OCM一級建築士事務所
 

2004年08月


  2004年8月31日(火) ボート
7時半起床。

朝10時半から「蕨の家」打ち合わせで戸田公園へ。駅前のタクシー乗り場でおじさんたちが「ボート、ボート!」と呼び込みしていた。「はいっ」と言えば、ボート場に相乗りで連れてってくれるのか、予想をしてくれるのか…僕にはわからない。

12時半打ち合わせ終了。キッチンや収納などについて若干の変更。戸田公園駅構内の回転寿司「うず潮」でサーモン、かんぱち、さんま、カニサラダ、しじみ汁を食べて電車に乗る。

13時半「幡ヶ谷の家」現場。施主さん(奥さん)もいつものように参加されていて、建具金物、左官塗壁、吹付タイルなどの色及び、塗りの方法を確認。また、今週末の「施主自主塗装祭り」のため、オイルステインを実際に塗ってみたりして練習。建築家と現場監督が「こうだよ」「いやちがいます、こうです」といったかんじで試行錯誤。

17時、事務所に戻る。

この日記に反応していただいたランドスケープデザイナー石川初さんの身辺メモ8/24において“書評”をしていただいた。ありがとうございます。おっしゃっているように「なんだ、この本、中身なさそうだなー」という誤解作用をもとにした表紙づくり、造本をいつも“心掛けて”おりますので、そう思われても何ら問題ございません(笑)。

インターフェイスは“緩め”で…。
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  2004年8月30日(月) つのまた
土日はずっと図面を描いていた。これではまずい、と思い、日曜日の夕方に渋谷まで歩き、“長そで”の洋服を購入した。

月曜日、これから工事のはじまる施主さんと茅ヶ崎へ行く。工務店の“面接”とその現場を見学させてもらうため。
生まれてはじめて湘南台、茅ヶ崎という地に行った。なぜか僕にとっては鬼門であった地。それは単なる“海を前面に押出した街”に対しての嫉妬であり自意識過剰であることはわかっており、“自己研究”程度の話で大した意味はない。

現場では工務店曰く“日本一腕のいい左官屋さん”が珪藻土の壁を塗っていた。ツナギ(糊)にも一切化学物質は使わず、つのまた(角又)という海藻糊(ふのり)の一種をつかっていた。その角又がなんとも強烈な“磯が腐敗した”臭いを発しており、施主と一緒に鼻がまがりそうになったが、「エコロジー」とは臭いもの、「体にいいのは臭いもの」を実感した。しかし、二日経てばその臭いは消えるという。現場の珪藻土からも“海を前面に押出した街”を感じることになった。

左官の角部(出隅)の処理も“この左官やさん”しかできないらしい。確かに通常はコーナービートが入ったり、縦にスーッと線が入ったりする。大したものだ。

その他、シロアリはコンクリート基礎の立ち上がりを30cmしか登らない、30cm登れば、あきらめて引き返す、なので40cmあればシロアリは上がってこない、とか興味深い話を聞いた。

“やれやれ”と、“あきらめて引き返すシロアリ”の表情を思い浮かべながら、帰りの電車に乗った。

フィンランドの大久保慈さんが日記?ブログ?「フィンランドツウへの道」?をはじめたらしい。まだ“三日目”らしいが楽しみだ。皆、読みましょう。
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  2004年8月27日(金) そで
夏休みが終わりバンタンキャリアスクール新宿校の授業がはじまった。9月末のプレゼンテーション向けてがんばるように、気合いを入れた。少しずつ恐い講師になってきているようだ…。

夏も終わり、お洒落さんは長そでを着ている。いつも、そのタイミングがわからない。逆に、いまだに、半そでの、袖をまくりあげているくせに、冷房の効いた百貨店に入ると、お腹が痛くなる。

以下、好例のOCMホームページ被検索キーワード特集、本日分ノミネート。

SHARE SPIRIT 代官山/ share 代官山 /SHARE SPIRIT 代官山/みどり寿司*梅が丘/アルバイト 二級建築士/コスモポリタン製菓/デコラ貼 /トラフ建築設計/バンタン研究所 中目黒/ファンズワース邸 設計図/ホルモン徳ちゃん/ホンダCB125/一級建築士/吉水浩/建築家 一級建築士/建築家 土浦亀城/古道具屋 三軒茶屋/色を記憶する/逗子の家/千葉県立市川工業高校/大菅氏/谷口吉郎 上野/土浦亀城 品川/南洋堂 マッサージ/米炊き土鍋/六角鬼丈

今日の大賞は、「大菅氏」を押さえて、「南洋堂 マッサージ」です。南洋堂とは建築専門の神田の本屋であり、マッサージとは関係ないのに、何故!。
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  2004年8月26日(木) 千
日記を書く前に、写真を決めている。もう、夏の写真はやめにしよう。盆休み気分はとっくに吹っ飛んでいる。今週末は、秋の写真を撮りに行こう(どこへ?渋谷でも行こうか…)。

昨晩テレビで裏千家の千玄室がカタ、カタチといった話をしていた。前は茶を通じて“世界平和”なんてことを言ってたので、この人はノーベル平和賞狙いか?とか、茶は宗教か?などといぶかしく感じたが、今回はもっと本質的な事を語っていたので耳をかたむけた。

カタは型で、モノマネ(二の舞い)すればだれでもできる。資格なんてものも単なる型である。要はうわべだけのものである。すぐにボロが出る。そこに“チ”=“血”が通ってはじめてカタチ=形になる、といった話。

「インテリアコーディネーターの資格を取得したので、資格を生かした仕事を御社でやらせていただきたいのですが?」というメールが来た。こういう場合は“血”の存在すら知らないめでたい人だと思われるので即刻お断りしている。

また、千玄室が先先代の家元に「どうしてお父さんはお茶を教えてくれないんですか?」と問うたところ「“あんた”が頭下げて教えて下さいっちゅう気持ちにならんかったら、教えん」と言われたという。

そういうもんだ。不立文字、見て分からんものは、聞いてもわからん、読んでもわからん。

言い換えれば、見て何かを“感じる”ものは、聞いたらもっとわかるし、読んだらもっとわかる。

ちなみに“あんた”“あんさん”“あんたはん”となるにつれて、尊敬の念が強くなる。茶を嗜んだり、京都の寺を巡る際には、是非覚えておきましょう。

「建築ツウへの道」情報
図書館の書評はあまりチェックしていなかったが、しっかりと書評してくれているところもある、とO編集長に教えてもらった。「建築探偵」をちゃんと引き合いに出してくれている。おそらく“ネタ振り豊富な”「建築ツウへの道」は“からみやすい”本なのだと思う。
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  2004年8月25日(水) キョート
京都で活動している、ライター業(?)のぽむ企画さんからお便りをいただいた。スフェラ・アーカイブという本屋で僕の本を“プッシュ”してくれているみたいで、まことに恐縮している。

以下京都についての追想。ぽむ企画さんに捧ぐ(?)。

学生のころ京都工繊に友達がいたので、年末のカウントダウンはいつもラバダブというレゲーバーで過ごした。壁には“no dance”と書かれていたが、皆踊っていて、警察がきてよく怒られていた。そのあとは高瀬川沿いで天下一品のラーメンを食べた。

地球屋というセルフビルドな居酒屋のおっちゃんが、ライターでビールの栓を開けていた。

八坂神社あたりのウーピーズというライブハウスでライブした。ポリスのコピー等でスティングぶっていた。タイバンでそのころまだ有名じゃなかった少年ナイフが来るとかいってたが、来なかった。ガセネタだった。

友達がダム女の寮の管理人をしていたので、あそびに行ってサボテンブラザーズというビデオをみたりして時間つぶししていた。

だいたいズブロッカを飲んでいた。

狸小路ではじめて古着を買った。

神戸は“お洒落”だが、退屈で保守的で、いつもカッコつけてなきゃだめな街だったので、たまに京都に遊びにいくとホッとした。今の東京で言えば、恵比寿から吉祥寺に遊びに行く感じかな。

安藤忠雄や高松伸になりたいと思っていた。

そう、まだまだ僕が「建築ツウ」ではなかったころ、いや「建築ギライの建築少年」だったころの話。お寺を巡りはじめたのは、正直言って30歳を過ぎてからだ。

京都のスフェラ・ビルにて2004/9/3(金)〜11/7(日)までModern Style In East Asia 2004 in Kyoto
― モダンスタイル・イン・イーストアジア 2004 京都展 ― という展覧会が開かれております。秋の京都は人が多くて大変ですが、いろいろ特別拝観などもやってるはずですので、「建築ツウ」の皆様は行ってみましょう。
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  2004年8月24日(火) 違い棚
朝からひたすら図面を描く(コピー&ペースト)。

午後、「幡ヶ谷の家」現場。2×4材(ツーバイ材)の2×12 (38mm x 286mm )による壁面の本棚の製作にとりかかっていた。写真ではまだ半分だが、このまま天井まで積み上げていく。安価で荒々しい材料ではあるが、きれいにプレナーがけ(かんながけ)すれば、やはり無垢材の迫力を存分に味わうことができる。

日本風に言えば“超違い棚” といったところか。

ちなみに現存する日本最古の違い棚は慈照寺(銀閣寺)東求堂の同仁斎の違い棚であるといわれている。

ちなみに、“天下の三棚”と呼ばれるものは以下の通りである。
修学院離宮(中御茶屋 客殿) 「霞棚(かすみたな)」(京都市左京区)
 桂離宮(新御殿 一の間上段) 「桂棚(かつらだな)」(京都市西京区)
深雪山 醍醐寺(三宝院 奥宸殿 上座の間) 「醍醐棚(だいごだな)」(京都市伏見区)

ちなみに日本三大何とか…は、あまり意味がなくておもしろい。
http://www.nurs.or.jp/~u1/5.html

日本の伝統建築は、デザイン(意匠)の宝庫である。我々「建築ツウ」は、後世において勝手にフリーズドライされた、堅苦しい伝統規範よりも、その自由度を持った精神から大いに学ぶべきである。
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  2004年8月23日(月) 余興
朝からひたすら図面を描く(コピー&ペースト)。

夜、所員の誕生日会を“夏休み写真大会”と称して祝う。が、所長は「オレは毎日ネットで写真を出してるから、特に提出するものはない」とゴネて、なんともグダグダな感じになる。それじゃ何なので余興に、スライド&トークショーをやったが、授業みたいになってしまいこれまた恐縮。

携帯空間、アーキグラム、方丈、庫裡、貫、詰め組み、花頭(火灯)窓などの話をする。

「建築ツウへの道」情報
ランドスケープをやっている石川初という人が、8月4日の自身の日記の中で「こ、これは面白い。」と言ってくれている。

石川さんとは面識はないが、たぶん鹿島建設を辞めて独立された吉田周一君の知り合いだと思う。世間はせまい。
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  2004年8月22日(日) 水
打合せの日を変更していただいたので「普請道楽のススメ」の撮影のため「雙徽第」に向う。日頃、浅野忠信、や池内君という若い俳優など、ちょっとクセのある人物を撮ることに長けている写真家のW氏が、僕の設計した建築と格闘している様をみるのが、とても興味深かった。

施主である西大條氏の御機嫌もよろしく、やぶ蚊と格闘しながら庭のお手入れなどをしていただいた。

途中、広い庭に水をまいたが、気持ちよかった。庭に水をまくという行為は、何か人間に潜んでいる快楽装置のスイッチをいれることのできる不思議な行為だと感じた。

西大條氏は「サンカ、セブリ、幼児免疫、交感神経と副交感神経と住宅、アレルギー…」などといった興味深いキーワードをもとに、また新たなる知の遊戯をされているようであった。

サンカの世界では、子供が生まれると、母乳よりさきに漆の汁を飲ませたという。それにより、漆に対する免疫を形成するということだ。

現代の無菌化していく住宅…。大いに考えさせられる。
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  2004年8月21日(土) 芝居
夜、恵比寿のギャラリースペースSITEに、KAKUTA と麻生美代子による芝居「女の夜」を観にいく。芝居をみるのは久しぶりだったが、けっこうおもしろかった。そこには、15年ほど前のアングラ劇団にありがちなわい雑さはなく、スタイリッシュでクラシカルで、でもポピュラーでコマーシャルな世界が繰り広げられていた。

川上弘美という“女性に人気”の作家の本をテキストにして、読本、朗読をしながら、音楽と演技を重ねていくという手法。なんだか芝居の原点をみたような気がする。しかし、あまりににもわかりやすすぎて、文盲率の高い国ではもっと受けるだろうな…とさえ感じさせられた。

ちなみに映画という文化は文盲率の高い国において発展するという。インドしかり、なんとアメリカもその一例。

ちなみに麻生美代子とは、サザエさんでフネの声をやっている声優さんである。高齢なのにその存在感はきわだっていた。

ちなみにKAKUTAという若手集団は優秀だが、外から借りてきた“麻生美代子”の存在感とベストセラー作家“川上弘美”の原本に頼りすぎているというきらいもないではない。

ちなみに“女性に人気”の作家といわれる人の本を、僕はほとんど読まない。当たり前か。しかし、作家としてそれで納得しているのだろうか?と、いつも思う。

※写真は竣工後約2年経とうとしている雙徽第
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  2004年8月20日(金) S40-1965GT
朝からひたすら図面を描く(コピー&ペースト)。

夜、「普請道楽のススメ」打合せのため、O編集長、デザイナーの松永路、写真家のW氏がOCMに集合した。主に写真について話し合った。

O編集長は「お酒に対するモチベーションが下がっている」とおっしゃられていたが、用意した栗焼酎をちゃんと半分飲んでいかれた。よかった。

同世代(昭和40年生まれ)のアーティスト、村上、会田、小澤などはいかがなものか、とか、写真新世紀世代のうれっこ自閉症系写真家佐内君の話などもでた。

と思ったら40年生れのアーティスト吉水浩さんからメールをいただいた。

「大島さんへ お元気ですか〜  暑さで溶けてませんか〜?私は少し溶けてるみたいです。

サイトの日記、面白いですね。同世代なので共感するところが多いです〜。
またいつか楽しく飲める時を楽しみにしています。」

吉水さんとも一緒に仕事ができるとおもしろいな、とは思っているが、なかなかそんな機会はない。けれども、そういうものは機が熟せば自然と訪れるものだ。

写真家のW氏君も、10年以上の付き合いだが、やっとお互いの波が同調しはじめた。そんな瞬間が楽しくて、こういう仕事をやっている。
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  2004年8月19日(木) バス
夢に図面が出てくる。展開図が、自分の方に向ってきて、バ〜ン!とバーストする感じ。
朝からひたすら図面を描く(コピー&ペースト)。学校も休みで、電話も少なく、まだ世間は盆休みのまったりとした感じをひきずっている。

フィンランドの大久保慈さんからメールが来た。アアルトの文章と、プロダクトの文章が出ている。10月にはフィンランドの教授や学生38人を引き連れて来るという、すごいパワーだ…。

O編集長が日記で小林秀雄を“うまそうに”読んでいるので、僕も本棚を捜した(実に影響されやすい性格)。50円の古本で買った「常識について」(角川文庫)という平易な文章で書かれたものがでてきた。短い文章ばかりだが、それぞれのタイトルが「秋、ギリシャの印象、酔漢、鎌倉、写真、読書について、喋ることと書くこと…」などと興味深いものばかりで、どこから読もうかとペラペラやっているうちに眠ってしまった。
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  2004年8月18日(水)
朝からひたすら図面を描く(コピー&ペースト)。
午後、『建築知識』のM氏が来所。模型についての話等をする。何か書いていただけないかと頼まれたので、何か書かせていただくことになりそうだ。その他、建築界の雑談などなど。

夜、卒業生のカズ君来所。4.5ヵ月ぶりなので、いろいろ話をする。卒業して、3.4年、みな様々な転換期を迎えている。彼から「二人のドラマーが死んじゃったね」という話を聞いた。チェッカーズのクロベーとストーンズのチャーリー・ワッツ。オリンピックにかきけされて、地味なニュースになってしまっている、というかチャーリーの方は、少しネットで探したがニュースがみあたらない…本当に死んだのか…。真偽や如何に。

工藤の200勝でさえ、視聴率9%だったという。北別府以来12年ぶりだというのに、少し残念だ。

くらげにさされた、と言うと、「それは海ぶどうだ」といわれた。そんな姿はみえなかったというと「限りなく透明に近いブド−」と言われた。真偽や如何に。

※写真は、海辺でみかけたトイレにかかれた“トイレ”という落書き。今度は“落書き”という落書きをさがしてみたい。
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  2004年8月17日(火) キンケード
朝からひたすら図面を描く(コピー&ペースト)。午後、監督はいないが大工さんは働いているので「幡ヶ谷の家」現場、様子をみにいく。造り付け家具の制作に余念がない。

写真は坂田海岸近くの建物。青い空と、強烈な紫外線のもとでは、どんな色の、どんな形の建物も“オブジェとして美しく”みえる。みな、アルド・ロッシの建物のようにみえる。

しかし“内地”“都市の密集地”においてこれは期待できない。期待するとだいたい失敗する。つまり、遠景がない、空がない、紫外線がない。林昌二が昔「設計においては遠景と近景が重要だ」と言っていたが、それは概ね巨大オフィスビルのはなし。

近景から、建築全体の構成原理を感じさせることは至難の技だが、それができなければ住宅は“建築”ではなくなる。それは、地下室から屋根裏部屋まで、ぐるりと歩くことによって、感じることのできる、そういった類いのものであると思う。
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  2004年8月16日(月) リアル
朝からひたすら図面を描く。Share Spiritの片野氏と連絡をとる。エジプトから帰ってきたばかりだという。9月末にはミラノで展示会があり、これから忙しくなると言う。そのパワー、ものの筋の通し方にはいつも頭がさがる。

夜、中沢新一の「リアルであること」(冬幻社文庫)を数ページ読む。解説を安原顯が書いている。僕より15才年上の中沢は、男前なので、ややもするとインチキ臭い感じがしていたが、本当はそうではないと思う。浮かれたパステルカラーの80年代を田中康夫にもならず、村上龍にもならないでやりすごすことのできた貴重な人だと思う。

ベルリンの壁が崩壊した時に
「不思議なことに、ぼくはあのとき以来、あんなに好きだった映画にたいする興味を、急速に失った。幻想に幻想を重ね、夢に夢を重ね、意味に意味の厚みをふやしていくようにしてつくられている、すべての表現に、げっそりしはじめたのだ。」

彼は、現実(リアル)との間に、たくさんのお金をかけて、魅力的な厚いベールをつくりだすことを嫌悪している。しかし、もう、それ自体も現実(リアル)なことになってきた、フツーになってきた。それに加担し、手を貸すことも一つのリアルであるようになった。いや、やっぱり幻想なのかもしれない…。

以下、今日のOCMホームページ被検索ワード、相変わらずヴァラエティーに富んでいる。笑って下さい。

Ridge&ヘア/SHARE SPIRIT/ocm2000/ocm/テストザネーション/バンタンキャリアスクール 夜間/一級建築士/一級建築士 大島健二/隈 研吾 自殺/佐々木アキラ/至誠会第二病院 外観/大島健二/池をつくる/東京ベスパ/梅が丘 みどり寿司
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  2004年8月15日(日) 夏
朝から雨。気温も低く気持ちがいい。午後より図面を描く。オリンピックをちらちらみ遣りながら、妙にノリノリでカタログの整理などもする。

石山修武の言説が難波和彦の日記の中に出ている。
「アジアモンスーン地帯においては強固なシェルターは必要ないこと。したがって『世田谷村』では床スラブと屋根をつくることだけを考えたという。南、東、西はすべて建具で、完全に開放できる。これがスケルトン・インフィルと気候制御に関する回答である(しかし暑い。冬も寒いだろう)。」

真夏日の連続記録が途絶えたらしいが、まあこれだけ連続してくれればむしろ日本が“アジアモンスーン”であることを十分に理解できる。が、それもほんの2ヵ月のこと。

真夏であれ、“東京でも年に一度は降るという想定の大雪”の積雪量や、積雪時の屋根面の結露のことなどを考えるのが我々の仕事。

やはり、イギリス人のように、日々気候や、気温、湿度に敏感であらねばならないことは、言うまでもない。

いくら建築が、住宅がインテリア化しようが、そこからはのがれられない。
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  2004年8月14日(土) 盆キング
青海波(せいがいは)の余韻さめぬまま、朝から図面を描き、午後「久我山の家」打ち合わせのため高井戸の施主宅を訪れる。はじめてのアウェイ。自宅ニテお子さまが生き生きとされていたのが印象的。

お盆の、静かな、東京の夜。何か読もうと、本棚を探る。そして折口信夫の『身毒丸(しんとくまる)』を読む。

終わりの方の“附言”にて、折口はこう言っている。
「殊に現今の史家の史論の可能性と表現法とを疑うて居ます。史論の効果は当然具体的に現れて来なければならぬもので、小説か或いはさらに進んで劇の形を採らねばならぬと考えます。わたしは、其で、伝説の研究の表現形式として、小説の形を使うてみたのです。」

安易に誤読しがちな「建築ツウ」は『建築ツウへの道』を研究書としてとらえ、その実践書、研究成果として『普請道楽のススメ』を位置付ける。

或いは「著述する」という行為と「図面を描く」という行為。
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  2004年8月13日(金) 要塞
坂田から隣の波左間海岸で泳ぐ。坂田海岸より水がきれいで、遠浅。はじめからここにしておけばよかった、と思いながら、朝泳ぎ。

昼、バスに乗り館山へ、電車に乗り富浦へ。そこからタクシーで大房岬(だいぶさみさき)へ向う。目的は、「昭和3年に帝国陸軍によって買収された大房岬、そこに当局は東京湾防衛のための要塞をつくろうとした…」という話の要塞の廃墟を見に行った。

詳しい情報もなく、猛烈な熱さの中、岬をうろうろする。

キャンプ場の隣に素敵な廃墟があった。かなりいい。さすが「建築ツウ」。転んでもただではおきない、いや海水浴に行っても、何かしこんで帰ってくる。

いくつかの質問を、僕は廃墟に投げかけた。

※明日から通常業務に戻ります。
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  2004年8月12日(木) 浅漬け
休みをとり、東京湾に3%しか残っていない自然な状態の海岸についての学術調査(別名、空いている海岸における海水浴)にでかける。千葉の館山からバスにゆられて、南へ。坂田(ばんだ)海岸に拠点をとる。宿はいなば荘という民宿。直前に電話をして空いている、つまりはるるぶにも、じゃらんにも載らない宿。浜まで30秒というのが利点。

脳から何か大事なものが浸透圧でしみ出すのではないかと思うほど、しこたま泳ぐ。軽い浅漬け常態か…。
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  2004年8月10日(火) ヨヨギ
朝からひたすら図面を描く。
昼、コンビニのチャーハンとチゲスープで汗をかく。

午後一、「幡ヶ谷の家」現場。新しくやって来た所員も連れて行く。現場は基本的に所長である僕が100%みることにしている、2004年度からのOCMの方針(スタッフが育つまでは…)。所員は今のところ単なる見学。その中からいろいろ学んでもらいたいと考えている。

建て主さんに、お風呂にランダムに配置する小さな丸ガラスブロックの配置を確認していただく。図面じゃわからないことは、現場で確認していただくのが一番だ。手間はかかるが、できあがった時の建て主さんの満足度に確実に差がでる。

恵比寿〜代々木上原はこれまで新宿経由でいっていたが、原宿で千代田線に乗りかえると早いということを“エキスパートな所員”に教えてもらう。早い。目からウロコ。

帰りは代々木八幡によって、敷地を見てかえる。電車の振動や、騒音、周辺の環境などについて考察する。代々木八幡=代々木公園、原宿=明治神宮前ということを知った奥深い一日であった。
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  2004年8月9日(月) 描き入れどき
朝からひたすら図面を描く。一日中電話もなく、世がお盆休みに入ったことを、なんとなく感じる。今が、“図面の描きどき”。

夜、知り合いのアーティストの人から電話があり、土地を買う前の相談。快く引き受ける。明日、敷地を見に行こう。
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  2004年8月8日(日) 午睡
朝、9時から仕事開始。ひたすら図面を描く。天気の良い、外のことは考えないようにする。昼、冷凍のシーフードミックスとシェリー酒、アンチョビソース、残り物のミョウガでスパゲティをつくり食べる。
若干の午睡後、ひたすら図面を描く。18:00、仕事終了。神宮の花火を見に行く。

昨年はお盆の最中でかつ雨で中止、その前もたぶんお盆の最中、のんびりとみられた。今年はお盆前ということで、人が多く、会場が殺気立っていた。係員の怒号が飛び交う花火大会…、あまり楽しくなかった。

かつ、花火の真下で、人間のおかしさを思った。

殺人事件におののきながら、テレビや映画では平気でバイオレンス、殺陣(たて)スプラッターものをみる。

平和を願いながら、火薬を打ち上げ、爆音と閃光に歓喜する。

「係員の怒号」と「花火の爆音」と「歓喜の悲鳴」だけを録音すれば、立派に戦争映画のアテレコ?アフレコ?になるな、と思ってみていた。
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  2004年8月7日(土) かにかまレター
昼、そうめん、ししとう、卵焼き、みょうが、カニかまを食べる。仕事をした後、夕涼みに八重洲へ。大丸ミュージアムでやっている「ムーミン展」をみにいく。原画を中心に、作者であるトーベ・ヤンソン女史の油絵等も展示されており、興味深い内容だった。小さく、小さくペン画で描かれた絵に大いに触発される。

紙とペン、たったそれだけの手段で生まれるものの可能性を、今人々は忘れかけている。それに感動したことがなければ、同じ感動を生み出すことはできない。コンピューターで、皆同じレンダリングソフトを使い、なんとなく「描けた」ような気分に陥っているだけ。見る人達をイリュージョンしているのでなく、描く本人達までもがイリュージョンされている。

講師仲間の人がこう言っていた。「お客さんに言われるんだ。コンピューターなんかで図面描かないでくれ、手で描いてくれ」と。これから、そんな時代がもう一度来るかもしれない。決してそれはアナクロニズムでもレトロスペクティブでもない話。「どっちがいいか?感動するか?気分がいいか?気持ちをこめられるか?」という純粋な人々の希求の問題。

瞬時に、意志が伝えることのデキル、すなわち、排水溝のような、電子メールの類いも、やがて「書イテカラ半日以内ハ送信サレナイ」という機能が義務付けられるかも知れない。

……もちろん、このような日記の類いも同じ……。

と、日曜日の静かな東京の朝、こんなことを考えている。
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  2004年8月5日(木) ピース
リビングデザインセンターOZONEにて、おやこでたのしむOZONEのなつやすみが開催されており「建築家が提案するキッズコーナー展」に「検見川の家」の模型を出品している。

夜、オープニングパーティーがあったので所員と行くが、盛り上がりに欠けていたのですぐにおいとまする。思い出横町のあたりで飲食をするが所員に説教を垂れてしまい、逆に自己嫌悪。その沈鬱な気持ちを浄化せんがために、新宿の夜の街の写真をパチパチと撮る。
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  2004年8月4日(水)
夏と冬について考える。北方と南方について考える。熱帯と寒冷地について考える。夏、南方、熱帯への指向はあるが、そこでの自分の営みが想像できない。3日目で、見た目も脳味噌も現地人化しそうでこわい。よって、まだ沖縄や、屋久島には行くに及んでいない。恐いのだ。
パパラギ、悲しき熱帯、ヘミングウェー、ゴーギャンなどのキーワードもあるが、果たして自分にそれが可能なのか自信がない。

その点、北方は火曜サスペンス的で“無難”である。お茶の間の人気も不動のものだ。

結果として都市の神経戦に参戦して13年、ベトコン状態でゲリラ戦をつづけている。

以前日建設計の広報担当の人に「日建設計を辞めてからゲリラ的に活動されている大島さん…」という呼ばれ方をした。確かに原子爆弾の日建設計からしてみれば僕のケンチクカ人生なんて、手榴弾でしかないだろう。

昔上司が「今年の戦略、ストラテジーは…」と言ってるのが気に入らなくて「戦争用語をビジネスで使うのは良くない…」と諌めたことがあったが、今自分も使っている。その語感の持つ、違和感を確かめている。
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  2004年8月3日(火) 沈思
午後「幡ヶ谷の家」現場。盆までには大工工事を終わらせたいという、恐るべきスピード。建て主さんの奥さんと小学生の長女さんが来られていた。子供部屋にて「わたし、奥のスペース予約!手前じゃうるさくてお勉強できなぃ〜」とおじょうさん。

雨が降るといっていたのに、降らない。

夏の雨が、路面を濡らし、照り返るところが好きだ。

最近連夜人と会っているので、少し疲れている。今晩は静かに、ゆっくりと、沈思することにしよう…。
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  2004年8月2日(月) スッポン
一日「普請道楽へのススメ」の文章を調整する。夜、それについての打合せでO編集長と松永女史がOCMにやってくる。これまでに類をみない“施主本”が誕生する予感。だいたいのスケジュールを確認したので、松永女史に写真家のW氏氏との日程調整などをお願いする。

O編集長は前日にスッポンのスープを飲んだらしく、肌がつやつやして元気がみなぎっていた。うらやましい。
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  2004年8月1日(日) momo
午後「逗子の家」打ち合わせで荻窪へ。断熱計画、構造計画などの基本性能の部分において建て主さんへの説明が不足しており不安感を与えてしまっていた。改めて感覚的な話でなく、熱貫流率などのデータにもとづいて御説明させていただいた。

「幡ヶ谷の家」建て主さんから、御自分で編集選曲された水羊羹のようなすずしいCDとチゲ鍋のようにホットなCDをいただく。80年代人間にはたまらない選曲になっていて、それを聞きながら、現場指示図面などを整理する。

「蕨の家」土地引き渡しが遅れ、9月上旬になるとのこと。メールにて御要望をいただく。収納等についての検討を引き続き行う。

「久我山の家」メールにて御要望をいただく、徐々に現実味を帯びた内容になりつつ、ハワイ+ビリー・ジョエルな雰囲気という難題(笑)にとりくむ。

※兵庫の加古川で大量殺人事件発生。嗚呼ムルソー、熱さのせいか…。加古川という土地柄なのか…。遠き東の地にて、 播磨の国を憂慮す。
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