OCM一級建築士事務所
 

2004年09月


  2004年9月30日(木) 犬小屋から超高層ビルまで
2004.9.27(月)バンタンキャリアスクール新宿校「商空間プロジェクト」の合同合評会がNSビルにて開催。80人の中から選抜された8人による競い合い。我がCクラスから最優秀賞が出た。感無量。

2004.9.28(火) 午後「幡ヶ谷の家」現場打ち合わせ。
夜、『普請道楽のススメ』打ち合わせ。あがってきた写真に感動する。その後W氏と久しぶりに話しこむ。

2004.9.29(水)夕方より強い雨。「幡ヶ谷の家」台風対策、万全を期しているが、自然相手なのでやはり不安、20:00頃、晩酌の酒が手につかず、カッパをきて雨の中スクーターで現場に向う。問題なし。誰もいない夜の工事現場でいろいろ考える。暗い露地に大きなヒキガエルがぴょんぴょん跳ねていた。もののけを感じた。

2004.9.30(木)朝からメール電話で8.9人の人々とのやりとり。連絡、対応だけで午前が過ぎる。午後バンタンデザイン研究所中目黒、「和の空間構成」と題した授業の3回目。和(ニッポン)を題材にしながら、自由に四畳半程度の庵、小屋、茶室、を設計するというもの。インテリア的には細部まで緻密に、家具のように好き放題設計し、小屋組的には建築の構成原理を求めるといった主旨。
9坪ハウスからさらに小さな極小空間。

より小さなものを、濃く設計したいという建築家の想いが、授業にも反映されている。

「犬小屋から超高層ビルまで」

OCMをはじめたとき、自分に言い聞かせた言葉だ。
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  2004年9月26日(日) “言の葉”
午前、都内某所、某プロジェクト打ち合わせ。真のバックパッカーとお話をし、自分がバックパッカーであると自負していることを、もう一度問いただした。

バックパッカーと建築。この相反するもの。しかし、よく使われるフレーズ、建築と旅。それはきっと「にじみ出る」ものであって、自分ではわからない。体内に血が流れていることを感じないように、バックパッキング汁も僕の体内を流れていることを、切に願う。

外国人からみた日本、というとっておきのテーマと、しばらくは戯れよう。

午後「逗子の家」打ち合わせ。本見積があがりはじめており、まずまずの結果にホッと肩をなでおろす。緊張感のある毎日だが、結果が出るとまた元気が出る。あとは、設計の微調整と工務店と施主との相性を調整していく。

施主の奥さんが「もう、考える事、検討する事ないのね、残念だわ」とおっしゃった。建築家と家をつくるというとてもめんどくさい作業を“苦しみながらも”楽しんでいただいていたと思うととても嬉しい。

ちょっとした“言の葉”が、僕を前へ動かす。
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  2004年9月23日(木) 古本日和
秋分の日。朝から図面をかく。涼しくて気持ちよい。外に出たいが、我慢。夕方になると曇ってきたので、やばい、と、ヴェスパにのって浅草へ、ちょいと用事。

靖国通り、江戸通り、浅草通りと。帰りはカッパ橋、上野、御徒町、秋葉原、お茶の水…。様々な誘惑の多い街を通り抜けながら、しかし払い除けられず、お茶の水の明倫館にヘルメットを被ったまま立ち寄る。「中には入らない」と決め、外にほったらかしてある、激安コーナーを漁る。

」No.7 1973年(工作舎)
「ARCHITECTS WORKING DETAILS」1954年 洋書
「近代の見なおし“ポストモダンの建築1960-86”」図録1986年国立近代美術館
成巽閣」図録

の4册を手に入れる。合計¥1.200-也

バイクが一番気持ちの良い季節である。
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  2004年9月22日(水) 異端児
今日の『建築ツウへの道』情報
『PEN』(阪急コミュニケーションズ)10/1号に書評をしていただいております。感謝。「カワゴエアキコ」という人の文章がすごい。「建築界に旋風を巻き起こすか!?異端児・大島が吠える。」
異端児と言われたり、ゲリラ的と言われたり、とてもうれしい。しかし、たぶん僕とおつきあいしているお施主さんは僕の事を異端だとかゲリラだとは思ってないはず、どちらかというと“地味ですね〜”だ…。

今日髪を切りに行ったら「なんだか暑苦しいねぇ〜」と美容師のキモトさんに言われた。「何が?」「いや何がってわけじゃないんだけど、何となくさ…」これはあんまりうれしくなかった。

先日「幡ヶ谷の家」施主さんに現場で図面と違っているところを指摘されて、まったく“どこに目をつけているのだ!”“節穴か!”と自身をせめる。そんな異端児やゲリラならいらない…、暑苦しい、しつこい、ねちっこいくらいの監理をせなばならない…。

※ 写真はの珪藻土左官塗り材の壁。やぶ原のケイソーライム(色番号#002)を細かい刷毛引きで塗っている。まだ乾いていないので、少しテかッている。

素敵だ…。
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  2004年9月19日(日) 特集「プロ野球が建築家形成に与えた影響」
小学校の時、すでに大リーグ(こう呼んでいた)の上の句(都市名)を聞けば下の句(チーム名)が全部言えた。たしか26球団だった。

部屋中、阪神の選手のポスターが貼ってあった。

緑とオレンジ色の「大洋ホエールズ」の帽子をかぶって、ねまきも着ていた。

「日本ハムファイターズ」の子供会に入っていた。

「南海ホークス」の二塁手、桜井選手にサインをもらった。

「ボルチモア・オリオールズ」の運動靴を履いていた。

「ヤンキース」と「アスレチックス」のヘルメットを持っていた。

中学生になっても「阪神タイガース」の黄色いスポーツバックを持っていた。

傘はいつも黄色だった。

家庭科の授業で「枕カバー」に「31」と刺繍した。成績は3だった。

「ピート・ローズ」と「リッキー・ヘンダーソン」が好きだった。

掛布の引退試合に行った。

オトナになってフリーマーケットで「プロ野球カード」のアルバム5册が5千円で売れた。そのときは嬉しかったが、あとで魂を売ってしまったような気がした…。

古田と同い年だ…。

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フィンランドの大久保慈さんの記事です。建築家のアアルトとも当然フィンランドの土着的な建物からインスピレーションを得ている。「インターナショナル&ヴァナキュラー」という言葉は、いい建築の条件であると思う。

アーキアンドデコールというエイ出版の雑誌に『建築ツウへの道』が紹介されていました、という加藤純氏からの情報。
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  2004年9月18日(土) 休息してました…
昼、某敷地を見に行く。建物をイメージしたりスケッチしたり。有栖川公園で、かもをみながら、カスクートとフォカッチャとクロワッサンを食べる。

仕事は山積みだが、今日は休息“させていただく”。

 司馬本によると、“させていただく”とは、標準語ではない、関西の言葉、しかも真言宗、親鸞系の他力本願という考え方に基づく言葉であるという。

 最も他力本願的な「建築」という職を生業としていると、休息一つも“させていただく”という表現になってしまう…。

晩、インテリアデザイナーの和田浩一氏と久しぶりに飲もうと言っていたのに、彼は忘れていて(笑)、すでに学生たちと中目黒の「藩」で飲んでいたので、無理矢理おじゃまさせていただく。

休日は終わり。明日からまた図面を描く。
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  2004年9月17日(金) 地味
朝からバンタン・キャリアスクール新宿校。来週の合評会に向けて、学生は鼻息が荒くなってきている。

夕方事務所に戻り、何本か電話をする。めずらしく、恵比寿の実業家T氏から連絡が入っていた。ずいぶんと御無沙汰をしているので、お会いしに行った。いろいろ仕事に繋がるかもしれないような情報をいただき、恐縮している。カフェ、マンション、住宅…。

「オー島君はいいものつくるんだけど、ちょっと地味だからな〜」と何度も言われた(笑)。

おいしいお料理と焼酎をしこたまいただいた。
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  2004年9月15日(水) radio
昔、古道具屋で買った柿色のラジオをだして、渋谷FMにチューニングすると、ベッドの頭のところの上でしか、受信できなかった。ので、ビニールテープでしばりつけた。

 渋谷FMは不思議なラジオ局で、ノリノリのクラブ系DJが放送禁止用語をばんばん言ってるかと思えば、保健所や税務署からの淡々とした告知が入ったりして、けっこうシュールである。

 たぶん2000年頃、よく聞いていたが、朝の8時台はえんえんと音楽が流れてるだけ。それが、なぜか毎日同じ曲で、かつ、4年前とほとんど同じ。著作権の問題だと思うが、著作権フリーの曲とかをかけているのだろうか…。しかし、みないい曲なので、それを聞くと少なくとも「ジョン・カビラな朝」からは解き放たれる。

外がなんだか爽やかなことになっている。湿度も50%を切っている。来週は祝日が2日もあることを昨日知った。地味にうれしい。

※柿色のラジオのひもには、笛がついている。
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  2004年9月14日(火) 切り張り
テレビで大江健三郎が小説を書き終えるときに、切り張りみたいに小さな紙をのりで貼っているのをみて、昔は大変だったのだな〜と思った。コンピューターで文章を書く事があたりまえになっているので、先達の苦労を思うと頭が下がる。

設計も同じだが、それで「設計をする人」「文章を書く人」の「間口」は広がったものの、その質はと問われれば、正直「荒れている」としかいいようがない。もちろん自戒の念をこめて…。

文豪の記念館などに展示してある「最終原稿と万年筆とめがね」はやがて「Macと携帯電話とコンタクトレンズ」にかわる。    シュールな光景だ。
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  2004年9月13日(月) 旅館
朝9時「幡ヶ谷の家」の浴槽の設置高さに問題があり、現場へ。
午前「逗子の家」図面をまとめて本見積のため祈るように発送。

午後『普請道楽のススメ』文章に最終的な決着をつけるべく、インタビューと格闘。施主の熱い語りに、どれだけ僕が食い込めるかが肝要。

午後、コンペの依頼が来た。浅草に住居兼「小旅館」。
「来たな!」と思った。
たぶん、人生には(人生を語りはじめた…オッサン)何度か「来たな!」という瞬間がある。なければ生きててもつまらないだろう。しかし「来たな!」というには、それなりの準備と「言いふらし」がなければならない。
「お寺、教会」もそうだが「旅館」も、少しどこかで「言いふらし」ていたと思う。それが通じた。

かつ「世界中から訪れるバックパッカーのための無国籍な浅草の旅館」。申し分ない。

雨が降ったり、鎗が降ったりする毎日、日記へのモチベーションが落ちる日もあるが、今日もアクセスカウンターは100件を超えていた。読む人がいるかぎり、書こうとは思うが、基本的に、「酔余漫筆」は「設計・監理業務報告書」ではありませんので、あくまでも「エンターテーメント」として読んで下さい、という再度のお願い。

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  2004年9月12日(日) 100
朝9時、仕事開始。ひたすら図面を描く。午後、天気があまりにも良いので、どうしても外へ出たくなり、ヴェスパにのって新宿のOZONEへ向う。「100人の建築家による100の住宅デザイン展」に「小岩の家」を出品しているので、その確認に。

荒木さんや、駒田さん、高安さんらも出品されており、他の建築家の作品を一堂にみることができて、少々の刺激になった。

夕方もどり、また図面を描く。21:00まで仕事をして、おでんを食べて寝た。
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  2004年9月11日(土) 三界
激しい一週間が終わり、本日はやるべきことの多さに茫然自失として、三界をさまよう。

しかし、涼しいので、寝転がって、“廃仏毀釈のとき、藤原氏系の興福寺がいかにだらしがなかったか”“現在鹿が闊歩する奈良公園は興福寺のだらしなさゆえ存在する”といった話を読み耽る。

スフェラ・アーカイブから、注文していた最新のドイツのコンペ雑誌が届いた。まず、毎月雑誌が成立するだけの数のコンペが行われているということに驚き、そのプレゼンテーションの質の高さ、あるいは均質化にも驚いた。また、自分がまったくドイツ語が読めない事を再確認した。

夕方、これではいけない、と、広尾、西麻布、南青山と大股で“ウォーキング”してきて、風呂に入り、日がくれてから仕事を開始する。

写真は、昨晩スタッフの誕生日に祝いにかけつけたアキラ君が、なぜかジグゾーパズルに夢中になっているところ。そのあとカチャトラでパンチェッタや松の実を肴に赤ワインを飲んだ。
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  2004年9月9日(木) 日記
午後、バンタンデザイン研究所中目黒。長い夏休みが終わって、バック・ツー・キャンパス。夏休みの宿題で“デザイン絵日記”を課していたので、その発表。写真+文章を一週間分、つまりこの酔余漫筆みたいなことをやんなさい、と。

思ったより、みな生き生きと発表していた。

中にはすごく文書の達者な人もいて、すぐに“ARNE”とかで、連載がもてそうな人もいた。   やってみるもんだ、人の才能は奥深い…、それを引出すのが講師の仕事。

今日の『建築ツウへの道』情報
クラスカに“長期滞在”されている加藤純さんは、実は『建築ツウへの道』の編集を手伝っていただいてたんだ。そうだ、そうだ。その加藤さんのサイトをみつけた。さらりと『建築ツウへの道』を宣伝してくれている。御礼。 ウェブ自体のデザインも秀逸、かっこいい。
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  2004年9月8日(水) 宙
告示
「建築ツウ」ネタ×時事ネタ。ダブルネームなら、時事ネタもOKとする。

広島、宮島の厳島神社が崩壊した。『建築ツウへの道』第66話“「宮島」にみる「奇景」の系譜”に書いていることが、そのまま起こってしまった。

テレビを見ていて、単純な悲しみだけでなく、永い歴史の“中空”に自分がいるような気がした。ここ1000年、何度となく人はこの光景をマのあたりにしてきた、全く同じ光景を。

11:00から次回作の『普請道楽のススメ』の最後の撮影が「広尾の家」で行われた。施主さんは「一日一時間ピアノ、15分尺八の練習をしなきゃ、腕が落ちるんだ」と言い、ずっとピアノを弾いておられた。サティ、ドビッシュー、ベートベン、モーツアルト…。

もう、OCMの建築との戦い方をすっかり知り尽くした写真家のW氏君は、小気味良く身をこなし、ハッセル、ペンタ、イオスキッスを巧みに使い分け、石膏ボードむき出しの空間にシャッター音を響かせたていた。
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  2004年9月7日(火) スコール
午前「蕨の家」図面をまとめて、本見積に送付する。

午後「幡ヶ谷の家」現場。ヴェスパのテールランプがぶっこわれたので、東京ヴェスパに部品を買いに行って修理、さあ、いざ幡ヶ谷へ、と思ったら突然のスコール。あわてて電車で行く事にした。そのスコールは電車に乗っている途中でやみ、“自然の猛威”に振り回されている僕をあざ笑うかのようなピーカンに変転する。
代々木上原に着いた時はすでに汗だく。

雨水侵入の処置について工務店と確認しあい、施主さんとも話をする。

夕方帰宅。「久我山の家」パース。所員はよくがんばってくれているが、どうしても“着彩”が納得できなかったので、自分で描き直す。「陰影が〜」「こうなんと言うか…ぐっと来る感じで‥」

人にものを教わってなく、ほとんど自己流なので、人に伝えることは難しく、なかなかうまくいかない。

ソニック・ユースの「Sunday」が心地よい。
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  2004年9月6日(月) なら
昨日は“日曜日”という意識がなかったので、当然今日も月曜日という意識が薄い。ひがないちにち図面を描いていると、ますます曜日の感覚が薄くなる。

“奈良へ行きたい”と思い、『るるぶ』と『街道をゆく24 近江散歩、奈良散歩』を買い、地図を横に広げて“インテリア”にしながら図面を描く。

奈良ってどうやっていくんだっけ…と原始的な事を思索。地図をみて、“たんぼ”が多いなあ、田舎だなあ、とあらためて感じる。

※ 写真は「幡ヶ谷の家」の浴室の丸いガラスブロックを入れる“あな”。暗さと明るさの対比。光を楽しみたければ、全体を暗くするという矛盾が楽しい。

※ 「酔余漫筆」における鬼門ネタ。
「疲れたネタ」「忙しいネタ」「時事ネタ」
…今日は、この鬼門ネタに触れないようにするのに、かなり気力がいった…。
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  2004年9月5日(日) ミス
朝6:30起床。7:00から仕事をはじめる。

10:40「幡ヶ谷の家」の現場で休日を使って施主さんが自主塗装をされるので、様子をみにいく。楽しい気分で行ったが、昨晩の集中豪雨で、半地下に雨水が侵入したことを知らされる。近所の人の助けを受けて、なんとか水はかい出したと聞かされせる。

すでに水は乾いていたが、すぐに現場監督に電話をするがつながらない。営業のS氏に電話し繋がる。状況を説明し早急に対応する事を求める、雨はまだ降っている。もう一度豪雨が来れば同じ事を繰り返す。

S氏はすぐにかけつけ、現場の状況を把握。電話をかけ手配をする。

処置の状況を見届けぬまま、14:00「逗子の家」打合せに荻窪に向う。夕方終了し、17:30、もう一度「幡ヶ谷の家」現場に向う。処置は済み、施主さんも塗装を終えられていた。

原因。工事途中なので、まだ横樋がなかったこと。片流れの屋根の雨水はすべてバルコニーへ流れ、縦樋のないドレーンから地面に流れ、それがまだ立ち上がりの不十分であった玄関から地下に流れ込んだ。100mm/時間×25・(屋根)=2500リットル…という計算をしてぞっとした。

周りの雨水が流れ込んだのではなく、自分の屋根の雨水が流れ込んでしまったことがショックである。

立ち上がりの低さについては現場監督に処置をするようにもとめていたが、されていなければもちろん僕の指示不徹底の責がある。

今年は雨が少なかったので、その危機感、配慮にかけていた。反省。自然をなめてはいけない。
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  2004年9月4日(土) メーター
午前中、「久我山の家」概算見積りがあがってきたので、施主への説明用の書類作成。約2割の予算オーバー。実施設計において、よりシビアな設計をすることによって、コストダウンを図って行こうと考えている。午後、高井戸へ打合せに向い、施主にその旨を伝える。ここから先きは「リアリズム」。タクシーのようにコストのメーターをつけて設計できればと思う。(自分の内部には、体内コストメーターは内蔵されているのだが…)。

夕方から、激しい雨と雷雨。

早く寝て、早く起きようと毎日思っている。明日は「逗子の家」打ち合わせ。
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  2004年9月2日(木)
晩、バンタンキャリアスクールの卒業生が遊びに来る。F川君とT築さん。就職が決まったり、決まらなかったり、ひきこもごも。

「建築ツウ」のT築さんは、『建築ツウへの道』の中で第86話「深夜バス的脳内鑑賞」を何度も読みかえしてしまった、と言っていた。奇特なやつだ。「哲学的ですね」って言ってくれた。ふつう、そこは、『建築ツウへの道』の中では絶妙に配置された鬼門で(書物の中に風水が存在している…)読み飛ばすべきところ、もしくは著者のナルシスティックなところに激しく罵声をあびせかけやすいようにうまくできている。

講師は「じゃあ見せたる」といっておもむろに何冊もの小さな手帳を取出した。15才から書き続けられたケンチクカの日記だ。二人ともその内容に(内容のなさに)笑い転げていた。関西人特有の自虐ギャグである。

電脳日記隆盛の昨今、単なるブームでこれを書いているのではない。僕にとっては15才のときからやってること。つまり日記歴24年になる。

恐ろしい話だ…。

彼らではなく、彼らのまわり、一般的に言って、みな若者は「何がやりたいのかわかんないんですよ」と言う。(実は、いや当然か…)僕はそんなこと一度も思った事ないので、気の効いた言葉の一つもかけてあげられない。

みな、何故か行動しない。「〜やりたんですよ〜」「やればいいじゃん」…その一言につきる。

僕が20代の時は孤独で、かつ忙しかった。プロ野球選手(笑)、ロックミュージシャン、バイクのレーサー、バイクのカスタム屋、ウィンドサーファー、画家、グラフィックデザイナー、小説家、写真家…やりたいことが多すぎて、一つ一つをつぶすのに時間がかっかった。まあ、ようやく29才くらいで全部潰せて、そろそろまじめに建築をやろうと、独立した。

まあ、若い人も読んでいるので、たまにはこういう文章(オレはな〜〜〜)、お許しくださいまし。

今日の『建築ツウへの道』情報
個人のサイトでおもしろい批評をしてくれています。
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  2004年9月1日(水) 撮影
午後13:00、執筆中の著書「普請道楽のススメ」の撮影で「Share Spirit代官山」へ。施主の片野氏は、お店が休みにもかかわらず9月末のミラノでの展示会のため働いている。素材をバリに送り、手を入れさせて、また日本に送り返し、それをミラノの展示会へ…。

毎日ドメスティックな仕事をしている僕にとっては気の遠くなる話、頭が下がる。

写真家のW氏氏はまたまた脱水症状をおこしながらも、フットワークよく撮りまくっていた。自然に感じるが、彼のテンポというのはやはり一級品だと思う。かつ、独善的に振る舞わず、周りへの配慮も忘れない。見ていて気持ちがいい。

先週、彼は富士の樹海に分け入って撮影してきたという。樹海も、建築も、SMも彼にとっては同等、そこにヒエラルキーはない。そんな写真を僕は彼に期待している。フツーの建築写真家に頼まなかったわけはそこにある。

写真が出来上がるのが楽しみだ。

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今日の『建築ツウへの道』情報

『AXIS』10月号(本日発売)にて、スフェラ・アーカイブの平塚桂さん(つまり“ぽむ企画”さん)によって書評をしていただいてます。“鼻血が出るほど”の讃辞をいただいていて(ほめ“殺し”でなければ…)まことに恐縮している次第でございます…。

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