OCM一級建築士事務所
 

2003年12月

  2003年12月31日(水) 大晦日
少し仕事をした後、山手線に乗る。気分はリルケの『マルテの手記』と言いたいところだがそれは自己陶酔に過ぎない。大晦日の山手線はいつもと違う。みな戦闘服であるスーツを脱ぎ捨て、柔らかい暖かそうなお気に入りの衣料で身を包み、ほっこりとしている。まるでマルテの好きな図書館の中にいるようだ。そのままクルクルと山手線を廻っていたい気を抑えながら鶯谷でおり、上野に向う。谷口吉郎、前川国男、ル・コルビュジェを横目でみやりながら閑散とした上野公園を抜ける。西郷さんの前にはアジア系の人々が皆そこそこきれいな格好をして集まっている。木陰でインドかパキスタンらしき女性がカレーを振る舞っている。ニッポンで年を越す外国人はやはりここに集まるのだろう。ニッポンで年を越す関西人が集まっていないことを祈りながらそこをすり抜ける。目指すはアメヤ横町。日が暮れるにしたがってどんどん人の群れは膨らむ。

連れ合いも実家に帰ってしまい、毎年一人で過ごす年末はその人混みの中に身をゆだねる。自分はそこでただのニッポン人であることを実感するのを楽しみにしている。
何時間かそこをうろうろする。来年の現場用の靴を買おうかどうか相当まよう。今年は人にもらったナイキのマダーを履いて五つの現場を廻った。あれはなかなか良かった。しかし自分で買うとなるとしぶる。あっバブアーからカバンがでてる。京都に小旅行するときにはよさそうだな…。ハリスツイードも様々な商品が出ている。ディッキーズのつなぎも欲しいな…。実験着みたいなカバーオールもかっこいいなー…。コレ着て仕事するとスタッフはひくだろうな…。と昔「さわやかポパイ少年」であった気持ちがうずく。

が、それらはすべてシュミレーション。大山という肉屋の店先でワンカップ大関と焼鳥と塩辛いもつ煮を食って上野を後にした。

恵比寿に帰って来ると街が灯火管制を受けたかのように暗い。大丸ピーコックで切り餅や玉子、豆腐、ちくわ、納豆そして黒松剣菱を一升買い込んで家路につく。

大菅編集長の影響ではないが、今晩は「吉田対ホイス」「曙対サップ」が楽しみだ。
では、よき御年越しを。
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  2003年12月26日(金) ウタゲノアト
夜、渋谷のEDGE ENDにて忘年会を行う。去年は「建てずに死ねるか!建築家住宅」の出版記念パーティーとしてやってそこそこの盛り上がりをみせたが、今年は出版もされていないのでただの忘年会。「建築知識」の編集部員の方々やバンタン卒業生、美容室HAIR RIDGEの面々、アートディレクターの森山さん、SITEの斉藤さん、デザイナーの松永さん、ヘア−メイクの田代さんらが参加してくれた。
なんだか僕一人が浮いている感じだったが、まあ気にしない。みなさんどうもお疲れ様でした。その後居酒屋へ行き、「秘伝大島ラーメン」を食べて、タクシーを捕まえようとしたが捕まらず、みぞれ混じりの雨の中、恵比寿まで歩いて帰った。

写真は「神ワザルームメーク」で一世を風靡した佐々木アキラ君。一册目の本が○万部売れて、3月には二冊目の本が出るという。先生の本より教え子の本の方が売れているという心暖まるお話でした。

カシマシキ宴ノ後 我ヒタスラ蟄居ヘ向ワンコトヲ欲ス
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  2003年12月25日(木)
14:00「小岩の家」現場。外壁の板金部分やFRP 防水を完了させ年末年始の風雨をやり過ごす準備を確認。内部の枠、階段などについての打ち合わせ。大工さんに「良いお年を」といって現場を後に。

16:00、監督さんの車に乗せてもらって竣工後5ヶ月経った「本八幡の家」に向かう。いくつかの不具合箇所の確認。2階にLDKをもってきた場合の排水管からの音。よかれと思って壁の中に配管をしこんだが、お湯を流すと熱膨張によって塩ビ管を止めている鉄帯がピキピキと鳴り、太鼓状の壁内で音が増幅されてしまう。監督さんには対処方法はないと言われてしまい、困った。配管を外部に出すしか方法はないのか…。その他「今後の設計上の参考にして下さい」といくつかの箇所を指摘いただいて、なんとも立つ瀬がなかった……。
OCMの住宅の中では三本の指に入るほどきれいに、おしゃれに、センスよく住まわれており、我ながら自慢げにもっとうっとりしたかったのだが…そんな余裕はなかった。しかし御夫人に美味しいケーキと紅茶をいただき、作業の日程の打合せをして帰った。
カリンの床の赤みと珪藻土の赤みがなんとも暖か味を出すのに効果的だなと実感した。

夜表参道にて明治大学の田路助教授と待ち合わせし、会食。田路氏の教え子で現在ヘルシンキ工科大学に5年も在籍している大久保慈さんも一緒だった。フィンランドにおける建築家の話しなどを聞く。おそらくフィンランドには建築家は2〜3000人くらいしかいないのではと、フィンランド国内の三つの建築学科から卒業する学生は年間数十名程度、かつ卒業するのに平均10年かかる、「エクスカーション」という遠足みたいな授業が普通にある、などなど不思議満載であった。ヘルシンキ工科大学についてのお話は今月号の「建築文化」に大久保さんが記事を執筆されているのでそちらを御覧下さい。

「幡ヶ谷の家」の実施設計が年内で終わらなかった…。冬休みはやることが山積み。静かな正月の恵比寿で事務所にこもることになりそうだ。

TONIGHT EVENT [ OCM NIGHT VOL.2 ]
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  2003年12月23日(火)
14:00より埼玉のKさん一家に来所いただき設計契約を行う。元気な子供達がこの不思議な事務所を喜々として走り回り、元気が良すぎて階下の住人さんが「どうしたの?にぎやかね」とやってきた。かくかくしかじか事情を説明し、スタッフに子供達を連れて近くのタコ公園へ行って遊んでくるように指示した。少し心配だったが無事「公園デビュー」できたようで、楽しく遊んでいたみたいだ。ホッ。設計事務所のスタッフには「保母さん的」能力も求められるという心暖まるお話でした。
今年はもう終わりだが来年から「蕨の家」がスタートすることになった。施主と建物外観の話しをしていて1/4ヴォールト屋根の話しがでた。久しぶりにいつもと違う屋根形状の家ができそうで楽しみだ。
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  2003年12月22日(月)
晩、恵比寿の「jumble」にて、バンタン研究所の忘年会が行われた。講師と学校側の教務の集まりで、久々にお会いする方もいらっしゃった。家具デザイナーの石川尚氏、彫刻家の吉水浩氏、インテリアデザイナーの和田浩一氏、インテリアスタイリストの山下真太郎氏などなど。皆それぞれの分野の最前線で活躍されている。「建築家」の人と「建築」の話しをするより、他分野の人と会ってインタビュアーのようにいろいろネ掘りハ掘り聞き出すことの方がどうやら僕は好きなようだ。
皆の共通点は「よく飲む」「よく喋る」。おおむね良い意味で皆「俺が俺が…」「あ〜言えばこう言い…」の性格なのでどうも場を仕切りたがる、したがって「小ギャグ」をはさみながら「かしましく」時間は過ぎて行く。オジサン達の元気に若者も見習ってもらいたいものだ。
写真は左が石川尚氏、右はおどける世界的彫刻家吉水浩氏。
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  2003年12月21日(日) ジャン
午前『代官山 museum of share spirit』の現場。足場がはずされ、晴天の青い空にその大谷石の肌があらわになった。クレーンが来て鉄の手摺等の搬入と取り付け。かつそのクレーンで300kg近くある石盤を玄関前に移動させ、あとは「コロ」を使ってなんとか設置。古代エジプトと同じような作業を職人さん達にやってもらう。ハイテク化とか情報化社会とか言っているが、最後は職人さん達の「力」が頼りである、なかなか図面には書けないが…。

夕方、初台のオペラシティーでやっている「ジャン・ヌーベル展」をギャラリーSITEオーナーの斉藤康のMGに乗ってみにいく。
スライドプロジェクターと音と光の操作が同調した巨大な空間に息を飲む…。はじめてジャン・ヌーベルのやりたいことがわかったような気がした。おそらく世界中でフランス人しか持っていない妖しい感覚というものがあって、それを彼はやっているのだと思う。なかなか言葉では表現できない。ジャン・リュック・ゴダールのような、ジャン・ジャック・ベネックスのような、ジャン・プルーベのようなそしてジャン・ジュネのような…感覚。自分がフランスかぶれだった二十歳くらいのときの感覚が急激に呼び戻されてきた。それはなかなか「建築化」できないものだと思っていたが、ジャン・ヌーベルはそれをやってしまっている。嫉妬に近い感情がわいて来ている。
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  2003年12月20日(土)
「渡辺篤志の建てもの探訪」で「雙徽第(そうきてい)」が放映される。その後メール等で若干の反応あり。トップライトの落葉は掃除しておいた方がよかったな…と反省などしながら。

午後、旧知のデザイナー羽田野和夫氏の事務所を訪問。フォービートというデザイン事務所で二子玉川にある。僕は持参したフェンダーのテレコ−スティックという変なギターを弾きながら羽田野氏の手料理と赤ワインをいただく。音楽の話、デザイン、アート、建築のことについて声が枯れるまで語り合い、そして歌った。
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  2003年12月19日(金)
午後、バンタンキャリアスクール新宿校に出講。「9坪ハウス」の授業は本日で終了、合評会を行った。学生にとってははじめての住宅設計であったはずだが、大学を卒業したあと社会人の経験を経ている人が多いので、設計案の内容が良い意味で落ち着いており、リアリティーが感じられる。
また写真のMさんの作品等は完成度が高く、はじめて設計した住宅作品とは思えない。教える側にも心地よい刺激を与えてくれる。
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  2003年12月18日(木)   クリスマスがお誕生日の三世代住宅
朝9:30から、「六角橋の家」引渡し、だが、まだ業者さんがわんさか出入りしている。もう一度隅から隅までチェックをしたが、やり直しの箇所が山積みである。施主は一応笑ってはいてくれているが、こちらは血圧が上がって卒倒しそうだった。「残工事」は23日までつづく。一応書類上の引き渡しはしたが、実質的にはまだ終了していない。当然、残工事費の請求書も残設計料の請求書も差し止めである。23日の夕刻にもう一度僕が確認に行かねばならない。クリスマスは御主人の誕生日でもあるという。楽しく暖かに過ごせるようになんとかがんばらねば…。

3階建ての二世帯住宅なので、1階には昔からそこに住んでおられた御両親が入る。仮住まいが寒くてしょうがなかったので一刻も早く入居したいということで、明日引越をする。女子高生の娘さんがいらっしゃるので、二世帯住宅とはつまりは三世代住宅である。あまり陽の当たらない1階に住むことになるお父さんが、三階の陽がさんさんと入る「みんなの部屋」をみて「わしはずっとここにおるわ!暖ったかくて最高じゃ!」とおっしゃってくれた。うれしい。三世代、生活時間も習慣も全く違う6人が、かわるがわるこの空間を使ってくれればいいと思った。多世代住宅の一つの解ができあがった。が、これから年末年始、何があるかわからない、工務店の社長には「携帯の電源ずっと入れておいてよ」と念を押しておいた。

午後バンタン研究所中目黒校舎。今年最後の授業、これまでの成果を確認し、冬休みにやるべきことを皆に伝えた。また、デジカメの使い方の実践的なテクニックを教えてあげ、写真映りの良い模型の作り方なども伝授した。

写真は「六角橋の家」
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  2003年12月17日(水)
朝10:00に高校生と小岩駅で待ち合わせして「小岩の家」の現場へ向かう。高校生達にも是非現場の空気を味わってもらいたいと思っていた。一通り説明して先に帰ってもらい、今日は電気業者との打ち合わせ。ここの電気業者は優秀で必ず全てについて設計者に会って確認する。いきあたりばったりで携帯電話でおっかけてくるような業者ではない。本工事ではないがエアコンの位置やアンテナの位置、高さなどについても明確にしていく。前の「本八幡の家」のときにエアコンの取付けで施主にいらない苦労をかけてしまったのでなんとか後から入る業者さんがつけやすいような方向性を模索する。また「ここは映りが悪そうですよ〜」と近隣のアンテナをみて教えてくれる。電柱があったり、高圧線があったり、隣の建物が高かったりする状況を瞬時に見分けてくれる。設計者にはない能力だ、感心する。みっちり打合せをするが、12時になると「以上!終わりです!」と言い残し、ゴハンにでかけていく。そんなところは職人さんらしく潔くて気持ちよい。僕も午後から二人お客さんが来るのであせって帰る。いつものように「こみち」をのんびりと歩く余裕が今日はない。日射しもなく鉛色のどんよりとした日本的な空。途中でうどんをかき込んで電車にのる。

15:00市川工業高校の金子教諭きたる。ちゃんと生徒達が研修をうけているかのチェック。そしてしばし歓談。この就職難の御時世、高校生の就職はきびしい。ましてやオシャレインテリア業界への就職を望んでもなかなかむずかしい。しかし、今インテリア業界でがんばっている若手はみなある程度手が動く、自分でものがつくれるということ。昔、EXITメタルワークスの清水さんと飲んだことがあるが、彼もフツーの鉄工所で修行して、IDEEの下請け業者を経て独立、ユニット系デザイン集団を結成し、たちまち学生のアイドルとなった。清水さんのかっこいいところはひたすら「インダストリアル」なイメージにこだわっているところ。いつも手には機械油がついている、彼はそんな感じがのカッコよさに気付いていたし、また本当に好きであった。

ぼくも、恵比寿で「デザイナー」として活動しながら「靴に泥がついている」ことを誇りに思って、その靴で学生の前に立ったりするが、だれも「先生かっこいい!」とは言ってくれない。せいぜい僕の場合は「先生、靴汚いよ…」と言われるのがいいところだ…。

16:30「○○史」の本の打合せ。編集者のK氏来所。若干の構成案の修正の指示をいただいた。
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  2003年12月16日(火)
昨晩はデザイナーの松永路と『建築ツウへの道』の造本について打ち合わせ。松永さんが最近手がけたという『everyday is a good day』という石鹸作家?の小幡有樹子さんの本をいただいた。なんとも「おしゃれ度満点」の本である。この一年で松永さんはすっかり造本作家になってしまった。

卒業生の山田カズ君が遊びにきたので、連れ合いと一緒に恵比寿の『さざんか』という居酒屋に行った。タイ人の店員さんがエビスビールのエビスさんの巾着の中からタイのしっぽがみえてるレアものを持って来て自慢していた。「コレ、珍シイネ、タイノシッポ見エテルネ、アナタタチ、ラッキーネ」と。
松永さんと山田君が同じ静岡出身だということで盛り上がり、おまけに東京にはめったにない静岡名産「黒はんぺん」というメニューがあったのでハンペンねたでもりあがった。ちなみに関西では、あのもちっとしたぬりかべのような白い「ハンペン」は普通おでんのメニューにない。「ちくわぶ」というのも東京に来てはじめて知った。不思議な食べ物だ。「マロニーちゃん」にいたってはいまだにその存在の耐え難きに耐えている。
どうでもいい話ついでに関西ではおでんのことを「関東だき」ということがある。謎は深まるばかりだ。

午後「六角橋の家」現場。まだできていない。いくつかの不具合を指摘して、残り工事の状況把握をし木曜日に引渡しできることを再度確認する。そのまま東横線にのって代官山へ。『代官山 museum of share spirit』の片野氏と鏡台や手洗器について打ち合わせ。鏡台は「鉄枠で、裏にコラージュとかして、金網で覆って…」と方向性がかたまったが、手洗いはお互いまだ納得していなので、「別に竣工に無理やり間に合わす必要はないよ、納得いくまで考えよう」ということに。
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  2003年12月15日(月) すしといす
昨晩は日曜日らしく久しぶりに「びっくり寿司」へ行った。名前は変だが、安くてネタが大きくて値段相当においしい。上京してきた当初は、東京の寿司の値段に「びっくり」して、ほとんど足を踏み入れなかったが、自由が丘の「びっくり寿司」や梅が丘の「みどり寿司」を知ってからは東京でも寿司が食べられるようになった。ありがたいことだ。

本日から5日間、千葉県立市川工業高校のインテリア学科の生徒が「インターシップ」という研修みたいなものでOCMに来ることになった。「検見川の家」の施主さんがその高校の先生をしておられるので、頼まれて「うちでよければ」ということで受け入れさせてもらっている。何をやってもらえばいいのかいつも迷うのだが、今日は恒例の「1/50模型の椅子づくり“一年分”」をやってもらった。単調な作業で恐縮だが、まずは一日目ということでがんばってもらった。これも当事務所にとってはとってもありがたいことなのだ。この椅子達はさまざまな建て主さんのところでプレゼンテーションに参加し、想像力をかきたてるためのツールとなっていくのだ。

埼玉のKさんより連絡があって正式に設計を発注された。とてもうれしい。さっそくエスキスを開始する。
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  2003年12月13日(土)
昨晩は高校の時の生徒会長と神田の「笑顔亭」という焼鳥&おでんの店で飲んでいた。会長と昔仕事仲間だったマスターは脱サラでこの店を6年前にはじめたという。おでんも焼鳥もお酒もおいしかった。事件は23時頃おこった。他のお客さん、サラリーマン3人組のうち一人が椅子から転げ落ちて玄関の大きなガラスの扉を割ってしまった。5mmの普通ガラスだったが、中央に一部フィルムが貼ってあったので大事には至らなかったが、そのフィルムがなかったら結構血まみれになっていたかもしれない。普通ガラスは恐いなと改めて感じた。よく飛行機の中で「お医者さんはいらっしゃいませんか?」ってやつがあるが、そのときはマスターも少し興奮していたので「建築士の方はいらっしゃいませんか?」とは言われなかったが、両者の仲裁に入って、何故か持ち歩いているデジカメで証拠写真を撮って、夜遅かったが、友達のガラス屋に電話して「明日直さないと営業できないから」ということで無理いって修繕のお願いをし、マスターに安心してもらった。
そのあと会長と関西人らしく「天下一」でラーメンを食べて帰った。

午後から「六角橋の家」へ検査のつもりで行ったがまだ塗装屋さんやタイル屋さんが作業しているし、衛生設備機器もついていない。これでは検査も何もない。現場監理、工事監理、工期監理とは人間をコントロールすることなのに、マニュアル世代、指示待ち世代の若いスタッフはいつまでたってもそれがわからないようだ。
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  2003年12月12日(金) 建築士も走る「師走」
なんだか忙しい。自分は同じペースのつもりだが、やはり全てのプロジェクトの動向がこの一、二週間に凝縮されてしまう。一つ一つ終わらせておかねばならない。午前中、メールのやりとりだけで小一時間が過ぎる。午後はバンタン新宿校。夜は神田で県立加古川東高校の同窓会、しかし集まるのは生徒会長で今はUFJ銀行に勤める穴田君と僕の二人。38才、みな忙しいさかりの年頃なのでなかなか出席できない。

来れないうちの一人は高校の時から「神父」というあだなの人で、今は日本キリスト教協議会の幹事で本当に神父になってしまっていて、今晩は渋谷で平和デモがあるという。皆田舎の高校から出て来ていろんなことをしているのだなあと感心する。同じ美術部だった山下君は先日アートディレクションの会社を辞めたばかりで、今は一人で仕事しているので忙しいという。僕は山下君より絵が下手だったので、美術系の大学に行くのを断念した。今ちゃんとデザイン系の仕事をやっていてくれてうれしい。僕に美大をあきらめさせた人が、今営業マンとかしてたらやっぱりちょっとショックだもんな。
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  2003年12月10日(水)
『アジア都市建築史』布野修司編(昭和堂)を読んでいる。イスラム教、ヒンドゥー教、儒教など今のニッポン人がもっとも苦手としている領域にまで踏み込んで建築と都市について論じてある。建築史の世界でも地味ではあるが布野氏の研究は大変価値のあるものだと思う。「ヒンドゥー教なんて関係ないわ」と軽く言ってしまうこともできるが、実は「ヒンドゥー教とかけて寅さんととく」こともできる。

柴又帝釈天、の帝釈天とはヒンドゥー教の方位(東)を司る神インドラである。また水天宮の水天はヴァルナという西を司る神。弁財天は叡智の女神サラスヴァティーである。なんでヒンドゥー教の神々がニッポンに根付いているのか、もちろん仏教にくっついてきたわけだが、なんとも楽しい話しである。

御歳暮で桜島小みかんをいただいた。とてもおいしい。
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  2003年12月9日(火)
昨日はジョン・レノンの命日だったので、そのことについて書こうかと思ったが、『建築知識』大菅編集長の日記で「するどいつっこみ!」がすでに入っていたので、やめにする…。と思ったが、めげずに一つだけ。

ジョン・レノンが射殺されたのは、僕が中学3年生のとき。現在大阪毎日放送でディレクターをしているクラスメートの中野健君と教室の黒板に「ジョンレノン追悼落書き」をやったのだが、先生に呼び出されてこっぴどく叱られた。先生曰く。「高校受験シーズンでみんなピリピリしているのだから、ふざけたことをするな!」と。しかし、今考えてみるとピリピリしていたのは先生だけだったような気がする。校内暴力が激しくなりつつあった1980年、まだ田舎の我校はのんびりしたものだった。
ちなみにジョン・レノンは好きですが音源は持っていません(25才で「上京」してくるときレコードと決別したからです)。

午後、『代官山 museum of share spirit』現場、片野氏と西郷山公園の入口から現場を眺めながらモトヤエクスプレスのカプチーノを飲む。片野氏の語る「パリコレをやるんだったらね〜」という熱い夢を聞かせていただく。話しのスケールが大きい、素敵だ。
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  2003年12月8日(月) 収納王。。。
 テレビ東京の「テレビチャンピオン」から電話があった。「--収納王--選手権があるのですが出ていただけませんか…」と。ここ一年で4回ぐらい電話がかかってきている。はじめは「忙しいので…」などと丁重にお断りしていたが、今日は少し面御くさくなって「そういうの、気の効いた建築家は出ませんよ」ときつく言ってしまった。かつ--建築王---ならまだしも「--収納王--にはなりたくありませんので…」と加えた。しかし、テレビ上ではインテリア系の番組や「欠陥住宅バスターズ」など相変わらず建築・インテリア・リフォームネタが満載である。「ドリームハウス」という番組からも以前依頼があったが、どんな番組かとみてみると結構「品がない」番組に仕上がっている。奥さんが15万円くらいの引越し代金を必死で11万円に値切っているところを延々と映し出している。別に値切るのが悪いわけではない、それをカメラがまわっているからといって得意げに値切っているところが誠に見苦しい。気分が悪くて最後まで見ることはできなかった。まあ、はじめから見なければいいのにといってしまえばそれまでだが、一応建て主さんや学生から「あれ見ましたか?」と聞かれることが多いので、そういう番組があるということは知っておかねばと思ッているだけなのだが…。

「本八幡の家」の御主人からメールあり。入居早々、お子さまを授かったとのこと。誠にめでたい!。入居して4ヶ月、「建具の引手、排水管の音、外壁のヒバの状態」などいくつかの不具合を御指摘いただいた。工務店と連携して年内には解決せねば。

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  2003年12月7日(日)
午前中、埼玉のKさんのところへお話をお伺いしに行った。土地の契約がまだ完全ではないみたいだったが、敷地を拝見して家についての思い入れをたくさんおうかがいした。早く設計したくてわくわくしているが、まだ時期尚早なので、とりあえずまた御連絡をいただくことにした。また、はじめての打ち合わせなのにおいしい釜飯をごちそうになってしまって恐縮している。

夕方スクーターで青山、原宿、代々木、中目黒を廻り、何を買い物するわけでもないが、クリスマスにうかれている街のイルミネーションなどをみて気分を味わう。寒くなってきたので、中目黒の「寿」という店でお好み焼きを食べて帰った。おしゃれをして、たくさん大きな買い物袋を抱えてニコニコして歩いている人々を眺めるのは楽しい。平和だな…とつくづく思う。
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  2003年12月5日(金)
小雨のパラつくぱっとしない一日。この冬一番の冷え込みだとラジヲはいっている。
朝、Kさんより敷地のファックスが届く。僕の方がちょっとゴミ置き場の位置を勘違いしていたが、逆にそんなにゴミ置き場は計画には影響なさそうだ。「問題はないですよ」と電話で連絡しようと思ったんだけど、話し中でつながらず断念。そのままバンタン新宿校へ出講。

「9坪ハウス」の授業も佳境に入った。もうフィニッシュの模型がニョキニョキとできはじめているはずだが、みなまだスタディー模型どまりで、間取りはできたけど「窓の開け方がわかりませ〜〜ん」って言っている。講師曰く「あのね、本当はね、間取りと断面と外観のイメージは常に同時進行で考えるんだよ」と。でも、最初からそれを求めると皆何もできなくなってしまって、最初の一歩が踏み出せないので言わなかった。でもこうやってやってみて、身をもって感じることが大事だと皆に伝える。

正解のない「建築」もしくは「住宅」という授業は一筋縄ではすすめられない。「彼らのやりたいこと」が第一だと考える。もしかしたらそれが今後の建築を変えるかもしれないと信じている。そのかわり「法律的にはこれはちょっときびしいよ」「おもしろいけど工務店さんはいやがるね」「かっこいいけど、暑くて住めないよ」「空調がきかないよ」「ここはニッポンだよ」などと様々なツッコミを入れる。しかし「ダメ」とは言わない。誰と戦わなければその案が成立しないのかを教えるのが僕の仕事だ。

しかし学生の方がまいっているようで「センセェー普通はどうするんですか?」と正解を求めてくる。学生達には悪いが、「社会にはマニュアルも正解はないんだよ、それを見つけるための能力を獲得しなければならないんだよと」とかっこよく言いたいが、実ははずかしくて言えていない。だんだんわかってくれるだろう。
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  2003年12月4日(木)
埼玉のKさんという方より電話があり「明日土地を契約するので設計についてのお話をお聞きしたい」と。日曜日、お宅におうかがいして打合せを行うことにした。敷地は南西の二面の道路に面しているが、南西角に共用のゴミ置き場があるという。設計のポイントになってきそうだ。

明日「幡ヶ谷の家」確認申請を提出するのでそのチェック。事務所によっては実施設計終了後、見積中の隙をねらって確認申請を提出するところもあるみたいだが、当事務所は実施設計中に出す。

その他『代官山 museum of share spirit』の滅失・表示登記関係の書類の手配などしながら一日が終わる。

隙をみて「日本建築の秀作には時代的にムラがあるなぁ〜」なんてことを考えていた。仏教が伝来した後の700年代に一つの秀作ラッシュ、聖徳太子効果か…。平安から鎌倉幕府に移る1100年代にまたラッシュ、重源効果か…。1400年代の室町、禅宗様のラッシュ、といったかんじ。特に1100年代のラッシュはすごい、「中尊寺金色堂」「厳島神社」「長床」「浄土寺浄土堂」「東大寺南大門」「石山寺多宝塔」などなど、全国各地、多種多様な発想の建築がうずまいている。すごい時代だ。中世パリではノートルダム寺院をはじめとしたゴシック建築ブームがおとずれた頃。だからどうだってわけはないが、何か気になる。
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  2003年12月3日(水)
午前中、構造設計の原氏来所。「幡ヶ谷の家」のコンクリート構造計算図を受けとる。南武線は東急に売ればいいなどと、原氏の事務所のある川崎周辺のよもやまばなしをする。

午後総武線で「小岩の家」現場へ。車中、昨日買った芭蕉の「おくのほそ道」を読む。教科書等に出ていたので、「いかにも」といった感じがいやで、38年間手をつけていなかった。一応「西行物語」を読んだので「漂泊」ついでに芭蕉を解禁した。
本というのは、その日の気分やその時の年令、生活状況などによって読みたいものが違ってくる。なので、どうしてもといわれない限り人に本はすすめないし、絶対に人から本はすすめられたくない。昔からそう思っている。また、読んだ本について人と話しをすることもない(仕事上は別だが…)。なので、本読み友達というのは僕には一人もいない。逆にいないから本を読む。しかし、もちろん松岡正剛のような不思議な人のすすめる本はたいてい面白いので、読みたい本のきっかけにはなるし、新たな世界が広がる。

「西行物語」を読んだばかりのとき、仕事上「重源」に行き当たった。両者が同時代であることを知り、重源が「西行はん、大仏っさんの再建の資金、集めてくれんかのう?」という交流もあったらしいということが気になったりする。すると、歴史的にメジャーである、平氏はどんな気持ちで東大寺を焼いたのか、そのとき源頼朝はどう思ってたのか…といったことが気になり、自分では「負の歴史」ばかり追ってるつもりでいても、結局「表」を知りたくなってくる。しかし「表」の歴史は万巻万書、満ちあふれているので、ちょっと読む気が萎えてしまう。こういう場合は本を読まずに、年配の方と飲んだ時に直接聞くのが良い。そんな年配の方募集中!というお話でした。

 ちなみに、往復の車中、芭蕉は草加辺りから旅立ち、平泉を越え、尿前(しとまえ)というところで馬の尿(ばり)の音を聞いている句を詠んだところまで読めました。

※写真は昼食べた、「いっぱいつくったから同じもの四回目」の最後をしめるトマ
トシチュウーです。美味。
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  2003年12月2日(火) 西方浄土
パラディーオの数階にも渡って突き抜ける柱、ジャイアントオーダーは、大仏様の浄土寺浄土堂の垂木まで伸びた柱と似ているのでは…とふと思った。こじつけには違いないし何も意味はないが、ギリシャと言う古典に対して新感覚をもって挑んだパラディオと、平安の和様の建築に対して南宋から新様式を持ち込み、天井を張らない空間美、架構美を希求した重源という天才の着眼点は割と近いのかもしれない…なんてことを午前中考えていた。

午後から『代官山 museum of share spirit』の現場打ち合わせ。雨があがり、現場は澄んだ空気の中でキラキラと輝いていた。いつもながら西日が美しい。そういえば、外観は宝形で落ち着いた佇まいをみせる浄土寺浄土堂も阿弥陀三尊像の背後から西日を堂内に導きいれ、西方浄土の感覚を呼び起こさせる工夫がされていたな。重源はプロデューサーであり、完全に建築家だな…。
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  2003年12月1日(月)
 一日中雨が降っていた。4時半くらいには外がまっくらだ。今年は雨が多く、どの現場も少なからず影響を受けている。天気が悪いと気が重い。仕事を早めにきりあげて、トマト味のビーフシチューをつくって食べた。

 12月になった。天気は悪いが12月はわりと好きである。ニッポン人らしく、初めと終わりがはっきりとしていることが好きで、12月はその終わりの方の感覚を味わうことができる。一月になればすべてが御一新できる。そう思えば何かこうわくわくしてくる。まだ年内に2件竣工させなければならないが、わくわくしてくると、何ごとも積極的になることができる。

 写真はギャラリーsiteの渋谷奈緒さんの展示のようす。
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