OCM一級建築士事務所
 

2004年03月


  2004年3月31日(水) 脱力系
「幡ヶ谷の家」解体が終盤にさしかかっているので現場をのぞきに行った。今までかしこまって電車を乗り継いで打合せにうかがっていたが、スクーターだと15分だ。はじめて既存家屋のない状態をみるので、周辺の建物の様子をうかがう。特に問題無し。

春の陽気が気持ち良いので、青山ブックセンターをのぞく。建築家隈研吾氏がまた本を出していた。「負ける建築」という本…。
なんとも暗澹たるタイトルだ。最近安藤忠雄も「結局は風景をつくりたかった」とか言ってるし、どうしてこうみんな「脱力系」になっちまうんだろう。こっちは「勝とうと」と思って「負けてる」のに(笑)、はじめから「白旗」はどうなのかなあ。アリバイ?免罪符?踏み絵?

概ね建築家の本がそうであるように、「負ける建築」もしょせん雑誌などに書き散らかした文章を集めただけなので、タイトルと内容はあまり関係がない。エライ建築史家鈴木博之の著書「都市の悲しみ」でさえ、タイトルは後付けだった。いいのかなそれで。

今のところ幸いにも僕はタイトルを決めてから本を「書かせてもらっている」ので、そこんところは自慢してもいい。

でもそのうち僕も「書き散らかした」ものを集めて本にすることもあるだろうから、その時のタイトルは今決めておけばいいのだな、「○年〜○年の間に大島が書き散らかしたものを○○編集者が根気強く集めてくれて編集し出来た本」でよし!。

※「くうねる」とか「ここちいい」とか「あるね」とか脱力系の雑誌創刊の勢いがすごい。キメキメの真っ白モダニズムインテリアとの二極対立がはじまるみたいだ。
▲top

  2004年3月29日(月) やむをえない
金曜日の晩は母が上京してきたので一緒に鳥安で飲食する。なれない関西人は「鳥〜」という店名なのに鳥のメニューが少ないのにびっくりしている、やむをえない。

国民年金のことで母とむきになって言い合いになっていると、同席した斉藤君に「似たもの親子だなあ」といわれた。やむをえない。

土曜日はバンタンキャリアスクールの卒業式。学生たちは羽目をはずして、朝までコースであったが、こちらは体力が持たず途中でドロン。やむをえない。

日曜日、午後「蕨の家」基本設計書提出。概算見積もりが目標通りだったので、やっと細かいデザインの話が楽しくできるようになった。建て主さんより、設計者の方が予算を気にし過ぎのような感じもするが、やむをえない。
これまでの苦い経験を踏まえて慎重にやりすぎるに越したことはない。
▲top

  2004年3月27日(土) 内省
「酔余漫筆」読者の人から「森ビル事件」についてのコメントを求められた。なんだか暗澹たる気分にさせられる話だった。即死というのがショッキングだ…。

自動車は年間恒常的に8000人の死者を出す機械である。言い換えればトヨタ、ホンダ、日産、三菱、その他外車、すべてがそこにかかわっている。毎年8000人死なせることのできる機械をつくりつづけている。よく考えてみれば不思議な神経だ。

建築も人を死なせることができる。正確な数字はわからないが、やはり毎年起こっていると思う。どこまでが建築の責任かわからないものも含めて。

日建設計という日本一の設計事務所で働いていたとき、一番心にのこったことは「人が死なない建築をつくりなさい」ということだった。それははっきりと明言されていた。全国の何十箇所にも及ぶ現場での事故記録が、平社員のところにも回覧板でまわってきていた。「エレベーターシャフトに職人さんが落ちて死んだ」とか「台風で雨が漏った」とか、全てはディスクローズされていた。今でもそのことは敬服に値する。

結論、車も人を死なせる、建築も人を死なせる可能性がある、ということをつくる人も使う人も「毎日」認識しているかどうかが重要。
その事実を玉虫色にくるまず、常に建て主、使用者にインフォームドコンセントしていかねばならない。
▲top

  2004年3月26日(金) 等高線の中を彷徨う
昼、逗子の敷地を見に行った。そう、先日から等高線をニラメッコしていた場所だ。桜山という場所で、何かと由緒のある場所。うすうす、徳富盧花の「自然と人生」がかかれた場所ではないかと思っていたが、観光でいくわけではないので特に調べてはいかなかった。

敷地を一通り調査して、方位、風向き、匂いなどをチェック。そのあと、敷地の南側にあり大きな影を落とすことになる「桜山」を何故か登りはじめてしまった。とても良い小径があったので、ついつい惹かれるように山へわけ入った。頂上にでるとまだ同じ町内であったが、またそこから獣道を通って海の方に降りて行った。途中道がなくなりそうになって、あせったが、敷地調査に行って所長が遭難してはドンナランと思い、雨の後の急斜面を熊笹かきわけながら人家のあるところまでなんとか行き着いた。ホッ。そこから何ごともなかったかのようにアスファルトの上をスタスタと歩き出すのが、山歩きの迷子の醍醐味だ。「今僕が山から出てきたことは誰も知らない…」というかんじ。

 すると、徳富蘆花の居住地跡発見、やっぱり…さらに記念館もあったので、少しのぞく。100円払って入ったが、おしゃべり好きのおじさんが一人管理していた。徳富家の御子孫かもしれないが、長居はできないのでそそくさと帰る。「何で盧花はこんないいところに4年しかいなくて東京に行ってしまったんですか?」と聞きたかったが、長くなりそうなのでやめた。今度聞いてみよう。

駅から10分で写真のような「高野聖」みたいな世界に入る、逗子恐ルベシ、盧花二嫉妬ス。
▲top

  2004年3月25日(木) 本音
現在発売中の『建築知識』2004年4月号に「業界の『今』が分かる現場の人々の基礎知識」と題した文章を寄稿しております。我ながらこんな正直な文章みたことがない、と思うぐらい業界について赤裸々に「簡単に」書いております。
久米宏(時事ネタか?)が終わるが、彼のいいところは、難しいことを簡単に語るという、ただその一点。怒っているときは怒る、おかしいときは笑う、泣く時は泣く、広島が勝てば喜ぶ、という簡単なことをしただけだ。

今日もいろいろな業界の人と会ったが、本音で生きている人は少ない。法人、会社というものは「本音を隠すため」の隠れみのにしかすぎないのではないか、と感じる。

利益、利益、利益…。みな一体何になりたいのだろう…。
自分が働いた分だけ、お金をいただく、それでいいではないか、と思うのだが…。
▲top

  2004年3月24日(水) 概算見積
「建築ツウへの道」の初校があがってきた、なんていっているが、「初校」がなんたるか相変わらず知らない。わからないまま丸一日かけて「校正」した。もちろん「校正」の正確な業務内容も知らない。11月に書き終えて(脱稿?)いるのでもう一度最後に読み返しておきたかっただけだ。大丈夫だ、出せる、と思った。5月には出るらしいという最新の噂です。

自分の文章を一日かけて読む、という不思議な行為、老眼になりかけの目も疲れたが脳も疲れた。まだ脳がそこから抜けだせないでいる…。お笑い番組でもみようか…。

「幡ヶ谷の家」解体工事が始まった。車が入れないため、「手壊し」となる。いつも最後は人間の力がたよりになる。

「蕨の家」基本設計が終了し、3社概算見積があがってきた。各社当初目標の2%、5%、18%増の値段で出てきた。ほぼ射程距離内、2%、5%増のところと今後話をすすめていく。
基本設計で概算見積もりをとる、というのはOCMでは当たり前のこととして課している。昔の建築家は実施設計が終わってしまって本見積とると、何千万円もオーバーしていたなんて話をよく聞いたが、冗談じゃ無い!そこから設計をやり直すなんていう「社会資本の無駄」をよくやっていたもんだ。

いや、やらなかったのかもしれない。息のかかった工務店の肩をポンポンと叩き、「よろしく」と一言で済ましていたのかもしれない…。恐い話だ。よく夜道を一人で歩けたもんだ。

はじめての工務店はおもしろいもので、「この図面では本当に概算しかでません」というところから「こんなに図面書いてあると概算見積もりではありません、ちゃんとした見積になりますけどいいですか?」と反応が様々である。当然それは工務店の面接もかねているわけで、その能力や、やる気、会社の方針などをうかがい知ることができる。あと実施設計の三ヶ月の間に、その2社の工務店の顔を思い浮かべながら図面を描くことになる。

図面はコミュニケーションの手段である。「誰に対して、何を伝えたいのか?」ということがはっきりしていないものは図面とはいわない。なんとなくコピー、ペーストを繰り返したような図面は描くな!とスタッフには厳しく言っている。工務店の、職人さんの顔を思い浮かべながら図面を描け!と。

と、設計実務のことを考えると、少しは「建築ツウ」から頭が離れた。
▲top

  2004年3月23日(火) 現状有姿
なんだか寒い日がつづく。雪が降るとか言っているが、降りはしない。

最近いろんな住宅に関する相談をされる。
匿名で電話で「となりに医院が建つのですが、ダクトの向きがこっちむきかどうか不安なんですけど…図面をみせてといってもみせてくれないんですけど」とか。

高校時代の友人が兵庫で中古の家を買おうとして、手付け金も100万円払ったんだけど途中で床が傾いていることに気が付いた。解約しようとしても相手はしてくれない、キャンセル料500万円払えという。中古住宅の場合「現状有姿」といって、一般的には不具合があっても売り主側に瑕疵を補修する責任はないという。彼はなんとか弁護士や第三者機関の検査などをつかって、解約にこぎつけたが手付けは50万円しか返ってこなかった。残の50万円は「まあ、ええ勉強さしてもらいましたわ〜」とドブに捨てた気で。そしてその翌日又同じ物件がもうネットで流通していたという。「どないなってんねん、建築業界は〜、悪徳やのう〜」と笑いながら嫌味をいわれた。しかもたぶん○急○バブルか○井○ハウスかの大手の中間業者が入っているにもかかわらず。
大手だからちゃんとしているなんて、観念はいまさらもう誰も持っていないにしても、それでも「なんとなくの安心感」に「やられてしまう」。

------------------------------
バンタンキャリアスクールの修了展が無事終わった(はず)。写真はその様子。徹夜明けの眠そうな学生がうろうろしている。僕は授業中「君たち!ちゃんと8時間眠りなさい!」と言い続けたへんな講師だったが、学生曰くうつろな目で「センセ−、一度寝ると12時間くらい寝ちゃうんですぅ、だから寝ないんですぅ」と……。
▲top

  2004年3月22日(月) 春キャベツ
今日はまた寒くなったが、昨日は小春日和だったので、晩、春キャベツが食べたくなった。春キャベツとほうれん草を30秒ほど熱湯にくぐらせてシナっとさせ、青味を保つために水で冷やす。その上に、豚のバラ肉をさっと茹でたものをのせ(これはアツアアツで良い)上から、黒酢入りの三杯酢とポン酢しょうゆを少々かけた。名前はわからない。

もう一品はカツオだし(既製品)にヒガシマルの薄口醤油としめじを入れ、それほど煮立てず香りを引出し、絹ごし豆腐を入れ、お酒と鷹のつめを入れる。そこに水洗いし塩抜きしたワカメをのせて一蒸らしして湯豆腐とする。
 
食べ終わったあと、キャベツ、ほうれん草、キャベツを茹でた汁にヒガシマルのうどんスープと砂糖と残の豚バラ肉をいれ、火を止めてとき卵をくるくると。加ト吉の冷凍讃岐うどんを茹でてそのうえにかける。卵と豚バラがからみあった、少々甘めのブタ玉うどんのできあがり。関西ではこれを肉うどんとは呼ばない。肉とは牛肉のことを指し、豚肉はブタと呼ぶ。お好み焼き屋やうどん屋においてその傾向は顕著にうかがい知ることができる。

キャラクターがかぶることを恐れているので池波正太郎は読んだことがない。永井荷風も避けている。そういう意味ではどうもいまだに江戸コンプレックスが抜けていないように感じる。僕が「うまいそば屋」について語りだすにはまだかなりの年月が必要のように感じる。
▲top

  2004年3月21日(日) 条件付き
午後14:00、条件付きの土地を購入しようかどうか迷ってらっしゃる建て主候補さんと打ち合わせ。その条件とは建売でなくてもいいが、工務店は指定されているというもの。そこで果たしてOCMの設計する住宅を、その工務店が適正なコストで、技術的に、美的に納得できるものとして施工できるかどうかが問題になってくる。一度それで失敗した事があるので、同じ轍は踏みたくない、と建て主さんにも伝える。

とにかく来週工務店に会ってそのあたりのメンタリティーを聞き出してみる。それによって建て主さんに判断していただくという方法をとることにした。そう、行けばわかる。

建て主さんは神戸の舞子の出身だという。神戸西部の柔らかい言葉がなつかしかった。毎日キラキラ輝く瀬戸内海を眺めながら電車に乗って予備校に通ったことを思い出した。
▲top

  2004年3月20日(土) 吊るし
「あの人は洋服を着ていない」と言う場合は「裸」であるか「和服を着ている」ということになる。しかし、ほとんどの場合和服を着ている人に対して「洋服を着ていない」という表現は使わないので、つまりそれは「裸」であることを意味している。

「和裁」「洋裁」も同じはなし。

はじめは「服」であった。服は自分でつくるかお母さんが装苑などのパターン紙、型紙などをもとにつくるものであった。しかし「既製服」というものが生まれた。それがあたりまえになってくると「既製服」というコトバは死に「服」は既製品であることがあたりまえになった。

スーツ(三揃え)でさえ誂える(あつらえる)ことがあたりまえであった。オーダーメードがあたりまえであった。オジサン達もそれぞれの自分のこだわりをもって、ボタンホールにこだわったり、ベンツの本数やチェンジポケットをつけてイギリス人気取りすることもできた。そしてそのあたりまえに「誂える」ということが不可能な兵隊のようなお勤人の人は「吊るし」とよばれる既成のスーツに手を出した。新しいスーツを買った時も「吊るしですから…」と謙遜することができた。

先日、僕の唯一の黒いスーツが虫にくわれた。そりゃ着てないんだからしかたない。御丁寧に上着を少し、ズボンを少しづつかじられていた。

そんなに着ないし、買っても虫に食われる恐があるから…という理由でぼくも「吊るし」でいいや思い、恥をしのんで買いに行った。上下がセット販売になっているので、ウエストが6cmきざみになっている。なんとも大雑把としかいいようがないが、それが吊るしの宿命である。結果的には、上下とも大きすぎた。僕が着るとどうしてもヤクザっぽくなる。

そう、フツーの人は「吊るし」に体型を合わせて生きていかねばならないのだ。合わなければ自分を責めるというこの何とも言えない理不尽な感覚。

寒い春雨の中、「龍の髭」であたたかいトリソバと紹興酒を飲んでトボトボと帰ってきた。

和と洋の話をしようと思ったら、吊るしの話になってしまった。
▲top

  2004年3月19日(金) 朝5時
朝の4時や5時頃よく目がさめる。別に病気ではない、と思う。

街全体がとても静かで、空が白みはじめ(みえないが…)、青い空気に包まれている。音を消してテレビをつける、(というか耳栓をしているので音は意味が無い)

昨晩ブリジッド・ボルドーのドキュメンタリーをやっていた。夢かうつつの状態でみるベべは妖艶で、70年代特有の濃いフィルムの中で妖しい笑顔をふりまいていた。そのあとキャサリン・ヘップバーンになったがが、ボルドーほど妖艶さを感じなかったので、消して寝た。

先日は5時から漢詩紀行というのがやっていて、杜甫かだれかの、「どこそこに麗人多し」というのんきな漢詩を延々やっていた。中国の悠久の映像をバックに流れる漢詩は、これまた気持ちよいことこのうえない。

たぶん熟睡ができていないのだと思うが、その夢うつつの状態で、様々なことを考える。だいたいが起きた日(明日)の予定のことを考えている。

毎日テンション高めで、大声出しながら仕事をしているので、その一時だけが心底安らいでいる時間だ。

本日は毎日平均50件くらいであるOCMのホームページへのアクセスが77件にものぼった。最好記録だ。春、この時期、家づくりへの気持ちがむくむくと芽生える季節なのだと実感する。
▲top

  2004年3月18日(木) 体温
夜、「普請道楽」の打合せでOCMに大菅編集長、写真家のW氏、デザイナーの松永路が集合。水餃子やからすみを食べながら、古丹波-栗焼酎-竹炭濾過という焼酎を飲んだ。W氏の編集長へのプレゼンテーションが熱くて良かった。僕も良く喋る人間だが、W氏も良く喋る。

たぶん僕は写真、写真家というものをとても信じていると思う。今どき写真なんてだれでも撮れるじゃないか、という言い方もできるが、ネームヴァリューとかブランドでなく、「この人でなければ撮れないもの」というのが確実にある。

体温の低い脱力系の写真や、クールですかしたデジタルデザインが主流だからこそ、人間の体温が伝わるような、写真やデザインは確実に価値がある。

今日も一人面接をしたがショックだった。彼は自分のプレゼンテーションをするのに、二級建築士の実技試験の図面を持ってきてしまった。コメントのしようがない。
「最近の若いモン」は「絵が描けない」いや「描かない」また「描けない事すら恥じていない」で、開き直っている。その意味がわからない。「手を動かさないで」「デザイナーになりたい」ましてや「建築家になりたい」という神経がわからない。昨今の建築ブームインテリアブームというのはそうとう「中身のない」ムーブメントなんだなあとつくづく思う。若い人はそこから、なんら重要なことを学んでいない。

そのうち足元をすくわれる。

------------------------------------------

佐々木アキラ君のRe-(リ-ハイフン)というユニットのホームページが出来た。みなさんのぞいてみて下さい。
OCMの住宅にもアキラ君の面白い照明や時計を組み込んでみたらおもしろいと思っている。
▲top

  2004年3月17日(水) 信頼
毎日書きたい事が山ほどある。たぶん、その中でちゃんとしたコトバになるのは1/10くらいで、そのまた1/10くらいのことをココに書いているといった感じだ。浮んでは消えることもまた多い。

建築、建築家というものを玉虫色につつまずに、その現状を吐露していかねばと思いつつ、本当にこんなこと書いてしまっていいのだろうかとも思う。でも、事実だしそう簡単にいろんな状況はかわらない。

Share Spiritの建具の残工事の立ち会いで、朝8:30、昼13:30、晩21:00と三回お店に顔を出す。先週は施工会社の対応の悪さにとうとう「社長出せ!」をやってしまった。監督がしっかりしてくれれば建築家がここまで細かくみていなくてもいいはずだ、でもだめなのだ。施主は10日間の洋行から帰ってきて、その10日のあいだきわめてお店の売上げもよく、我々の基本設計料くらいを一日で売り上げている。よって、幸いな事に御機嫌は良い。

「俺たちの仕事でも、少しでも服に不具合があったら、すぐに全国(世界中)の店に電話して回収かけるんだ。売ってしまったものも店員さんに言ってお客さんに返金して回収してもらうんだ。それをごまかして黙ってるとつぶされるね。逆にその対応をちゃんとすれば信頼度を買う事ができるんだ。そう、信頼度ってのはねお金出しても買えないもんなんだよ。」

と、施主は今日も熱く僕に語ってくれた。感謝につきる。

--------------------------------------------------------------
1月頃、OCMに面接に来た優秀な若者は、今カシワギ・スイ・アソシエイツで働いているという。柏木さんも一度お酒を飲んだ事がある。せまい世界だ。

春になって、新しく家を建てたいという方からの連絡が増えている。
よって、スタッフ随時募集中。
▲top

  2004年3月16日(火) リンク
「MOSAKI」という闘魂系?建築サイトにこの日記をリンクしていただいた。そのうちより大勢の人に読んでいただけることになると思うと嬉しい。またこの「酔余漫筆」に中毒になりかけている方も、この際他の建築家の日記も読んでみてはいかがでしょうか、この日記が建築家の日記としてはフツーなのか、脱力しすぎなのか、客観的な比較ができて面白いと思います。

「MOSAKI」を主宰している方には御会いしたことがないが、その噂はネット上でなんとなく知っていた。なにしろ普段建築系の人との付き合いがあまりないのでネット上の噂に頼らざるをえない。でも逆に日々生身の人間や泥だらけの大地とともにリアルに仕事しているのでネットのヴァーチャルな世界の情報を適度に頭に流しておかねば、本当に土建屋になってしまいそう気がするのだ。

堅苦しい建築雑誌の上で「よいよい=サロン的=同好会的」な会話が繰り広げられていた昔と比べて、現在は建築の世界においてもナマの声を聞く事ができる。特に若い人の怒りや上の世代、つまり僕たちに対する不満も聞く事ができ、それを真摯に聞きつつ、突き放すところは突き放していかねばならないと思っている。

とくに「MOSAKI」においてはもう壊されてしまった「青山同潤会アパート」の「全保存」の運動についての過去のドキュメントなどを読むと、何か非常に心を打たれる。果たせなかった彼らの「全保存」という考え方は「胚珠」となってずっと持っていてほしい。「ものわかりの良いオトナ」にはなってほしくない。が、それが一番難しい。

今度発売される「建築ツウへの道」(エクスナレッジ刊)には、もう若くはないオッサンなりの「森さん」達に対する諧謔的な文章も入っている。早くみんなに読んでもらいたい。
▲top

  2004年3月15日(月) 等高線
「確定申告」を渋谷の税務署に提出。一瞬で終わるが、並んでいる人々の顔のなんともいえない微妙な表情がおもしろい。皆「疑われるんじゃないか、でもちゃんとやってるわよ」といった感じ。

逗子あたりの等高線を調べようと、地図を求めてパルコブックセンターに。無い。じゃあと思いたしか青山通りのあたりに「地図屋」があったと思い、古本屋の主人に「このあたりに地図屋ってなかったでしたっけ」と聞くと「よく聞かれるんだよ」とけげんそうにしかし親切におしえてくれた。その場所へ行ったが「もぬけのから」だった。廃業したみたいだ。

じゃあ、と青山ブックセンターへ行っても無い。マンをジシテ大盛堂へ、ない。やむなくブックファーストへ、やっとあった。しかし折り畳みの1/10000までしかない。いわゆる引出しから出すタイプの地図は世の中からなくなってしまったのか。

地図業界に一体何が起こっているのか?テロ防止のため、地勢図は当局の管理下のもとにおかれてしまったのか!などと考えながら「等高線」をにらんでいる。

先日バンタンの学生も「センセー等高線って何?」っていってた。「コンターモデル」なんてコトバも通用しなくなってしまった。

知らないあいだに世の中はどんどん変わっている。
▲top

  2004年3月14日(日) 広告写真
朝「確定申告」の書類作成、午後「逗子の家」の打合せで施主宅の荻窪へ。敷地を購入されいよいよ設計がスタートする。

夕方恵比寿の「東京都写真美術館」のAPA「日本広告写真家協会公募展」に入選している写真家W氏の写真をみにいく。W氏らしくない写真といえばそれまでだが、一体僕がここ数年のW氏の変化、進歩の何を知っているんだと言われればそれまでだ。何も知らない。だから楽しみなのだ、何が出てくるのか。

広告写真もなかなか面白と思った。というか、フツーの写真との境界はあまりないのかもしれない。
▲top

  2004年3月13日(土) 大宮
少し文章を書いた後、埼玉の大和田というところに「同い年」の建築家滝澤俊之さんのオープンハウスをみに行った。先週、「小岩の家」を見に来てくれたので、そのお礼も兼ね、かつ埼玉の工務店の状況を把握するための意味もあって。滝澤氏とはお互い独立したての97、8年頃よりバンタンの講師同士で知り合いになった。オゾンのコンペでも2回一緒に指名されたこともあり、「等身大」の建築家の友達として意識している。

40坪を超える大きな家であったが、真ん中に正真正銘の4.5畳の中庭があり、気持ちの良い空間構成になっていた。また、めったにみることのない「人の図面」をみることができ、滝澤氏の意匠、構造、設備にわたるバランスのとれた緻密さがつたわってきた。

帰りに大宮の街を歩いた。都心から30分ほどだし、僕自身埼玉にはよく来ているのだが、大宮に降り立つのははじめてだった。渋谷のセンター街を歩いても恐いとは思わないが、大宮の駅前のキャッチのお兄さんたちは少し恐かった。また、異様に活気があり、人も多く、これまでいろんな街を歩いたが、どこにも似ていない妙な感覚を大宮の街に感じた。古いような、新しいような、寂れたような、賑やかなような、若者のような、おじさんのような…、何か街自体が二世帯=三世代住宅のような趣を持っていた。

すずらん通りという商店街の「鐘家」という店で、焼鳥を食べて、とちおとめ(いちご)をワンパック¥350で買って帰った。
▲top

  2004年3月12日(金) ハーン
ここ一週間で読んだ本、ではなく買った本について。

「魔の系譜」谷川健一(講談社学術文庫)
日本地名研究所の所長である著者、呪術師や巫女の発生、呪詛や魔除けなどを通して日本の裏側から歴史をあぶり出そうとするこころみ。松岡正剛がいうところの「負の文化史」にも近い態度。ちなみに僕はまったく霊感はないし、オカルティックな人間でもない。「和風」「似非モダニズム」を超克するにはこいったところから切りくずす必要があると思っている。しかし、ポストモダニズムの時代に毛綱モン太、六角鬼丈、渡辺豊和らが陥ったワナにはひっかからないようにしなければならない。そう、どうでもいいことは流行に従えばいいのである。

「日本の心」小泉八雲(講談社学術文庫)
八雲はアイルランド人だが、いまだに文庫本の著者経歴にはイギリス人と表記されている。もちろんイギリスに統治されていた時代とはいえ、大雑把すぎる。アイルランド人のもつ八百万の神(妖精)の心とニッポン人とをつなげる、好書。

「中華中毒」村松伸(ちくま学芸文庫)
東大の建築の先生で、こんなおもしろい世界を研究してくれていると非常にホッとする。安藤さんや難波さんばかりが東大ではない。タイトルの「中華中毒」もオヤジギャグ気味で良い。内容もディープで「中国的空間の解剖学」とある。ニッポン文化との比較として読めばますますニッポンが浮き上がってきそうな感じがする。ニッポンがありがたく取り入れたもの、また取り入れなかったものなどなど。

以上、まったく役にたたない図書案内でした。
▲top

  2004年3月11日(木) オオシマトリックス
19:00仕事を終えて、夜の六本木ヒルズに向う。(22:00まで開いている)
目的はバンタンキャリアスクールで教えていた澤山君がボンベイサファイアのグラスのコンペで賞をとって展望台のところに展示されているからだ。ただそれだけでは¥1500円の入場料は高すぎるので(澤山君ゴメン)当然「クサマトリックス」と「六本木クロッシング」をみる。

澤山君の作品は、村上隆や佐藤卓らの審査員の作品と「並列」して展示されていたが、直球勝負でなんともすがすがしい作品であった。年をとると皆ひねりすぎてどうも素直さがなくなるな、特に商業の世界に足を踏み入れるとアイデア勝負みたいなことになれてしまって、自分自身のコンセプトを見失うことになるなと感じた。つまりは少し前にはやったオランダの「ドローグデザイン」のような乾いたニヒリズムに頼らざるをえなくなる。

「クサマトリックス」の草間弥生は、90年代初頭の原美術館でやった水玉の印象が強くて、それが巨大な自由な箱を与えられたくらいの印象しか持てなかった。しかし最後のコーナーの乾し草の匂いのする女の子のスケッチ群は良かった。いにしえの草間自身がもう失ってしまたのか、それともいまだに持ち続けているかもしれない、甘い少女性が乾し草の匂いを通じて僕の中にするすると入ってきた。

「六本木クロッシング」は日本美術の新しい展望という企画展で、久しぶりに現代美術にどっぷりと漬かったかんじだった。何か昔のように「作品と対峙する緊張感」というものはもうないが、それぞれの「ヴァラエティー」の豊富さが現代を象徴しているなあ、と凡庸な感想を持った。

同世代の「ヤンベケンジ」が抜群によかった。みごとにスタート時の「コンセプト」を繰り返しながら時代とかけ合わせて「アイデア」を生んでいる。太陽の塔の「目」の部分に入って地上から撮影するシーンのヤノベと地上のカメラマンとの無線のやりとりが映像として流されていたが、ヤノベの脱力した関西便で「ここでええんかな〜」「下からどないみえるんかわからへんで〜」とぶつぶつ言いながら上空でポーズをきめていくのだが、いざヘルメットを被ってポーズをとったとたんに微動だにしなくなり地上から「ヤノベさん!ヤノベさん!」と呼びかけても、もうそこで交信はとだえてしまった。なぜか涙が出そうになった。完全にヤノベは脱力系の関西人から作品へと化してしまった瞬間だったのだ。

他には渡部睦子というひとの仮設足場で組み上げた「おうち」が良かった。視界を適度に遮る養生シートの中にある間口一間の二階建ての空間の中にある心地よさは一体なんだったのか。少し時間をかけて考えてみたい。そういう気持ちよさを素直に「受信」して照れずに表現できるのもアーティストの役割だなと感じた。

帰りは西麻布のあたりのラーメン屋で餃子とビールと富久娘を飲んで、気持ちの良い春の宵の中歩いて帰った。(ここまでの文章所要時間30分)
▲top

  2004年3月10日(水) 和風ジャパン
午後「共同通信社」の記者の方がお越しになられた。「建てずに死ねるか!建築家住宅」を読んで、ずっと僕のことが気になっていたという。ありがたい。

「新しい和風」についての取材であった。いつしかめっきり「和風の大島」というラベルがついてしまった。「和風」というコトバには違和感はあるが、それ以外に良いコトバが思いうかばないので「流している」。そのうち「イエローカード」を自分に出したい。
ニッポン風、日本風、日本流、日本数寄(松岡正剛)…どれもしっくりこない。なぜしっくりこないかというと、だって我々はニッポン人だからだ。中国、韓国、東南アジア、オランダ、南蛮、ドイツ、イギリスそしてアメリカとここ2000年のあいだに様々なものを楽し気に取込んできた、その態度そのものがニッポン人なのだ。スパゲティ−食べて、カレー食べてラーメン食べて、サムゲタン食べて、フォー食べて、寿司食べて、小羊のステーキを食べる。これがニッポン人そのもの。すばらしいではないか。
僕はその状況、態度、過程そのものを建築化してみたいと思っている。なので「和風」というコトバに違和感を感じる。
中国の卍崩しの横にオランダ製の暖炉があって、ニッポンの畳、茶室があって、ドイツ製のパイプオルガンがあって、フランスのチャペックのポスターが貼ってあって、北欧の家具に座ってコカ・コーラを飲むといったニッポン人の家をつくりたいだけだ。アイロニカルでなく、愛を込めて…。

共同通信社の方には「本八幡の家」を推薦した。
▲top

  2004年3月9日(火) トレーサビリティー
午後、千葉工務店の永吉氏が来所して「これからは工務店の方向性をはっきりと打ち出していくことにしました」とおっしゃられた。そしてそのポイントは「トレーサビリティー」であるという。はじめて聞いた言葉だ。訳せば素材や原産地の「追跡可能性」ということらしい。食品の世界では顕著になりつつあるその考え方を、住宅においても実施していこうとしている。具体的には米松、米栂、SPF材、合板、ビニルクロスなどを使用しないこと。どこの誰がつくったかわからない材料は使わないということ。

しかし、安全性、信頼性は当然高い。これまで坪単価70万円ぐらいでやってもらっていたが、これからは坪単価80万円以上でないとそれは実現できないという。もっともだ。30坪の住宅だと2400万円〜2600万円くらいになる。

写真はSPF材の階段書斎に座って、想像力を天に舞わす人。SPF材はスプルス、パイン、ファーというくらい、いろんな木が混在しており、無垢材であるので体には悪くない。しかし、カナダの「どこかの」山が丸裸になってグリーンピースが怒っているという構図が問題にされている。その「どこか」がわからないところが「トレーサビリティー」にひっかかっている。

常に物事は過渡期的状況にある。
▲top

  2004年3月8日(月) 鶏
この「酔余漫筆」では「お天気」以外の時事ネタをほとんど取り上げないが、「鳥インフルエンザによる養鶏場主の夫婦の自殺」は何か僕に重くのしかかってくる。
自営業という仕事の孤立感、プレッシャー、ストレス、日常的にあるそれらに、マスコミや世間の罵声や中傷があびせかけられると一瞬で人を一人殺す事ができる。

僕らも全く同じ状況の中にある。その覚悟の上でこういう仕事をやっている。

養鶏場主の冥福を祈り、うちの照明器具「うずらちゃん」に灯をともす…
▲top

  2004年3月7日(日) 宴
「小岩の家」引渡し。
各部の説明や書類の受け渡しをしたあと、宴席を設けていただいた。竣工をこのように祝っていただいたのは久しぶりなので少し感激する。施主さんのお父様や身内の方とお酒を飲みながらたのしく歓談。
しかし奥様がお子さまの具合が悪くてお越しになれなかったのが残念。

昨年末生まれたお子さまと、この家は同級生ということになる。
不思議な感じだ。
▲top

  2004年3月6日(土) たんたかたん
引渡し前の「小岩の家」に朝から一日いた。工事中には見えなかったことがいろいろみえて来る。建築家の荒木毅さん、滝澤俊之さん、プロトハウスの桑原さん、「建築知識」編集長大菅さん、インテリアデザイナーの山田健一郎君らが訪れてくれた。
夕方から大菅さん山田君とうちのスタッフ二人で小岩駅前の「三平」に行った。「タンタカタン」というシソの香りのする焼酎のボトルを3本飲んだ。しかし皆よく飲むしよく喋る。

先日学生に言われた。
「先生のつくる住宅ってとっても静かな雰囲気で、ぜんぜん先生らしくないですね。」と。
たしかに自分でもそう思う。

でも、それは確実に自分の中の脳の引出しの中のどこかにある世界である。
▲top

  2004年3月5日(金) 残業
午前中、「幡ヶ谷の家」の施主さんよりの要望、質問、不明点などについての資料作成し、速達で送る。引越、解体、地盤調査、地鎮祭、着工…というせっかちなスケジュールを提出してしまい、「最後はもう少しゆっくりつめましょう」と逆に諌められる。その通りである。急いでいるわけではないが、他者あってのことなので、解体屋、地盤調査屋、工務店にスケジュールを告知しておく必要があるので、どうも「急いている」印象を施主さんに与えてしまった。反省。

毎日毎日反省の日々である。

午後バンタンキャリアスクール新宿校。学生の一人に「先生は自分のできないことのストレス発散してんじゃないの?」と冷やかされた。たしかに学生のテーマは「公園、宿泊施設、物販、飲食、自然食、商店街再生、ストリートファニチャー、地下鉄の駅…」と多岐に渡る。しかし皆、学生自身が選んだテーマ。20代前半の若者の興味がこれだけ多岐にわたっているという事実がうれしいし、やはり僕の指導も興奮ぎみになる。

学生の質問が終わらず一時間残業してしまった。
学生曰く「先生残業代つくんですか?」
講師曰く「つくわけないだろ〜〜」
▲top

  2004年3月4日(木) 検査
午後「小岩の家」現場。竣工前の最終チェック。ほとんど、なんとなくみれば問題なくできているだけに、鬼になって細部まで調べまわる。家の中を一周するという程度では住まない。座る、寝るなど様々な体勢から視野に何が入るのかチェックしなければならない。とにかく時間をかけることが重要。

ボーっとしてみると、見えてなかったものが一杯見えてくる。監督も設計者も「工事人」から逆に「一般人」の目をもたなければならないということだ。つくった人間はそのプロセスや苦労を知っているので「しょうがないよ」というが、住む人にとってはそうではない。苦労等どうでもいい、キレイか汚いか、動くか動かないか、壊れるか壊れないか、うるさいかうるさくないか、重いか軽いか、漏るか漏らないかが重要なのである。

10箇所くらい修正項目を指示して、事務所に帰ってそのフォローの書類を作成。すぐにファックスで工務店に送付。

確認の確認の確認が必要なのだ。
▲top

  2004年3月3日(水) 調整
朝10:00、「蕨の家」打合せで埼京線に乗る。昨日に続いて相当寒い。基本設計の最終段階。だんだん詳細について話が及んでいく。この時点で一度概算見積もりをとって、現実的な工事予算との比較を行う。ここで「減額コース」か「行け行けどんどんコース」かの分岐点になる。お施主さんにとって一番の決断時だ。

14:00、Share Spiritにオープン後の不具合の調整について施主、設計者、施工者の3者で打合せを行う。通常飲食店であれば「オープニング待機」といって、問題が起こればすぐに対応できるように施工者・各業者は近くに「待機」しているものである。物販店でそこまでする必要はないものの、一度に何百人もが出入りするのであれば、意識としては「待機」したくなるはずである。緊急事態が起こったわけではないが、オープン前後の施工者の対応の曖昧さのんびり加減が、施主に不安を与えてしまった。普通の住宅ではなく、かなり特殊な事を数多く試しているので、今後とも設計者、施工者のケアが重要になってくる。(人事のように書いているが自分に言い聞かせている…)
▲top

  2004年3月1日(月) 通奏低音
新しい施主候補の方K氏がおみえになられた。逗子の敷地を購入しようかどうか悩んでらっしゃるとのこと。山があり、環境は良いのだが、逆にその山が敷地に影をつくる。建物に日射しを取込むにはやはり都市的な手法が必要になってくる。

遠慮がちに「大島さんは決まったスタイルがありませんね」とおっしゃられた。よく言われる。しかし「通奏低音」はあると思っている。それが「コンセプト」であり「くせ」であり、スタイルではない。玄関がやたら広かったり、土間が中庭に連続していたり、LDK が2階にあったり、屋根に勾配がついていたり、ガラスの箱でなかったり、全部白ペンキで仕上げたりしないということはスタイルでなく「コンセプト」。これだけ確たる「通奏低音」があっても、それをこれみよがしに「モデル化」「普遍化」「論文化」しなければ、家は一戸一戸違ってみえる。「一対一のソリューション」それが建築家の仕事。

「幡ヶ谷の家」の引越日時や解体のスケジュールがきまり、工事が動き出す。
「蕨の家」の打合せ資料まとめる。

夜、インテリアデザイナーの和田浩一(STUDIO KAZ)と山田健一郎(GLAM)とともにShare Spiritに詣でる。彼らインテリアデザインを本業としている人間からいろいろと意見をもらう。皆観点が違っていておもしろい。その後皆で中目黒の「KAMEROKU SAKURA SHOPPING CENTER」というところへ行きワインを飲んだ。

 屋上で池にはまって足が濡れている人がいて「わ〜雨が降ったから水がたまってやんの〜」とおっしゃってたが「私が設計者です。これは池なんですよ」と近寄って行って言おうと思ったがやめた。すみません。

※写真は「小岩の家」
▲top
 
〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿1-7-2 エビスオークビル2-33 TEL/FAX 03-3441-3499 E-mail oshima@ocm2000.com
Copyright (C) OCM一級建築士事務所 All rights reserved.