OCM一級建築士事務所
 

2004年05月


  2004年5月31日(月) ケルト
池袋には行かなかったが、いい本をみつけた。
『ケルト巡り』河合隼雄(NHK出版)である。

「建築ツウへの道」はできるだけ世の中の事象の“機微”に触れようとはしているが、乱雑なまま、放ったらかしたままで皆さんに読んでいただいている。もしくはこの酔余漫筆の中に“魔”の話や、“神”の話が出過ぎてやないか?大島健二はオカルト好きか?霊感があるのか?といった嫌疑が浮かんでもしょうがない。はたまた「建築ツウへの道」の中には自殺やノイローゼの話からはじまり、あまりにも暗すぎる導入部であるといった声も聞かれるる。もちろん僕はオカルト好きでもなければ、霊感もないし、エコエコアザラクとは叫ぶが、黒魔術はやらない。しかしそれらを整理してうまく伝えられないでいたが、この『ケルト巡り』は見事にそれらを伝えてくれている。

「お話・お噺」「ノイローゼ」「キリスト教」「近代」「理性」「妖精」「アイルランド」「神話」「イェーツ」「ラフカディオ・ハーン」「おばけ」「イザナギ・イザナミ」「個人」「人間も自然の一部」「ゲニウス・ロキ」

などなど不遜ながら「建築ツウへの道」と『ケルト巡り』との共通点は明らかに多い。

「私が一番関心のあるのは、現代人---それも多くの場合、日本人------の生き方である。様々な悩みを持って、私のところへ相談に来られる。親子、夫婦、職場の人間関係。ノイローゼの症状。それらの訴えに対して個々に解決の道を見出しながらも、それらすべてに、この現代という時代をいかに生きるのか、もっと言うなら、人間は何のために生きるのか、何を支えとして生きるのか、という根源的な問いが底流しているのを感じる。そしてそれは取りも直さず、私自身に対する「いかに生きるのか」という問いとしてつきつけられてくるのだ。」
『ケルト巡り』あとがきより

これが『建築ツウへの道』においては「なぜ人は建築するのか?」という根源的な問いになる。
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  2004年5月29日(土) 西日
熱くなってきた。日射しが夏のそれになってきた。
午後「逗子の家」打ち合わせで荻窪へ。内部の仕上げの方針や、キッチン周りの方針、電気計画の概略などについて打ち合わせする。

終わったのが18時前だったので、荻窪駅北口駅前のバラックのような立ち呑み屋でビールを飲む。もう一人のスタッフも荻窪に呼び寄せ、しばし慰労会。
最初は立って呑んでいたが、途中で丸イスとベニヤ板の席に着席。西日が心地よく風の通りもよく、行き交う人々を眺めながら昭和な雰囲気を楽しむ。ほとんどは一人で呑む人々、その表情が良い、まさに至福の一時といった感じを一人一人が出している。他には野球帰りの親子や、中央線系お洒落カップル、黙ってもくもくと呑む同じ顔して同じめがねをかけた老母と娘。

しかし、店の奥の方に、悠然とタバコをふかしながらの背筋のピンと伸びた初老の紳士がいて、ことあるごとに店を仕切っている「あっダメ、そこは立ち呑み席、イスはダメ」「この人達座らせてあげて!」などなど。オーナーだろうか。駅前で、バラック状態で、何十年も、かつ活況を呈しつづけることに対して、何か大きなストレスが存在しているように感じた。地上げ屋に対してか、警察か、税務署か、それともヤクザか…。何かから店を守っているという感じがひしひしと伝わって来た。
しかし、よそものの僕らにはやさしくしてくれた。
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  2004年5月28日(金) 新宿サブナート
授業終了後、講師仲間の北原氏が、僕を“出待ち”されていた。赤い本と青い本1/3ぐらい読まれて、「議論がしたい」と申し出られた。逃げるわけにいかず(笑)「ポジティブな議論であればOKですが」といろいろ言い訳をしておいて、駅まで歩いているうち議論がはじまってしまったので、議論をしながらライオンの階段を降りて行った。

氏の主張した点の抄録。
「住宅は“建築”ではない」
「住宅に“デザイン”はいらない」
「“ビフォーアフター”と“お部屋改造”と“デザイナーズマンション”に影響を受けて建築家になりたいと言ってくる若者が、住宅業界に流れ込むのはまずい、即刻住宅設計を諦めさせるように大島さんが言って下さい」
「特にバブル期多く建築された多目的ホールのたぐいは、機能を満たさずにデザインが優先されていて、それは困る。そんな建築界ではいけない。」

他にもあったと思うが、氏の主張はこんな感じだったと思う。

すべてについて、へそ曲がりの僕は首をたてに振る気にはなれなかったがそれに対する、異論反論とは以下の通りである。

「住宅は建築ではなく、巣からの派生であることを認識している。建築とは塔(バベルの塔)など人間があくなき欲望をもとにして神に近付きたいがための営為であり、住宅とは巣、竪穴式住居のごときものである。しかし、“僕は”一部の住宅には建築的要素を付加してもかまわないと思っている。個人がバベルの塔を建てることがかなわない現代において、単なる道具ではなく想像力が天を舞う装置であってかまわないと思っている。もちろん“想像力”を必要としない“道具”のような人生を送っている人にとってそれは無意味だが。」

「ゆえに、それが僕の言う“デザイン”である。」

「つまらないテレビ番組であろうが、何を根拠にしても建築がやりたい、住宅がやりたいと思ってもかまわないと思う。“そんなもんじゃないよ”ということをしっかりと僕は学生たちに伝えている。建築や住宅に対する知識や思考は決して職業訓練用のものではない。人間が生きて行くために必須の知識であり哲学であり、本来小学校で教えられるべきものである。その機会にめぐまれた学生たちに“あきらめろ”というのは全くの筋ちがいである。」

「つまらない多目的=無目的ホールが多くつくられたのは建築家の責任ではない。建築家を含めたニッポン人の民度の低さがまねいた結果である。中身=ソフト=劇場・ホール文化のない日本人がなぜそんなものを建てようかと思ったのかこそを問いつめるべきである。劇団四季や、日本人のくせにタイツをはいてハムレットやってる人々の責任は大きい。」

また普請道楽についての話もでた。以下私見。
「普請道楽する旦那がいなくなったという考えだけでは発展性がない。普請道楽に応えることのできる建築家が、建築文化がなくなったから、旦那は今普請道楽できなくなって困っているのだ、と考えたい。いつでも僕らは普請道楽に応えられる準備をしておかねばならない。」

以上、「建築ツウ」的“異論反論新宿サブナート”でした。
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  2004年5月27日(木) 別条なし
昨日、事務所のベランダでタバコを吸って駒沢通りを眺めていると、タクシーとおじさんが乗ったスクーターがぶつかった。命に別条なし。

先週は同じ場所で、赤いミニのワンピースの女性が運転する銀ギラのベンツが、TOMOS というモペットに乗ったデザイナー風の兄さんをはねた。命に別条なし。

これからは、あまりベランダから駒沢通りを“睨み”付けないようにしよう…。

これまでに乗った単車、ホンダ赤カブ50、カワサキGPZ400、ホンダGB250、ベスパ100、ベスパ125スプリント、ホンダシルクロード250、ホンダCB125。

「建築ツウ」の腰の軽さとバイクは切っても切り離せない。

命に別条なし。
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  2004年5月26日(水) ブルーマンデーをぶっとばせ!(佐野元春調で)
周りから「日記読んでますよ」と言われ、その数が増えていくと、急に失語症に陥る。独白であると思いこめば楽に書けるのだが、昨日はアクセスカウンターが一日で90にもなっていた。「建築ツウ」のせいか、どうやらアクセスが増え続けている。

問い)さてここで問題です。OCMのホームページは何曜日が一番アクセスが多いでしょうか?

答え)月曜日の日中です。 

逆に土日や休日はぐっと減ります。また水曜日くらいも落ち込みます。どうやら皆さん月曜の朝出勤して、なんとなくまだ仕事に乗り切らない時にキャラメル気分でOCMのホームページにアクセスして「フフフ…」と笑い、「じゃ!オレも仕事すッか!」となっているようですね。まさか月曜日にムクムクと「家づくり欲」が沸いてくるわけじゃないと思います。

先日オースガ編集長に「新宿はイイネ!」って言うと「いや池袋はもっといいよ!」と言われて、そのわけを聞くと「古本屋と立呑み屋が多いから」とのこと。今週末にでもちらっと寄ってみよう。
ちょっと最近「建築痛」なので建築以外の本を物色したいと思っている。
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  2004年5月25日(火) 「建築ツウが行く」-クラスカ編-
マニフェストの出版とともに「建築ツウ」が動き出した。

昨晩は、元建築知識編集部の加藤純さんの案内で目黒のホテルクラスカを訪問した。

加藤さんは現在クラスカに“長期滞在”されていて「是非『建築ツウ』にクラスカをみていただきたい」とありがたいコトバをいただいたので、ホイホイ出かけていった。恵比寿からタクシーに乗ったが、おどろいたのはタクシーの運転手さんもクラスカを知っていたことだ。こちらとしては気をつかって「あの〜目黒通りの清水のバス停の前に昔ホテルニューメグロってあったんですけど、そのあたりに行ってもらえませんか?」というと「ああ、クラスカね」とあっさり言われてしまった。
なるほどクラスカはもうそれほどこの辺りじゃ知らぬものはない存在になってるのだなと実感し、若干“おしゃれ建築スポットが苦手なのではないか?”との嫌疑をまぬがれない我々「建築ツウ」としては、「やばいやばい…」とつぶやきながら…

と「建築ツウ」風に書きはじめたが、以下はフツーの文章に戻します。

まず加藤さんに長期滞在の部屋を見せていただいた。現在3部屋がトラフ建築設計という若手の建築家集団によってリニューアルされており、写真に写っている鈴野さん、禿さんに直接御説明いただいた。決して広くはないシングルの部屋の壁面を“テンプレート”という発想で構成しており、その徹底ぶりはみごとだった。様々な要素を壁面にくり抜きながらも、決して威圧感、暑苦しさを感じさせないのは、さすが若い世代だなと感心。僕がやると、もっと“くどく”これ見よがしになるだろうなと思った。
アイボが部屋に標準装備されているのも驚いた、いやもうこういうことで驚いてはいけないのかも知れない。OCMの住宅にもアイボぐらいオプションでつけてもいいのかもしれない…。

その後フロントマネージャーの永野さんに無理を言って、スウィートの部屋を見せていただいた。インテンショナリーズの鄭さんのワールドが繰り広げられていた。

あまりにもオシャレで鼻血がでそうだったので、加藤さんへのお礼もできずに、おいとまし、とっとと恵比寿に帰ってきて安い焼肉を食べてビールを飲んでフツーの体に戻した。
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  2004年5月24日(月) 自主規制
ポム企画さんの日記をみていたら“30才過ぎたら語り過ぎに気をつけろ”“語らず唱え”こんなコトバが頭に残ったり、浮んだりした。たしかにそうだ。

「幡ヶ谷の家」施主さんから、玄関ドアの引手について「穏やかな曲線を描いたような、こうなんというか、伝わりますか?」というメールをいただいたので、さっそく喜んでスケッチしてファックスした。

コンピューターの前に座って“直線的な”図面を描いたり、文字を打ったりしていると、たまに手書きのグニャグニャスケッチがしたくなる。自分から施主さんに「グニャグニャにしたいんですけど…」とはあまり言わないが、施主さんから言われれば喜んでやる。受動的だと言われればそれまでだが、建築家はみな(僕は)様々な昨今の規制や、性能や、規格や法律、コストといったものにがんじがらめになっていて、自らの動き、潜在的な能力に制限をかけてしまっている。

人それぞれやりかたはあろうが、僕は返り血を浴びながらも、徐々にその自主規制装置を解除していこうと思っている。

※写真は瑞巌寺の花頭窓
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  2004年5月23日(日) 地鎮祭
午前、「幡ヶ谷の家」地鎮祭。中野の多田神社の宮司さんがいらっしゃる。施主さんのお子さんも二人同席する。子供達は宮司さんの「ウォォォ〜」という声をどんな気持ちで聞いているのだろう。もしかしたら、子供達には神様が降りて来ているのがみえているのかもしれない。記憶の奥底にこの風景が残ってくれるとうれしい。

祝詞(のりと)が非常に丁寧で、良かった。「設計」を「設け計りて」と訓読みしていたのが印象深い。

地鎮祭が終わったあと、一席設けていただき、おいしいお寿司とビールをいただいた。感謝。

※今日の『建築ツウ』
南洋堂で簡単な書評をいただいた。
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  2004年5月22日(土) 独り歩き
明日は「幡ヶ谷の家」地鎮祭。
神様が降りてきて拠りつきやすいように、今日は身を浄めて寝よう。
『建築ツウへの道』が書店に並びはじめた。渋谷のブックファーストにはいつもながらたくさん平積みになっていた。エクスナレッジ社の営業力に感謝。

これからは本が独り歩きしてくれることを切に願う。
様々な物議が醸し出されることを切に願う。
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  2004年5月21日(金) yoyogi
日中、新宿バンタンキャリアスクール。
講師の北原隆さんに、先日のフォークの話「吉田さん→高田さん」の間違いだということを御指摘いただいたので、早速修正します。ボーッとみていたテレビなので、ウッカリしていました。北原さんは何でそんなこと知ってるんだろう。あのフォークの世界は僕より10才上の人の世界だと思ってるんだが…。

昨日の“想像スラムダンク”についてのクレームのメールは一件だけでした。ホッ。

授業を終わって疲れて、代々木駅から山手線に乗ろうと思ったら、総武線に乗って新宿まで戻ってしまった。たまにやってしまう。いつもおきまりの通勤コースというものがないので、ボーッとしていると違う電車に乗ってしまう。新宿と代々木でよくある。だいたいそれは何か考え事をしているとき。

今日は授業で「鉄骨造」の話しをして「代々木駅は美しい!」と、また迷言を吐いてしまったので、帰りに不安になってこっそり見に行った。大丈夫、完璧だった。代々木駅のホームの架構は、レールの廃材でできています。それがなんとも優美な曲線を描いているのです…って考えてたら、電車乗り間違えたってわけです。
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  2004年5月20日(木) スラムダンク
午後からバンタンデザイン研究所中目黒。「建築ツウへの道」を宣伝してくるがなんとも照れくさい。おとなしい学生達の反応も冷ややか(笑)。みなコーディーネーター系の子たちなので、ちょっとハードコア建築本に過ぎるみたいだ…。

肉体的ヒローのピーク。マッサージに行きたいが、なかなか踏み切れない。

先日、学校で学生に対するアンケートをみたら、「好きなマンガ」という欄に「スラムダンク」と書いている学生が多かった。講師としてはどうすればいいのだろうか。読めないくせに、かまかけてオースガ編集長に相談してみると「一晩あれば全部読めます」といわれた。この何と言うか「みんなが知っているのに、全然知らない状況」ってのが楽しい。なぜならば、僕の中で勝手にスラムダンクを想像できるからだ。

以下、スラムダンクについての想像。
「主人公大介は中学生、バスケットボールのダンクシュートに憧れたが、なかなか身長がのびなくて、150cmしかなくて実現しない。ある日、ダンクシュートの神がいるというので、行ってはいけないといわれている危険なスラム街へ行ってみた。そこで大介は悪いやつらにつかまってしまって、悪戦苦闘する。ダンクシュートの神様に会うために様々な苦難を乗り越え旅にでる。神に会うためには12神と呼ばれる邪神を攻略せねばならず、そこがストーリー最大の山場で…。」

どうだろう、これが僕のスラムダンクだ。読まなくてもだいたいのことはわかる。
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  2004年5月19日(水) 湿度60%
工務店より「幡ヶ谷の家」基礎についての施工図があがってきたので、チェックバックする。
「蕨の家」施主からいくつかの変更点、確認事項のファックスが届く。メールでお返事する。
爽やかな季節から一転、雨の日がつづく。湿度も60%を超えている。

16:00〜22:00までShare Spiritの補修工事、監理。ぼーっと見ているわけにいかないので、掃除機をかけたり、養生を直したり、ペパー、サンダで床をけずったり、オイルステイン、ワックスにて床の色あわせなど、床を這いつくばって行う。といえば聞こえが良いが、本当はこういうことはやってはいけない。施工者に責任を持たせるべきである。こういうことをしていると、肝心な工事記録写真を撮り忘れたり、全体への配慮を欠いてしまったりするおそれがある。本来監理者は監理者に撤しなければならない。

わかってはいるが24時間以上ぶっ通しで働いている職人さんをみると体が動いてしまう…。
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  2004年5月17日(月) 高尾山の天狗
午前中「蕨の家」実施設計打ち合わせ。施主夫妻に事務所までご足労いただく。風呂の位置、駐車スペースなどについていくつか変更有り。その他仕上げ材料の確認などをしていただく。

「Wビの家」の場合は土地から購入していることもあって、銀行のローン申し込みをしなければならないのだが、設計段階なのに“銀行さんは”「工事契約書」が必要であると言う。
「Z子の家」の場合も同様で土地のローンを組む段階で、設計すら未契約なのに“銀行さんは”「設計図と見積もり書」を出せという。
「Hヶ谷の家」の場合は建物のローンだけだが“銀行さん”は工事費見積の中に設計料も入れろ、という。

いくら「建築家住宅ブーム」と盛り上げてみせても“設計と施工が分離していて、かつ設計期間に半年以上かかる我々の仕事”は、少なくとも“銀行さん”には全く理解されていない。施主さんには、のんびりとした設計作業に根気強く付き合っていただいているだけでも頭が下がるのに、かつ“銀行探し”“銀行との交渉”などに多大な労力が必要になってしまっているのが現状だ。

つまり“銀行さん”にとって「建築家住宅」とはいまだ“マーケットという蚊帳の外”=マイノリティーなのである。

夜8時より、Share Spirit夜間工事。翌朝の11:30まで続くが、2:00〜7:00までは現場を離れ仮眠。明日も同じ工程。第三者検査員が介入しているはずだが、夜間作業と休日作業が続いているので彼にとっては時間外業務、全く現場にあらわれない。
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  2004年5月16日(日) 水 菜
じめじめとした一日。日中仕事。夜は自分でメシをつくった。先日“おしゃれ豆腐レストラン”で食べた水菜がおいしかったので買ったが、3把?3束?もあったので、水菜づくしになってしまった。

「水菜+トマト+タコ+アスパラのサラダ(バルサミコ酢+オリーブ油+レモン+塩+コショウ)」

「おぼろ豆腐+カツオ節+水菜+しょうが」

「塩蔵わかめ+きゅうり+タコの三杯酢あえ」

「ブタ+しめじ(オイスターソース+干しえび+鶏ガラスープ+焼酎+片栗粉)」を炒めて、水菜の上にぶっかけ。

「加ト吉の冷凍さぬきうどん(ざる)」を「ヒガシマルうどんスープ+しょうが」につけて。
そして、頂き物の岡山の古酒をいただく。

あるある大辞典でしつこく「酢を飲め」と言っていたので30CC飲んで寝た。

WEB 更新情報-----------------------------------------------------------
□WORKSに「小岩の家 」・「Museum of Share Spirit」・「六角橋の家」を追加しました。
LINKS・archiveを追加しました。
□大島本第二弾「建築ツウへの道」(エクスナレッジ 刊 エ2400+税 ) が5月20日に発売になります。
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  2004年5月15日(土) Rolling Stone
午後「幡ヶ谷の家」工事契約締結のため、永福町の工務店に赴く。今後の工事についての日程や、監理、近隣への配慮、地鎮祭のことなどについて打ち合わせる。

帰って昨日手にした「建築ツウへの道」を何度も“触る”。来週末には書店に並ぶ予定。しかし、いつまでも戯れているわけにもいかない。これまでの“建築の周縁的思考=設計のための胚珠”の集大成であるからこそ、次へ進まねばならないというプレッシャーを感じる。新たな思考の境地へ到達せねばならない。

レッテルを貼られては剥がし、貼られては剥がしを繰り返さねばならない。Rolling Stone でありつづけなければならない。

夜、テレビをつけると、高石ともや や、高田なんとかというおじさんになってしまったフォークシンガーのドキュメンタリーをやっていた。高田さんが演奏しながら泥酔してステージ上で寝てしまうシーンが写し出されていた。何かこう、まやかしでない、リアルなものを感じた。

そろそろ僕もリズム&ブルースからリズムを撤去しなければ…。ダンスはもうやめよう。かつ、つまらない紋切り型のコード進行に頼るのはやめよう。オートマティカルな行為はやめよう。
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  2004年5月14日(金) スライドショー
一日中、バンタンキャリアスクール新宿校。午前中はスライドを上映した。100枚のスライドで2時間弱しゃべった。少しでも学生たちに「カーサブルータス」離れしてもらいたくて、10年後、5年後自己がメディアとして発信できるような準備を、蓄積を今からしときなさい、といったメッセージをこめて、建築以外の風景や、廃墟、アートなども含めて、名付けるとすれば「空間ヴァラエティースライドショー」といったところか。

午後からは製図の授業。コンピューター全盛の時代だが、いまだ手書き製図の授業は存在する。彼らにとって、最初で最後の手書き製図かもしれないが、その大変さや、紙と鉛筆の先きが触れあう、その極小の空間に神経が集中する瞬間、息を殺して線を引くといった肉体的かつ精神的な集中力を感じてもらう。先人達へのリスペクトも込めて。

夜そのまま、「建築ツウへの道」出版のお祝をしていただくためオースガ編集長たちと歌舞伎町で落ち合い、“品よく会食”。
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  2004年5月13日(木) オー人事
スタッフに「エビスさんって、大国主神の子供でもあるんですよね?」って聞かれて、所長曰く「あ、ああ…、そうなんだ」と、知識の浅さを露呈した。
“オー人事…”
その後こっそり調べたが…どうやら、いろんな説があるみたいだ。

 今日もミスをしてしまった。
工事請負契約前の最終段階、金額調整で、メールでのやりとりで施主の意向を組みとれず先に進め、不快な思いをさせてしまった。
内省の日々は続く…。

明日の晩は“バッティングセンターで打率好調”な人と“会う”ので、今晩は素振りでもして寝よう…。
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  2004年5月11日(火) ちょこちょこっ
建築家の駒田剛司さんからちょこちょこっとメールが来た。ちょっとした情報交換と「最近どうよ?」的な、ちょこちょこっとした会話を“メール”でやりとりした。
 駒田さんは僕と同い年だけど、僕なんかよりちゃんとしていてアカデミックな人で、何かちょこちょこっとした時に知り合いになった。

何度も言うが僕にはあまり建築家のお友達はいない。学閥も師匠もユニットもないのでしょうがない。石山修武らの若い頃のように、もっと今のうちに“喧嘩”しておかねばならないのかも知れないが、どうもそれもない。
数少ないお友達は、こう何と言うか、大事に、大事にしてしまう。

ちょこちょこっとやりとりする情報交換は「工務店、プロデュース会社、材料」くらいかな。
でもそれが結構貴重だったりする。
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  2004年5月9日(日) ざんき
土曜の晩より、Share Spiritの1階部分の水場の防水補修工事。21:00〜翌朝の11:00まで。僕は途中で4時間ほど帰って眠ったが、工事の人はぶっ通し。クライアントにも迷惑をかけているが、職人さんにも頭が下がる。
「慚愧に堪えない」という政治家がよく使っている言葉が身に沁み入る…。

日頃ほとんど、いやまったく徹夜することがないので、完全に体内時計が狂い、いま何時なのか、何曜日なのかわからなくなる。たぶん、日頃は普通の人以上に時間を意識して生きているのだとつくづく思う。

午後「逗子の家」打ち合わせで荻窪へ。徐々にプランがかたまりはじめる。おいしい手づくりパイをいただいた。珍しいジャムの名前を教えていただいたが、うっかり忘れてしまった。ルーブル?ローリエ?ルッコラ?すみません…。
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  2004年5月8日(土) 検査員
午後、高校の同級生A君の依頼で、小田急線「鶴川」にある野村不動産「千都の杜」という新興住宅地へ赴いた。今日はさしずめ第三者検査員、インスペクターとしての仕事。いつも検査されてしぼられている我々「建築ツウ」としては、なんとも不思議な気持ちだ。
特に大きな問題はなく、ネジの締め忘れや、クロス貼りの端部処理程度であったが、問題、不備発見というよりも、「床下は基礎パッキンで全周換気をしてまして」とか「水廻りに床下収納があるのは点検口の意味もあるのです」と床下をのぞいたり、家への理解を深める作業が中心であった。

 全然関係ないところで興味深かったのは、こうやって新しく街をつくる時は電柱は地下に埋めるものだと思っていたが、フツーに電柱がたち、電線がはりめぐらされていた。残念。野村不動産くらいの大手がそれをやってくれなきゃ一体誰がやるのだろう。ビックカンパニーに社会的な貢献を期待するのは間違いなのだろうか。

なのに、インフォメーションセンターの庭ではではなぜかカメラマンと撮影セットとゴールデンリトリバーが用意されており、犬とのお散歩タイム(予約制)&記念撮影が行われていた。「家づくりはリアリズムです」という良いCMがあったが、「リアリズム」から遠くはなれた世界をそこに感じた。
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  2004年5月7日(金) 「建築ツウ」的-不人気寺社仏閣のヒミツ-
建築史的な価値は、概ね現存する建物の古さによって決まっている。要は古ければ偉いわけだ。それが一概にいいとは言えないが、一つの基準ではあろう。

しかし、建築史的な価値はあっても観光地として“さっぱり”のところも多くある。兵庫県加古川市の鶴林寺や東村山市の正福寺地蔵堂がそれだ。鶴林寺は古には聖徳太子がうろうろしていて、その太子信仰と密教があいまって成立した折衷様の代表格なのだが観光的には“さっぱり”。
 正福寺地蔵堂も鎌倉の円覚寺舎利殿とそっくりさんで、建築史的には同価値でありながら、みな“みることのできない”円覚寺へと足を運ぶ、なぜならばお洒落スポット北鎌倉だからだ。一方正福寺地蔵堂は東京の誇るべき唯一の“国宝建築”なのに、誰も自慢しない。
「そうだ、北鎌に行こう!」とはいうが「そうだ、東村山にいこう!」とは志村ケンファンかライオンズファン以外は言わない…。

何故かと考えた。結局は両者とも“神域=サンクチュアリ”が形成されていないのではないか。市街地に、ぽつんとある寺院、それは一般の人にとってあまりありがたくはないのだ。やはりこう、何というか深山幽谷の中に苦労して分け入り、突如として現れてくるお堂の、お宮の姿を人々はありがたいと思うのだ。たとえそれが明治に再建されたものであってもかまわない。その“神域”、プロセス、滞留時間というまるで、郊外型ショッピングセンターのマーケティングをやるような感覚で人気寺社仏閣は成立している。

あとは“言語として説明可能な何か”、中世の聖堂で言えばステンドグラスみたいなもの、「この絵はイエスの誕生の場面を描いておりまして〜」「左甚五郎作といわれております、眠り猫が〜」「世界一大きな仏像でありまして〜」というものである。一言でいえば“俗”の部分を完備しておかねばならない。

その両者“聖”と“俗”を獲得できた寺社仏閣のみが、観光地となり、拝観料をかせぐことができる…といったようなことを中尊寺の参道の杉木立の中を息をきらして歩きながら考えた。

※写真は白山神社能楽堂
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  2004年5月7日(金) パッチ
※ 「本八幡の家」掲載新聞一覧
埼玉新聞4/18 下野新聞4/5 信濃毎日新聞4/16 山形新聞4/7 静岡新聞4/19 福井新聞4/14 伊勢新聞4/25 北國新聞4/15 山陰中央新報4/8 愛媛新聞4/9 四國新聞4/5 高知新聞4/9 以上です。

いろんな新聞があるものだなあと感心する。僕が東京にいる理由の一つに情報を発信しやすいということがある。情報を得るためではない。情報を得るためには僕は地方へ行く。地方の情報は含意に満ちあふれている。
 
先日岩手の平泉でタクシーのおっちゃんの喋っていることが、ほとんどわからなかった。どうやら「20代の頃浅草に行ってラーメンを7杯食ったらびっくりされた。」という主旨だったと思う。でも、そのわからなさ加減がなんとも僕には心地よい。

江戸時代、江戸の人と上方の人は話が通じなかったという。漫才ブームで吉本興業が東京へ進出したときも、たとえばパッチ(ももひきみたいなもの)といった重要なオチの言葉が通じなくて苦労したと紳助が言っていた。

方言がなくなったらニッポンのユートピア化は晴れて完成する。

※写真は仙台駅前
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  2004年5月6日(木) フネ
船はいい。薄曇りの日だったが、船内はとても明るい。

雪山と同じで、水面、雪面ははげしく光を反射させる、かつ柔らかく乱反射させる。その光がまず反射素材の天井にあたり、しつこく反射して机上にまで及ぶ。住宅であれば白い玉砂利にその効果を担わせることが可能である。白いビアンコカララのようなマーブルだときつい反射になる。

最近あまり住宅では使われることのなくなった、光沢のあるデコラ貼素材(メラミンやポリ)、この、白ではなく象牙色な感じがなんとも良い。かつしっかりとした目地、安心できる。

かつ天井高さは1.9M。建築基準法で決められた最低天井高さ2.1M(七尺)をはるかに超える低さ、なんとも気持ちが良い。

カーテンもなんともしっくりきている。硬い空間だからこそ、唯一のファブリックが許されるのか。

この光は茶室に取り入れられる、柔らかい光と似ている。
障子越しに、外の緑が乱反射して緑の光が室内に入り込む感覚。

完璧な空間。僕にとってのモダニズムの終点はこの空間。
モダニズムとはもうすでに一つの歴史主義。
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  2004年5月5日(水) 松島-石竈-仙台
早朝、4時37分。日の出を拝もうと思ったが、薄曇りのためみえず、残念、また寝る。
朝食後、松島をうろつく。雄島を一周するが、遠くからみていたのではわからない松島の奇怪さに驚愕。インドのアジャンタ・エローラの遺跡かとみまごうばかりの“彫り込み”が至る所にされており(※写真)、ここが古代より死者の冥福を祈る場所であったことを知る。単なる自然の景観でなく、古代より人間は奇景をみると、何か自分の痕跡を刻みたくてしょうがなくなるといったことがよくわかる。聖と俗入り乱れる、その感じがなんともグッときた。

その後瑞巖寺へ。見なれた臨済宗の方丈だが、とつぜん中門から本来庭園である場所に入るその“観光動線?”にびっくりさせられ、また安土桃山のギラギラの意匠にやられる。

松島から船に乗って石竈へ。松島は船に乗らないとその全体像がつかめないことを知る。石竈から仙石線にのって仙台へ。

伊東豊雄のせんだいメディアテークをみるが、他の歴史的建造物にやられた後に、僕のモダニズムスイッチはすぐには入らず、特に感慨もない。やむなく牛舌を食べて帰ってきた(牛舌とささかまぼこは当分みたくない)。

追記「夙川の家」「雙徽第」「本八幡の家」のクライアントはみな東北大学出身である。
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  2004年5月4日(火) 平泉-松島
朝やまびこに乗り一路一関へ。東北本線に乗り換え平泉へ。中尊寺へ参る。以下その抄録。

中尊寺金色堂にてその金色さ加減に心うばわれる。
覆い堂、現在はコンクリートだが別に鎌倉時代からの覆い堂があって、そちらの方が良かった。
能楽堂、運良く舞いが行われていて、ちゃんとした屋外能楽堂をはじめて堪能。
毛越寺の庭園、“つわものどもの夢の跡”な感じの浄土庭園。
達谷窟(たっこくのいわや)びしゃもん堂(※写真)、期待どうりの迫力、こういった建築の奇形、サイトスペシフィックな感じは建築家魂をくすぐる。
そして、東北本線にのって松島へ。松島を一望できるホテル大観荘というバブルの遺産がいまだ生きている感じの「大寄せ宿泊所」に泊まる。
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  2004年5月3日(月) 模範的酔余漫筆
昨日、国立大劇場に「上方舞 輝章会(吉村流)」をみにいった。「雙徽第」主人の奇風さんが吉村文章という名前で舞っておられた。演目は地唄「萬歳」というもので、イザナギノミコトとイザナミノミコトから戎(えべっさん)が生まれたことを祝う内容で、鯛がでてきたり、商売繁昌ねた満載で興味深い。エビスさんは生まれたときから耳が聞こえなくて、そういう人は神としてあがめられる風習はニッポンだけでなく、ロシアなどにもあった。モスクワの聖ワシリー寺院(タマネギ頭の極彩色の教会)のワシリーも精神に障害を持った乞食であったが、モスクワの大火を予言したため、あのイワノフ雷帝のもと聖人とあがめられた、などと言う話が頭に浮ぶ。

また奇風さんの衣装、装具も独特で安土桃山文化の、南蛮好き、ハデ好きが江戸に持ち越されたあたりのファッションを意識して、切支丹若衆姿の胸にはロザリオ(十字架)がぶら下げられていた。

地唄舞い、上方舞いをボーッとみていると、精神の安寧が自分の中に訪れてくる。

終わったあと、楽屋に遊びに行って、いろいろお話をうかがった。お土産に「萬歳楽」という加賀のお酒をいただいた。演目と同じ名前のお酒を御用意されるところが、奇風さんこだわりの繊細さである。

帰って、まぜ寿司をつくって、「萬歳楽」をいただき、美酒に酔った。
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  2004年5月2日(日) 長者丸
昨日のこと。趙さんのホームページで土浦亀城自邸の話がでていて、それが上大崎周辺であると書いてあったので、「これはいけない、近所ではないか!」とさっそく我々建築ツウは出動した。上大崎2丁目という手掛かりだけで、しかし、品川区上大崎といえども実は恵比寿ガーデンプレイスの裏なのである。旧地名は“長者丸”という素敵な名前だったところ。今は目黒と白金を結ぶトンネルで分断されているが、中世の頃は“白金長者”といういかした名前の長者様が住んでいて、今の自然教育園あたりの武蔵野原生林一体を領地としていたようだ。

ガーデンプレイスの裏は品川区上大崎、目黒区三田、港区白金台、渋谷区恵比寿4丁目がひしめき合って複雑な境界線を形成している。こういうところは、やはり何かあるにちがいない。何もなければ、アメリカとカナダの国境のように直線になるはずだ。

少しうろうろしたあと、亀城邸はすぐにみつかった。一応モダニズムをちゃんとお勉強した上であえて無知性的な表現をつかえば、“はじめて学生が設計した住宅”みたいだった。1935年、昭和10年に設計されたのだから、今から80年前である。当然当時は画期的なことであったが、今それが“学生にとっての最初の設計”になってしまうというパラドックス。深い時代の病、モダニズムという不治の、そして遺伝的な病がかくされている。

その病と格闘すべく、講師曰く
「みんな!ここはニッポンよ、雨降るよ!夏暑いよ!ちゃんと“屋根”をかけなさい!」というところから授業はスタートする…。

その後白金を歩き、サンドイッチとビールを買って、自然教育園に210円払って入り、カキツバタを眺めながら、白金長者について想いを馳せた。
※“建前上”自然教育園はアルコール持ち込み禁止です。
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  2004年5月1日(土) マニエリスム
天気がいいので、洗濯をして、ベランダの掃除をして、洗濯ものを干して、まだ10:30。外では工事の音がうるさいが、昨日買った本を開いて、自分が興味のありそうな部分をむさぼる。

「マニエリスムとは何かといえば、その根本にあるものは、外界にあるものの単純な模倣(ディゼーニョ・エステルノ)ではなくて、人間の内部にあるものをどう外在化して表現するかというデザイン観念にほかならないことがわかります。」
『高山宏 表象の芸術工学』(工作舎)

「インテリアといえば室内装飾のことと、今までずっと、そう割りきってきたのではないですか。「室内装飾(インテリア)と精神的内面の鏡映(インテリオリティー)」というような洒落たルビをふれるのは、ぼくしかいないと思っていたら、じつはこれが富島美子さんという方の名作『女がうつる』(1993)を支える発想でした。」

はじめから戦略的にやっているわけではなく、どうやら自分が“そっちのほう”に歩いているようだと気付きはじめたのは「雙徽第」や「Share Spirit」を設計してからだと思う。その“そっちのほう”がどっちのほうなのか、頼まれてもいないが、じっくりと言語化していかねばならないと思っている。

“和風”や“洋風”といった次元でつっかかっている場合ではない。
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