OCM一級建築士事務所
 

2004年06月


  2004年6月30日(水) かみなり
暁の夢の中に、雷のゴロゴロという音が入り込む。

『イワン雷帝がワシリー寺院を設計した建築家の目をくり抜いたり
ロシアの一部がイギリスのリゾート地になっていたり
○ ○教授に、なぜ電線が地中に埋込まれないのか、とつめよったり
アインシュタイン塔が近いから、皆と離れて、一人歩き出したり』

そんな夢の中に、雷の音が入り込んできた。
梅雨、最後の“あがき”といったところか…。
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  2004年6月27日(日) 水族館
朝、普通に起きて、9時から仕事開始。月曜日を締め切りに設定した仕事を粛々ととりおこなう。無事19:00には終了。

たしかFOURBEATの羽田野氏が新大久保でライブをやっているはずなので、電話で場所を確認し、向う。大久保水族館という変な名前のライブハウスだった。
そこには羽田野氏をはじめ僕より10才年上の世界が繰り広げられていた。ゆるゆるのブルースやブギウギ、ニューオリンズといった皆で共有しているリズムと3コードにのって、みんな好きにセッションしたり、飛び入りが入ったりして、なんともうらやましい世界があった。

大久保水族館は、その名の通り、水槽がいっぱいあり、魚や亀がいる。毎日毎日ドラム音、振動を聞かされているアロワナは、一体どんな気分なのだろうか。
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  2004年6月26日(土) 室内
「室内」7月号の新刊紹介にて『建築ツウへの道』の書評をしていただいた。「山本夏彦が“タイトル作家”だとすれば大島健二は“目次作家”だ」と評されていた。作家の意図の範疇なので気付いていただいて光栄である。また「これを読んで『建築ツウ』になれると思ったら大間違いである」というのも大正解!。さすが「室内」!。山本夏彦氏が亡くなられた後も、その意志はしっかりと編集部に引き継がれているようだ。秀逸な書評は気持ちが良い。

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先日渋谷を散歩しているとき、東急ハンズの向いぐらいに新しくできたモンベルのビルにてロッククライミングを“させられて”いる子供を発見。ロッククライミングというより、ほとんど宙ぶらりんで、命綱にて救出されている子供といった趣で笑ってしまった。都市は一体何になりたいのだろうか…。

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昨晩冷蔵庫をのぞくとアンチョビーがプルッと2尾残っていた。思わず一つをカプッとかじってしまい塩辛くてあわてて歯をみがいた。今日の昼、リベンジと思い、コンニャロメっとざくざくにみじん切りにして、ニンニクで風味をつけたオリーヴオイルとねぎとベーコンで炒めてスパゲティ−にしてやった。アンチョビーは影もかたちも亡くなり、いい塩味と香りだけを残していた。

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  2004年6月25日(金) 3*9
39才になった。
夜、FOURBEATの谷氏、SITEの斉藤氏、GLAMの山田氏の来訪を受け、スタッフの手料理で誕生日を祝ってもらった。夕方僕がいない間にRe-のアキラもかけつけ、“勝手に”(笑)タコのマリネをつくって、帰って行った。

同時に7/1にはOCM開所4周年を迎える。
独立して9年。
東京に来て13年。人生の1/3の月日が東京で流れている。残りの1/3は神戸、さらに残の1/3は兵庫の加古川、ということになる。

と、自分の過去を数値化してみて何想う。
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「新しい住まいの設計」8月号(扶桑社)の巻末に、「雙徽第(そうきてい)」に附随する八角形の茶室「含翆盧(がんすいろ)」が紹介されています。
普請道楽な施主の姿が赤裸々に描かれておりますので、御高覧くださいまし。
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  2004年6月24日(木) 坂
朝「幡ヶ谷の家」現場。基礎立上がりコンクリートの止水板など確認。
午後バンタンデザイン研究所中目黒。恵比寿から中目黒までの徒歩、太陽がじりじりと照りつける。東京は案外起伏に富んだ街であることを、ここ恵比寿、中目黒間でも十分に感じることができる。

なんと別所坂という裏道には“手摺”がついている…。

別にリゾート地には行ってないが、僕の顔はすでに黒い。明らかな現場焼け、もしくは散歩焼け。

写真は「変型9坪ハウス」のプロジェクトに追い込みをかける学生たち。
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  2004年6月22日(火) 血族
夜いとこの、Bさんが来所。おみやげに黒木本店「ハナタレ」というアルコール度数40°を超える焼酎をいただいた。興がのれば90°のスピリタス(ウォッカ)も飲む僕ではあるが、度数だけではなく、そのまさに“酒の精”といった感じの濃さに、何度もむせながら、味を堪能した。

計算してみると20年ぶりくらいの再会ということになる従姉妹のBさんと、いろいろな話をする。“親戚とは、血筋とは”……まるで中上健次の世界のような話し、まではいかないが、妙なリアリティーをもった夜噺であった。
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  2004年6月21日(月) コミュニケーション
午後から雨。湿度が高い。所用で新宿の西口へ出向く。おそらく湿度100%近くになっていたと思われる地下街を久しぶりに歩く。某社、某氏と会いニッポンの住宅について話し合う。

久しぶりにちらりと建築家石山修武の日記をのぞくと、辻占のような素敵なコトバが流れていた。

「久し振りに友人に会ってビールをすする。マア、それ位の嬉しさはあってもよい。昔はこの感覚を義理と人情と言った。銭金抜きの交流は今では稀だが、このベースが無いと、人生は極めてあやふやなモノになるのを知っている。初期モダニストは、この感覚を表に出すのを嫌った。弱い人間であるときめつけられるのを恐れたからだ。しかし、一人の人間の生き方を考えるならば、それは独人の熟考と小集団の交わりの連続に尽きる。人間が生きるのに最小限に必要なのはスペースでも場所でもなく、コミュニケーションなのだ。」

その通りだと思う。
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  2004年6月20日(日) ヤマンバ
土曜日は「逗子の家」打合せ。概算見積がアップして、工事費の方向性などを確認。中庭やアプローチ廻りもしっかりと設計していくことなどを確認。

施主さんが風水に関心をもたれて、現在のプランニングに対して少し不安を抱かれている。中庭、便所、階段の位置、玄関の抜け、などなど。施主さんの不安が解消されるような良き方向に道筋を引かねば…。

夜、O編集長と打合せ。タイ料理、鉄板焼、寿司、アイリッシュパブというむちゃくちゃな梯子におつきあいいただく。ビール、紹興酒、冷酒、ラム酒とを飲み、今後の「建築ツウ」の歩むべき方向性を確認しあう。

日曜日、渋谷まで散歩。ヤマンバがいたので撮影させてもらった。
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  2004年6月18日(金) 勇気
朝一番で「幡ヶ谷の家」基礎底盤の配筋をチェックしに行く。明日の降水確率を確認すると0%なので、コンクリート打設に問題なし。

「逗子の家」パースにコピックと鉛筆で色をつけて、基本設計書をまとめて、今晩概算見積が上がってくるのを祈るように待つ。

「蕨の家」実施設計の佳境。

「久我山の家」毎日少しずつスケッチを続け、徐々に第一案が生まれてきた。

代官山の補修工事が収束したと思われるので、施主さんに電話。一度会ってこれまでのことについての“精算”をしたいという旨を伝える。今日は施主さんが忙しいので、来週再度アポを入れることにする。

動きの止まってしまった未完の著書『普請道楽のススメ』をお蔵入りさせないため、いくつかの“勇気”が今後必要になる。

そのことについて話し合うため、明日O編集長と「6.19恵比寿会談」を行う。
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  2004年6月16日(水) 消防小屋
気温28℃、湿度45%、晴れ、爽やか、これが梅雨の正体だ。

今日の『建築ツウへの道』
●福島の関澤さんという建築家の方が自身のホ−ムページで書評をしてくれている。

Exicite books というサイトで斉藤哲也というフリーの編集者、ライターの人が書評をしてくれている。その他の書評もおもしろい。建築書としてではなくみうらじゅんと同列に扱われているのが、こう何というか、グッとくる。

インターネットというものは大したものだ…。
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  2004年6月15日(火) アジテーション
仕事終了後、スタッフとともに「スケッチ大会」。10分のタイマーをセットして、それぞれ同じお題でスケッチする。人の顔だったり、想像の世界だったり、抽象の世界だったり。写真は「子供」というテーマの僕のスケッチ。

 内海さんから、“また”内覧会の案内をいただいた。今度もすごい。添付された写真をみて、しばし唖然。80年代の北川原温のような勢いと、シュールレアリスムの臭いがする。かつ「機能を超え美学的にプログラムされたフォルム」と明言し、アジテートしている。確信犯だ。今度ゆっくりとお話をうかがいたいと思っている。

マイルス・デーヴィスのagitationという曲が頭の中を流れる。
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  2004年6月14日(月) 猿の芋洗い
インテリアデザイナーの和田浩一氏から愛のあるメールをいただいた。「建築ツウへの道」感想文である。
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大島さんへ

本、読んだ。

おもろかったよ。

一つ一つの言葉に「愛」があっていいね。

やっぱ、大島さんは建築が好きなんやなぁー、ってかんじ。

個人的には髭をそり落とした後だったので、安藤忠雄の髪型の話はグサッてかんじ。

あと、自分の意志とは関係なく、「原住民」へと引きずり込まれ、でも、その圧力に抵抗しつつ、もがいているボクのようなタイプはどこに行けばいいんだろう・・・自分中心に「地元」を再構成するわけにもいかず、抜け出すこともできず。ずっと入植者的立場にいることもできず、、、でも、原住民にはなれないと思うんだよね。。。
なんてことをブツブツ考えてしまった。

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本は、やはり自分の事におきかえて読むことができれば、その人にとってはいい本だと思う。

「所長!大変です!カーサ・ブルータスにて『建築ツウ』というコトバが乱舞してます!」と、スタッフに教えられた。まあ、いいのではないか!。「建築ツウ・カーサ・ブルータス派」(なんだかカタリ派みたいな響き…)や、「建築ツウ・OCM派」があっても、と、言いつつちょっと「ムカッ」…やっぱ、ぱくられたのか!それとも、猿の芋洗いと同じシンクロニシティーか!
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  2004年6月12日(土) 内海さん
昨晩は学生たちと新宿にて懇親会。いつもは大人しく、まじめすぎるのではないかと心配していた学生たちも、お酒を飲むと普通の若者、一安心した。しかし講師が一番元気だったのは言うまでもない…。

午前中、「幡ヶ谷の家」現場、隣地のフェンスが当敷地に食い込んでおり、ドライエリアがせまくなる、とか、地中から謎のガス管が現れ、東京瓦斯に切断の依頼をしたりと不測の事態がつづき、施主さんに心配をかけている。施主さんの意を動いている現場にうまく伝えられるかが、僕の仕事。

午後、国立にスタッフ二人を連れて建築家内海智行さんのオープンハウスをみにいく。間口3.5m、奥行き25mの特殊な、しかし建築家ならよだれがでそうな敷地ニテ、内海さんは“かっこいい”建築をつくりあげていた。最近心底“かっこいい”と思えるのは内海さんの建築くらいだと思っていたので、その柔らかい光の空間に身を浸してしばし気持ちよさを味わった。
しっかりと「造形、美」について意識して確信して、かつその能力があって作品づくりをしているのは内海さんくらいしかいないんじゃないかなと思っていたが、この家をみてますますそう思った。

帰りに一橋大学の伊東忠太のロマネスクな建築群に挨拶をして、建築で一杯になった頭を溶かすため日本酒を飲み、カラオケをして、「建築ツウ」の一日は無事終わった。
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  2004年6月10日(木) 血液型
学校で学生が血液型の話をしているので、割って入った。
大島講師は何型だと思うかアンケートをとったところ、O型が一番多く、次いでB型であった。A型と予想した学生は一人だった。しめしめ。

僕はおそらくA型でありながら、その範疇から逃れようともがいている日々を送っていると思われるので、そう思われることは、その些細な努力が実っているということであろう。

二十代の後半頃、独立しようとイメージを沸かしていた時、有名建築家の血液型を調べたりしていた。インターネットもない時代、よくそんなものが調べられたなと感心するが、A型に伊東豊雄がいたので正直ちょっとイヤだなと思った覚えがある。そうとうがんばらないと「ナイーブな建築少年で終わっちまうな」と感じていた。

しかし、いずれにしても「コツコツ地道に…」というあまりカッコ良くないコトバがA型にはあてはまる。かつそれを他人に「コツコツ地道に…」という風にみせない努力が必要になる。
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  2004年6月9日(水) エース
午前、工務店打ち合わせ。午後「幡ヶ谷の家」現場監理。『建築知識』用400文字文章作成、その他設計図作成。
ホームページのアクセス解析を“解析”していると、いろんなサイトに逆アクセスできるので面白い。「建築ツウへの道」を買った、というはてなダイアリーや、OCMがなぜか“shop”のところで紹介されているアロハカメラ@ワイキキスタジオ:アンテナとか。基本的にはとても嬉しく、ありがたく思っている。

しかし、皆匿名なのはなぜだろうか。それとも、僕が知らないだけか、それともネット上では匿名が常識なのか…。不思議に満ち満ち溢れている。

※写真は街でみかけた素敵なスクーター。1960年代のもので、これに乗っているとベスパ界では“エース”と呼ばれる。中古市場価格は程度がいいと80万円くらい。
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  2004年6月8日(火) 雨空の間隙をぬう
昨晩はA君とリフォームの打合せ。その後近くの飲食店にて、うちのスタッフ達と一緒に飲食をする。勘定をする際、「わしが払う」「いやワシが払う」とおばさんみたいな問答になり、結局押し切られごちそうになってしまった。「設計料から引いとくわ(笑)」と言われ「よろしく」と建築家。

午前中「蕨の家」打ち合わせ、施主夫妻と眠ったままの娘さんが来所される。実施設計の最終段階、細かい調整を行う。図面のアップのため「お尻に火が付く」。

午後、代官山「ペル・ウナ・カリーナ」という僕が4年前にDIYで手掛けたお店から電話。玄関ドアの「カチン」と締まる「真鍮三角締まり」のバネが折れたらしく扉がブラブラなので修理しに行く。状況を見て、取外し、新品をハンズに買いに行って、戻って付けて、お茶をいただいて世間話をして帰ってきた。計1時間。

効率の良さは誰にも負けない。おまけに「路面店まだ出さないの?デザインするよ」と冷やかしで言うと「いま物件探してる、どっか見つけてきて」と、営業活動までしてきてしまった。

雨空の間をぬって、スクーターで駆け回る。

※写真は街でみかけた素敵なスクーター。
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  2004年6月6日(日) 七輪vsアーモンド・オーレ
珪藻土の左官塗壁が好きで使っているが、自然素材云々ということを施主さんに切々と説くことはない。僕の興味は、色とそのボソボソ感である。
うす紅色の珪藻土は、なんだか手のひらを太陽に透かした時の色みたいだし、何となく体温を感じる素材だと思っている。そう、切ったら血がでそうな、あの感じ。よって、論理的ではない。

だいたい見本を見てもらうが、ない時は「思い出してみて下さい、七輪の色です」と言ってるが、先日の打合せで施主の奥様に「ああ、アーモンド・オーレ色ってことですね」と言われて、建築家は赤面…。同じ色で、僕の頭の中には“七輪の中に入ってさんまを焼いている気持ち”になっているのに、施主夫人の頭の中は甘い香りのアーモンド・オーレ…。感動してしまった、なんとオシャレで素晴らしいコトバなんだろう。

しかし、使いこなせるまでには練習が必要だ、どこに行けばアーモンド・オーレに出会えるのだろう…ここ恵比寿は“おしゃれな街”きっとあるに違いない…。
「七輪の中にいるような空間」
「アーモンドオーレの海に抱かれたような空間」
あなたはどっち?
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  2004年6月5日(土) ハワイ
午前中「幡ヶ谷の家」現場。半地下の根切り底と、砕石の転圧状況などを確認する。
こういう確認は、問題なければ5分くらいで終わるが、それでも重要である。建物が接する大地の地肌に挨拶をするという観念的な意味においても。

午後「久我山の家」打ち合わせ。御夫妻とお子さまが事務所にいらっしゃる。旗竿敷地であるが、広く、余裕があるので、配置計画が重要となる。その他、家についての思い入れやイメージを語っていただく。Share Spiritの建物も気に入ってるとおっしゃって、少し興がのって、「お店のようなおうち」と奥さんがおっしゃると旦那さんは少し目を丸くしていた。「バリじゃなくてハワイ…」と奥さん、建築家曰く「あ〜〜なるほどね!素敵ですね!どっちも行ったことないですが…」

打合せが終わったあと、ハワイのことを考えながら、さっそくスケッチブックをひろげて少しエスキス。インテリア、スタイルのやわらかいお話から、脳味噌を建築家的、構成的、空間的に切り替える。アイデアがいろいろ浮かぶ。面積も予算も少し余裕を持たせていただいているので、いつもとは違う何か、方法論で設計したいと考えている。
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  2004年6月3日(木) つゆ
今日は6月だというのに、湿度が30%台であった。ちょっと「こほっ」とのどがひっかかったりした。

6月=ジメジメしているという先入観はなしにしましょう。僕は6月生まれなので、なぜか6月には思い入れがある。また昔会社から通わされていた英会話学校の、ブルーベルベットに出てきそうなサイコないいおじさんが、「6月、ツユ、スキデスネ、雨がシトシト降ルト、全テガ静カ、素敵デスネ、スズシイシ」って言ってたのを思い出す。

そう、梅雨はすずしいのだ。

僕の誕生日はいつも雨で、庭に紫陽花がさいていた。22:22
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  2004年6月2日(水) 秦さん
昨日の夕方、新しくはじまる『久我山の家』の敷地をみにいく。
井の頭線の急行で15分程度、意外と近いことを感じる。駅を降りて、敷地まで何分かかるかストップウォッチをセットして歩き始めるが、敷地に着いた頃はだいたいストップウォッチのことは忘れてしまっている。スパゲティ−を茹でる時と同じだ、気が付くとストップウォッチが23時間くらいクルクル回っていることがある。

「閑静な住宅街」というだけでは物足りない何かがあった。まず、うろうろしていると「秦」(はた?はだ?)さんという名字を何件かみつけた。
昔加古川という町に住んでいたときは「秦(はだ)」「畠(はた)」「畑(はた)」という名字の人が多い町があって、明らかに渡来してきた人々の形成した集落という感じであったが、ここ久我山の「秦」さんはどこから来たのだろう。

そう思いながら駅に歩いて帰る途中、ピーッコックというスーパーがあって、そこの看板の下に「会長 秦のなにがし」と書かれていた。うん、かなり地元の有力者のようだ。

だからそれが直接家づくりに影響するのかといえばNOである。が、無意識のどこかに、小さな引出しが一つ増えたことは間違いない。

施主さんの中の無意識を引出しながら、僕の中の無意識の引出しと照らし合わせていくカード合わせのような作業が、住宅の設計なのかもしれない。その作業をデザインと呼ぶ。
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  2004年6月1日(火) 加賀鳶
建築知識O編集長の日記を読んだら「『加賀鳶』を飲んだ」と書いてあった。笑ってしまった。僕も全く同じ日に同じものを買って飲んでいたのだ。(今ゴミ箱の中の空き瓶をみて確かめた)この確率はかなりのものである。しかし、同じ東京の冷酒の市場の流通からしてみれば、案外確率は高いのかもしれない。後はもちろんその日の天候や懐具合にも大きく左右されると思う。


雨が降っていて、昨日より10°以上気温が低いという。くしゃみを何回もする。

昨晩、高校の同級生のA君が来所。ビールを呑みながら新しく購入した建売住宅の内部のリフォーム計画についての打合せをする。

彼は「ここんとこの窓小さいから大きくしたいねんけど、買うたとこにゆうてもやってくれへんにゃわ。なんでや?。でけへんのんか?大島もやっぱでけへんか?」という。
播州人建築家曰く「新築やから、家全体の保証せなあかんやろ、今のこの完成品でやつらは保証するっちゅっとるわけやから、外壁や窓いじんのんは、ひくんちゃうかな。もちろんワシかてひくで、もし雨が漏ったらどっちの責任やわからへんしな。」

などなど。内部は本棚、机、間接照明などをやろうということで方針がかたまる。

先日大阪の堺出身の施主さんに「播州ってコトバやばいんでしょ」と指摘された。大阪の人がそう感じるということはおそらく「播州弁」は日本一汚いコトバかもしれない…。
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