれ、そこから悲しげなタンゴがしゃかしゃかと流れていた…。

僕にとってのウォークマンはそういうものだ。

たまたま、連れ合いがウォークマン(ディスクマン?)を買ったので、ちょっとタコを買いに行く時、借りて街に出てみた。別になんでもよかったが、中にいれたディスクはエレクトリックライトオーケストラのMr.BLUE SKYが入っているもの。

機嫌よく、リズムにのせて、歩き、妄想を楽しみ、スーパーマーケットに着いた頃、曲がMr.BLUE SKYになった。

突如として、涙が込み上げてきた。

音楽には、脳のシワのように記憶のヒダがあり、そこに触れると記憶が再生される、そんなことはわかっていたが、突如としてそれが訪れると、感情を制御できなくなる。

心震わせながら、モロッコ産なのに価格が高騰しているタコを買い、家路についた…。
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  2004年12月16日(木) スケッチブック
午後、「蕨の家」現場。今日は、ちゃんと戸田公園に着く。
最近は、電車に乗っても、座って、本も読まず、居眠りもせず、前に座っている人の顔をぼーっと眺め、余計なお世話だが、その人の“来し方行く末”をおもんぱかっている(慮る)。

それもなんだかな、と思い、ちっちゃな手のひらサイズのスケッチブックを130円で購入し、スケッチをするようにした。なかなか、それが、機能している。

ファッションデザイナーの片野氏もちっちゃなスケッチブックにいつもアイデアをメモしていたのを思い出す。スケッチをしない日はない、と言っていた。スケッチしなければデザイナーとしては終わりだ、といったようなことも言ってたような気がする。

コンピューターに向って書いている図面と、ちっちゃなスケッチブックに描かれるアイデアは、おそらく全然違う脳味噌を使っている。

夜、三冊の本の表紙および全体の造本、デザインをやってくれた松永路に、その2年間の労をねぎらうため、焼肉をごちそうした。ずいぶん、きつい事も言ったりしたが、結果的には、よい方向へ着地した。

彼女はフィンランドへ行ってオーロラをみてきたらしく、ムーミンのおみやげをたくさんくれた。僕は、彼女似のC3-POのボールペンをプレゼントした。

松永路は「フィンランド人はおっさんでも無臭なんです。フィンランド人と結婚して、〜ネン、という名字になりたい」とのたまわっていた。おもしろいやつだ。
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  2004年12月15日(水) 乗り越し
午後、「蕨の家」上棟で、戸田公園に向う。が、電車が赤羽からノンストップになってしまい、大宮まで行ってしまう。「何やってンだ…」とぶつぶつ言いながら大宮から引き返して来る。

プレカット段階から原寸図、現物小屋梁の打ち合わせを十分にしていたので、本日は何の問題もなく、きっちりと3時には棟が上がる。複雑な小屋組・合成梁にもかかわらず、監督の顔は涼しげだ。現場に行って、監督の表情をみれば、だいたい状況がわかるようになってきた。
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  2004年12月15日(水) カツ
夕方、施主さんに豪勢な上棟式の席をもうけていただく。あいかわらず、中〆が終わっても、大島は帰らず、監督や営業の人と歓談をつづける。

今回の大工Yさんは親子で現場に入る。わりと、よくあることだ。父と子との関係や家族のことがいろいろ問題になる昨今、そんな大工親子のシンプルな関係をみていると、ニッポンの未来は明るいと感じる。

最近の学生達は就職活動のことを「シューカツ」と略し、持続的て恒常的な一つの状態としてとらえ、長い時間を“それ”に費やしている。それに加えて「やりたいことがわかりません」とくる。つまり「シューマイのカツ」を探し求めているわけではないのだ。

そんな時間を過ごすのであれば、中学卒業して大工さんに弟子入りしたり、鉄工所で働いて手に職をつけたり、旅に出た方が、よっぽどいい。

「カツ」はなんで「カツ」というのだろう。
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  2004年12月14日(火) 煎茶的
毎日、事務所ではラジオをかけっぱなしにしている。これは「時間と空間を超越」しないように、現実の、イマ、ここ、という場所に、自分をしばりつけておくためだ。

午後「逗子の家」現場。筋交い、金物、防風・透湿・防水シートのチェックなどなど。

「野地板は合板でいいけど、広小舞は無垢板で」なぞと、えらそうなことを監督と棟梁に言っている…。

屋根のてっぺんにのぼると、逗子市街が一望できた。

年に一度くらい散策に訪れていた鎌倉を、今は横目でみやりながら、素通りしている。逗子は、温かそうだが、やはり海辺なので、風のぬけが良く、少し寒く感じる。

夜、吉田五十八と堀口捨巳の作品集を眺めながら、西洋とニッポンとの歩止まりについて考える。また、抹茶な建築と煎茶な建築について考える。

あからさまに、僕は煎茶な建築をやっているなと感じる。明治維新前夜の文士達の持っていた気風、頼山陽的なハイカラさ。

平安時代ではなく奈良時代  大和絵ではなく水墨画

座敷きを設計するときは、こういうことが頭を巡っている。少々、浅はかな知識がついてくると、それにしばられ、自由を邪魔をすることがある。乗り越えねばならない。
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  2004年12月13日(月) パンク
吉水さんやO編集長の日記でにわかに「パンク」のネタが舞っている。眠りながら、何かこう、すかした感じではない、ほっこりとしたパンクの話を書こうと考えた。

僕がパンクと出会ったのは、たぶん小学校高学年のとき、たぶんリアルタイムだと思う。ビートルズのレコードを買いに行っていた田舎のレコード屋のチラシ(フライヤー)で、ピストルズを発見したのが最初だった。もちろん、レコードは買ってない。僕がやられたのは、音や叫びではなくその“ファッション”であった。

当時はミュージックライフ(?かな)とかで、ベイシティー・ローラーズとかが舞っていて、音楽やメッセージよりも、そのビジュアルに子供達は釘付けだった。

さっそく、僕は親の裁縫箱から案全ピンをいくつか取出し、カバンや服につけて、たんぼの中、あぜ道を通り、靴に泥をつけて小学校に通った。

それが、僕の最初のパンクとので出会いである。

あいにく僕には吉水さんや、O編集長のように「悪そうな」友達がいなかったので(笑)誰かから指南を受けると言うことはなかった。

その後、ピストルズ以外のクラッシュ、ジャム、ポリス、XTCなど同時代のパンクと言うより、僕はニューウェーブという言い方がださくて好きなのだが、そんなものを聞くようになった。

しかし、その反面、中学校の時やっていたバンドでは「ピンクフロイド」とかやって、僕は、ハモンドオルガンの音にはまっていった。いわゆる、プログレである。

U.K.やYES キングクリムゾン、ELPなどをヘッドフォンで聞きながら、かたやニューウェーブも聞かねばならないといった忙しい日々を過ごした(笑)。

そのうち、神戸出てモッズの友達たちと知り合うようになると、自分がプログレを聞いているということをひた隠しにせねばならなかった。そう、本場イギリスでは階級が違うのである。プログレをやってる連中はホワイトカラーで、3時にティーとかするのであり、ブルーカラーからすればF・CKなのである。

僕は、ちゃんとしたモッズになろうと決心し、古いフー、やキンクス、スモールフェイセス、ストーンズなどを聞き、ちょっぴり黒い音楽もかじったりし、しっかりお勉強し、少々悪ぶって、自分が医者の息子であることを隠していた。

一通り聞くと、今度は1967-8年が気になりはじめた。そう、音楽的に僕がとっても好きな時代だ。おそらくサージェント・ペパーズの影響と思われるが、リズム&ブルース全盛であったロック界に疲労感がおとずれ、ドラッグの匂いがしはじめたころ、トラフィックなどが最高にかっこよかったころ、ピンクフロイドなどが、まだリズム&ブルースっぽいふりをしてデビューしたころ…。ビーチボーイズまでが、スタジオにこもってグッドバイブレーションなど秀逸な曲を生み出した時代。メロトロンの音は今でも好きだ。

そこを押さえていれば、後のハードロック、ヘビーメタル、プログレ、ELOなどのアメリカンポップス、フェイセスなどイギリス人のアメリカ化、アシッドジャズなどが全部みえてくる。もちろん、パンクも。

やばい、、、何を書いているんだ…、、、しかし、これだけ書いても、ジャズやカルチャークラブや長渕剛や甲斐バンドや赤いスイトピーの話が欠落してしまう、、、、、だから音楽の話なんか、、、書けないのだ、、、。
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  2004年12月12日(日) 距離感
午後、浅草へ打ち合わせ。いつもは上野から歩くのだが、今日は時間がないので銀座線で田原町へ。

上京した頃は、浅草、田原町、稲荷町、合羽橋、上野といった街が、それぞれ単独で存在していて、距離感がまったくつかめなかった。浅草橋で雷門を探したりしていた。

旅先でも同じだが、距離感がつかめないころは、案外、フットワークが軽く、ひょいひょいと日帰りで遠出したりできる。つまり、遠い近いは精神的な意味合いがかなり大きい。

行きたいところは近い。行きたくないところは遠い。

写真
旅館の一部屋で打合せをした。昭和の面影を色濃く残している。なんとも愛らしい菊を散りばめたすりガラス。現在ではなぜか「女性デザイナー」の専売になってしまったこのような愛らしい表現を、ついこの間、50年前は職人のオジサン達が、にこにこしてやっていたのだと思うと、その失ったものの大きさを感じずにはいられない。

唐突だが、日記好調のアーティスト吉水さんは(いやごめんなさい、、エッセイですね、、、)、その怪しい風貌に似合わず、結構「愛らしい」「ポップ」な表現を得意としている。通常なら諸先達のアーティストが「キッチュ」及び「商業主義」に陥ることを恐れ、「アカデミック」な表現に安穏(あんのん)としているところを、吉水さんはあざ笑うかのように、スイスイと自己の表現を繰り広げている。しかし、「村上隆」にはならない、というギリギリのところが、かっこいい。

ちなみに、関係ないが、パンクはポップの極みである。ポップとは天然ボケではない。とってもよく仕込まれた戦略的なもの、かつポリティカルなメッセージは一切そこにない。アンディー・パートリッジやアンディー・ウォ−ホールの名が浮かぶ。

Dont trust over 30 と叫んだポール・ウェラーも、もう40過ぎたおっさんである。つまり、自分自身すら信用していない生き方が、ポップなのだと思う。
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  2004年12月11日(土) 脂肪
何も書けない日々がつづいている。アクセスカウンターを確認し、「書かねば…」と思う。O編集長、和田さん、吉水さん、三松さんの日記を巡回し、「書かねば…」と思う。

赤裸裸度が低く、かつ文芸的でもない駄文の意味を考える。15年前の旅の日記を載せようかと思い、パラパラとめくるが、「人に読ませる」用にできていないその日記は、なんとも言えぬ感じで、読むものを拒絶する。

何か読もうと道元の「正法眼蔵」を買い、目を通す。その中の「夢中説夢」という言葉に惹かれ、何かをたぐりよせようとするが、こちらの都合を考えてかいてくれてはいないので、跳ね返される。

「夢中説夢」には「この世の時間と空間を超越して存在する悟りの世界とは何か」が記されている。

いまだに「阿修羅」の状態である僕にとっては、まず日々の整理くらいからはじめねばならないと知る。

エントロピーが増大し過ぎている事務所の整理をする。具体的には、酔って買って5分くらいしか読まなかった雑誌や、勝手に送られれくる機関誌のようなものを捨てる。たぶん、100kgくらいにはなっただろう。

事務所の体脂肪率を減らしたところで、自分のカラダについた醜い脂肪をわしづかみにし、腹筋をする。

写真
「たてもの園」の民家に入り込む一筋の光。
この一瞬のために、建築をやっていることだけはわかっている。
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  2004年12月8日(水) イソジン
昨晩はバンタンキャリアスクール新宿校の講師の方々が集合するというので、新宿にでかけた。酒を飲んでいる暇はないはずだが、かといって日頃世話になっている人々に不義理をしては明日はない。15才も年上の先輩講師達のお話をありがたく拝聴し、その目の奥底に自分の15年後の姿を探す。

朝、施主さんから「今日はイマジンの日です」とメールが入る。ラジオをつけると、イマジンが流れてきた。

午後、蕨に打ち合わせ。合成梁の「原寸」ではなく「実物」ができていたのでチェックする。ものすごい迫力だ。来週の上棟を、監督も大工さんも楽しみにしている。みなが楽しんでやっているので嬉しい。

事務所に戻って、イソジンでうがいをし、一日を〆た。
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  2004年12月7日(火) 灰色の鉄
午前、上野、台東区役所へ。意匠、構造、設備と打合せを図り、問題点をクリアにしていく。コンペ時に齟齬をきたしていた部分に、答えを与えていく。

写真はアイアングレイさんに製作してもらった鉄の引手。
工務店経由の鉄工所では、2回も作り直してもらったのに、結局できなかったシロモノ…。現場監督に「以心伝心はありません」と青天の霹靂な言葉までもらったシロモノ。

特殊な加工機械は使わず、熱して手で曲げる、という原始的なやりかたで製作してもらった。しかも失礼だと知りながら、価格も言い値でやっていただいた。今後も様々なパーツを鉄でやりたくなってきた。

方法論を手に入れると、これまで封印されていた創造力が天を舞う。

昨晩は近所の斎藤君を呼び出し、無理矢理「誕生日とクリスマスと忘年会」をしてやった。斎藤君からアイアングレイさんを紹介してもらったので、大いに礼を言った。
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  2004年12月5日(日) ふじさん
雨をともなう強い風、なまぬるい空気。現場が心配だったが、昨日上棟した「逗子の家」は、本日休みにもかかわらず、現場監督がチェックにいってくれたという。感謝。

天気は良いが、事務所にこもり図面を描く。こういう日は、外の天気を見ない方がいい(不健全きわまりない…)。
そのまま、夜。   水炊きを食って寝る。 最近キノコを「しめじ」から「エリンギ」にかえた。

久しぶりにホームページを更新しました。
「幡ヶ谷の家」は、まだ残工事があり、お施主さんに迷惑をかけているが、ワークスにアップさせていただきました。不思議な感じのする家ですので、是非御覧あれ。

プロジェクトに「浅草の旅館」「鵠沼の家」「久我山の家」「逗子の家」「蕨の家」模型アップしました。

相変わらずの「スタイルのなさ」にみなさん驚愕してください。

毎回すこしづつ、違ったテーマ(アイデア)を設定し、設計という作業に“慣れない”ようにしている。だからスタッフはマニュアルに飢え、苦るしみ逃げて行く。。。。

そして所長も苦しみ、施主にも心配をかける。。。。

しかし「コンセプト」はかわらない。不変だ。

そんな設計のプロセスが、写真と図面、施主のインタビューによって浮き彫りにされているのが「普請道楽のススメ」です。

是非御高読くださいませ。
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  2004年12月4日(土) 飯場
午前、コスト、スケジュールともに苦戦している「久我山の家」図面をまとめる。全てのプロジェクトは、苦戦、である。かならず道はひらけると信じ、作業する。

午後「逗子の家」上棟。不穏な天気との予報であったが、もちこたえ、暗闇がせまり、上棟し、乾杯をしたとたんに雨が落ちてきた。この時期の上棟は、寒くて寒くて…のはずだが、今日はなんとも“ぬくかった”。

大阪人の施主のお母さまも大阪からおみえになり、現場にカセットコンロをすえて、あたたかな関西風おでんをふるまっていただいた。

“飯場(はんば)”な感じが、なんとも好きだ。

巨大な模型が立上がったような感じのする上棟の日は、建築家冥利につきる。この日は、細かいチェックよりも、想像上の産物であった大きな空間の萌芽を、自分の中に吸い込み、反芻している、といった感じがつよい。

コスト面で苦戦をしながらも、答えを出してくれた工務店と、根気強くおつきあいいただいている施主に感謝。
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  2004年12月2日(木) いろり
午後、バンタンデザイン研究所中目黒校の授業だが、前回の「和の空間構成」の授業、皆よくがんばったので、本日は御褒美に教室を飛び出し「江戸・東京たてもの園」へ。

写真は、お風呂屋さん「子宝湯」で、湯舟の深さにおどろき、はしゃぐ学生たち。
学生曰く。「なんでこんなに深いんですか?」
講師曰く「知らん」

久しぶりに行った「たてもの園」は、冬至も近い足の長い西日に照らされていた。
とても安易だが、ここに来ると、自分のやっている建築の立ち位置=足元をしっかり感じることができる。

わらぶきの民家では、囲炉裏の炭に火が焚かれていた。平日の師走、訪れる人も少ないのに、その火の番をしているオジサンがいる。背中に大きく「ボランティア」とかかれているが、怪しい…(笑)。「ボランティア」という会社ではないのか…などなどの憶測が頭をよぎる。

しかし、これは「見せ物」ではない。わらぶき屋根の家は絶えず、年中炭を焚いていなければ、屋根の茅や葦がだめになってしまうのだ。要はメンテナンスのために、おじさんはおだやかな表情を浮かべ、背中に「ボ…」をしょい、炭の番をしているのだ。

民家の内部の木が黒いのは、別にオイルステインで塗っているわけではない。勝手に煤けてああいう色になるのだ。つまり、民家に住んでいた人もああいう色が「好み」なのではない。本当は暗くて汚くていやなのだ。どこまでいっても、ニッポン人には「白木信仰」がこころのどこかにある。

しかし、現在は「白木信仰」を模した「モダニズム=白」があらゆるところで消費されているので、その反動として「民家のあの煤けた感じ」が懐かしまれているのだと思う。

家を建てたい人は、是非行って下さい。冬と夏、両方行くことをおすすめします。

※高気密住宅における囲炉裏ごっこは禁止します。今はやりの集団自殺になってしまいますから…。
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  2004年12月1日(水) 12
アーティストの吉水浩さんが、日記をはじめた。「勝手に昭和40年会」のメンバーだ。もちろん、実体のない会である。ちなみにメンバーは吉水浩(アーティスト)、和田浩一(インテリアデザイナー)、滝澤俊之(建築家)、斎藤康(ガラス業者・ギャラリーオーナー)…あれ?もっといたような気がしたが、気のせいか…。あ、そうそう秋篠宮(宮家)、尾崎豊(歌手・故人)、といった人々もゲストとして迎え入れよう。

仕事と関係のない、たわいもないことを書こうとしたが、今は無理そうだ……。今年一杯は、仕事に埋没しよう…

昨晩、風呂上がりに「建築家ハンス・シャローン」の写真集を引っぱりだして、ボーっと眺めていた。そして、自分はまだ「建築が好きである」ということを、問いかけ、再確認した。

自動人形(オートマティカル・パペット)(プペ・オートマティーク)にならぬよう、気をつけねばならない。
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