OCM一級建築士事務所
 

2004年07月


  2004年7月31日(土) bon dance
7月も今日で終わり。一年の半分が終わった。ついこの間正月の決意を新たにしたような気がするが、ずいぶん昔のような気もする。そんな中間期に、人はハレの舞台を設け、日常の憂さを解消する。

午後から図面を描く。夕方19:00終了。下駄をつっかけて駅前の盆踊りに向う。西口のタクシーロータリーが、会場となっている。ビールとカップ酒を流し込んでから、炭坑節、東京音頭、渋谷音頭、八木節などを踊る。体重の移動、体の重心を保持するのがむずかしい、かつ歩行しつづけることが盆踊りの基本。終了まぎわの21:00前には、異様な盛り上がりをみせる。浴衣をびっしり着込んだ“お手本”おばちゃん達と、通りすがりのリュックを背負った兄さん、ねえさん、外国人達が本気で踊っている。心暖まる光景。

神輿をかつぐ祭りはかなり排他的な感じがするが、盆踊りは原住民があたたかく入植者を迎え入れてくれる。踊りながら、東京、都市について、体で考える。

帰りにカチャトラという恵比寿では老舗の部類に入るお店で、ワインとパンチェッタのタリアッテーレを食す。卒業生のN君が、店のキッチンに復帰していた。
N君はいろいろあってしばらく店から離れていたが、元気そうだった。
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  2004年7月30日(金) 夕涼み
26日、中島らもが死んだ。何と言っていいのやら。ああいう“まとも”な人が居なくなるのは寂しい限りだ。

村上春樹、松尾貴志、中尾寛、中島らも…という奇妙な神戸人の系譜の一角が欠け落ちた。

井上陽水は普段音楽を聞かないという、中島らもは普段小説を読まないという、大島健二は普段建築家住宅に住んでいない、いやそうではなくて、モノを書かせていただけるようになってから、すっかり小説を読んでいない。

3册目の本が終わったら、とっぷりとまた小説の世界に耽りたい。書くための本でなく、読むための本へと純化させたい。言い換えれば20代の頃は大いに非現実の世界と戯れていた。30代は少し現実の世界で踊り過ぎた感がある。40代はその中間くらい、にしたいかな。

『新建築』7月号にて「建築ツウへの道」が書評されてます。ありがたいことだ。スタッフに「載ってますよ」と言われて、あわてて確認した次第である。

夜、二子玉川。増水したる多摩川(野川)へりニテ、フォービート主催の夕涼みの宴に招かれる。入水したるギター侍として参加。

風がぬけること夥しく、心地よき川べりニテ、ニッポンの住宅を慮る。
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  2004年7月28日(水) サバーバンの憂鬱
小田急「鶴川」のプチリフォームの現場へ。間接照明ボックスの取付けや、吹抜けの開口部設置等を確認する。

帰り、工務店の人に新百合丘駅まで送ってもらう。大学生とおばちゃんの多い街という印象。自分の居場所はなさそうだ。コロラドというコーヒーパーラーでアイスカプチーノを飲んだ。その店には、同じく居場所を失い、どこへ行くともないおじさんが、競馬新聞を一心不乱に呼んでいたり、半身に構えて街行く人々をみていたり。カプチーノにはホイップしたミルクというより、立派な甘い生クリームが載っていた。少し得した気分だ。

帰りの車中、夢野久作の「一足お先に」を読む。腫瘍で切り落とした自分の片足を、黙って忍び込んだ標本室でみつけるという心暖まるはなし。

写真は新百合丘駅のシュールな光景
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  2004年7月27日(火) フィンランディア
フィンランド在住の大久保慈さんからメール有り。アサヒ・ドット・コムの住まいのページに記事を載せておられる。

ドメスティックな人間なので、あまり海外に知り合いはいないが、たまにフィンランドからメールが来ると不思議な感じがする。

今朝みた夢も不思議だった。朝5時頃になると、仕事が気になって、夢の中で設計をした。デッキ材を取り付けるための、鉄骨下地のパターンをいくつも検討していた。角材かアングルか、縦か、横か、ビスかボルトか…
たぶん、いわゆる夢うつつの状態なのだと思う。

「お休みはないのですか?」「寝ている間は休みです。」とかっこつけていたが、夢でも仕事をやっている…。完全に職業病だな…。
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  2004年7月26日(月) 読み方
「酔余漫筆(すいよまんひつ)」
読み方がわからないとおっしゃる方がいらっしゃったので。
「上棟(じょうとう・ムネアゲ)」
「先生、あの“カミトウ”っていいですね!」といっている学生がいたので。

アクセス解析が変なことになってきた。何というキーワードで検索してOCMのホームページにたどりついたかがわかるのだが…

「帝国主義って何」
「若尾あやこ」
「おゆみ野 病院 子供部屋」
「松下電工 春一番」
「恵比寿 徳ちゃん おいしい」
このあたりは何となく笑えるが

「一級建築士 抗議」
これは恐かった…。

間口が広がったということで、ヨイヨイ。
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  2004年7月24日(土) 変貌
朝、午後からの打合せのための準備。スケッチに手を入れる。赤いハイビスカスを庭に散りばめ、雨水貯蓄→プール→オーバフロー→庭の散水、といった流れを考える。O編集長からいただいた小話を参考に、小さな実験を試みる。案外素直な自分に感心…。人はいろんなものに、ささやかに影響されながら生きている。

午後「久我山の家」打ち合わせ。息子さんがブルーのアロハを着ていてかわいかった。ようやくプランニングの方向性が見え始めた。なおも、外観雰囲気や、外壁材、屋根材などについて打合わせをすすめる。冗談も交えながら、なんだか笑いのたえない楽しい打合せだった。

僕には子供はいないが、「幡ヶ谷の家」2人、「蕨の家」3人、「逗子の家」2人、「久我山の家」1人と合計8人の子供さんも、僕にとってのクライアントである。

夜、卒業生の同窓会で歌舞伎町へ。最近なんだか歌舞伎町へ行くことが多い。卒業して4ヶ月、そろそろ皆就職がきまり、ばりばり働きはじめている。学生の顔から、働く人間の顔への変貌をみるのが楽しい。

御勤人になったお調子者のY君は「月曜の朝がアクセス多いって書いてましたよね、まじ僕も月曜の朝、頭ぼーっとしてて、思わず酔余漫筆でもみるかって感じなんすよね!ハハハ!」

よし、立派な御勤人だ!
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  2004年7月23日(金)
ある雑誌の撮影に使うため、スタイリストと編集者の方がお越しになって、模型を持って帰っていただいた。女性建築家がジャグァーにのって、打合せに向うシーンで使用するとのこと…。

ジャグァーに乗った女性建築家。あまりにも現実と乖離していて素敵だ。

創刊したばかりのある雑誌から「雙徽第」を取材したいとのことで、電話あり。調整する。東京“都下”の自然に囲まれた家を探しているらしい。

“都下”って何だろう。都下に住むとおぼしき人に聞いてみたが、“都下”に住んでいるという認識は薄そうだった。「差別用語ではないか」と言って笑っていた。
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  2004年7月22日(木) ぴー
手許にある本を、ちらちらと、見返してみることもあり。
そこに、グッと来るコトバを発見できたなら、なお良し。

臨済禅師はこういう。

「喧を厭い静を求む、これ外道の法なり」
(喧噪を避け静かなところを求めて修行するなど外道のやり方である)

我々「建築ツウ」は勝手に、都合良く、戎に居住し、働くことの正当化をする。

しかし、盆休みくらいは、静かなところを求めたい、そういう僕は外道ナリか?
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  2004年7月21日(水) 寺と教会
午後3時頃、どうも体がだるく、脳が働かなくなってきたので、近所の整体(マッサージ)屋へ行く。至福の一時。そのままずっとベッドの上にいたかったが、内部からホカホカになった体で仕事に戻る。妙にテンションが高く、文章をダダダダっと書く。

夜、バンタンキャリアスクール新宿校の講師親睦会に出席する。年配のデザイナーの方々から興味深いお話を聞く、と言いながら僕もべらべらしゃべるもんで、「まあ聞けよ!」と何回も怒られた(笑)。

お寺を設計している方がいらっしゃったので、どうしたらお寺の仕事に携れるのかいろいろ聞く。「お寺か教会が設計したい!宗派問わず」と告白すると、皆になんとも節操のないやつだなあ、といぶかしげに睨まれる。
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  2004年7月20日(火) 研修
午後、「幡ヶ谷の家」現場定例。断熱材が入りはじめたので、前回ほど暑くはない。筋交いの方向や、断熱材の入れ方などについて、いくつか修正を求める。また、追加・変更の部分についてのお願いなどをする。

本日から中央工学校の学生が2週間の実務研修でやってきた。オープンデスクとかインターシップ、インターンシップと呼ばれている形態だ。学生にとっての夏休みの正しい使い方だと思う。こんな小さな設計事務所でも、世のため人のために何かできるのであればそれにこしたことはない。

 しかし、インターシップと称して、無期限でだらだらと“ただ働き”させられている学生もいると聞いている。学生の方にも問題はあるが、そういうことは学校側がきっちり決めることであると思う。学生のうちに2週間なら2週間で、いろんな事務所を経験しておくことはとても重要だと思う。案外、みんなやってない。僕が教えている現役学生すら、最近は事務所に遊びにもこない…。学生の自発的な態度が重要だと思っているので「一度遊びに来なさい」とも僕は言わない。


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  2004年7月19日(月) 下駄
朝6時起床、図面を描く。10:30「蕨の家」打合せで戸田公園へ。実施設計の細部についての報告と打ち合わせ。

午後、下駄を買いに浅草の辻屋本店へ。家まで待切れずに、浅草寺でニューバランスから下駄に履き替えて、浅草の街をランブリング。まだ鼻緒が硬いので、ぎこちなく、ゆらゆらと与太者のように歩き、神谷バーなどひやかす。

回転寿司で寿司を食べて、冷酒を一本飲んで帰ってくる。早起きのせいか、銀座線の車中渋谷まで熟睡。帰ってきて風呂に入って、日記を描いて、いや書いている。
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  2004年7月18日(日) 串カツ
朝、昼、晩、実施設計図面をかく。和田氏曰く、図面は書くではなく、描くであるという。御意(ぎょい)。

18:30、終了。ふらふらと散歩にでかける。祐天寺で盆踊りをやっていた。町民強制参加?の上、ちゃんとしたテキやさんが入っていたので、異常なにぎわいと猥雑さが魅力的だった。

中目黒の「串八」で関西串カツを食べて、吉乃川を4合飲む。ここは素晴らしい店。今度O編集長を接待したい店ナンバーワンだ。

帰りにほろ酔いでブックオフ中目黒店に行き、100円コーナーを物色。島田雅彦の『子供を救え!』と中島らもの『逢う』を救出してあげる。
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  2004年7月17日(土) ぽん太
朝、昼、晩、実施設計図面をかく。本も書くし、学校でも教えているが、いまだに僕はプレイング・マネージャーだ。スタッフに書かせた図面も、最後に僕が手を入れる。当然といえば当然だ。

往年の南海ホークス、野村克也が監督で捕手で4番バッターだったときのことを思い出す。かっこよかった。

昨晩はデザイナーの松永路が事務所にやってきた。なんと彼女は改名したらしい。これからは「三松(みまつ)」と呼んでください、とのこと。屋号か雅号か…。なんだか“おそ松、えぞ松、末松”みたいな感じもするし、明治時代の豪商、鹿島清兵衛がかわいがった芸者“ぽん太”のような趣きもありなかなかしぶい。
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  2004年7月15日(木) 揚羽
朝10:00、小田急線「鶴川」の「千都の杜」到着。野村不動産の分譲住宅地。内装のリフォームのため工務店、施主の顔合わせ。都内も暑いが、鶴川も暑い。ここも東京都だという。東京は広い。ここまで入れて東京を語ることは今の僕の能力をはるかに超えている。

しかし、揚羽蝶が飛んでいたりして、どこかのどかな雰囲気。揚羽蝶の羽に「野村不動産」という焼き印が押されていないことを確認して、もしくはインフォメーションセンターで係りの人が虫籠から揚羽蝶を飛ばしていないことを確認して、無事打ち合わせ終了。

※写真は荻窪駅でのお気に入りの風景
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  2004年7月13日(火) 旧交
13:30「幡ヶ谷の家」現場。毎週火曜日を定例打ち合わせに定める。異常な熱さ。空梅雨だったため、手際よく工事はすすんでいる。現場で図面を開いたとたんに、玉の汗が全身から吹き出る。半身浴やウォーキングなんかやらなくても、現場に出ていれば確実に体はしぼられる。

屋上から、新宿副都心の眺めを確認する。南側も、代々木上原方面で、谷になって落ちているのですこぶる眺めが良い。

家には地下室と屋根裏部屋が必要で、それらは人間の心情を反映している…といったようなことをガストン・バシュラールが言っていたような気がするが、この家には、そのような要素がきれいに盛り込まれている。均質空間ではなく、各断面において、それぞれ違った性格の空間がある住宅が、いい住宅だと思う。


夜、神戸の古い友人Y君が出張で上京してきて、事務所をたずねてくれた。ギターとベースを交互に持ち替え、お互いのスキルの落ちた部分や、上がった部分を確認し、旧交を暖める。
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  2004年7月11日(日) ムール貝
午後「逗子の家」打ち合わせで、荻窪へ。打ち合わせのあと、ベルギービールと白ワイン、ムール貝とチキンのカレーを御馳走になる。ごちそうさまでした。実施設計に入り、話は各部の詳細に及ぶ。

ロンドンのBELGOで食べたバケツ一杯のムール貝を思い出した。

その後、代官山Share Spiritの秋冬ものの内覧会(パーティー)へ向い、片野氏にちらりと挨拶。フォンデュと白ワインをいただく。

ちはるさんがきていた。インテリア好きの若者やおしゃれ主婦さんの間では今カリスマ的な人気をほこっている。
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  2004年7月10日(土) 〆さば
久しぶりの休日。浴衣について考えながら渋谷を歩く。
浴衣は本来“湯上がり”に着るものではなく、男女混浴であった時代に、風呂に着て入るためのもの。
アロハシャツは日本のキモノの生地をつかったり、そこから着想を得たもの。ならば、アロハシャツの生地で浴衣をつくってもいいのでは…。
何故かエビスにはリアルアロハシャツの生地が買える店が2件もある。少しのぞいてみた。ムームーを着たおばさんがうろうろしていた。

渋谷の「山家」で焼鳥と〆さばをたべて、〆さばについて考えた。ここでは、〆さばに対して、わさび、しょうが、ねぎ、だいこん、しそ、わかめ、レモン、赤い小さいの、緑の小さい枝みたいなやつ、と9つの薬味やつけあわせがついていた。不思議だ。過剰だが、なんか得した気分だ。

Share Spiritの洋服が紹介されているサイトがあった。服もデザイナーの片野氏もメディアにほとんど出ないので、貴重かもしれない。
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  2004年7月9日(金) ビデオ
バンタンキャリアスクール新宿校。
学生たちに「建もの探訪」のビデオ「千葉・金子邸」「府中・西大條邸」をみせる。これは初の試み。僕は学校であまり自分の設計している住宅について喋らない。「じゃ何を喋ってるのか?」その他いろいろ…。卒業の頃になっても「先生って何の仕事してるの?」と言われることも多い。それでいいではないか、と思っていたが、早めに学生の興味(欲求不満?)がたまってきた場合は、これからビデオをみせよう。

ビデオをみた学生の感想(疑問)として一番多いのが「先生はどこまでデザインしてるんですか?」「何%くらいが先生の設計なんですか?」といったこと。それに対してなかなかスッパリキレのいい答えは持ってない。「建築家は構成原理を持ち込み、施主は固有性を持ち込むのだ!」と自分の中では解決しているのだが、難しいので学生には言わない。「施主さんの脳の中から、いろんなものを引出して、それに形を与えるのがデザイナーの仕事なんだよ。」と言ってみるが、なんとなく玉虫色でゲせないが、まあそういう言い方をする。よくお洒落雑誌にのっている「今回のコンセプトは〜」ってデザイナーが言ってるが、あまりにもそれを学生たちは真に受けているみたいだ。

インスタントラーメンなら、コンセプトが明解でいいが、こちらは1週間以上煮込んだトン骨スープ、もしくは先祖代々の秘伝のタレに、新鮮食材をからめてできる料理なのだから、その秘伝のタレについての説明は困難をともなう。いわば「建築ツウへの道」のような言説によってしか“秘伝のタレ”の説明はすることができない。

ちなみに僕は「ビデオデッキ」を持っていないので、このビデオはこうやって学校でみることしかできない。テレビはみるが、新聞もテレビ欄もみない。テレビは僕にとって社会の窓である。ベランダから通りの人々を眺めている、あの感じだと思う。
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  2004年7月8日(木) 間々
バンタンデザイン研究所中目黒校。「変型9坪ハウス」と名打った授業が本日で終了。本来の9坪ハウスの正方形平面にとらわれずに「建て坪9坪」の住宅の提案である。インテリアコーディネート系を目指している学生が中心なので、「外部空間」と「内部空間」を等価に設計してみることを求めたが、やはり難しい。どうしても外部空間はあとまわしになってしまう。

(自身の設計を振り返っても、“まま”あることで内省のポイントでもある)
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  2004年7月6日(火) 道筋
昨晩テレビを観てると、NHKに松岡正剛が出ていて「和漢のさかいをまぎらかすことが肝要」という村田珠光の言葉を紹介していた。

勝手に、都合よく、すぐに、現代に置き換えて考える癖のある我々「建築ツウ」は、そのことは今の時代も同じだと感じる。

つまり村田珠光の時代も、なんでもかんでも「唐物はええで」「舶来もんはええで」ということになっていて、じゃあニッポンって何やねん、和ってなんやねん、と試行錯誤をしていたに違いない。

たぶん、ずっとそうなのだと思う。かといって、鎖国するのでなく、その“さかい”をまぎらかす、つまり、和モノでも唐モノでもええもんはええんやと、別に分けんでもええんやということを珠光は言いたかったと“勝手に”解釈している。ニッポンはそれでいいのだと思う。一神教や政治やアカデミズム、日本伝統文化といわれている様々な流派などはそういう態度でなく“制限”をつける、“排他”することによってことによって成立しているんだと思う、そして自ずからその“弱さ”を露呈する運命にある。

“何モノでもない”でいることはとても強いことだと思う。

大島本“最終兵器”『普請道楽のススメ』の執筆はShare Spirit代官山の補修工事によって中断していたが、施主の快諾を得て、再開することになった。これによって『建てずに死ねるか!建築家住宅』『建築ツウへの道』と、ずいぶんと逃げ回り、遠回りをしたが、『普請道楽のススメ』は“施主本”という形式をとりながらも、自身の建築作品についての論考に道筋をつけるためのものにならなければいけないと思っている。
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  2004年7月5日(月) 趣味
夜、まだ土地を購入される前の若い(31才)御夫婦が事務所におみえになる。土地および建築家の選定中であるという。1時間くらい、お話をした。
いつものように「家づくり」について“滑らかに”喋ったが、最後に「大島さん、趣味は?」って聞かれて、しばし言葉につまる。少し考えて、建築家曰く

「普通です…」

何だそりゃ?
僕は仕事と趣味の境目がなくて、「仕事が趣味」ってわけでもないし「趣味は仕事です」とか「仕事は趣味」でもないな…何なのだろう、と日々悶々と考えている。「ただ生きてるだけです」…これも誤解を招くな…「好きなことを仕事にしていますから」これも違う、仕事ではやなことだってたくさんある…。公私混同、というか公と私がはじめから一体化している…。「趣味とはなんですか?」と聞き返すと喧嘩を売っているかんじになるし…。つまり僕にとっては「趣味」という言葉自体がすでに遊離してしまっているのだと思う。

ので、皆様、今後「趣味は?」御質問されて“しどろもどろ”になっている建築家をみて、大いに楽しんで下さいな。
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  2004年7月4日(日) 馬車道
午後14:00、虎の門のプロトハウスギャラリーにて、建築相談を受ける。和光市の方で、完全分離の二世帯住宅を望んでおられる。しかしコストが厳しい。正直にその旨を伝え、検討していただくことに。

16:00中目黒のアキラのリフォーム現場、解体の状況を確認してくれといわれたので、しばし観察。かなり激しい現場だ。「さっさと白く塗ってしまいたい」という欲望が沸いてくる。白い壁にはそれなりの力があることはわかっている。PAINT IT WHITE!。アキラならその欲望と戦いながら、丁寧に仕上げていくことができると思う。

18:00横浜のみなとみらい線「馬車道」駅にて、「雙徽第」主人西大條氏とその“軍団”の皆様と合流。BANK ART 1929という銀行をアートスペースにコンバージョンしたところで行われている「大野一雄フェスティバル」を拝見する。昨年秋の大野一雄氏のことは「建築ツウへの道」第90話に書いたが、このフェスティバルにおいて大野氏をとりまく状況が加速度的に進んでいることを肌で感じた。

写真は大野一雄氏と西大條文一氏
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  2004年7月3日(土) 棟上げ、建前、上棟、建て方
午前中「久我山の家」打ち合わせ。事務所に御夫妻と坊やにおこしいただく。第一案として、1/100模型、平面検討案を提出。L字型プランで、中庭を囲むという概ねの方針は御確認していただいたが、内部のプランニングについては再考が必要。

午後、「幡ヶ谷の家」上棟。前面道路がせまいため、クレーンは入れず、手搬入、建て方となる。大工さん5名、鳶さん4名にて手際よくこなす。

4時過ぎ、施主さんにありがたい上棟式の席を盛大にもうけていただく。深基礎の寝室に20人がすっぽりとおさまり、なんとも居心地がよい。御近所からもお祝のお酒が届き、なんとも暖かい現場だと感じる。「最近の職人さんは、みな車で来られているので、あまりお酒を飲まれません…」というのもこの現場では当てはまらなかった。駐車場所がほとんどない都心の現場なので、皆電車で来られており、しこたまビール、日本酒をいただく。中締めしても誰も帰らない(笑)という盛り上がりよう。

久しぶりに一升瓶から並々とコップにお酒をついでもらい、しばし酔夢紀行…。

大工さんのお酒のつぎかたが好きだ。
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  2004年7月1日(木) プライド
昨晩、近所で食事をしていると、隣の席に威勢の良い30歳くらいの、どうやら内装系、スチールパネルたてこみ職人らしき3人がいて、本人達いわく「ぶっちゃけ」話に花が咲いていた。

「オレは現場に緊張感をもたらす役割だ、人をまとめることはできない」
「○○さんは、いくらでも働き続けることができるから、オレたちは、○○さんが働きやすい環境をつくらなきゃだめなんだ」
「30にもなってるが、場合によっちゃパシリみたいなこともするぜ」
「電気屋は、ゴミ出して掃除しない。掃除しろというと、掃除機をかせという。貸さなかった。親方はどこだ!とつめより、親方探し出して“蹴って”やった」
「それはだめだよ、オレらは○○社の看板しょってやってんだから、キレたければ、自分の親方に“キレてもいいですか”って許可を得なきゃならん、そうしないと“暴力業者”というレッテル貼られて、会社に損失与えるぜ」
「売られた喧嘩は買うが、自分からは売っちゃいかん。詰め寄ることはするけどな」

たぶん大きな野丁場の現場で、それぞれ別の組みで働いている、昔からの知り合い3人組が、久しぶりに飲んだ、といった感じだった。

職人さん達のメンタリティーをこれほどまで生に聞いたのは久しぶりだ。
それぞれの、仕事に対する姿勢やプライド。

みんな、激しく生きているこの世界が、僕は好きだ。

さあ、上棟前の「幡ヶ谷の家」現場に行って来よう!今日は土台敷だ。
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