OCM一級建築士事務所
 

2003年
10月

  2003年10月31日(金)   
本日は朝から一日中バンタンキャリアスクールに出講。急遽午前中にも入ることになったので、体力が心配だったが、案の定18:00に終わった時には体はボロボロだったがテンションの高さはなかなか抜けなかった。
恵比寿西口の焼鳥「栃木屋」へいって熱燗を飲んで寝た。
▲top

  2003年10月30日(木)   
昨日は18時から渋谷にデザイナー松永路の事務所を訪れた。「建築ツウ」の装丁および造本についての打合せ。ペーパーバックっぽくしてできるだけ軽くて厚い粗野な紙を使い厚みを出す、カバーはつけず、帯だけで内容を説明できるようにしたらなどなど打合せを行う。その後一緒にパルコブックセンターに行って様々な装丁、造本の研究をする。やはり、パッと手にとりたくなる本というのは装丁が良い、デザインの力を感じずにはいられない。場所をうつして宇田川町の「む鉄砲」という沖縄料理屋で久米仙(30°)を飲みながら、ラフティーやミミガーをつまみ、いろいろ作戦を練る。松永路はそのあと事務所に戻るというので22時頃別れ、ぼくは帰宅。所員に授業の教材のため9坪ハウスの軸組模型をつくってもらっていたのが完成していた。なんともシンプルな完成された軸組、しかしここから出なければ何もはじまらないなということをあらためて確認する。
朝、『建築知識』の大菅編集長よりメール。「建築ツウ」装丁、造本の打合せ(プレゼンテーション)を11月初旬に行うことを確認。松永も僕もやる気十分なので楽しみである。
一日「建築ツウ」の人名検索リストを作成した。つかれた。速読、お手軽をうたうかぎり、検索リストは必要だ。しかし本当は編集の人にまかせた方がいいのだろうな。何でもやってしまうから、しかも中途半端だから編集の人にうとましがられる。
晩、卒業生の山田カズ君が遊びに来る。お誕生日のお祝と、年末のOCM NIGHT VOL.2の打ち合わせで渋谷に出るが、中華の兆楽や腸詰屋がいずれも満席で、名もないすいている店に入ると、ひどい店だった。焼き鳥屋だと思ったのに、焼き鳥はなく、「缶詰300円」というメニューにびっくりし、焼そばを食って日本酒を飲んで出る。OCM NIGHTの予約をしようということで、BAR EDGE ENDに行くが、プライベートパーティーのため休みだった。なんともグダグダの一晩だった。
▲top

  2003年10月29日(水)   
昨晩はやっと雨があがりはじめたが、なんとなく陰うつなじめじめした感じであった。こんな宵の口は恵比寿の街も人は少ない。とっとと暖かいお家へ帰ろう、という算段なのだろう。おかげで普段混んでいる店が空いていたりするので、地元民としては狙い目だ。ということで西口の「三橋屋」という居酒屋で松竹梅を燗して飲んだ。ここはほとんど魚しかメニューがなく、刺身か煮つけか天ぷらかといった選択をせまられるので、魚嫌いにはおすすめできない。かつ580円以上のメニューがなく、おおむね300円台。隣に座った初デートっぽいカップルの女の子が「赤ワインしか飲めないの…」とおっしゃっていて、横にいてずっこけた。男の方の事前調査が甘過ぎる。もちろんその店に赤ワインはない。予習復習はオトナになっても、仕事でもプライベートでも必要なものである。
毎日青汁を2杯づつ飲んでいるが、何か体調に変化はあるのだろうか。なんとなく脳がクリアになっているような気がするのと、すこしイライラが減ったような気がする。しかし本当に不味い。でも面白いのでつづけてみる。今日は朝から晴れていて気持ちが良い。都会のまん中で生活していても、やはり季節や気候は人の気持ちに変化をもたらすことに疑いの余地はない。
で、昼食は恵比寿駅アトレの屋上でお弁当を食べた。春一番のような不思議な風が吹いていた。二時過ぎに、10年来毎月通っている近所のヘアー・リッジに髪を切りに行った。『代官山share spirit』の片野氏とはこの美容室で知り合った。オーナーのキモトさんも竣工を楽しみにしてくれている。「パーティーやるんだってね」と、さすが情報通のキモトさん。しかし、気持ちよくパーティーができるかどうかはあとの二ヶ月にかかっている。恥ずかしい仕事はできない。
恵比寿東口にまた大きなオフィスビルが建っている。東急資本らしい。キモトさんの情報によると5000人収監されるらしい。すごい。街工場が多くあり、庶民的な街であった恵比寿東口は急速にオフィス街になろうとしている。お昼12時になるとビルの口から一気にOLやサラリーマンさんたちが、どひゃっと吐き出される。昼食戦争でうろうろ路頭に迷う彼ら。ますます昼食時に外に出る気がなくなってしまう。
▲top

  2003年10月28日(火)   
昨晩、日本シリーズをみながら弁当を食い焼酎(白金乃露・黒)を飲んだ。阪神はまけた。30年来の阪神ファンとしては感無量の瞬間だった。星野監督の表情はとうぜんのことながら、監督をとりまく選手たちの監督への思いがその表情にみてとれ、涙が出た。金本、広沢、野口…。部下から慕われる上司像として今後語り継がれていくことだろう。
『六角橋の家』の銀行融資がうまくいきそうだ。施主が自営業のため思うように銀行の審査を通らず、工事、工期にも影響してしまった。建築家の力及ばぬ部分である。テクノアートの春田氏にはよく動いてもらっている。人ごとではない。ぼくも自営業ゆえ、明日は我身である。
この日記は明らかに難波和彦の「東阪往来記」と石山修武の「世田谷村日記」に影響され、また意識している。両者とも建築界の大御所ゆえ、僕のようなワカゾーとは比べものにならないが、逆に彼らの忙しさや、いらだち、ぶちあたっている問題と、ワカゾー建築家のおかれたわりとのんびりとした状況を比較してみるのも悪くはないかと思う。
またエリック・ホッファーの「波止場日記」にも影響されている。沖仲仕として日雇いで港で働きながら、思索の日々を続けるということ。建築家でありながら、難波や石山のプロフェッサーアーキテクトよりも、今はホッファーの方に親近感を覚える。
午前中「建築ツウ」第九章の推敲が終わる。「建築ツウ」は後半の方がやはり何か鬼気せまるものがある。今となっては前半は少し諧謔に過ぎたきらいが感じられる。今週、装丁の松永路と打合せをして今週末にはエクスナレッジの大菅編集長にプレゼンテーションを行う。三册目の「普請道楽」についての企画もススメなければ…。
午後から『代官山museum of share spirit』の現場定例。雨の中恵比寿から代官山まで歩く。外部のモルタル中塗り完了。屋上FRP防水完了、雨のため池が出現。木造住宅の屋上に池をつくることに躊躇はしたが実際にできつつある。ここに西郷山公園の方向から足の長い西日があたれば水面に反射してきっと美しかろう。内部は造作の下地を開始しており、階段にも着手している。
『都心に住む』VOL.14(リクルート)が送られてきた。「気鋭建築家インタビュー」に駒田剛志さんと一緒に載っている。都市について語ったが、インタビューなのでちょっと散漫な印象をうける。やはり、きっちりと文章で表現しなければいけないな。都市のことは「建築ツウ」にもしっかりと書いているのでそちらを是非読んでもらいたい。
▲top

  2003年10月27日(月)   
昨日は所員Kさんの引越を手伝った。目黒から広尾までで、御近所さんの斉藤康にトラックを出していただき手伝ってもらったので、2時間以内で終わった。ひさしぶりに「肉体労働」をしたので今日は体がボーッとしている。肉体労働をすると現場で黙々と働く職人さんの気持ち、有難さがひしひしと伝わってくる。
今週末は11/1(土)『小岩の家』の上棟式と、11/2(日)『幡ヶ谷の家』の基本設計完了の打ち合わせだ。昨日はひさしぶりに連休がとれたことになる。後二ヶ月で今年は終わる。アルド・ロッシと同様にぼくも「事物の始まりと終わり」が好きだ。一日の始まりと終わり、週の始まりと終わり、年の始まりと終わり。地鎮祭と竣工引渡し。
午前中、「建築ツウ」の校正?推敲作業。横書きを縦書きにして、かつ字数の調整。完璧な千六百文字にこだわっているので、文章の調整が難しい。かつ、勢いのある息遣いのはっきりした文章が好きなので、少し言葉を減らすだけでも慎重にならざるをえない。はじめっから縦書きで書けばよかったと思うが、どうも完全に横書きの縦読み人間になっているので、執筆するときは横でなければかけない。しかし、原稿用紙にペン書きだった時代の労を思うと本当に頭がさがる。
電話もなくわりと静かな月曜日だ。無料サンプルの「青汁」が届いた。
『代官山share』の片野氏より連絡あり、ベランダの手摺のアイアンワークのデザインにokがでる。今週いっぱい氏は展示会で忙しいので、11月に入ったらまた屋上で打ち合わせしようと約束。その他の取っ手や照明カバーなどまだまだ決めなければならない。
▲top

  2003年10月26日(日)   
気温20度、湿度50%。夏が終わってから「今日は一年中で一番気持ちのいい日だ」と思った日のうちの一日である。一番気持ちのいい日が年間何日も感じられるということは幸せなことだ。その気持ちのいい日の中、昨日から部屋の整理をしている。たしかに雨がしとしと降る日に部屋の整理はあまり気持ちがよくないだろうよ。洋服をゴミ袋二袋分と靴を一袋捨てた。どんどん「捨てている」はずだが、いまだに10年前のサラリーマン時代のスーツやネクタイが捨てられずにいる。昔はフリーマーケットとかに出していたが、今はそれすらもめんどくさい。近くのタコ公園で寝ている浮浪者の人にあげたいけど、逆切れされたらこわいな、と思っている。ゴミに出したところをうまくみつけてくれればな、と願っている。
押入がすっきりしたところで、ベットを捨てて、じゅうたんを捨てて畳の生活にしようと企んでいる。寝、食、働、全てをこの八畳でおこなっている。庵にあこがれているといいつつ、すでにここは市中の閑居だな。名前をつけたいな。
▲top

  2003年10月24日(金)   
昨晩は所員の実家から送られてきた松茸をちろちろ焼いて、芋焼酎(鹿児島:げんち)とともに味わった。サイトギャラリーオーナーの斉藤康も呼んだ。大根の煮つけ、鬼おろしの山椒ちりめんあえ、ぬかづけ、オーストラリア産のからすみなどでもてなした。少し贅沢をした感じがする。かつ、二日酔い気味だが、部屋にかすかに松茸の残香。
斉藤康に帰り際「撮影用にガラスのゴージャスな椅子を製作したいんだけど、図面かいてくんない」と頼まれて、朝おきたらイメージのファックスがとどいていた。一時間で、図面を書き上げファックスした。よろこんでもらえるといいのだが、夕方になっても返事がない。
午後から新宿バンタンキャリアスクール出講。バンタンデザイン研究所の方と同じ課題の「わたしの9坪ハウス」の3回目。やっと学生の顔と名前とエスキスの内容が合致しはじめた。キャリアスクールというだけあって、みな4年制大学を卒業していたり、保母さんや、翻訳、銀行員などの仕事をやめてまで空間デザインの世界に飛び込もうとしている。経歴がおもしろい。しかしこういう各種学校のおもしろいところは、一般の大学の建築学科の同じ偏差値ではいってくる集団と明らかに違い、ダイナミックな人間構成になっているのでおもしろい。一筋縄の論理は通用しない。学生が個々にかかえている問題を抽出し、個々に解決していく道を開くもしくは示すのが僕の仕事だ。当然講師はサービス業である。「お客さま」である学生に最大限尽くさねばならない。そこが国公立大学の発想とはまったく違う。しかしやる気はあるのだが、肉体的に疲れる、もうオジンだなぁ〜昔は朝から晩まで教壇に立っていたのに…。
▲top

  2003年10月23日(木)   
昨晩は古沢氏が帰った後、近くの「一佳」という串焼屋にいった。ラーメン山頭火の横である。安くて、あまり混まずしかもマスターがスポーツ好きなので、テレビで日本シリーズがみられる。こういう飲み屋は気取りがなくいかにも「居間の外在化」という感じがして好きだ。しかも何回行っても、マスターがなれなれしく話しかけてくることもない。しかしお茶漬けが600円で焼おにぎりが150円という値段の差は気になる。お茶漬けの方は酔っぱらって気が大きくなったときの「ひっかけ問題」のような気がする。
『堕落論』に目を通している。小説以外の本を読む時は自分の意見と似たようなことをいっていないか探しながら読む癖がある。あまりよくないのかもしれない。誰かに自分を弁護してもらいたいと思っている。
「茶の湯の作法など全然知らない代りにには、みだりに酔いしれることをのみ知り、孤独の家居にいて、床の間などというものに一顧を与えたこともない。」
たしかに基本的には僕もそうだったが、僕はそこから逃れようとしている、亡くなってしまったものを取り戻せと叫んでいる。しかし安吾はそのままでいい、という。それが歴然たるニッポンだという。
「日本精神とは何ぞや、そういうことを我々自身が論じる必要はないのである。説明づけられた精神から日本が生まれる筈もなく、又、日本精神というものが説明づけられる筈もない。」
たしかにそうだ。建築家が何かを変えなきゃいけないと思っている「建築ツウ」の発想は思い上がりなのか…。おおむね平易な文章で勢いよく書かれている安吾の文章に戦後まもない時代の人々は「これでいいのだ」と自信を持ったにちがいない。しかし、毎日大酒を飲み歩いている安吾と一般大衆は本当は同じではない。そこんところをはき違えないようにしないと、「一管のペンに身を托してともすれば崩れがちな自信と戦っている身…」の安吾にやられてしまう。
九時半、そろそろ『小岩の家』の基礎立上がり配筋検査に向かわねば。片道一時間十分、安吾の続きを電車で読もう。
『小岩の家』配筋検査、補強筋先端のフックが大きすぎてかつ主筋に対して直行しているため型枠とのかぶりがとれていない。フックをナナメにするかフックの径を小さくするように指示した。
検査終了後長い長い小岩の商店街フラワーロードを歩いて駅へ。小岩駅前はフラワーロード以外に他に二本の商店街が放射状に伸びている。今度は別の商店街も歩いてみよう。商店街に元気のある街は、街が生きている証拠だ。帰りにお茶の水のレモン画翠で『幡ヶ谷の家』の模型用の銀色の紙を購入。
バンタンデザイン研究所の岡田氏よりメールがとどく。後期授業の予定が告げられた。キャリアスクールの方でも同じテーマでやっているが「9坪ハウス」をやる。商品としてパッケージングされた住宅を通じて、現在の建築界のおかれた状況に対して批判を加え、かつ自己の提案をするというのが狙いだ。9坪というフレームが決められている方が現在の学生達にとってはとっつきやすいみたいだ。しかし、そこからの「差異の表出」に苦しむこともまた社会的な模擬体験になりうる。
▲top

  2003年10月22日(水)   
10月に入って寒くなってどうも体調がぱりっとしない。昨晩は大根、長ねぎ、しらたき、えのき、厚揚げ、さつまあげ、豚肉の「鍋」をつくってポン酢で食べた。これから冬になるにつれて自炊の場合はほとんど「鍋」になる。毎年同じだ。「みんなで鍋でもしようか!」「いいね〜」という会話がよくあるが、ぼくにとって「鍋」は「ハレ」の食べ物ではない。「ただ野菜中心の食材をあたためて食べる」という行為にすぎない。
朝、八時半に起きて九時半にはマックの前に座る。まずメールのチェックをし、ネットに繋がったついでに日日更新される「松岡正剛の千夜千冊」を読む。今日は坂口安吾の『堕落論』だった。これを読まずして日本文化、日本流を語る事勿れと松岡はいっている。高校生の時読んだはずだが、さっぱり内容は覚えていない。何か「汚い紙屑の散らかった部屋で独り堕落している安吾の写真」ばかりが頭の中にある。そのおじさんが何を訴えようとしていたのか、もう一度たしかめなければならない。まがりなりにも「建築ツウ」でニッポン文化に触れてしまっているのだから、安吾のその独特の歴史観というものを今すぐに知りたくてしょうがない。
日記はきっと夜寝る前に書くものだろう。しかし私は朝起きてすぐにしか文章がかけない。光の波長のせいか、脳の波長のせいか何か関係しているのだろう。夜書きはどうも文章がおどろおどろしくなり、酔余の慢筆どころではすまなくなる。朝なのに「酔余慢筆」二日酔いか?と問いたくなる。愉快だ。
十六時、『建築知識』の古沢氏が来所。今後の企画のネタについて話しをする。ぼくは『建築知識』の必読者であって、ということは提供するネタはあんまりないよ、といってるのだが、雑談でいつも花が咲く。だいたいぼくは建築に携わる人々のメンタリティーの話しをしているような感じがする。
▲top

  2003年10月21日(火)   
電脳日記をはじめようとしている。石山修武がいっているように、ぼくも何か書いていなければ生きていけない、やる気のわいてこないタイプの建築家になってしまったかもしれない。
日記についていろいろ考えている。紫式部日記、土佐日記など日記はニッポンにおいて古い文芸形式には違いない。ぼくも、昭和56年5月23日(土)、15才のときより、20代の後半まで日記を書いていた。題して「気ままぶっく」、何ともかわいらしいタイトルだ。いまみてみれば大した量になる。18年前の自分と対峙するということは、ほとんど他人の日記をみているような感覚に陥る。この電脳日記もそのようになればいいと願っている。が、15才のときのように純粋無垢ではなくなっているので、そうはいくまい。かつ、ネットで日々流出してくのだからやっぱり身構えてしまう。昨日『壺中天酔歩』沓掛良彦(大修館書店)という本を買った。中国の「飲酒詩」をよむといった趣旨の本で、ぼくはその「飲酒詩」という詩の分野にひかれた。前から漢詩の中において中国人はよく酒を飲んでるなあ、と思っていたがやっぱり同じことを考えている人はいるもんだ。そしてその文章の中に、著者が「酔余の漫筆」ということばをつかって自分の著書を謙遜しているところがあって、その「酔余漫筆」という言葉が気に入った。この電脳日記のタイトルを「酔余漫筆」にしようか、それとも「〜日記」の方がいいのか迷っている。まだ今はウェブにアップしていない暖気運転の段階なので、まあゆっくりかんがえよう。
十三時、代官山『シェアー』の現場打ち合わせ。木製建具の整理および、アインアンワークのデザインの詰めを早急にまとめなければならない。
▲top

  2003年10月20日(月)   
「建築ツウ」の執筆が終わった。昨年の11月からはじめたので、あしかけ一年、原稿用紙にして四枚、百の話しを三日に一話書いたことになる。計十六万字。
▲top
 
〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿1-7-2 エビスオークビル2-33 TEL/FAX 03-3441-3499 E-mail oshima@ocm2000.com
Copyright (C) OCM一級建築士事務所 All rights reserved.