OCM一級建築士事務所
 

2004年02月


  2004年2月29日(日) 開店
Share Spiritでオープニングパーティーが開かれた。続々とお客さんが来る感じは、設計者冥利につきる、が基本的には施主の魅力によるところが大きい。1階2階、屋上と廻遊できる感じが心地よい。春の宵の口、気候もよく、屋上が気持ち良い。一日にして施主は屋上に写真のような世界をつくりあげた。センス、美学とその実行力に敬服。

木造2階建ての屋上に池をつくるという、常識やぶりの発想も、この施主の想いがあってこそ実現した。論理としては「雨が漏らないのであれば、水を貯めても大丈夫」つまり、常時雨漏りの検査をしているようなものだ。

また「木造2階建ての建物に、何人人が入って大丈夫なのか」という点について考えて昨晩は眠れなかった。今回は常時100人以上の人が溢れていたような気がする。
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  2004年2月28日(土) 犬林さん
昼「Share Spirit」に昨日ファックスで送った建具の修正図面の説明に行く。ちゃんとやらねば気持ちよくオープニングを迎えられない。一昨日は少し嫌悪な感じであったが、今日は快く対応案を受け入れていただいた。人間が大きいと改めて感じ、涙が出そうになる。

建物には続々と祝いの花や木が搬入されている。ちょうど美容師のキモトさんからの大きな木が届いていた。余計なお世話だが、その足でキモトさんのところへ行き、「届いてたよ」と報告。そこに施主のお兄さんがちょうど髪を切りにこられていて、挨拶をする。「ちょっと相談したいことがあるんですが、また今度ゆっくり」とおっしゃられた。

気分が良くなったので、渋谷、原宿まで歩く。途中、清掃工場のまわりに、ジンチョウゲやカンツバキが咲いていた。ジンチョウゲは春のムンとした陽気の中、芳香を発していた。

「小岩の家」には一本のハナミズキを植えた。もうつぼみが膨らんでいいるので、5月頃にはきれいな白い花を咲かせるだろう。ハナミズキ、洋名ドッグウッド、二子玉川で仕事をしていた頃を少し思い出す。
ところでなぜドッグウッドというのだろう。二子玉川に「ドッグウッドプラザ」という建物があるが、ずっとそれは「犬林さん」がオーナーだと思っていた。
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  2004年2月26日(木) 春一番
「小岩の家」現場。最終段階。手摺の角をとる、照明器具一部変更、畳下収納の蝶番検討、3枚引き建具の位置ずれ修正、間接照明20w→15wに変更、引戸に戸当たりつけて衝撃吸収などの指示を行う。
 
足場がとれて現れた、黒と白とデッキ材の色が鮮やかだ。

夕刻、「Share Spirit」に出向き、建具関係についての不具合について打合せ。施主よりきびしくお叱りを受ける。確実な方法を提案し、対応すると伝える。

一つのミスで、一年間やってきたこと全ての評価、信頼を簡単に失う。当然だが厳しい仕事だ。いや、どんな仕事も当然厳しい。
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  2004年2月25日(水) 見舞い
天気が良いのでスクーターで、上祖師谷にある至誠会第二病院に入院している写真家のW氏の見舞いに行った。駒沢通り→環七→赤堤通り→118っていう仙川へ抜ける道を通った。はじめての道もあって、東京らしくない「脱力系」な感じの街中を走り抜けた。

W氏はトラックに足を二回踏まれて粉砕骨折したらしいが、そういう話は苦手なので全く聞かなかった。見舞いに行って「具合どう?」とか「怪我は大丈夫?」とか一言も声をかけないのは今考えてみれば失礼だなと思うけど、W氏ももうそういうことには飽きているにきまっているので気にするのはやめよう。

お土産に納豆と豆腐を買っていった。W氏からの指令だ。絹か木綿か焼きか何がいいと問うと、何でもいいと言われた。

拙著の写真を撮ってもらいたいと思ってそのお願いに行ったというか「足がダメでほんまに撮れるンか?」という疑念を晴らすために行ったというのが正直なところ。しかし奴は大丈夫だ。顔にも数年前の事故でチタンが入ってるし、足にもきっと最新の何かが入ってるだろう。装備は完璧。かつ、毎日病院の中で死んでいく人々を目の前にしながら、彼の写真は確実に滋味を帯びているに違い無い。撮りたくてたまらないその爆発力、生命力にたまらなく期待している。

O編集長にも紹介せねば、でも入院しているし、方策を練らねば…。
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  2004年2月24日(火) インタビュー
年末に買った『インタビュー術!』永江朗著(講談社現代新書)に目を通す。採取した「ナマの声」をどう料理していくかについていくつかの方法論を探る。ライブ感を損なわずに、論理性を適度に持たせることが重要か…。O編集長との打合せが必要になってくる。建築家でありながら、かなり他領域にまで踏み込んでいることは実感しているが、全ては「メッセージの伝達」である。相手に何かを伝えること、それは建築も著述業も同じだ。

現前たる建築物からどうしても溢れてしまった「ナマもの」に対して、異常に興味がある。「建築家は建築で勝負せよ!」御意、しかしそれは僕の建築家としての勝負ではなく、建築物に対する想いである。施主が語れば語るほど建築家の存在は薄くなる、良いではないかそれで。その極点まで行ってみたい。そこで何がみえてくるのか。それによって今の建築界の欺瞞、大芝居を覆し、建築家の化けの皮を剥がしたいと思っている。

自虐的にかつ諧謔的に。
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  2004年2月23日(月) 挨拶
昨日の雨と大風によって、空気中の粉塵が取り除かれ、東京に青空が戻った。そんな日は写真を撮るに限る。修正、合成したかのような青空をファインダーの中に無料で取込むことができる。

「蕨の家」基本設計がまとまりつつある。追加の確認事項を整理。
「幡ヶ谷の家」実施設計についての最終要望、確認事項をていねいにまとめていただいたものを受領。対応する。

山に登ると、山道ですれ違う人はほとんど「こんにちは」と声をかける。もちろん知らない人だ。

昔カワサキGPZ400で北海道を一周したときも、すれ違うバイク同士はピースサインを出し合って挨拶する。

アイルランドの人気のない道をリュックを背負ってトボトボ歩くアジア人に、たまに通りすぎる車の運転手は、ハンドルを持つ手の人差し指だけあげて、何かの合図をする。はじめは気のせいかと思っていたが、みんなする。

今でもその意味はわからない。が、汚いアジア人のバックパッカーを少なくとも「無視」はしていない、存在として「認知」している。そう思うだけでうれしくなる。

でももしかしたら単なる「指差し確認」かも。もしくは「こちらマクガイアー、アェ〜ジアェ人ひと〜り発見、そちらへ向った、どうぞ」とか無線で連絡しあってるのかもしれない。

都会というのは「無視」で成立してしまってるんだな〜とつくづく思う。
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  2004年2月22日(日) 銀座
時間が合わず、大工にはなれなかった。

天気が良いので銀座周辺をうろついた。もう春のムンとした感じがしている。

「東京と言えば銀座」であったはずだが、どうも「無理矢理」来なければ一生用事がなさそうな感じがする、別に嫌いではないのだが。ビジネス?ない、お買い物?ない、ちょっと様子をみにきただけだ。
久しぶりに行くとやはり巨大ブランド店の存在が目立った。しかし、銀座を好む年齢層はおそらく高齢化していて、さらに地方色が濃く俗っぽさも増している。だんだん青山と上野を合体させたような街になってきた感じかな。

築地本願寺(1934)に立ち寄り、本堂の中に座ってしばらくボーっとしている。
外観は「インド古代様式」という誰も知らない様式。「誰も知らない」というのが果たして「様式」の形容詞として成立するのか疑問だが、少なくとも設計者である伊藤忠太は知っていた。内部は「桃山様式」、これも難しい、どう理解していいのかわからない。かつ本堂の後部に1970年に巨大な西ドイツ製パイプオルガンが設置されている。
「インド---桃山----西ドイツ」というかなり分裂気味な感じが逆に好感が持てる。空間性はないが、やはり意匠はおもしろく、70年経った今も古さ、厳めしさは感じられない。冠婚葬祭の場としても使われており、「寺院」というより「互助会」状態になっているところもほほえましく、浄土真宗のしたたかさを感じずにはいられない。
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  2004年2月21日(土) 日曜日よりの大工
工具箱の整理をした。
底の方に、ビスやボルト、豆釘などがたまっていた。一つ一つが一体何の用途であったのかまったく思い出せない。よけいに買いすぎた袋にはいったままのカールプラグなども多数。

オレンジ色の持ち運び用工具バッグを買ったので、そちらに主なものを移しかえる。めったにそんなものを持って出動することはないが「イメージ」は重要である。概ね住宅内の機器などに使われている、ビスの種類などについて知っていなければイメージもできない。もっと言えば図面もかけない。

明日は片野氏がつかまれば、ブランクスイッチの取り付けとM4の六角ナットを蝶ナットに付け替えにいこうと思っている。片野氏はオープニングが残すところ一週間にせまり、最終調整に余念がない。ネジの一つも締める人ではなかったが、さすがに最近は工具類を買い込んで喜々としている。僕が簡単なところは自分でやっているのをみて触発されたとしたら嬉しいことだ。そうしてもらいたいがために僕も「スタンドプレイ」で現場でこちょこちょやっている。

さあ、明日は日曜日だ。大工になろう。
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  2004年2月20日(金) お別れ会
昨晩、本の打合せでデザイナーの松永路がやってくる。松永さんの友達の辻出さんと言う人が3年間の東京生活を終え、3日後、地元の京都に戻り飲食のお店を開くというので、即興のお別れ会になった。サイトギャラリーオーナーでガラス屋の斉藤康も呼ぶ。
東京は何年か経つと地元に帰ってしまう人がいるのでさびしい。東京って一体何なんだろうって考える。ビザのいらない外国かもしれない。僕もさびしいが、斉藤康のように38年間恵比寿に住んでる『原住民』はもっと寂しかろう。
辻出さんははじめ建築の勉強をしてそして設計事務所勤めをした。何年かして所長に「建築に一生を懸ける気があるか」と問われ悩んだ末建築界を後にした。所長も正しいし、あきらめた辻出さんも正しい。建築とはそういう世界である。「独立していいですねえ、すごいですね」と言われるが、別にすごかない。多くのものを捨ててきてしまって建築しかのこっていないだけだ。
現在のインテリア・建築ブームの中で、どれだけの若者が一生を捧げる決意をしているのか疑問である。ほとんどはなんとなくその「おしゃれ」だと思われている業界にそっと自分の席を確保し帰属したいと願っているにすぎない。おそらくそのうち一生を捧げる決意ができるのは100人に一人くらいだろう。
何はともあれ辻出さんの京都での活躍を祈る。
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  2004年2月19日(木) 腸詰
午前、「小岩の家」現場監理。外壁吹付タイル、内壁珪藻土が終了しあとは細部の仕上げ、建具、照明器具となった。写真は天窓の光と珪藻土の刷毛引きの表情。ここにプラスチックのルーバーを入れる。

 今回左官屋さんは「刷毛引きちょっときついから、コテ仕上げにさせてくれんかのう」と少し弱気になっていて、コテ仕上げのサンプルまでつくってきていた。が「僕はとっても気に入ってるから今回もお願いしますわ〜」との一言で「わかりやした」と左官屋さん。たぶん左官屋さんとしても設計者のメンタリティーが気になっていたのだろう。「いいんだったらいい、悪いんだったら悪いって言ってくれ」って感じかな。

往復の車中で夢野久作の「人間腸詰」を読む。何が悲しくてこんな小春日和に夢野久作読まなきゃいけないのか?別にたいした意味はない。そう思っただけだ。
ただ主人公がたたき大工のハル吉で、その一人称の語りというものをもう一度確認したかった。大工の言葉の小気味よさ、および現在執筆中の「普請道楽のススメ」はインタビュー集でありながら、まったく対談集ではなくむしろ一人称の語りと解釈した方がいいような気がしているからだ。

夢野久作は1889年生れだからル・コルビュジェの2才年下である。

※)『建築知識』3月号に「2×4材や鉄を使った和風」などまじめな文章書いてます。よろしければ御高覧下さいませ。
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  2004年2月18日(水) 招待状
今日、Share Spiritからオープニングパーティーの招待状が届いた。

関係者なので不思議な気持ちだ。届いた、というよりも「間に合った」という感じかな。僕のデザインした鉄の門扉が表紙に、中を開けるとボンデージの女性があらわれる。素敵だ。これが世界中に送付されている、モスクワにもパリにもロンドンにも!。

鉄の門扉を設置したのが2/4だから、それをアートディレクターの森山さんが撮影して、加工して今日2/18に手許に招待状が届いている。森山さんありがとう。
森山さんもデザイナーの片野さんも僕もみな10年以上同じヘア−・リッジという美容室に通っている。昔は皆20代でやんちゃしてたが、今はみんなそれぞれ好きなことを仕事にして生きている。もちろんヘア−・リッジの美容師キモトさんは相変わらず毎日ひょうひょうと髪を切っている。素敵だ。
めでたいので今日髪を切りに行った。キモトさんはShare Spiritのオープニングが待切れなくてこっそり、階段のところまで忍び込んだという。そして「かっこいいね〜」って言ってくれた。

それと呼応するように「普請道楽のススメ」の片野氏のインタビューを起こしていると、思わず泣いてしまった…。片野氏の話はそういう話なのだ…。話しを聞いて泣くほどの施主と巡り合えて、僕は嬉しい。だから建築を続けるのだ。

切ったら血が出るような建築をつくりたい。
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  2004年2月17日(火) 立春過ギテ
なんだか春の陽ざしになってきた。今朝の夢は「学園」のようなところでいろいろな教室があって、お茶会か何かが一杯ひらかれていて、どの教室かわからずに、扇子と懐紙をもってうろうろしているといったものであった。なぜか夢の中で「ちゃんとした袱紗(ふくさ)がほしいなあ」と思った。

眠りが浅いゆえ多くの夢をみる。しかし半分現実が踏み込んでおり、仕事のことで?を残しながら眠るとかならず夢にその仕事がでてくる。信じられない話かもしれないが、夢のなかで住宅のアイデアが出てくることもある。それは突飛なものでなくけっこう的確な解だったりする。

が、極力夢では建築のことを考えない方がいいと思っているので、寝る前には一日の仕事の事を必死でわすれようとして、つまらないお笑い番組などをみて脳味噌をすっからかんにするか、仕事には関係のナイ素敵な美しい文章を読むようにしている。昨晩は徳富盧花の「自然と人生」に目を通した。

盧花の文章は極めて視覚的で、そこには音や匂いの描写が欠損しているといわれている。しかしその漢文調の視覚的な文章は心地よい眠りをさそう。

「空眠り、日眠り、海眠り、山眠り、山の影眠り、帆影眠り、人眠る。立春の夕べ、地も天も蕩然として溶けむとす。(二月四日)」
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  2004年2月16日(月) 施主・夢・インターネット・雑誌

風邪は治った。よくできた体だ。仕事にはなんら影響がない。誰からも同情を受ける暇もなく治ってしまった。

午後新しい施主候補の方がおみえになった。気持ちの良い若い御夫妻だった。敷地は横浜。「狭小地ですが」と謙遜しておっしゃられたが、ぜんぜん狭小地ではなかった。建築面積は15坪あった。2時間弱お話をして、来月中にはお返事をいただけるということでお別れした。楽しみだ。

今朝夢の中で音楽が流れていた。コクトーツインズ…。なんでそんなものがと思うが気持ちよかった。夢に色はない、と言われているが音は確実にある。夢はおおむね記憶の引出しから参照されて変型されてパレードしているわけだが、色がないということは人間は色を記憶することが苦手だということだろうか、などと朝から考える。もしかしたらニッポン人だけが色が苦手なのかもしれない。

話はどんどん変わるが、若者=インターネットと我々オジサン達は思いがちだが案外そうではない。特に東京の独り暮らしの若者は下宿(死語)に電話線をひいていないことが多いのでネットは携帯でしかできないという。しかし、社会はもうインターネットと繋がってしまっているので、それを前提にすすんでいる。仕事においても「わかりません」「知りません」というのは通用しない。それは「調べてません」「興味がありません」と同じとみなされる。昔は「物知り」というのは一つの才能であったが、今は脳がインターネットとして外在化しているので「物知り」「情報通」はあまり価値がなくなっている。仕事においてもその先の所作を問われることになる。
 
教えている学校の教室に入ると各自の机の上に「カーサブルータス」がずらりと並んでいる。修了制作〆きりまであと一ヶ月というのに授業中に「カーサブルータス」を読んで「う〜〜ん」といっている。授業中の雑誌禁止令を出すにはもはや手後れ…。かつ「先生カラーコピーの安い図書館知りませんか?」と聞いてくる…。せめて、「雑誌をみながら手を動かせ!スケッチしろ!」というのが関の山。しかし学生は笑っている、悪い冗談だと思っているらしい…。

写真はカーサブルータスっぽい一枚
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  2004年2月15日(日) 休養
風邪をひいたので一日中寝ていた。先週会う人会う人に「顔色悪いね」と言われていたのがその前兆だったのだろう。学生の情報によると今年の風邪はとにかく鼻水が滝のようにでるらしい。その通りの症状だ。熱は出ていないようだが、思考能力を奪われ、体の節々が痛い。山に登って風邪を引いて御一新すれば、また明日から新しい気持ちになれるだろう。

粕汁をつくった。豚肉、鮭切り身、にんじん、長ねぎ、にら、しいたけ、糸こんにゃく、ゆでたまご、味噌少々。うまい、食欲はある。

視神経に効くというので、ブルーベリージャムなどもせっせと食べている。視神経がやられるとテレビ、本、コンピューター、外出(日射)ができない。

休養せよ、という信号だな…。
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  2004年2月14日(土) 修験道
京王線に乗って高尾山へ。2.3時間山の中を歩く。いつも思いつきで出かけるので散歩コースぐらいしか歩けないが、今度は高尾山から相模湖あたりまで歩きたいと思う。山歩きは趣味ではないが、発作的に衝動的に歩きたくなる、ので何回か遭難しかけたことがある。つまり「山をなめている」のであろう。

大雪の三峰山に一人で入り、下山のルートが雪で閉ざされて進めなくなったり、六甲山で迷子になったり、雨の中蝶が岳、常念岳目指したり、3時から富士山山頂目指して9合目で日が暮れたり、ネパールのアンナプルナ地方を下痢のままトレッキングしたり、だいたい爽快な山登りなぞしたことがない。僕が自虐的なのでなく、自然の中に分け入るということはすでにタブーを侵しているわけで、その行為自体が自分を虐げる行為に他ならない。

近代登山という言葉があるが登山とは近代そのものである。モダニズムなのである。「自然を超克できる」と思いこんでいいることなのである。

高尾山の麓のあたりに「びわ滝」というところがあって、そこで「高尾山修験道」の小屋がある。一人白装束で厳寒の2月滝に打たれている青年がいた。思わず手を合わせた。彼は近代=モダニズムを認めていないのだ、自然を超克しようとか共生しようなんざ思っちゃいないのだ。激しい自虐によって自然そのものになろうとしているのだ。
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  2004年2月13日(金) 追加
 午前中代官山Share Spiritに追加の追加の追加工事のアイアンワークであるエアコングリル、照明器具用鉄骨トラス梁、変型アーチ、鏡台の搬入取り付けに立ち会う。相変わらず鉄の素材感、存在感に圧倒される。「貴族の城の地下にある“趣味的な”拷問室みたいになってきたね。」と僕はデザイナー片野氏に感想を漏らす。「そう、でも男臭くなってはいけないんだ、あくまでもそれを最終的に“エレガント”に仕上げるんだ。」と確信的に語る。

 通常の住宅工事においても、意図的な別途工事、追加工事を増やしてもいいような気がする。ある程度室内空間ができてきた段階で、実際の現場にて施主さんに立ち会ってもらって詳細をつめていくという作業、もしかしたら必要かもしれない。設計してから竣工するまでの6ヶ月以上の間に施主さんの中にも意識の変化は起こるし、「実際にみてみなきゃわかんないよ」ということもやはりある。

 午後バンタンキャリアスクール新宿。修了制作だが、皆まったりとしている。発表会まであと一ヶ月、少し喝を入れる必要がある。
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  2004年2月12日(木) スミス
昼過ぎ、ラジオからスミスが流れてきた。「幡ヶ谷の家」の施主さんがブリティッシュロック好きだったことが頭に浮ぶ。たしかはじめて打ち合わせに行く前に偶然スミスが流れていて、お宅へおじゃまするとブリティッシュロックの匂いがムンムンとしていて嬉しかった覚えがある。モリッシーの声は甘くせつないが、歌ってる内容はけっこうヘビーだ。ブリティッシュロック好きの人が平和な家庭を築いていたり、元暴走族が社長になっていたりすると何かホッとする。「幡ヶ谷の家」工務店が決定し、最終調整にはいる。施主さんが一番大変な時期だ。仮住まい探し→引越→解体→地盤調査→工事契約→地鎮祭→着工とたてつづけに事は進む。

夜「普請道楽のススメ」のインタビューで代官山Share Spiritへ。片野氏は3時間ぴっちりと話してくれた。親友の話、伝えたいメッセージの話、哲学、文化、自然、民族、死の順番などなど本当に聞き入ってしまった。彼が何度も口にしたのは「嘘をつかないこと、人にも自分にも、それだけだよ、何も難しいことなんかいらないんだよ、子供の頃親に言われたこと、それだけ信じてればいいんだよ。」
なんだか「星の王子様」を読んでる気分になった。この本だけでは納まらないな、映画をつくりたいと思った。もしくは寓話。

「普請道楽のススメ」は皆の期待に反しておそらく軽く「建築本」の領域を超えるだろう。しかし逆に建築とはそういうものだということを僕は伝えたい。そう、ナイーブな建築少年たちに是非読んでもらいたいのだ。
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  2004年2月11日(水) 三鷹台
昼、井の頭線の三鷹台というところに行った。昔からの友達が、実家を改築・増築しようと謀っているのだが、まわりの兄弟や親、自分の夫、資金繰り、遺産相続など様々な問題が噴出して途方に暮れている。僕も相談されても何からどうしてよいのやらというかんじだったが、とりあえずその御実家を拝見させていただき、御両親に面通ししていただいた。まずは御両親のお話をじっくりと聞きそのメンタリティーをさぐるところからスタート。娘と親だけではいつもけんかになってしまって話が先に進まないところを、僕が「ただ居る」ことによって少しでも潤滑油の役割を果たせばと考えていた。

昭和29年に建てられたお家の八畳の座敷きは、戦後すぐ普請されたとは思われない手抜きのない仕事であった。1954年頃といえば建築家の増沢洵らが最小限住宅を研究していた時代。しかしそんな時代の中で普通の家に対する大工のしっかりした仕事を見てとることができた。
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  2004年2月10日(火) 広角
キャノンイオスキッス(一眼レフデジタルカメラ)を買った。久しぶりに一眼レフを手にしてやや興奮ぎみ。バシャ!というシャッター音や18mmの広角(実際は28mmくらい)にスコンスコンと空間が納まる感覚が気持ちよい。
しかしこれはあくまでも建築用。自分の趣味の写真は相変わらず35mmのCONTAX T2を使いつづける。

夕方「小岩の家」現場。さっそく広角の威力を試す。気持ちが良い。いつもはバタバタしていたが今日は余裕ができたので、小岩の商店街を探索。「三平」というラーメンやさんに入る。餃子と角煮を食べた。とても落ち着く店だった。
帰りに何故か座布団をもらった。40周年記念だという。

何もおもしろいことを言ってないのに「座布団一枚!」なかなか洒落ている。
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  2004年2月9日(月) B本
JR恵比寿駅ビルの6階アトレホールで「ブックバザール」(〜2/19)をやっていたので、本を買った。帰って体重計で量ってみると「4kg」あった。みな「B本」らしくて半額以下。「B本」て何なのだろう。今度O編集長に聞いてみよう。

(ぎょうせい刊)の日本美を語るシリーズ。五「平等院と浄土教の寺々」は、浄土教が苦手なので勉強しておかねばの一冊。
六「絵巻の世界」は源氏物語絵巻や信貴山縁起などの絵巻に井上靖、フェノロサ、白州正子らの文章が添えられている。雙徽第をやっているときもデザインの「典拠」を求める際に最後は「絵巻」に行き着いた。やはり絵巻を頭の中に叩き込まねばの一冊。
七「枯山水と禅院建築」はおさらいとしての一冊。

(同朋舎刊)の「国宝建築を旅する」というのは違った視点からの日本建築おさらいの一冊。

(桜桃書房刊)の「七人の役小角」は謎が深いわりに、空海にならんで各地に由緒の場所が残る「えんのおづぬ」像を司馬遼太郎や永井豪、坪内逍遥ら多才な7人の文章やマンガによって浮き立たせようというこころみの一冊。

(新潮文庫刊)芥川龍之介の「侏儒の言葉」は今日松岡正剛が扱っていたので買う。箴言集好きというわけではないが(いや好きかもしれない)文章の短さにこだわった芥川ならではの金言をあじわうための一冊。

まずは絵巻でも眺めるか…。
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  2004年2月8日(日) けやき
午前中、新しい施主候補の方と事務所にて打合せ。素晴らしいロケーションについてのことや家への思い入れ、建築家へ頼むことへの不安などについてお話しいただいた。もう一度じっくりと御検討いただき連絡を待つことに。

午後、斉藤康のMGに乗せてもらって原宿クエストホールにて開かれているバンタンデザイン研究所の卒業生制作展をみにいく。その後妹島和世さんの「クリスチャンディーオール」を見学。
感想は、あの美しい外観は内部になんの効果、意味ももたらしていないこと。つまり内部のインテリアデザインと、建築自体の妹島和世さんとのコミュニケーションがまったくとれていないことが残念だった。これでは妹島和世さんは建設デザイナーか躯体デザイナーだな…。プラダのように什器デザインにまで建築家の意志がゆきとどいているのとは雲泥の差である。今の妹島和世さんなら「内装、什器までデザインさせてくれなければ契約しない!」くらい言えるはず、いやそう言って先鞭を切り開いてくれなければ困る。

※写真は表参道のけやき。
(こういう写真のキャプションはロッキングオンの渋谷陽一が一番嫌ったことだ、「演奏するジミー・ペイジ」みたいなやつ…。ということを一応わかった上で「あえて」やっているのでお許しを…)
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  2004年2月7日(土) ボッタ
お昼から、「雙徽第」で開かれた、煎茶清風流の才旦式(初煎会)に出席。会席にて「一献の儀」と「おしのぎ」としてお弁当をいただいた。その後の茶席は仕事の都合で参加できなかったのが残念。しかし、施主が懇意にされている、「ワタリウム美術館」館長の和多利志津子さんにお会いできて少しばかりお話させていただいた。マリオ・ボッタのことや、大工のこと、中村昌生さんのことなどなど、彼女も真の「普請道楽」以外の何者でもない。
 おもしろかったお話は、ワタリウムには日本の建築家も多く出入りしているが、みな意地悪く「マリオ・ボッタの建物はどうですか?」と聞いてくるという。おそらく何かそこに不平や不満などを聞き出そうとして、自己満足に浸りたいらしいが、和多利志津子さんには通用しない。「時間が経てば経つほどしみじみと良さが伝わってきます。」という。みな建築家は「がっくり」するらしい。和多利志津子さんの偉いところはボッタとの契約の際に「スタッフでなくあなたと打合せをすること」そのためにスイスから「何回打合せに来るか決めること」を求めた。かつボッタの偉いところは設計期間が延びて、契約以上の回数来日することになっても「自分デ負担シマス」といったという。また来日の際、みな業者が接待したがって「一緒にメシでも」と言われても、「メシヲ食イニ来タノデハナイ、時間ガモッタイナイ」とずっと現場につきっきりだったという。
 
そんなマリオ・ボッタのことを和多利志津子さんは今でも得意げにお話されていた。

最近有名建築家の悪口ばかり耳にして少々気分が悪くなっていたが、やはりそんな世界に自分はいなくて良かったと思っている。「師匠がやっていたからいいか…」という甘えの構造が建築界を腐敗させている。

午後、南武線→中央線→武蔵野線→埼京線と乗り継いで「蕨の家」打ち合わせに向う。こんなルートがすいすいと乗り換えできるようになると、随分自分が武蔵野人になったような気にさせてくれる。天気もよく、武蔵野をのんびり電車でゆられていると、「このへんもいいな〜〜」と思ってしまう。
キッチンや寝室、お風呂、子供部屋の将来について打合せする。何も急いで決定はしないが、ゆるやかにゆるやかに設計はすすんでいく。そこのお子さんとお手手をつないで駐車場まで一緒に行き駅まで送っていただく。お父さんは「人なつっこいな〜、知らない人に連れて行かれるぞ!」と笑っていた。

 明日は新しい施主候補の人と御会いする。「葉山の家」。素敵だ。是非とも実現させたい。

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  2004年2月6日(金) アンプ
昨晩、独立したての若き建築家が来所した。彼はこれから先に開けている建築家としてのヴィジョンと不安を熱く語った。自分が独立したての時のことを思い出した。しかし僕ももう新米建築家に頼られる年になったのだなあとしみじみ。
彼には師匠もいるし、僕のような手ごろな話し相手もいる。僕にはそれがなかった、もちろん今でも師匠も徒党を組むやからもいない。いいのか悪いのか。

いずれはモノローグばかりでなく、ダイアローグ形式の文章もここに掲載したいと思っている。今「普請道楽のススメ」のインタビューテープおこしをやっているが、とても楽しい。文章にはない、会話のもつライブ感、というかドライブ感をいかに増幅させながら文章化することができるかがポイントである。まるでアンプのような仕事である。

しかしテープで聞く自分の声だけは耐えられない。インタビューだといってるのに、施主をさえぎってしゃべろうとする自分の姿が録られている。聞き苦しい。その自分に黙れ!聞け!っていいたくなる。
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  2004年2月5日(木) 手作り…
 ふと考えた。「酔余漫筆」なんて爺臭い赤ら顔なネーミングはやめて、「cafe OCM」「ようこそ、ちょっと一息ついていきませんか?ほぼ日刊(ぱくり)で建築家大島健二のリアルタイムのあんな話、こんな話が聞けます!」ってなぜやらなかったのだろう。デザイナーの和田さんみたいに「おしゃれ犬」を前面にフューチャーして…。

 つまりはインターフェイスの問題かな。完全に「照れ」ですね。

 写真は所員の手作りの照明スタンド。よくある「手づくりハンバーグ」や「手作りの味」っていうものと少し意味が違う。手作りというのはいい意味で自己満足であって、つくっている本人が一番楽しいはずなのだ。本来それはビジネスにはならないはず。しかし、「つくらない」ということはこれまたまずい。「手作り〜」は買ってはいけない、つまり自分でつくるものなのだ。

 この照明も「手作り〜」に価値があるのでなく、その造形的なおもしろさ、かわいさに意味がある。松下電工やヤマギワをそんなに儲けさせなくても、子供部屋のスタンドくらいは子供が自分でつくればいいのではないだろうか。

もちろん、作り方はOCMが敏腕スタッフを派遣してお教え致します。
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  2004年2月4日(水) 大喜利
「幡ヶ谷の家」、見積もり2社からあがってくる。前回D社から2400万円とあがってきていて頭を抱えていたが、W技建が1860万円、H建設が1930万円と目標金額にずばり到達した。かつW技建は「近いので是非やらせてくれ」と嬉しい事をいってくれる。以前僕が若い頃W技建には「藤が丘の家」「検見川の家」「おゆみ野の家」とずいぶんお世話になった。僕もまだ若僧だったのに生意気で迷惑かけた。H監督に「御苦労さまぐらいいってくれてもいいじゃないですか」と泣きをいれられたこともあった。今の僕は現場で「ご苦労様」と100回ぐらい言えるようになった。恩返しにはならないけど、誠意は見せたいし、僕もこんなに成長したということをみてもらいたい。

『代官山 museum of share spirit』に門扉とネオンサインがついた。甘ったるいクラシックではなく、退廃的でヴィヴィアン・ウエストウッドがパンクショップを開いてマルコム・マクラーレンが出入りしていたような元気の良い、ハードコアなクラシックになった。建築様式で言えば「ストリップトクラシシズム」だと思っている。建築家でいえばトニー・ガルニエやオーギュスト・ペレ、アドルフ・ロースになりきったつもりだ。

「和風」と「ローコスト」のレッテルがなかなか剥がれなかったが、これでちょっとは「大喜利派の建築家」としての面目躍起といったところか。しかし、洋食ではあるがたとえは珍妙だがアジアン無国籍料理でもあるし、つきつめればこれも現代の「数寄屋」であると思う。

オープンは2/29くらいですので乞う御期待!
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  2004年2月3日(火) アクセス解析
OCMのホームページにおくればせながら「アクセス解析・カウンター」というものをつけた。何時にどこから何人がOCMのホームページにアクセスしたかが克明にわかるという凄いものだ。もちろん誰がアクセスしたかはわからない。しかし、友達の設計事務所がなぜかOCMのホームページにリンクしてくれていて、そこからアクセスされたということもわかるのだがなんだか同業種なのに悪いような気もする。30人くらいはブックマーク(お気に入り)にいれてくれているみたいで、それも頭がさがる。しかし深夜の丑三つ時にアクセスしてくれている人とかがいてそれも興味深い。

 夕刻「神業ルームメイク」のアキラ君が来る。恵比寿西口の奄美大島料理店「大吉」に行って焼酎「奄美」をいただく。若いのにいろんなプロジェクトを抱えていてこれも頭がさがる。僕にできることは現在のインテリア業界の現況を読みといて様々なビジネスモデルの「イメージ」を喚起することしかできない。しかしイメージは重要である。春には本と同時に時計などの「アキラグッズ」の販売も始めるらしい。楽しみにしよう。

写真は『代官山 museum of share spirit』の門扉の頂部。鉄の「無垢」の状態である。鉄は普通必ず赤い錆び止めが塗られた状態で出荷されるが、このプロジェクトでは「無垢」のまま使い錆びていくことを求められている。普通のお家では鉄が錆びると裁判になるが、ここでは錆びないと裁判になる。ものごとに真理などないのかもしれない。すべての事象は矛盾を包括しながら比較相対的に決定されていくのだろう。

しかし鉄の無垢は美しい。
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  2004年2月2日(月) 杞憂
昨日の晴天がうそのように、今日は鉛色の空に冷たい雨がパラパラとふっている。一年間でもっとも陰鬱な季節がやってきた。これを乗り越えられたものだけが、春のムンとした空気を吸うことができる。夕方アトレの有燐堂で「シュタイナーと建築」(集文社)を買う。シュタイナーの黒板画?のような本が欲しかったのだがなかったので、建築本にした。友達で芸術を通じた幼児教育をやっている人がいること、バンタンで幼稚園の先生をやめてインテリアを勉強しにきた学生が「子供の場」を設計しようとしていること、そして鉛色の空のうちどれが僕の気持ちをシュタイナーに向けたのかはわからないが、少し世の中を憂れっていることはたしかだ。

本屋からの帰り、「ホルモン徳ちゃん」という店の横を通るとまだ六時前なのに白いカッターシャツを着た若いお勤人の人々が「ナマ、ナマ、ナマちょうだい!」と元気に叫んでいた。

「杞憂」という言葉が頭に浮んだ。
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  2004年2月1日(日) 武蔵小山商店街
天気が良い。昼頃から「普請道楽」テープ起こしの作業。16時頃、日が暮れそうでもったいないのでベスパに乗って街に出る。駒沢通り、旧山手通り、淡島通りを通る、下北沢あたりで夕陽が沈むところを撮ろうかと思ったがうまくいかず、そのまま空いている環状七号線を下る。目黒通りを通ってなんとなく武蔵小山へ。

「信じられないほど」活況を呈している商店街を冷やかして歩きながら、蘇州屋台というところに入る。鳥そばとラー油ワンタンがうまかった。ラー油ワンタンはただゆでたワンタンにねぎとラー油をかけただけ、10ヶで480円。鳥そばをメニューにおいている中華屋は好感がもてる。だいたいどこでもうまい。

元気のある商店街を歩くと京都の寺町?狸小路?あたりの雰囲気を感じる事ができる。ふと小道に入れば「有次」がありそうな…。

今日から2月がはじまる。日曜日の晩の恵比寿は正月のように静かだ。「マルテの手記」を読みながら眠りにつく。

「しかし、ここにこころをゆるめたことのない者、たとえば孤独な人間があって、昼となく夜となく真実の生活の上にどっしりと腰を落ち着けていようとすると、堕落した物たちの抗議、嘲罵、憎悪を挑発せずにはいない。」
                  リルケ『マルテの手記』(岩波文庫)
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