OCM一級建築士事務所
 

2004年10月


  2004年10月31日(日) 残工事
朝9時より「幡ヶ谷の家」竣工検査、だが、まだできていない。残工事、修正の多さに施主さんも辟易している。申し訳ない。“申し訳ない”では済まないので、なんとかせねばならない……。「とにかく建てればいい」それは違うとわかっている。施主さんに対していらぬストレスを与えていることが問題。

午後「久我山の家」打ち合わせ。実施設計、本見積前の確認。少しずつコストは落ちているはず…。お風呂の大きさを大きくする等若干の修正を加えた。
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  2004年10月30日(土) 老眼鏡
午後より「某コンペ」。建築家3名による協議、いや競技。
守秘義務があるので、詳細は書けないが、所感程度。
デザインプランとも3者3様、法解釈、態度も3者3様…。これでは施主さんは大いに悩まれる、いや悩み方に苦労されると感じた。
当コンペは「建築家コンペ」であり「建築士コンペ」ではない。
建築士⊂建築家⊂人間 法律⊂道徳 と僕は考えているが、それは公の場で堂々と言えない事もある。法律のために建築があるわけでもなければ、人間があるわけでもない。

法の定める耐震基準守りました、地震で壊れました、その時国は補償するか?否である。防火設備、防火区画にしてもしかり。

某氏の案は「法を遵守している」と自信満々であったが、1階の共有スペースが避難経路として使われており、日常の落着きも無ければ、実質的な避難時の安全性も確保されていないと感じる。???である。

「まず何を建てたいのか?」もちろん全く非現実的な案では困るが、少しでも光が見えていれば、そちらをまず追うべきではないのか?基準法を越えた、税制、民法のあたりまで踏み込んで。

コンペが終わり、なんとも解せない気分で思い出横町の鳥園に立ち寄り熱燗を飲む。それでも晴れず、歌舞伎町のバッティングセンターでバットを振り回す。それでも晴れないので「やんばる」で沖縄そばを食し久米仙を飲んだ。

それでも晴れないので、大ガード横の眼鏡屋で生まれてはじめての老眼鏡を買って帰った。老眼鏡らしい老眼鏡に惹かれた。もう大島はそんな年なのだ……。
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  2004年10月27日(水) 開高健
「蕨の家」の工事契約のため朝から蕨に向う。いろいろ施主さんにも御苦労はあったが、無事契約。地鎮祭の日取り等も決定する。
「逗子の家」も契約はまだだが、地鎮祭の日取り等を決定し、現場が動き始める。
「幡ヶ谷の家」もう一息、、で竣工。
「久我山の家」実施設計真っ盛り、細部の調整を行う。
「鵠沼の家」様々な可能性を脳内に踊らせている。11月に入れば作業を開始する。
「某コンペ」のため、昨日、「幡ヶ谷の家」現場の帰りに原宿で「オリエンタルバザー」をのぞく。なんだか奇麗に改装されていて、以前のわい雑さが薄れている。各階を巡回し、脳をガイコクジンにし、コンペ、プレゼンテーションのイメージの確認を行う。

大島本第三弾『普請道楽のススメ』最終稿があがってくる。すばらしい出来。11月20日には書店に並ぶ予定ですので、こう御期待!テレビの「お宝探偵団」で、骨董マニアに通信簿をつけるというコーナーがあってその中で「旦那芸〜〜」というのがあった。「うっ…きてるきてる…」と思った。死語になりつつあった「旦那芸」という言葉がにわかにメディア上に踊るかもしれない。何か軽いシンクロニシティー(サル程度の共時性)を感じる。「サライ」とかに並んで「ニュー旦那」って雑誌も出るかもしれない。表紙はもちろん美空ひばりの息子。『普請道楽のススメ』にはその辺りの「旦那芸、旦那とは」といった事象にも深く切り込んでおりますので、詳しくは本文で!!

ショックな出来事。
JR恵比寿駅の構内放送、音楽がエビスビールの音楽にかわった…。例の「ちゃらららん〜」ってやつ。朝っぱらや昼間ッからあのメロディーが流れると、何ともカラダの力が抜ける…。

月刊『建築知識』のホームページに編集部員の日記みたいなものがあるが、山崎副編集長が最近書かれている「ローコスト」についてのコメントは、かなりするどい。やってる側からすればすべて「正解」。逆に第三者が状況をまとめてくれると、我々が日々たよっているコストの「勘」というものに間違いはないんだ、ということを確認でき、ホッとする。
※ ちなみに、木藤さん、清水さんの文章もおもしろい。ファンでずっと読んでいる。

一方のO編集長は、毎晩お酒ばっかり飲んでると思いきや、キャンプにでかけ川の流れで目覚めてる……う、、、、くやしい、何になりたいんだ!O編集長は!それで芥川賞でもとって大魚(おおもの)釣って抱えて笑えば、まるで開高健ではないか!!というささやかな嫉妬……。
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  2004年10月24日(日) 時事ネタ×建築ツウ
「しかし、他人事ではない。現在のニッポンでも地方では未だに状況は同じである。全国に無駄な道路がつくられていると批判を受けて久しいが、すべての道がローマに通じていたように、地方の過疎地の『ちゃんと税金ば払っとるのに、一体何に使われとるんじゃ〜〜』というおじいちゃんおばあちゃんがニッポン人であることを感じるのは道路なのである。ちゃんと『占領』してもらいたいと実は思っているのである。」
『建築ツウへの道』32.飯田橋で古代ローマ人を気取るp.78(エクスナレッジ)

新潟中越地震で、ずたずたになった道路と、鉄道をみて、上記の文章が頭をよぎった。たった100人の村のためにも、そこに人がいるかぎり、何億円もかけて道はつくられてきたのだ(もちろん道路族の肩をもっているわけではない)。

「しかし神戸は震災ドームをつくらなかった…。」
『建築ツウへの道』93.家庭内原爆ドームのススメp.212(エクスナレッジ)

新潟中越地震のこの瞬間、だれもそんなこと考えられない。僕も考えられない。人々は今、道路や鉄道を復興し、生活をたてなおし「何もなかったかのような」生活に戻り正月を迎える事、かつその忌わしき事態を忘却しトラウマにならぬよう努めることによってしか精神の健康も得られない。わかる、誰が、「あの道路の亀裂、段差を一部保存して…」などと今、口にできようか…。

でも、やらなければ、また同じ事が起る。
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  2004年10月23日(土) なべ
午後所用で『代官山 museum of share spirit』へ。ミラノコレクションを終えた片野光氏と久しぶりに話をする。あいかわらずスケールが大きかった。レニー・クラビッツが片野氏のしている指輪とベルトを欲しがるのであげた、とか。今回の出張でマイク・ジェイコブスやルイヴィトンファミリーと一緒にいた…とか。クローム・ハーツの人が『代官山 museum of share spirit』を訪れて、「これはショップじゃない!スピリットだ!」と言ってあわててパリに電話していたとか…。

『代官山 museum of share spirit』の情報は日本のメディアでなく、海外から逆輸入されるな、と感じた。

また、熱く次の普請への話を語っていただいた。「やっぱり、風呂だよ!大島さん、リビングが全部風呂で、お客さんもみんな裸で入るんだ!」

筋金入りの普請道楽者への一歩を進みはじめてるなと感じた、この人がやるといったら、絶対やるとも感じた…。

僕の頭の中にはブタペストのルダシュ温泉あたりが思い浮かんだ。

帰り道、片野氏が気に懸けている店を2件みて帰った。ソニア・パークのARTS&SCIENCECA4LAという帽子屋。シャンデリアがあったり、鉄錆びの表現があったりするが、うん、まだまだ『代官山 museum of share spirit』と比較するレベルではないなと感じた。

※野菜の値段が急騰している。レタス一個いくらか御存じだろうか?正解は500円です。白菜は1/4で200円。大根は高いのにまずくなってるので、当分買えない。

※きのうはLIFEでステンレス鍋を買った。¥1200円。安いなあ…。前の鍋は2段重ねで蒸し器もついていたが、今回はシンプルな鍋。
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  2004年10月20日(水) 23
「逗子の家」「蕨の家」ともに、見積調整が収束へ向う。どたばたしながらも、ものごとはゆっくりと良い方へ向っているようだ。

台風23号到来。午後、工務店の人とともに「梶ヶ谷の家」(築1.5年)ヘ向う。道路レベルより低い位置に1階土間があるため、集中豪雨の際、道路の側溝を越えて雨水が侵入してしまう。その部分の側溝には「穴」がなく雨水を全く処理できていない。道路側の改善が必要だが、当局と交渉せねばならない。

応急処置として、土嚢(どのう)を積んだ。(1ヶ450円)

もっとも設計的に50mmでも立上がり(段差)をつけておけば良かったのだが、“バリアフリー”という言葉が踊っていた当時、それは“タブー=へたな設計”という感がぬぐえなかった。わざわざ、“つまずいて下さい”という段差を、つくれたか否か…。今後の課題だ。

フィンランドから大久保慈さんが一時帰国してきたので、夜台風の中、M治大学T助教授、オースガ編集長、そして建築家の石黒由紀さんが歌舞伎町の「上海小吃」に集まり、帰国を祝う。

「建築ツウへの道」情報
 数少ない建築家友達の滝澤さん が自身のホームページで本について触れてくれている。感謝。ちなみに、滝澤さんは10月31日(日)のビフォー・アフターに出演されるらしい。楽しみだ。一体「〜の匠」になるんだろう…。僕の彼に対する印象は「精緻」である。
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  2004年10月18日(月) ビル
くらし安心「クラシアン」を呼んだらすぐに来た。「排水管つまり修理¥8000」「排水ホース防水パッキン¥6000」合計¥14.000-也、、、、、新しい鍋を買っておけば良かった、、、

昨日、どうしても確認したい事があって、夕暮れ時にヴェスパで日本橋三越の新館に行った。9階のカルチャーサロン、の茶室。

日本橋付近、ほとんど目的意識をもって来た事がないので、観光客気分で周辺をうろうろした。“江戸”の痕跡はまったくない。当然だ。明治維新でやられ、関東大震災でやられ、空襲でやられ、三度やられたらやむをえない。今の東京の威信ってなんだろう、、、と少し悲しくなる。やはり、人間とそれを収納するハコ(ビル)で要はOKが出ていると感じる。

昔は西新宿の高層ビルをみてその「はっきりとした意志(モチベーション)」に興奮したものだが、今、日本橋、大手町あたりのビル群をみると何の感慨もない。完全に行く末を見失っていると感ずる。

「ビル?」「うん、またビル」「ビルしかないでしょう、他に何建てる?」「いやべつに…」「じゃ、ビル建てとこ」
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  2004年10月17日(日) ポンペイ
アルミ鍋でおでんをやって、残りをまた食べようと思って、ことこと火にかけていたらそのまま忘れてしまった。どうなるか?。開けてみれば、真っ黒でポンペイ遺跡のようになっていた。シイタケが眠っているときにそのまま黒焦げに…といった感じ。
その鍋はあきらめようと、しばらくベランダにほったらかしておいたが、やはり復活させようと試みたが無理。なおかつ、巨大なコゲをシンクから流してしまったので、排水管がどうやら詰まった。鉄製のメジャーで1.2mくらいはこちょこちょやってみたが無理。「暮らし安心クラシアン」をこれから呼ぼうと思っている…。

写真は大根のカツラ剥き。文化的には「うすく」剥けた方が料理上手のイメージがあるが、大根はガバット厚めに剥いた方がうまい、と某懐石料理の料理人が言っていた。

デザイナーの松永路さんが重い腰をあげて、日記「三松日和」をはじめた。みんなで暖かく見守ってあげましょう。
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  2004年10月14日(木) Gジャン
昨日「本八幡の家」を訪れる。長雨で、ヒバ無垢材の外壁と扉が膨張し、競り合い、扉が開かなくなる。その補修。竣工当初も調整したが、まだ完治していない。冬の乾燥時は逆に隙間があく。応急処置はしたが、逆に木部の塗装方法を考えねばならない。発水系、浸透系…。施主には長雨になるたびに、要らぬ心配、苦労をおかけしている。
補修が終わったあと、居間でお茶をいただく(写真参照)。もちろん自分の設計の“せい”なのだが、そこに建て主さんのセンスの良さが加わって、なんとも暖かい空間になっていて居心地が良い。お子さんも誕生し、その登り垂木の天井をじっとみている。
決して高価な材ではないのだが、カリンの床がピカピカにオイルで磨き込まれており、感動した。

昨晩、高校時代の同級生K君と恵比寿で会う。事務所で少し話をしたあと「大吉」にてひや酒を飲みながら家について話し合う。土地を買い家をどうしようかと迷っているときに、赤い本「建てずに死ねるか!建築家住宅」を手にしたという。買おうと思って後ろをみたら「大島」だったからびっくりした。これも何かの縁だ。書いてある内容がK君にとってドンピシャだったらしく、つまり、PEN MEMO BRUTUS 湘南スタイルなどの本は全部カンドクしており、有象無象のケンチクカの誰に頼んでよいのやらと思っていたところだそうだ。プロデュース会社も検討したという。
一緒に飲みながら名前を決めよう、ということで「鵠沼の家」とした。

本日朝、9時、鎌倉駅。「逗子の家」施主さんとともに工務店にうかがう。現場を三件ほどみせていただき、仕事の質をみさせていただく。もちろん他の設計者の現場で、たまたまその建築家の人に現場ではち合わせになった。その方はどこからみても建築家といった感じで黒いスーツに白いシャツでノータイ、ピシッと背筋が伸びてステキ。ああ、やっぱ建築家はこうなんだな、僕みたいにGジャンでGパンで職人さんと間違えられるってことはどうなのか?、と、少し反省?させられた。
「逗子の家」あと何十万円の最後の見積調整、もうひとふんばり。
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  2004年10月10日(日) 検分・編集長、そして富士見税
朝、三鷹台の建て売り住宅へ。中高の同級生のS君が家を買ったので、その“検分”に参じた。夏頃、同じく同級生のA君の家を検分したことをきっかけに、A君が「おまえもみてもらえ」とS君に指南したらしい。

家を建てる人も、買う人もみな不安に包まれている。もちろん概ね、メディアが扇動していること(もちろん実際の現場で設計・施工側の過失により発生させてしまう事もあるが…)。そして僕に仕事が発生する。報酬もいただき、ありがたいことだが、なんとも居心地が悪い。まあ、「建売検分」は同級生や身内にかぎってやっていることなので、それで人々の不安が拭えるならば、生きている価値があるとするか…。

しかし、人を不安がらせる事はしたくないが「100%大丈夫です」ということも絶対に言えない。検分させてもらっても、何とも歯切れの悪い回答しかいつもだせない。

帰ってテレビをつけると、4tトラックが宙を舞い、伊豆半島の住宅の屋根が飛んでいた。シュールな光景だが、それが現実だ。「じゃあおまえは諦めて設計してるのか」そうではない。「自然をねじ伏せてやろう」と思う気持ちが人類の営みではあるし、これからもやっていくだろうが、一度として人間は自然をねじ伏せたためしはない、まぎれもない事実を認識することが必要だということだ。

近頃、O編集長の日記の“論調”が、冴え渡っている。気候のせいか。堅気の建築系の雑誌におわしまするのはもったいないような気もする。たぶん、本人も薄々気付いてはいるだろう。

この一週間ほどで、3度富士山をみた。もちろん、大雨と晴天が繰り返されているからだが、もしかしたら確実に東京の空気はきれいになってきているかもしれないと思わされる。東京(江戸)の価値はやはり富士山にあり、と思う。富士山がみえたら、なんだかラッキーな気分になるし、ありがたや…と頭がさがる。また、富士山のみえる屋上付きの家を設計したときは、少し自慢げだ。そのうち固定資産税で「富士見税」なんてものが課されるかもしれないので、いまのうちにとっぷりと見ておきましょう。「富士見税」…いいな、古典落語のネタになりそうだ…。
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  2004年10月9日(土) 不安と欲望
午後、某工務店との接見のため鎌倉へ。台風22号を迎え撃つように、電車に乗る。工務店は、鎌倉ではそこそこ歴史のある工務店で、社長さんにも東京とは違う「鎌倉気質」を感じた、かつ気負いがない。そういうものと接すると、りんと身が引き締まる。流行や情報に流されない、信念が感じられる瞬間が、最近は少なくなってる。最新の技術や、工法、法規、流通に詳しい人からありがたく情報をいただいたときとは全く違う何かがある。

2.3年で消費される情報か、遺伝子の中に組込まれてもいい情報か
頭皮レベルで処理できる情報か、脳の中枢まで入り込む情報か

昔からそうだが「消費、経済、政治、広告、メディア」の基本は「不安と欲望を煽る事」である(誰でも知ってること、ビジネスのポイントである)。不安を煽れば、モノが売れる。不安を煽れば、それを解消するための職業が増える。欲望をかきたて、必要のないものを買う。壊れるまで乗る車がなくなったように、壊れるまで使う携帯電話がはじめからないように、使えるのに使えないようにOSを買えてコンピューターを売ったり。

まあ、いいではないか、そういうゲームなのだから。田舎生活をしても、そのシステムからは逃れられない。逃れるには旅人になるしかない。定住してはならない。止まってはならない。動きつづけねばならない。MOVING OUT。
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  2004年10月8日(金) スタイル
一日中雨、一日中図面を描く。

昨日の“備忘”は決して、“忙しい”ことの表現ではありません。フツーの建築家のある日の脳味噌を備忘してみたくなっただけです。

忙しい設計事務所とは年間10件〜20件も設計している事務所のこと。おそらく、建て主さんの名前すら覚えるのが困難に違いないと思われます。

OCMは年間4〜5件と決めています。季節に一度新しい施主さんと契約できればいいと考えています。

かつ、徹夜はしない。毎日8時間寝る。毎晩、いろんなことを考えながら、その日の反省、明日の行動を考えながら晩酌し、本を読む(テレビもみる)。

それを年間通じて守っております。

忙しいと言いながら、夜遅くまで仕事して、だいたい昼ぐらいから出社して仕事をしていることの多いクリエイティブな世界の人々とは違います。

※ 毎日文体(スタイル)がかわり、困惑されるブックマーカーの皆様。OCMの建築のように、スタイルとは変わるためにあるのではないでしょうか?

※もう一つは、人の日記はおもしろくても、だいたい半年くらいで、あきる。これは僕も実感しているので、これが業務報告書でなく、エンターテーメント&建築ヴァラエティーサイトであるかぎり、スタイルは変転させていきます。
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  2004年10月7日(木) 備忘
「酔余漫筆」をはじめて、一年が経とうとしている。この「赤裸裸度の低い」日記、日誌は果たして“有効”なのだろうか。“有効”とは何に対してか?無意味の反対語くらいのニュアンスか?

まあ、気負わなくても“備忘録”でいいではないか。何度も言っているが「酔余漫筆」といいつつ「飲んだら」書かないし「飲んだ事も」あまり書かなくなっている。別に僕にとって特別なことではないからだろう。飲酒は“備忘”しておくほどのことでもない無時間的行為。

某氏から「穂高で別荘の設計・監理」の仕事しないかとの打診有り、中高のなつかしい同級生から「建て売り買った、検診して頂戴」との依頼有り、高校の同級生から「土地買った、どうしよう…」と相談有り、コンペのスケッチをしつつ、普請道楽のキャプション等作成し、旦那からの指摘事項に礼のメールを返事し「蕨の家」「逗子の家」の見積り調整及び地盤調査の結果をにらむ、かたや杭が必要で、かたや岩盤の上に建つ、ひきこもごもを調整し、各工務店に「住宅完成保証」「住宅性能保証」についてのヒアリングをし、「久我山の家」の床材、塗装、合板などの調整を図り、プロトハウスからありがたく依頼された本への図面を作成、送付し、「幡ヶ谷の家」現場の最終調整に現場と施主の間の連絡を密に図り、「蕨の家」の確認申請が上がったので確認し、新規工務店への面会の日時を調整しつつ、午後バンタンデザイン研究所中目黒校へ出講し、学生と小さな小屋の軸組と小屋組の模型づくりにはげんだ。

備忘を録した。
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  2004年10月5日(火) ライター・アーキテクト
午前、京王相模原線「多摩境」へ所用で参じる。午後「幡ヶ谷の家」現場打ち合わせ。ついこの間まで汗まみれになっていた現場が、涼しい空気につつまれており、家が違って感じる。

先日記した森川嘉一郎氏の論文に「ライター・アーキテクト・スタイル」という論文があった。

こう、なんというか、何気なく考えていたことが、こうも完璧に言語化されると誠に恐れ入る。さすが“学者”だなと思った。やっぱり論文はかけないな、と痛感させられた。

柳田國男の「明治大正史 世相篇」(講談社学術文庫)を買ってぱらぱら読んでいるが、とてもおもしろい。「家と住み心地」「酒」…などなど古くて新鮮な話が満載。「家づくり」をされる方、もしくは「俺はなんで酒を飲んでいるのか…」とお悩みのあなたにはうってつけの一冊である。その両方であればさらによし。
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  2004年10月4日(月) 餃子
午後、新しい施主候補の若い御夫妻来所。「一之江の家」と名付ける。プロトハウスからの紹介で、まだ建築家を選定中の段階だという。話は大いに盛り上がるが、設計着手はまだ先きの話。建築家の選考にじっくりと時間をかけてください、といって別れる。再度連絡いただけることを楽しみに待っている。

夕刻、雨の中広尾まで散歩する。青山ブックセンター広尾店はいわゆる“居抜き”で別の書店にかわっていた。

明治通り沿いに「大阪王将」ができたので行ってみるが、オープンしたてのチェーン店ならではの全てにおける寒々さに、辟易とする。安いのでどんどん頼むと、結局高かった。レジでは日本人でない人が注文書をみながら字が読めず「ナニタベマシタカ?」と客に聞く。ちょっと悲しい気分で帰途につく。商品化、マニュアル化された関西文化、骨抜き、魂抜き。〜〜〜〜残念!。

先日テレビをみてたら(視点・論点)森川嘉一郎という建築学者が出ていた。その風貌と“建築学者”という肩書きがおもしろかったのでネットで調べると、どうやら石山スクールらしい。研究内容も“キッチュ”“オタク”“秋葉原”“ゴミ”と食指がうごくものばかりだった。

でも僕はオタクの研究はできないな、と思った。

柳田国男は自身の民俗学の研究を「文字には録されず、ただ多数人の気持ちや挙動の中に、しかもほとんど無意識に含まれているもの」の研究とよんでいる。

当然「建築ツウ」的な建築の研究も民俗学・考現学的様相を帯びざるをえない。
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  2004年10月3日(日) 版画
午前中、とうとう体が動かなくなり、カッコントウを飲みしばし静養。午後、何ごともなかったかのように「久我山の家」打ち合わせ。実施設計中盤の各部詳細の打合せ。夕方終わり、茫茫とした体をそのままヴェスパに載せ、南青山へ向う。

ギャラリー「ときの忘れもの」にて石山修武の銅版画展をみる。

ネット上でみたときよりなぜか実物の感動が少なかった。原因を考えると「ギャラリーが雑然としていて作品と個人が対峙できる空間になっていなかったこと」と「もっと巨大な作品で、その中にのみ込まれることを願っていたのに、小作品であったこと」だと思う。

要は安直にもう少しパワーをもらいたかったのだが、そんな安易な企みはみごとに石山自身によって跳ね返された、ということだ。「そんなもん、やるか!わしだって現役なんじゃ」という声が聞こえてきそうだ。

一時期石山修武は「秋葉原感覚…」とか「物産屋…」みたいなことをやっている時期があって、「あっもうこの人“あがり”かな…」と思っていたが、最近そうでもないことを感じさせられる。

結局は「自分を掘り下げるしかない」という二十歳の青年が考えそうなしごくまっとうなテーゼに“輪廻”している。

僕は石山さんがいたら渡そうと思っていた『建築ツウへの道』をかばんにしまい、ギャラリーを後にした。

六本木、麻布十番、古川橋あたりを夢遊し、帰ってから『遊』の松岡正剛と稲垣タルホの対談を読んで寝た。タルホは自身のことを「二十歳で終わった、あとは輪廻してるだけ、僕は人間ではないのだ」と言う…。
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  2004年10月1日(金) ガラス張りのゴミ箱
打合せで蕨へ。途中アカバネ駅で乗り換えるときに、新しいゴミ箱を発見した。我々「建築ツウ」としては、グググッと食いついた。

ゴミ箱と建築の進化論。お互いはやはり似ている。

そのうちテロリストや前科者の家は、ガラス張りが義務づけられるようになる、というこが、このゴミ箱をみていればわかる。

子供にも発信機が取り付けられるような時代だ。

人間が“透明な存在”になりつつあるように、社会も建築も透明化していく。その果てはいかに…。
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