OCM一級建築士事務所
 

2004年04月


  2004年4月30日(金) 近世
趙海光さんという建築家の日記をみていて中谷礼仁さんという僕と同年代の建築史家の活動が気になった。アセテートという編集出版組織体をつくり、フットワーク良く貴重な資料を出版しようとしている。現在刊行中の「近世建築論集」というのが、僕の中にグッときたのでさっそく注文してみた。

中谷さんも言っているが確かに、ニッポンの近世/近代の時代区分は奇妙である。単なる政治体勢的な区分であって、何もかもが本当に「御一新」されたわけではない“はず”。まあ、御一新されたという前提でニッポンのモダニズムは成立しちゃってんだけど、本当はそんなことはない“はず”。

僕がわりと明治人に興味をもっているのも、明治という時代を知りたいのではなく、その前を知っている人のメンタリティーを知りたいからだと思う。その人々が明治に対してどう振る舞ったかがおもしろいのだ。小泉八雲しかり。
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  2004年4月29日(木) 休日出勤のあなたに
ちょっと何か“ゴールデンウィークっぽい文章”を書こうと思って「魔の系譜」をちょこちょこめくっていると…。
「やがて(血の池を)呑みほした上人が池から出てきて、地上にペッと吐いたのが血バキ(椿)、血ツジ(ツツジ)となった、ということになっていて、カヤカベの信者たちは、美しい霧島ツツジをはじめ一切の赤い花を不浄としてきらう。」
というところに目がいってしまった。

まずいまずい、しかしつげ義春の「紅い花」のドラマが先日テレビでやっていたことを連鎖的に思い出して、「あれは本当に良かった…」と思いおこし、ニッポン人における「赤い花」の表象するものの奥深さを感じた。

が、まずいまずい全然“ゴールデンウィークっぽくない”と、少し仕事をした後、シブヤまで歩いた。

パルコの中に洋服屋にまじって入っている“子供だまし”のインテリアショップのあまりの多さにびっくりしてしまった。「エライことになってるなあ…」と痛切に感じたので、そそくさとまた歩いて帰ってきた。
せめて写真だけにはウツクシイ空を映しこんでおいた。
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  2004年4月28日(水) 仕事とは
今日は上京してきた同級生のM君(メーカー勤務)がうちに泊まる予定だったが、体調が悪いらしく、うちには寄らずにとっとと新幹線で帰ってしまった。彼は先日、床の傾いた中古住宅を買いそうになってなんとか解約したばかりだ。

同級生のA君(銀行員)には、少し家の相談を持ちかけられていたが、どうやら建売住宅にするようだ。今週抽選らしい。何度か建売住宅の情報をメールで送ってこられたので、ちゃんとその案についての良いところ悪いところをコメントしてあげた。

 38才、同級生も皆、結婚して子供もできて「次は家」というフェイズを迎えている。

 僕は住宅を「仕事」にしているので、自分の家にはあまり興味がない。海のそばに掘立て小屋の倉庫でも建てたいという興味はあるが…。

医者が別に長生きするわけではないのと同じである。野球部のキャプテンが案外プロ野球に興味がなかったり、バーテンダーがお酒を飲まなかったり、建築雑誌の編集の人が建築に興味がなかったり、そういう話が僕は好きだ。
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  2004年4月27日(火) 失敗
昨日昼ゴハンで恵比寿西口の朝日屋という古そうな蕎麦屋に入って、とじたまそば(汁)を食べた。2階席があるのだが、2階には厨房がないからやけに静かで、混んでもなく、なんとも落ち着ける空間だった。
しかし、とうとう白旗を挙げてしまった。「蕎麦体質化計画」約10日めにして、もう無理だと思った。途中で食欲がなくなり、残したかったが、お店の人に失礼なので一応食べた。気分が悪くなった。

何度も言うがお店のせいでも、蕎麦のせいでもない、明らかにボクと蕎麦の相性が悪いだけのことである。蕎麦アレルギーとかそんな問題でもない。

その晩は西口の焼肉「食いしん坊」で「盛岡冷麺」をたべた。ゴムのような麺がなんともうまい、食感がいい、噛み心地がいい。昔三ノ宮にあった「平壌冷麺店」を思い出した。

そして今日の昼は蕎麦との決別をするために、もしくは社会復帰するためにボエムの「小やりイカと野沢菜のスパゲティ−」を食べた。うまかった。

やはり、バリバリの炭水化物はうまい、結局そのありがたみを再確認するための「蕎麦体質化計画」だったような気がする。バカなことはもうやめよう…。
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  2004年4月24日(土) 感傷
午後「幡ヶ谷の家」打ち合わせ。駅前の高層マンションに仮住まいをされていて、「眺めがいいのよ〜出たくないわ」と冗談をおっしゃられていた。
打合せ後、帰宅し八海山を飲みながらXTCを聞いて、鑑賞、いや感傷にふけった。

この一年程で、恵比寿から3件の酒屋がなくなった。一体これはどういうことだ。本来軽工業地帯で、ブルーカラー色の残っていた恵比寿の街が、プチブルジョアジーの街に変化しようとしている。大箱の高級レストランがどんどんできている。正直、住みにくくなってきた。駅ビルの成城石井で日本酒とビールだけ買うのは少しはずかしい…。

昨日、匿名の方から以下のような内容のメールをいただいた。

毎日楽しみに拝見しています。2・3日でも書き込みがないと如何してかな?と思います。建築家ってどの様な生活、又考え方など興味があったのでとてもよく分かるのと大島さんのものの見方興味の持ち方に共感を覚えます。
毎日書く事って大変ですが夜楽しみに開けている読者?が居る事・・・楽しみにしています。

「酔余漫筆、突っ走ってきたが、いよいよネタがつきたか!」
別にそういうわけではない。少し考え事をしているだけです。そんなときは感傷的な文章になりがちなので、そうするとO編集長に怒られれるので(笑)筆をとらないようにしているのです。

〜だ調、と、〜です調の変化にも心境の変化はあらわれてしまう。
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  2004年4月23日(金) 浮き世床
4/7の山形新聞に「最近目立つ新和風の家」という特集記事で「本八幡の家」が紹介されました。お施主様、取材引き受けていただきありがとうございました。
一緒に取材されていたのが建築家の川口通正さんだったのでうれしかった。

しかしもう一つがミサワホームの「SUKIYA」という商品だったので、なんとも複雑な心境。建築家が一戸一戸模索して施主さんと苦労しながらつくりあげている住宅は、やがて大手ハウスメーカーに消費されていく。帝国主義の構図に似ているな…。

昼、新宿三丁目の信州そばで、やまかけそばを食べた。修行中なので信州そばの何たるかは、まだわからない。

写真は「本八幡の家」の階段上部。階段上部には必ず巨大な吹抜けができるが、そこを収納等にせずに、のんびりとした「空中床の間」にした。つまり下からも見られる床の間なのだ。まだミサワホームには剽窃されていない、と思う…。
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  2004年4月20日(火) そば
最近の昼食はそばにしている。特に好きではないが、どうやら普通の炭水化物ではなく体にいいということで、本当かどうか、毎日食べ続けたらどうなるのか実験してみている。ビタミンP?か何かがいいらしい。かつお酒を飲む人、ストレスがたまる人に“効く”らしい。かつ、そば好きにならねば江戸は語れないし、荷風も読めない(誤解、偏見だと思うが)と勝手に思っている。

内田百間(門+月)は岡山人だが毎日そばを食っていた。なぜだろうか。

江戸は別にして、山奥の観光地などに行くと必ず“山菜そば”なるものが名物とうたわれているが、あまり相手にしない。これも僕の偏見だが、本来ニッポン人はコメを食べたかったはずだ。それがとれない山奥ではそばを代用食とせねばならなかっただけではないかと思ってしまう。それを名物と呼んで中国製のレトルト山菜をかけて出しているのが悲しいのだ。

しかし、店の名前は忘れたが、高尾山のふもとの“とろろそば”はうまかった(ただし山歩きのあとはカップラーメンでもおいしいのでその味覚はあてにならない)。恵比寿では東口の「香り家」というそば屋の鴨汁そばがおいしい。東京のそばとはちがって、太くてぼそぼそした田舎そばと呼ばれるタイプ。
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  2004年4月19日(月) 紙系
先日青山のスパイラルで竹尾ペーパーショ−が開かれていた。そのオープ二ングパーティーにSITEオーナーの斉藤氏に誘われ出かけた。そうそうたるメンバーの中にSITEで個展をやったアーティストの鈴木康広君が出品していた。またどこかでレヴューが出ると思うので皆さん御覧下さい。

アートディレクターの原研哉氏の作品は秀逸であった。建築家では隈研吾や伊東豊雄も出していたがおもしろくなかった。紙という素材に対するフェティシズムでは到底“紙系”のデザイナーには勝てないなと感じた。かつ“デザインフィニッシュ”へのこだわりが比べ物にならない。

100・の住宅の表面積は床、壁、天井、外壁でおそらく400・=240畳以上に及ぶ。しかし本などは小さいからといってあなどれない。ちょっと計算してみた。200ページの単行本、0.0315・×200ページ=6.3・…だいたい4畳くらいだ…やはりその神経の行き届き方、フィニッシュ度は違って当然だな。
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  2004年4月15日(木) 毛玉
昨晩の夢は、毛糸のセーターが毛玉だらけになる夢だった。しかも大きい、こぶし大くらい。

その昼間たしか恵比寿のアトレで、ちゃんとした女の人なのに、小さな毛玉ができはじめているセーターを着ている人をみていた。それが何か僕の心の機微に触れたのだろう。

毛玉はうっかりしているうちに大きくなる。自分ではなかなか気付きにくい。よく「借金が雪だるま式に」という言葉を使うが、実は人生の中でそんなに雪だるまをつくる機会には恵まれない。「借金が毛玉式に」という方がなんか、こう、グッと来る。今年になってはじめて僕は「毛玉取器」を購入していたので、毛玉のことは、ずっと春になっても頭の中に残っていた。

今日はバンタンデザイン研究所中目黒、初出講。15人くらいのクラスで自己紹介に2時間くらいかけた。設計の仕事と同じ、まずはクライアントの要望を聞くことから授業はスタートする。そして着地点は大きく開いておく。
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  2004年4月14日(水) 世代論
昭和が終わったとき、僕は23才だった。1989年の正月のことだったと思うが、“80年代”=“昭和の最後”という考え方もできる。

よく文学や建築の批評の世界で「世代論には意味がない」と言って難しぶっているが、僕はそうは思わない。「すっごく」重要だと思っている。しかしそれは「世代が一緒であればみんな一緒」というのではない。また「マジョリティー」と「マイノリティー」は案外同列に論じることができるという言い方もできる、相対的であり、対象があるかぎりは。対象なしで社会と接している人など果たしているのだろうか、それはきっと聖人か星人だろう。

もっと言えば個人の中にも世代論は成立させなければならない。ミースのバルセロナ・パヴィリオンとレイク・ショア・ドライブを一緒の設計者だと思わない方がいいということ。

先日車内吊り広告で「バブル入社組の危機、派遣社員の方が能力高い、かつ生物として生きる能力無し」まで書かれていた。一般の会社では大変なことになっているようだ…。バブル入社組差別、いじめなんてのもあるのか…。しかし、これも世代論で言えば僕も花のバブル入社組、フリーターになった今、それはどう影響しているのだろうか…。
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  2004年4月13日(火) 昭和
『建築知識』O編集長の日記が「昭和の残党」とネーミングを変えていた。グッと来た…。
僕もO編集長と話をしていてたまに「昭和だな〜」としみじみすることがあった。決して悪い意味ではない、ホッとするのだ、何かこう、戦っている感じを共感できるのだ。

しかし最近平成の世の中では「昭和」に商品価値が見い出されてきているような気がする。ということは完全に昭和は「終・わ・っ・た」ことを宣告されているのに等しい。すると、それを敏感に感じ取ったO編集長のように「開き直るしかない」(笑)。

残党は残党としての生き方を模索しなければならない。

もう平成16年なので、あと一、二年すれば専門学校でも平成の学生が溢れることになる。やばい、彼らが発言力を持てば、必ず「昭和人差別」が起こる…。「あいつは昭和だからしょうがないよ…」とか、「昭和人はがんこだ」とか…。そう、我々が「おじいちゃんは明治の生れだから…」といってなんとなく納得していたあの感じが我々にも適応されるのだ!。覚悟して生きて行こう、「昭和の時はねえ〜」を口癖にしよう!昭和人としてのプライドを探しに行こう!
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  2004年4月12日(月) 平凡風景
「世に知られた名所古蹟の外に、名もしれぬ平凡風景の一区劃中から、時として我等は愕くべき美をさぐる事がある。この意味での美や真の探検者であるのが、一般的に云って読書生の快楽的使命であろう」『日夏耿之介文集』(ちくま学芸文庫)
                 §
本日「アクセス解析」をみていると何やらあやしげなところからアクセスされているので、辿ってみるとインテリアデザイナーの和田浩一さんが日記をはじめた?みたいでリンクしてくれていた。僕もそうだが、皆、人の日記を、リンクといいつつ、こう何か、免罪符のような形で使おうとしているところがおもしろい。
                  §
今日送られてきたOZONEの機関誌「O-cube」に和田さんが例によって「犬を抱いて」登場していて僕の方をみている…。つまり一日に2回も和田さんの事を考えたことになる。そろそろ飲みましょうということか…。
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  2004年4月11日(日) 漫読
井村君江というアイルランド文学などの紹介者がいて、その人が“編者”となっている「日夏耿之介文集」(ちくま学芸文庫)という本を少し読んだ。全然どんな人か知らなかったが、「井村君江が編者なので間違いないだろう」という「勘」をたよりにした。
ゴシック・ロマン文学の研究者らしい。

「読書はやはり漫然と読むのがいい。されば初めて血になり骨になり肉になる。」
-春宵読書録-

本当にそうだ。仕事のために読む本はつまらない。思えば20代は小説ばかり読んでいた。その世界に没頭できる時間があった。今はどうだろう、ほとんど随筆ばかり読んでいる。自分の中の何かがすり減っているような気がする。

「少なくともわれらにとって臥て書き臥て読むといふ事は、起きているというその事の耐らない生理上の苦痛が薄らぐだけでも思想がどれだけ敏活に動くか分からないのである。」-漫読臥読嗜読-

僕もほとんど寝て、布団にくるまって読む。筋力が弱いせいだろう。自分のからだを縛ってもらって、ページだけめくってもらえれば、どれだけ脳がクリアになることだろう。
 しかし、さすがに「臥て書く」ことはしない。
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  2004年4月10日(土) コスモポリタン
東京の気温が23度まであがった。
おむすびをつくって、青山、原宿まで歩いた。しかし、青山にはおむすびが食べられるような公園が少ないことがわかった。しかたがないので、公団住宅の公園で食べた。きれいな花が咲いていたので、写真をとった。フランス人の子供が遊具で遊んでいた。

先日兄貴から神戸コスモポリタン製菓のお菓子を手みやげにもらった。司馬遼太郎の「街道をゆく」神戸・横浜散歩の中にこう書かれてあったのを思い出した。

「モロゾフ氏は両親とともにロシア革命から避難してきた。父君以来「チョコレートのモロゾフ」氏であったが、その商標使用権はその後、他に移った。
法律というのはおもしろいもので、モロゾフは自然人としての姓ではあっても、法人には冠せられなくなり、戦後、コスモポリタン製菓を興し、その代表取締役になっている。」

現在「モロゾフ」というお菓子やさんがあり、東京ではコスモポリタン製菓より有名になってしまっているが、本当はコスモポリタン製菓こそが「モロゾフさんの味」なのです。
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  2004年4月8日(木) 次男坊
朝、バンタンデザイン研究所中目黒にて今期の打ち合わせ。昼、兄貴が出張で上京してきているので渋谷で一緒にメシを食う。会うのは何年ぶりか覚えていない。某製薬会社で研究員をしている兄貴と「あるある大辞典」の話や、実験用のサルの話や、鳥インフルエンザ騒動のとき大阪の神崎川でカモメが空から落ちてきた話や、寄生虫博物館の話、大学の法人化の話をした。
たった40分くらいの間で久しぶりに会った兄弟がフツーどんな会話をするのか知らないが、変な兄弟であることは確かだろう。

一切身内の話は出なかった。

中世のフランス、ゴシックの大聖堂の建築ブームが起こったのは、農業生産・技術が高まり、田舎から次男や三男坊が都市に出て丁稚奉公し、やがて商人や職人になっていき、都市の「寂しさ」を感じはじめ、その心の拠り所を大聖堂に求めたからだと言われている。

江戸も同じ、僕もそうだ。「都市は次男坊、三男坊によって成立している」という仮説をたてて研究してみようか…。それとも大聖堂でも建てるか…。
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  2004年4月7日(水) えらそばる
「建築ツウへの道」の校正をしていただいた。体中からノミやシラミがうじょうじょ出てきた感じがする。でも、とってもらうととてもキモチいい。

いくつかのコトバが新聞等の自主規制にひっかかっていることも知った。知って使わないのがいいのか、知らずに使うのが悪いのか…なかなか難しい問題だ。もちろん僕自身に差別意識はないが、無いことよりも知らないことが悪いのかもしれない。

しかし、知らない間にメディアの自主規制によって死んで行く言葉というのもなんとなくゲせない。各メディアは「我々は今年からこれらの言葉を自主的に使いません」と毎年年頭にでもその背景なども含めて説明すべきではないか。いや、やってるのかもしれない、それも僕が知らないだけなのかもしれない。
 よく「先ほど不適切な表現がありました」っていうのがテレビであるけど「えっ?何が、どこが?どれが?」と一人不安になることがある。ちゃんと説明してほしい。

何気ない言葉で、僕が「標準語」だと思って使っていて通じない言葉がたまにある。今日気付かされたのは「えらそばる」という言葉。大阪の方言らしい。どのように使われているかは5月発売の「建築ツウへの道」(エクスナレッジ刊)をお楽しみに!
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  2004年4月6日(火) メガホン
昔、保険屋さんの人が「お客さんと政治の話と野球の話はしない」と言っていた。そのころは「そんなもんか」と流していた。
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先日施主さんとの打合せで「倉庫を見て下さい、アウトドアグッズとかありましてこれをなんとか収納したい…」というお話だったが、僕の目には阪神タイガースの黄色いメガホンが目に入ってしまった。「ボクも…」っと、ついついつっこみたくなったが、グッとがまんした、まだ先は長い、と自分に言い聞かせた。

黄色いメガホンは通常どこに収納すべきものなのだろうか。ボクも持っていたが、2年前の引越の時にたしか「捨てて」しまったと思う。やっぱり季節ものと考えた方がいいのだろうか。

昨年は大変な騒ぎだったが今年は盛り上がる前にしっぽり神宮球場にでも行きたいなあと思っている。
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  2004年4月5日(月) 豆食う山鳩
毎週日曜日の晩にNHKアーカイブというものをやっていて、好きでよく見ている。

昨晩は「〜ばあさん」の話だった。たった一人の寒村でじいさんが亡くなったあと一人で畑をやって豆腐つくって味噌つくって生きている。電気もなかった。八十超えて膝が激しく痛むが、ばあちゃんは笑ってる。毎日日記をつけている。誰が来た、とか毎日の気温とか、豆が山鳩やキジに食われたとか。

しかし笑ってる。雨が降れば畑は休みだが、後は自然が相手だで休みはない。淡々と、食って食われて、笑って生きている。
 
盆にじっさまが帰ってきたときだけばあちゃんは少し泣いた。
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 僕は土日に建て主さんとの打ち合わせが入る。そのために土日は「全く」あけている、「予定」というものを入れない。「休みにすみませんね」と建て主さんによくおっしゃっていただくが、それが僕の仕事=「仕え」である。打合せがなければその時点で「休み」。極めて原始的な生活である。
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たまに「赤い本」のことが気になって検索してみると、一年経った今も「クスクス」笑ってくれている人がいてうれしい。下記新しく「発見」した書評です。
すまいと通信
湯楽庵
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大根の先ッぽを鬼おろしにして、母がしこたま送ってきて辟易しはじめているイカナゴの釘煮にあえて食ったら辛くてうまかった。
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山鳩の鳴き声が好きだ。
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  2004年4月4日(日) 温湿度
昨日とは一転して雨が降って寒い。
午後「逗子の家」打合せで荻窪へ。様々なプランの可能性を抽出し方向性を模索する。
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毎日何度も温度計、湿度計をみている。ここは鉄筋コンクリートのビルなので、年間を通じて気温の変化がほとんどない。
「一年で一番気持ちの良い季節」というのは数値的には写真のような状態をいうのであろう。
コンクリートの躯体が蓄熱、放散をくりかえしているので、昨日寒いとその寒さがコンクリートの中に残っている。春の海のように、気温が外気より少しおくれて表現される。

一家に一台以上の温湿度計設置をおススメします。毎日みましょう。自分の家の状態を何十年も観察し続けましょう。必ず何かがみえてきます。
家にとって快適であることと、身体にとって快適であることは必ずしも一致しません。そのバランスを探り出すのは、住み手しかいません。
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  2004年4月3日(土) ほうろう
昨晩はフォービートの羽田野氏と、ヘアメークの田代さんがやってきて、ワインを飲んだ。やっぱり花をみなければ、ということでギターを持ってタコ公園へ。
花見で酔っ払っている人々から「ナガシが来た!」とはやしたてられる。
写真のスーツの男性は知らない人。ギャラリーとでもいうのであろうか…。

昼、日暮里の繊維街へ行く。カツラギ、ギャバジン、ツイル、シャンブレー、ダンガリー、メルトン…。様々な生地の中で脳を活性化。

途中、生まれてはじめて「東大」をみる、というか道に迷って構内に入ってしまった。検問もなく、ゆるゆるの状態、様々な新旧の建物が脈絡なく建っている感じが不思議だった。東京にいるフツーの人は、東大って見にいくのだろうか…。というか見るものなのだろうか。

 帰りにまえから気になってた千駄木の「古書ほうろう」を発見。のぞいて、歴史の本を二冊買う。石山修武が日記で立ち寄ったといっていたのでウェブサイトの日記を昔少し読んでいた。
 
素敵な古本屋だった。レジにいるお店の人は競馬新聞を読んでいた。
ここにも「脱力系」な感じが満ちあふれていた。
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  2004年4月2日(金) 模擬試験です@OCM
設計事務所の入所試験ってどうしたらいいのだろう。

問1「VOC」とは何の略か答えよ。

答1)Volatile Organic Compounds(揮発性有機化合物)の略であり、空気中に確認された有機化合物の総称です。極めて多くの種類があり、物質の特定が困難なことから、その濃度を議論する場合、TVOC(総揮発性有機物質)として合計して取り扱われることが多くなっています。

答2)正式には「連合東インド会社(Vereenighde OostIndische Compagnie)」といい、通称「オランダ東インド会社」といわれています。「VOC」というエキゾチックな文字は 江戸時代に、今でいうルイヴィトンのLVのようなモノグラムとしても流行しました。

※ OCM的には答2)が正解

問2 直方体、球形、三角錐、皿型、擬宝珠型の組み合わせで想像されるものを答えよ。

答1)密教における地水火風空の五大になぞらえた、石積みの「五輪塔」が想像されます。そこに梵字などが入り、インド仏教の影響を感じさせることもあるが、日本だけで、中国、インドにはないといわれています。

答2)「こんにゃく、さつまあげ、はんぺん、つみれ、ミニタマネギ」を串刺しにした豪華なおでんダネが想像されます。こんにゃく、さつまあげ等は形状の自由度が高いため、他と入れ替えることも可能です。

※OCM的には両方正解
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  2004年4月1日(木) タコの桜煮
近くの通称タコ公園の桜も満開で、昼間から花見の場所とりのブルーシートがひかれている。ああいうものを落とし物として交番に届けないという不文律があるところがニッポンのおもしろいところだ。

また「あっラッキー!はじめから敷いてあるわ」と言って勝手にそこに上がり込んではいけない。そして僕のように事務所で花見を催すような「組織力」の無い人間は、「誰か知り合いがいないかなあ」と人の花見を覗き込んではいけない。ましてや「ゴミは持って帰りなさい!ここは僕たちの公園なんだから!」なんて諌めることはもっての他である。

今後組織力のある方はどうぞ恵比寿「タコ公園」で花見を催して下さい。必ずうかがいます。

フォービートの羽田野氏に「花見をやる、健ちゃん、二子玉に来い」と言われたが、「遠いからイヤだ、そちらが来い」とホームかアウェーかゴネテいるうちに花は散りそうだ。

自営業かつ個人事業の身、年度はじめに何の変わったこともない。役所の担当者が変わったかどうか調査にでもいくか…。

タコの桜煮が食べたい
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